四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

企画展「古代の児玉・深谷地域」

2025年01月26日 | 企画展・見学会

本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
第5回本庄早稲田の杜地域連携展覧会
 古代の児玉・深谷地域
会 期:2025年1月18日(土)~3月23日(日)
会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター(早稲田大学93号館)2階情報資料室
共 催:本庄市教育委員会・美里町教育委員会・神川町教育委員会
    上里町教育委員会・深谷市教育委員会・早稲田大学
を観覧してきました。今回のテーマは「古代}
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飛鳥時代後半(7世紀後半)から奈良時代(8世紀)にかけて、律令制の定着とともに児玉・深谷地域でも地方行
政組織の整備が進み、幡羅官衙遺跡群(深谷市)や中宿・岡・熊野遺跡(深谷市)からなる榛沢郡家、製鉄関連
の炭窯が検出された皂樹原遺跡(神川町)、地域の有力者により造営された私寺と考えられる五明廃寺(上里町)
、大仏廃寺(美里町)、大久保山遺跡ⅢA・ⅢC地区(本庄市)など、古墳時代までとは大きく性格の異なる遺跡
が各地に出現します。本展ではこれらの遺跡を紹介するとともに、代表的な出土遺物を展示します
                               《本庄早稲田の杜ミュージアムHPより》

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ここで言うところの”児玉・深谷地域”とは、本庄市・美里町・神川町・上里町及び深谷市を指し、この地
域にある数多くの遺跡の中から、約30の遺跡、廃寺等からの出土品300点弱が展示されているもので、
これらの中から何点かを紹介させていただきます。展示順ではありません。



本企画展の様子を報じた1月24日の讀賣新聞の記事


企画展会場である2階情報資料室へ


展示会場の模様  パーテーションには各遺跡、廃寺の説明パネルが掲げられています


展示品を覗き込む観覧者


三脚土器  天神林Ⅱ遺跡(本庄市東台)  奈良時代後半


刻書土器(坏)・絵画土器(坏)・ロクロ土師器(埦)・暗文土器(坏)  下郷遺跡(深谷伊東方)


墨書土器(坏)・墨書土器(坏)・刻印丸瓦  岡廃寺(深谷市岡:旧岡部町)


  須恵器(坏) 田通遺跡(上里町神保原町)  土師器(坏) 田通遺跡(上里町神保原町) 
紡錘車 寺西Ⅰ遺跡(上里町金久保)   紡錘車 田通遺跡(上里町神保原町) 


フイゴ 羽口  檜下遺跡(上里町大御堂)


軒丸瓦(単弁八葉剣菱文) 五明廃寺(上里町五明)  同 伝五明廃寺(神川町金鑚神社蔵) 
 

軒平瓦(花菱文) 皂樹原遺跡(神川町元阿保)  同(流水文風偏行唐草文) 皂樹原遺跡


平瓦(花菱文) 皂樹原遺跡(神川町元阿保)


瓦塔 大久保山遺跡(本庄市栗崎)  瓦塔 浅見山Ⅰ遺跡(本庄市西富田)


丸瓦 五明廃寺(上里町五明)   丸瓦(格子状叩き) 五明廃寺(上里町五明)


須恵器(甕) 皂樹原遺跡(神川町元阿保)  須恵器(横瓶) 皂樹原遺跡
土師器(甕) 土師器(鉢) 土師器(坏) 土師器(坏) 皂樹原遺跡


土師器(坏)   椀形鍛冶滓  皂樹原遺跡(神川町元阿保)
羽口  皂樹原遺跡(神川町元阿保)


墨書土器(坏)  刻印丸瓦  岡廃寺(深谷市岡:旧岡部町)


軒丸瓦(複弁八葉蓮華文)  皂樹原遺跡(神川町元阿保)


展示の状況①


展示の状況②

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本企画展で紹介されている遺跡・廃寺のうち何カ所かは現地を訪ねていますので参考までに現況の
写真を載せておきます。


五明廃寺跡:上里町五明  (埼玉県選定重要遺跡 名称:五明廃寺跡)      2021.5.9撮影


城戸野廃寺跡:神川町新宿  (埼玉県指定旧跡 名称:伝緑野寺旧跡)      2021.5.9撮影


大仏廃寺跡:美里町木部  (埼玉県選定重要遺跡 名称:駒衣廃寺跡)     2021.5.12撮影


幡羅遺跡:深谷市東方  (国指定史跡 名称:幡羅官衙遺跡群)        2018.3.15撮影
幡羅遺跡に接する西別府祭祀遺跡(熊谷市西別府)とで国指定史跡に指定


