
社 号:有氏神社(ありうじじんじゃ)
祭 神:武蔵七党のひとつ児玉党の祖・有道維行(ありみちこれゆき)を祀ると伝わる
創 建:不詳
指 定:-
鎮座地:埼玉県児玉郡神川町下阿久原34(旧神泉村)
藤原北家流・藤原伊周の家司だった有道惟能が藤原伊周の失脚により武蔵国に下向し、その子息の
有道惟行が神流川の中流部にあった阿久原牧を管理し、ここに住して児玉党の祖となった有道氏で
ある。また「有」とは、有道氏の略称であり、有氏とは有道氏を指すとされる。

有氏神社境内

有道氏の祖廟 武蔵野の開拓者、さらには、関東武士の元祖、として有名を馳せた児玉党の開祖である有道 一族の祖廟は、詳らかでない。しかれども、有道惟行が朝廷の命により長官を勤めた阿久原の 牧近くには、有道氏を祭る有氏明神があり、古くより地域の住民によりお祀りされている。 日本古来の宗教観では、先祖霊や特別な功績を上げ尊敬される人々の霊を人格神として祭る のが自然である。 阿久原地区には、古くより「有氏明神に隣接した北の位置にありし古い石塔を東北に移転し た際に、人骨が発掘されこれは阿久原牧時代の有道氏一族の墓であろう」との言い伝えがあり、 しかも、「有氏神社には御神体が存在しない」などのことより、有氏神社は、有道氏一族の霊 域(墓地)に祠を建て、祭り始めたものであり、古くは霊域の重要な位置を占めたと推定され る有氏明神に隣接した東北部の畑の中にある古石塔(地下に眠る遺骨)こそ有氏明神の御神体 であるとの説がある。この石塔は、児玉党もしくは近在の有道氏一族の関係者によって、室町 時代後期から江戸時代初期の間に建立されたものと推定されるが、品格の高い見事な石塔であ る。 今回、古石塔及び周辺土地の管理者であり、長年に渡り秩父瀬地域住民の中心となって有氏 神社をお祀りしてきた児玉党の流れを汲む浅見家21代当主新一氏のご尽力により、古石塔が整 備復元されたことは、惟行生誕1000年を迎えるにあたり、誠に意味有るものといえよう。今後 児玉党並びに有道氏に関係する方々はもとより、その恩恵を受けている地域の方々は、時に参 拝し、武蔵野の開拓と土地生産性に基盤を置いた武家政治の確立に貢献した先祖の方々の往時 を偲び、明日への活力としていただければ幸いである。 平成14年正月 記 児玉党末裔 |

室町時代後期から江戸時代初期の間に建立されたものと推定される「石塔」

社殿 土台を含めても人の背丈の2倍程度の小さな社であり、本殿はない
破風には児玉党本宗家の家紋(紋章)「軍配団扇紋」が入っています

「有氏神祠碑」 明治26年建立の石碑

「児玉党祖有道惟行 生誕壱千年記念碑」 平成12年建立の記念碑

「有氏神社の盤台祭り」説明板
散策日:平成30年(2018)2月9日(金)