勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟 この幕末の幕臣3人を称して「幕末の三舟」と呼んでいます。この中で一番知名度が高いのが勝海舟でしょう。
次が山岡鉄舟になると思いますが、知る人は知るが知らない人は知らないといった具合でしょうか。
高橋泥舟に至ってはかなり知名度が落ちるようです。高橋泥舟と山岡鉄舟は師弟の関係にあるとともに義兄弟でもあります。
さて、江戸無血開城と言うと西郷隆盛と勝海舟との会談の結果と思われている方が大半かと思われますが、
実はこれに先立ち、山岡鉄舟が官軍の駐留する駿府(現在の静岡市葵区)に辿り着き、単身で西郷隆盛に面会して予め話を詰めておいたのです。
無論、鉄舟が勝手に会談に及んだものではなく、勝海舟の使者として西郷と面会したのではありますが、無血開城の立役者であることに間違いはないのです。
「幕末の三舟」のこと、「江戸無血開城」のことを書くと長くなってしまいますので、簡単に触れただけにしました。
そんな山岡鉄舟の生誕180年を記念して開催されている「山岡鉄舟展」を本日見に行ってきました。
「山岡鉄舟展」の開催については大分前から把握しており、初日早々にと予定していたものの諸事情から本日となってしまいました。
山岡鉄舟は、上の新聞記事にもあるように、蔵奉行・小野朝右衛門高福の4男として江戸本所で産まれている。
木呂子村(他村と合併し竹沢村に さらに合併し現在の小川町大字木呂子)が、実家小野家の知行地であったことや、
書に使う和紙を求めて小川町によく来ていたようです。そんなことから鉄舟の書が数多く残されたのでしょう。
山岡鉄舟展の第1会場である小川町立図書館
会場である地下ギャラリーを上から
頂いたパンフレットの表表紙 2つ折りのもので内面には展示品(一部)の写真と説明があります
第2会場である 割烹旅館二葉
数寄屋建築の本館は国の登録有形文化財となっています
第2会場割烹旅館二葉で頂いたパンフレット やはり2つ折りのもので内面には展示品(一部)の写真と説明があります
展示室(品)は撮影禁止となっていますが、今回の「山岡鉄舟展」に限らず普段でも山岡鉄舟の書や関係書物が沢山展示されています
鉄舟はこの「二葉」にはよく立ち寄っていたようで、この忠七めしは鉄舟の示唆により八代目館主忠七が苦心の上創始したもので、「日本五大名飯」のひとつです。
「日本五大名飯」とは、
忠七めし (埼玉・小川町)
深川めし (東京・深 川)
さよりめし (岐阜・山岳地方)
かやくめし (大阪・難 波)
うずめめし (島根・津和野)
とのこと。
ちなみに、「忠七めし」の 7 忠七めしは「日本五大名飯」の 5 忠七めしの名付け親山岡鉄舟は「幕末三舟」の 3 で「7・5・3(な・ご・み)」
「忠七めし」すなわち「和みのめし」と私が勝手に別名をつけてみました
見学日:2017年(平成29年)6月17日(土)