【伊奈氏屋敷跡】
天正18(1590)年、関東郡代伊奈忠次は、周囲を泥深い湿田に囲まれたこの台地に、陣屋を構え、その後の関東地方の幕府直轄地を支配する拠点としました。
寛永6(1629)年に、三代忠治が川口市赤山に陣屋を移すまでの間、この地が地方支配の中心となっていました。
屋敷跡の規模は、東西350m、南北750mです。陣屋が構えられた頃の様子は明らかではありませんが、当時を偲ばせる土塁や堀が各所に良く保存されているほか、
見通しを悪くするためにわざわざ折り曲げた道などが、現存しているとともに、「表門」・「裏門」・「蔵屋敷」・「陣屋」などの呼称も伝承として残っています。
~現地案内板より~
「伊奈陣屋跡」。これが私が最初に憶えた名称であるが、現地においては「伊奈氏屋敷跡」の名称が使われている。
他にも、伊奈氏陣屋、丸山城等色々な呼ばれ方をしているようである。
機会あれば訪ねてみようと考えていた「伊奈陣屋跡」であったが、伊奈町のばらまつりに行ったついでに回り込むことにした。
私のカーナビでは登録されていなかったし、所在地も伊奈町小室程度しか判明していなかった。
コンビニに寄ったり(全く駄目なコンビニであったが)、図書館に寄ったりして場所を調べてどうにか辿り着いたのが、上の写真の場所で、
「伊奈氏屋敷跡(入口)裏門跡」とありました。あまりのことなので感想は控えておきましょう。
雑木林と化したところに「空堀跡」らしきものが
屈折した狭い道の連続です。土塁跡でしょうか?
二の丸の土塁跡のようですが、ロープが張られていますので・・・
陣屋跡は広大な範囲のようですが、地元と訳ありのようで整備がされておらず、どこがどうなのかはっきりしませんでした
まあいいか、こんなものだと分っただけでも・・・
攻城日:2012年(平成24年)5月27日(日)