中宿遺跡:深谷市岡  (埼玉県指定史跡 名称:中宿古代倉庫群跡)      2022.6.11撮影
遺跡跡に古代倉庫が復元されています
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観覧日:令和7年(2025)1月25日(土)

企画展「かみかわの古墳を知ろう⑦ ~海老ヶ久保の古墳~」

2024年12月16日 | 企画展・見学会

令和6年度年度第2回企画展
かみかわの古墳を知ろう⑦ ~海老ヶ久保の古墳~
 会 期:令和6年12月2日(月)~令和7年2月28日(金) 
 会 場:神川町多目的交流施設 文化財展示室2(児玉郡神川町大字下阿久原1088 神泉総合支所敷地内)
 主 催:神川町教育委員会 生涯学習課


を観覧して来ました。


観覧者名簿に住所氏名を記入して入室ですが、展示室入口は施錠されたままでした。係員の方が気付いてすぐに開けてく
ださいました
「展示室内撮影可能です! SNS等で拡散してね!!」 とありますので今回も拡散するのが使命と思い!



展示室2のこの一面が今回の企画展のコーナー  
青柳古墳群海老ヶ久保支群の古墳の発掘時の写真と説明パネル
ショーケースには出土品が展示されています
他のスペースは常設展示となっています

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はじめに
 神川の地に人々がたくさん住むようになったのは今から約1,500年前の古墳時代後期からです。古墳
時代の人々の墓として築かれたのが古墳で、町内には約300基あります。
 町内の古墳を知っていただくために、「かみかわの古墳を知ろう」というテーマで、令和2年度から
企画展を6回開催してきました。
 今回は、「かみかわの古墳を知ろう⑦」として、大字池田・新宿地内にある海老ヶ久保の古墳を紹介
します。
 海老ヶ久保の古墳は、7世紀に数多く造られたこと、古墳が造られる前は、縄文時代から人々が住ん
でいたことがわかってきました。
 この展示が、郷土かみかわの歴史を知る一助となれば幸いです。             
                               《展示室に掲示の「はじめに」から》
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発掘時の写真と説明パネル(一部)


10号墳と11号墳の写真


左:土師器・坩 古墳時代中期 20号墳周溝から出土
右:土師器・壺 古墳時代中期 20号墳竪穴遺構から出土

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古墳や遺跡からの出土品はこうした企画展や常設展等でしか見られず、現地に行っても見ることはできま
せん。逆に、古墳は展示できませんので現地に行くしかありません。
海老ヶ久保支群の古墳で墳丘が残っているものは25基とのことです。みんな小規模の古墳ですからどれだ
け確認できるかはわかりませんでしたが、海老ヶ久保支群と思われる地域に行ってみました。
古墳配置図等の下準備もしないままに行ったため、古墳らしきものをほんの数基を確認するも何号墳かも
わからずに終えてしまいました。



海老ヶ久保7号墳?


海老ヶ久保3号墳?


海老ヶ久保??号墳


企画展「かみかわの古墳を知ろう⑦ ~海老ヶ久保の古墳~」 展示解説パンフレット

観覧日:令和6年(2024)12月14日(土)

特別展「堂山下遺跡ヒストリア~渡河点の宿と交通路~」

2024年11月01日 | 企画展・見学会

第22回特別展 史跡鎌倉街道上道展
堂山下遺跡ヒストリア~渡河点の宿と交通路~
会期:令和6年10月27日(日)~令和7年3月9日(日)
会場:毛呂山町歴史民俗資料館(入間郡毛呂山町大類)
内容:国指定史跡鎌倉街道上道を構成する宿場跡の堂山下遺跡の紹介

を観覧し、更に堂山下遺跡付近の散策をしてきました。
毛呂山町の「鎌倉街道上道」(かまくらかいどうかみつみち)が、国の史跡に指定されたのが令和4年11月10日で、
この11月で満2年になります。
指定の範囲は、交通遺跡、集落跡、寺院跡、塚の異なる種類の遺跡で構成されており、堂山下遺跡もその
ひとつです。
特別展では鎌倉街道の説明・道筋の紹介、 堂山下遺跡からの出土品、発掘調査時の写真等が展示されて
いましたが、訳あって写真撮影はしておりません。特別展(企画展)観覧のリポートで関係写真がないの
もおかしな話ではありますが・・・



掲示板に貼られている特別展のポスター
残念ながら本特別展のチラシ、パンフレット等はありませんでした
そう言えば11月3日に行われる『出雲伊波比神社の流鏑馬』はもう20年近くも行っていないな!!



