比企歴史の丘巡回文化財展 比企のタイムカプセル21
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「武蔵武士と比企」ー
全体期間:令和4年8月23日(火)~12月11日(日)
主 催:比企地区市町村教育委員会連合会
比企地区文化財振興協議会
埼玉県立嵐山史跡の博物館
が始まりました。
上記期間を比企郡市9市町村
(東松山市・小川町・嵐山町・川島町・吉見町・鳩山町・滑川町・ときがわ町・
東秩父村)及び嵐山史跡の博物館の10会場を巡回展示します。
今回は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映にあわせて比企地区に関連する武蔵武士を中心に
鎌倉時代に活躍した人物や、ゆかりの地、文化財の紹介・展示です。
早速、今年最初の会場である嵐山町ふれあい交流センターに行ってきました。
展示会場には受付の女性のみで見学者は私のみ
写真撮影はOKでしたのでそれなりに撮ってきましたが、巡回展示が始まったばかりなので、ここに
こと細かくアップ(ネタバレ)してしまうとこれから見学を予定している方たちの楽しみを奪って
しまいそうですので何枚かにしておきます(本当は失敗写真が多いため)
沢山のパネルで色々説明がされておりますが、それらの中から「武蔵武士」を転記しておきます。
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武 蔵 武 士
平安時代中期以降、律令体制の崩壊が進み、治安の悪化や相次ぐ争乱など社会は大きな混乱の時代を迎えます。
そうした中で、承平(931~938)・天慶(938~947)年間の内乱(平 将門の乱など)の鎮圧で活躍した藤原秀郷、
平 貞盛、源 経基など貴族の中で「兵」と呼ばれた者の子孫たちが荘園領主や国衙の官人と結びつき、所領経営者
として発展したことが武士の起源とされます(地方豪族などが自衛のため武装したのが起源とする説もあります)。
軍事を専業とした貴族も存在し、藤原氏・平氏・源氏などの中には、武蔵国に拠点を築いたものもいました。武蔵
国では、300にも及ぶ氏族が武士となり、一部は地域的・血縁的なまとまりをもつ、党と呼ばれる集団を形成しま
した。永承6年から康平5年(1051~1063)に起こった前九年・後三年合戦では源 頼義・義家に率いられた武蔵
武士たちの多くは長い戦いの中で結びつきを強め、源氏の当主を棟梁と仰ぎ、主従関係を結ぶようになりました。
治承・寿永の乱(1180~1185)でも多くは源氏側につき、源 頼朝を支えて、鎌倉幕府創設に大きく貢献しました。
その後武蔵武士は本拠地以外の地頭職(荘園・国衙領を管理支配する役職)を与えられ、その一部は移住し、各地
の歴史にも影響を与えました。
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比企地区にゆかりのある源頼朝、源範頼、源義平、源義賢、木曽(源)義仲、畠山重忠、比企氏、
秩父氏などの解説やゆかりの地の写真などがパネルとなって展示
ゆかりの寺や場所などの写真をとともに解説されています
同上
源氏・比企氏・畠山氏などに比べると若干マイナーな」(失礼)武士たち・・・
氏武蔵七党の大河原氏、小代氏、大串氏、竹沢氏などなど
【渥美産大甕】 平安時代 12世紀末 金剛院宝篋印塔下出土(吉見町)
【常滑甕】 【常滑壺】 【折縁深皿】 御所遺跡(吉見町)
【白磁四耳壺】(複製品) 12世紀末~13世紀 金剛院宝篋印塔下出土(吉見町)
左:写 赤糸威鎧 平安末期 寺田図書助作
右:写 紺糸威大鎧 平安末期 寺田図書助作
※ 寺田図書助勝廣氏 川越藩火縄銃鉄砲隊保存会会長
「武蔵武士と比企」パンフレット
巡回展示予定表 但し 吉見町埋蔵文化財センター 入館料300円
埼玉県立嵐山史跡の博物館 入館料100円 要です
見学日:令和4年(2022)8月24日(水)