「平井城」を攻めておきながら、平井城の詰城と言われる『平井金山城』を攻めずに引き返しては、「平井城」を攻めた意味がないのではないかと。
そこで、『平井金山城』も攻め落とすべく向かったものの、模擬城に騙されて城入口に辿り着くまでに、時間と兵糧を無駄使いしてしまいました。
登山口に設置されている標柱です。後方の山が金山。この前が駐車場となっており20台以上の駐車が可能のようですで。
先に1台駐車車両があったので、「もしや」と思ったが城攻めの方ではなかったようです。
簡易トイレも設置されており、その脇には、「金山城址公園案内図」が設置されています。
図板下にある郵便受けにはパンフレットが入っていました。平井城でも同様でしたがパンフレットは同じもので、平井金山城と共通のものでした。
既に気付かれているでしょうが、この城は色々な呼び方がされています。入口看板には「平井詰(金山)城」とあり、案内板では「金山城(址公園)」
となっています。また他にも「平井詰城」とか「金山西城」等とも。しかし、金山城ですと同じ県内太田市にある金山城と混同する等のことから、
皆さん便宜上、「平井金山城」と表記しているようです。
実は、ここ登城口に辿り着いたものの、城攻めを敢行するか否か迷いました。何故なら時刻は午後2時半頃であったし、平城ならともかく
(標高330m、登山口標高150m、比高180m)の山城です。駐車場から物見台まで約45分とあり、更にその先もあるわけですから、
攻めて帰ってくるまでに陽が落ちてしまうのではと言う危惧がありました。それに体力も心配の種でした。
折角来たのだから行けるところまで行ってみようと意を決し、いざ登山道へ。登山道手前に、登山杖保管箱」があり、杖が用意されていましたが、
私は過日買ったばかりの伸縮式の登山杖を携行して行ったので初めてこれを使うことにしました。
いよいよ登城開始。写真のような石段道ほんの僅かで、あとは自然の任すままの山道。
少しすると石積みに出会う。平井金山城の遺構か? 遺構であるなら何らかの案内板等があるはずだが、それらしきものはない。
城とは関係ない石積みなのか。パンフレットでも何も触れていない。
登山道は、写真でも分るように勾配がきついうえ、落ち葉が敷き詰められています。登山杖がなければとても登れません。
息は「ハーハー」どころか「ゼーぜー」状態。正確な文言は覚えていませんが、敵に簡単に攻められないよう急な道になっているから
物見台辺りで休みながら・・・と言った内容の看板がありました。引き返して出直そうかと思いながら、杖を突き突きどうにか物見台まで到達。
これから先は、写真の説明程度にしておきましょう。
ここが「物見台」です。前述の通り登山口から物見台まで約45分とパンフレットにはありましたが、私は何分かかったか分かりませんでした。時間を気にする余裕などなかったのです。
物見台に上がって眺望を・・・木の枝ではっきりしないかと思いますが。
物見台から「主郭(本丸)跡」を目指しました。
途中で出会った遺構です。「虎口」
「清水刻印岩」
「帯郭」
いよいよ「主郭(本丸)跡」まで来ました。主郭の手前には【案内板】が。
実は、ここに書かれた「櫓門・表城門跡」は見ておく価値があるらしかったのですが、時間が時間でしたし、見てのとおり残雪があり、もしもを考え諦めました。
金山城跡の石標には「藤岡市指定史跡」とありますが、1999年4月30日に平井城と共に県指定史跡になっております。
「金山城跡」説明板
「主郭(本丸)跡」です。
主郭跡から井戸郭へ向かう途中にある遺構「土橋」
「堀切」
「土塁」
「井戸郭」と「井戸」。 この井戸は、平井金山城を、「関東管領金山城址公園」として城跡の一部を復元・整備した際に復元した遺構のようです。
以上、見て歩いた「平井金山城跡」でしたが、時間の制約を受けながらでしたのでゆっくりと見ることもできませんでしたし、
また多くの見落としもありました。帰りは来た道を戻って下山しましたが、どうにか日が落ちないうちに駐車場まで・・・
山城跡は、ここを含め何ヶ所か攻めたが厳しさは1番か2番くらいの厳しさでした。長々と綴った駄文に最後までお付き合い有難うございました。
攻城日:2010年(平成22年)2月7日(日)