毛呂山町歴史民俗資料館から転進して、大類グラウンドそばに来ました
大類グラウンドは堂山下遺跡の遺構群で、街道の宿場のひとつで苦林宿の跡とされる場所です
この鎌倉街道上道の両側が堂山下遺跡の跡で左側が大類グラウンド
「堂山下遺跡」の名称は、ここが毛呂山町大字川角字堂山下であることから



上の写真の反対方向から  ガードレールの先の方に「越辺川」(おっぺがわ)が流れています
この辺りで越辺川を渡河し、鳩山・笛吹峠・菅谷(嵐山町)・奈良梨(小川町)・赤浜(寄居町)・・
と、鎌倉街道上道は続き群馬に至ります



大類グラウンド  石組の井戸等遺構は埋め戻されており、今はその姿を見ることはできません


堂山下遺跡説明板  この説明板がなければかつてここに街道の宿場(苦林宿)があったことを知らずに
いるでしょう



越辺川 堂山下橋の下流 このいずれかの地点に渡河点(渡し場)があっったようですが、流路も変わっ
ていることもあり場所の特定はできないようです
以上、何度も散策した場所ですが、あらためて散策してきました。


観覧・散策日:令和6年(2024)11月1日(金)

企画展「刀剣九百年来之物語 ~当世具足の美~」

2024年10月24日 | 企画展・見学会

令和6年鉢形城歴史館秋季企画展
  「刀剣九百年来之物語 ~当世具足の美~」
期 間:令和6年10月21日(土)~11月24日(日)
場 所:鉢形城歴史館 企画展示室 (埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2)
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はじめに
 鉢形城歴史館の令和6年秋季企画展は、「刀剣九百年来之物語~当世具足の美~」と題し、埼玉県内在住で甲
冑歴史研究家である伊澤昭二氏のコレクションを中心に展示します。今回は令和2年秋から続く伊澤コレクショ
展の第4弾となります。
 私たちに馴染みのある反りのある日本刀が生産されたのは、平安時代後半からといわれています。今回は、お
およそ九百年にわたる歴史を持つ日本刀を中心に展示します。その中で、新一万円札の顔となった渋沢栄一翁が
拝領したと伝わる刀一式も出品されます。
 また、「当世具足」とは、安土桃山時代を中心とした頃に流行した甲冑で、「当世」(現代)の「具足」(一
揃いの甲冑)を意味しています。今回出品される「鉄地黒漆塗縦矧五枚胴具足」は、独眼竜伊達政宗から重臣片
倉小十郎景綱へ与えられ、代々片倉家が所用していたものを、仙台五代藩主伊達吉村が召し上げたという記録の
残る具足で、所有者の変遷が明確にわかる点で大変貴重な歴史資料です。これらの資料は今回初めて公開展示さ
れます。
 ところで、鉢形城下には「鍛冶小路」の所在が伝えられてきましたが、それを実証する資料は発見されていま
せんでした。令和6年2月に本庄市在住の小島寛から、銘「鉢形住 兼長」の槍一式を当館に寄贈いただきまし
た。本品は、鉢形城下に鍛冶が居住していたことを示す初めての資料です。このことから、歴史資料として活用
させていただくべく、今回の展示会に合わせて公開します。

                  《秋季企画展「刀剣九百年来之物語-当世具足の美-」チラシから引用》
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を観覧してきました。


国指定史跡鉢形城(鉢形城公園)内にある『鉢形城歴史館』
左側建物の2階に受付があり、1階が常設展示室  右側建物の1階に企画展示室があります。



鉢形城歴史館受付入口 
主な展示資料
・鉄地黒漆塗縦矧五枚胴具足
・鉄地三鱗紋皮張二枚胴具足
・皮包黒漆塗野太刀拵
​・古刀備前 大磨上(無銘) など
展示品の写真はありません(撮影禁止)



鉢形城歴史館の駐車場内にある休憩所と企画展示資料(図録)

観覧日:令和6年(2024)10月14日(月・祝)

