城 名:初沢城(はつざわじょう)
別 名:椚田城・高乗寺城
形 態:山城
時 期:15世紀末
築城主:不明
城 主:不明なるも門田氏あるいは長井氏の可能性を指摘
遺 構:土塁・堀切
指 定:都指定旧跡(昭和30年〔1955〕3月28日指定)
現 状:山林
所在地:東京都八王子市初沢町
初沢城は、築城年代・築城者等不明であり、鎌倉時代にこの地を支配していた椚田氏が築いたとも、片倉城主の長井
氏が築いたとも言われるようですが定かではありません。
北側にある高尾天神社あたりから南側の初沢給水所あたりに至る間の山陵に曲輪跡・平場跡が連なっており、現在は、それに
沿うようにハイキングコースが設けられています。いわゆる登城口は北側の高尾天神社の裏側にあるようですが、今回の攻城
は南側の紅葉台団地側からとなりました。
ここ水道施設への入り口から攻城開始
右にも道がありますが、このまま舗装された道を進みます。
坂の途中から見る紅葉台団地
給水所のフェンスが見えてきました
給水所のタンクを回り込むようにして登ります
初沢山山頂→ の標識
そのまま進みます
堀切 この上に曲輪があります ここを上り下りした跡が顕著ですが、ここはスルーして更に進みます。
突き当りは広くなっています ハイカー用にベンチがあります 腰曲輪でしょう 右の階段が小口のようです
初沢山山頂です 攻城者としてみれば初沢城の本曲輪ということになります
初沢城跡の標柱と何やら書かれた看板
何れも民間の団体の方が設置したもので、自治体の設置ではありませんし案内板もありません。
南側から本曲輪を見ています
下に見える道が登ってきた道
曲輪2(仮称)・曲輪3(仮称)方向を見ています 登ってきた道方向を逆に見ている形になります ※以下(仮称)は省略
中央に見えるのが堀切と土橋
曲輪3
曲輪3から引き返し本曲輪方向に戻りますが、本曲輪の手前を右側(東側)に逸れて曲輪下を進みます
暫くこんな道が続きます
平場になりましたが曲輪というほどではないようです
平場先端は急な坂です 何か所かこうした急坂がありました
二股です 下の道がハイキングコース 上への道を行くと曲輪4ですが先に進めませんので引き返し下の道を進みます
下の道は曲輪4のある山稜をぐるっと回るようにして東側に出ました
左に折れた先が曲輪5・曲輪6のようです
曲輪5の途中左側に下への道がありますが、そのまま右側の曲輪6方向へ
曲輪6
曲輪6の先端を左に折れます
曲輪6から降りて来た道・階段を振り返って見ています
曲輪6から下りてきた場所はかなり広く、曲輪跡かと思われます?
菅原道真公の大きな像が建っています
菅原道真公の像を正面から
この菅原道真公の像の正面に下から登ってくる階段があるのですが、運動部の大学生(高校生?)数十名が階段を駆け上って
は下りるを繰り返していましたので、階段を使うことができませんでした。
菅原道真公銅像の説明板 身長4m85cm さすがに大きいい 大きすぎて不気味でもありますが
横から 周囲の木々が入ると如何に大きい・高いかが分ります
☜高尾天神社 初沢城本丸跡登り口の看板
高尾天神社 鳥居
高尾天神社 丸印の所に「初沢城入口」の標識があります
先ほどの曲輪5から右に降りる道はここに繋がっていたのでしょう
高尾天神社 社殿
この階段は、高尾天神社への参道の階段
初沢町の住宅街 山頂(本曲輪)から眼下の街並みを撮っていなかったのを今更気付きました
アジサイの季節です 道真公の銅像の近くに咲いていたのを撮ってきました
【追記】
あとでわかったことですが、階段の登り口に都教育委員会が設置した初沢城跡の説明板があるようでした。事前にこのことを
知っていれば、他の階段等を利用して説明板の所まで行ったものをと後悔しきり。
その時は分らなかったとしても、説明板があることが分った以上は無視するわけにはいきません。石碑や標柱、そして、説明
板の類はお城愛好者全員とは言いませんが、少なくとも私にとっては攻城という結果と同様に大切なものです。私の住まいか
ら見れば八王子市は決して近いとは言えませんが、行けないところではありませんから機会を見て説明板の写真を撮ってこよ
うと決めていました。そして撮ってきたのが下の写真です。攻城した時は紅葉台団地側からでしたが、今回は説明板の写真を
撮るだけですから反対側の浅川中学校方面から。
高尾天神社への上り口です。案内板には初沢城入口の表示がありますので、ここに説明板が設置されていると思い最初にこの
場所に来たのですがそれらしきものは見当たりません。
階段を上った途中にあるのかと・・・
長い階段ですが、説明板を見つけるためには上がっていくしかありません。
上まで登り切りましたが説明板は見当たりませんでした。前回撮った写真とほぼ同じアングルの写真になってしまいましたが、
長い階段であったことがお分かりになるかと思います。
前回、学生たちが上り下りしていた道真公の蔵の正面にある階段まで行って下りてみましたら、ここにも高尾天神社の石標が
あり、その前に説明板が立っていました。
東京都教育委員会 昭和58年3月建設の「東京都指定旧跡 初沢城跡」説明板
更に少し離れたところに英文が併記された新しい説明板も立っていました。
東京都教育委員会 平成24年3月建設の「東京都指定旧跡 初沢城跡」説明板
内容は書かれている順番が違うくらいで古い説明板とほとんど変りません。相違点は、比高差が100メートルから110メ
ートルと増えているくらいですが、全くと言ってよいほど影響のない差異です。
ひとつだけでも十分だったのにふたつも説明板を確認して、もやもやしていたものが一気に解消しました。何でそこまで説明
板等に拘るのかと笑われそうですが、多分、理解してくれる方も何名かはいると信じています。
攻城日:平成30年(2018)5月28日(月)・6月23日(土)