企画展「古墳時代の装い-おしゃれな古代人-」

2024年10月22日 | 企画展・見学会

埼玉県立さきたま史跡の博物館 令和6年度企画展
「古墳時代の装い-おしゃれな古代人-」
会 期:令和6年10月5日(土)~ 12月1日(日)
会 場:埼玉県立さきたま史跡の博物館 企画展示室(行田市埼玉4834)

を観覧してきました。

企画展示室


展示室の模様 1


展示室の模様 2


女子埴輪 ※脚部と台部は復元 伝東松山市三千塚古墳群出土・個人所蔵


男子埴輪 ※頭部は復元 伝美里町出土・埼玉県立さきたま史跡の博物館所蔵


右:馬形埴輪 熊谷市 北島遺跡第5号墳・埼玉県教育委員会所蔵
左:農夫埴輪 伝熊谷市東別府出土・埼玉県立さきたま史跡の博物館所蔵



冠を被る男子(背面) 鴻巣市 新屋敷遺跡C区第35号墳・埼玉県教育委員会所蔵


頭巾を被る男子  寄居町 小前田9号墳・埼玉県教育委員会所蔵


右:冠を被る男子(背面) 鴻巣市 新屋敷遺跡B区第13号墳・埼玉県教育委員会所蔵
中:冑を被る男子  寄居町 小前田10号墳・埼玉県教育委員会所蔵
中:冑を被る男子  行田市 愛宕山古墳・埼玉県教育委員会所蔵
左:鉢巻を巻く男子 行田市 稲荷山古墳・埼玉県立さきたま史跡の博物館所蔵



右:耳飾りをつける女子(女子埴輪) 滑川町 月輪31号墳・滑川町教育委員会所蔵
左:耳飾りをつける女子(女子埴輪) 行田市 河原塚古墳・埼玉県立さきたま史跡の博物館所蔵
  ※本企画展のチラシ・図録の表紙写真に使われているのはこの女子埴輪ですね



金銅製飾履(複製) 高崎市 下芝谷ツ古墳・かみつけの里博物館所蔵


耳環 (市指定文化財)  冑塚古墳・東松山市教育委員会所蔵
耳環 桜山古墳群・埼玉県教育委員会所蔵   耳環 鹿島古墳群・埼玉県教育委員会所蔵
耳環 諏訪木遺跡・熊谷市教育委員会所蔵   耳環 三ヶ尻林5号墳鹿島古墳群・熊谷市教育委員会所蔵



復元衣装(女子)  埼玉県立歴史と民族の博物館所蔵


今回も購入してきました本企画展尾図録(¥500-)

観覧日:令和6年(2024)10月20日(日)

企画展「中山道と本陣 武蔵国本庄宿と美濃国太田宿」

2024年10月18日 | 企画展・見学会

本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
2024年度 早稲田大学・美濃加茂市 文化交流事業 共催展
 中山道と本陣 武蔵国本庄宿と美濃国太田宿
会 期:2024年10月12日(土)~2025年1月13日(月・祝)
会 場:本庄早稲田の杜ミュージアム 早稲田大学展示室(本庄市西富田1011)
主 催:美濃加茂市民ミュージアム・本庄早稲田の杜ミュージアム・早稲田大学文化推進部文化企画課
を観覧してきました。

本企画展は、
 第1章 中山道
  ◇ 描かれた中山道
  ◇ 街道の整備
 第2章 太田宿
  ◇ 太田宿と本陣福田家
  ◇ 太田宿を通った人々
 第2章 本庄宿
  ◇ 本庄宿と町並み
  ◇ 本陣田村家と「休泊控帳」
  ◇ 大名の本陣利用
  ◇ 本庄と小笠原家
  ◇ 皇女和宮と本庄
 本陣のその後
 本庄宿と太田宿

で構成されています。各項目の資料(展示品)を紹介できれば良いのですが、何点かを紹介するのが精一杯です。



本庄早稲田の杜ミュージアム(早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター)


本企画展会場の早稲田大学展示室


企画展の挨拶


展示室内の模様 その1


展示室内の模様 その2


第1章 中山道 ◆描かれた中山道 から  
『大日本道中細見絵図(部分)』 天保14(1843)年  早稲田大学図書館蔵



第1章 中山道 ◆描かれた中山道 から  
『木曽路名所図会 巻一坤 高宮駅 多賀大鳥居』 文化2(1805)年  早稲田大学図書館蔵



第1章 中山道 ◆描かれた中山道 から  
『古今東西名所 日本橋』 明治17(1884)年  早稲田大学図書館蔵



第2章 太田宿 展示コーナー 
 

第2章 ★太田宿と本陣福田家 太田宿の概要


第2章 太田宿 ★太田宿と本陣福田家 から  
『丸に四つ目菱紋蒔絵陣笠』 江戸時代  美濃加茂市民ミュージアム蔵
 ※丸に四つ目菱紋=福田家家紋


第3章 本庄宿 展示コーナー 


第3章 本庄宿 ◇本庄宿と町並み から
右:『北条家伝馬手形』 天正14(1586)年ヵ   個人蔵

左:『武蔵国本庄町屋敷御検地水帳』 元禄6(1693)年  本庄市蔵


第3章 本庄宿 ◇本庄宿と町並み から
『中山道絵図本庄宿(部分)』 文正11(1828)年/明治27(1894)年写  本庄市蔵



第3章 本庄宿 ◇本庄田村家と「休泊控帳」 から
『本庄宿字切絵図 本町』 明治6(1873)年  本庄市蔵



第3章 本庄宿 ◇本庄田村家と「休泊控帳」 から
『田村左惣治写真』 明治時代ヵ 本庄町誌(昭和9(1934)年刊行口絵掲載
『左惣治の襲名』 「休泊控帳」文政6(1823)年4月4日  個人蔵/本庄市寄託



第3章 本庄宿 ◇大名の本陣利用 から
『関札』 (安永7(1778)年)5月11日  本庄市蔵



第3章 本庄宿 ◇コラム
『高札』 明和7(1770)年)5月11日  本庄市蔵



第3章 本庄宿 ◇本庄と小笠原家のコーナー


第3章 本庄宿 ◇本庄と小笠原家  から
「小笠原家、開善寺参詣への案内』  「休泊控帳」寛政7(1795)年6月23日  個人蔵/本庄市寄託



第3章 本庄宿 ◇皇女和宮と本庄のコーナー


第3章 本庄宿 ◇皇女和宮と本庄  から
『観行院下賜品目録』  文久元(1861)年  個人蔵



第3章 本庄宿 ◇皇女和宮と本庄  から
『和宮御下向御実母観行院御賄方所要控』  文久元(1861)年  個人蔵
『菓子銘札』・『賄料包紙』  文久元(1861)年  個人蔵



第2会場 本陣のその後 
左側が「交流ひろば」でミニ企画展等に使われている室です 



本庄宿本陣と太田宿本陣のその後(現在)の模様を7枚の写真パネルで紹介しています


現在の太田宿

観覧日:令和6年(2024)10月14日(月・祝)

企画展「埴輪 ー本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉までー」

2024年10月16日 | 企画展・見学会

本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
埴輪 ー本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉までー
会 期:令和6年10月12日(土)~12月22日(日)
会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター2階情報資料室 (本庄市西富田)
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本庄市とその周辺地域は、埼玉県内で最も早く埴輪を導入した地域として知られていますが、その後も埴輪をも
つ古墳が数多く築かれ、また埴輪窯跡も数か所に所在するなど埴輪づくりがとても盛んな土地でした。
今回の展示では、本庄市やその周辺地域で出土した埴輪のなかから、とくに注目すべき資料を体系的に集成し、
当地域での埴輪の出現から終焉までの姿を紹介します。
           ≪本企画展チラシから≫
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を観覧してきました。
本庄市や児玉地域の古墳・埴輪窯跡は何度か散策していますが、展示された出土品の中に、それらの古墳
や埴輪窯跡の名を見つけるとちょっと嬉しい気持ちになりました。
数多い展示品のすべてを紹介することはできませんので一部を紹介させていただきます。 



企画展会場は2階の情報資料室です


この情報資料室で行われる企画展は何回目になるでしょうか?


展示状況の一部  ケース展示と露出展示になっており、順路はおおむね時計の逆回り


壺形埴輪  塚越稲荷塚古墳  寄居町塚越  4世紀  寄居町教育委員会蔵


壺形埴輪片  川輪聖天塚塚古墳  美里町関  4世紀  埼玉県教育委員会蔵


展示状況の一部 


上:柵形埴輪片 左:家形埴輪片 右:盾形埴輪片 公卿塚古墳  4世紀  本庄市教育委員会蔵


円筒埴輪片  金鑽神社古墳  本庄市児玉町入浅見  4世紀  本庄市教育委員会蔵


左:円筒埴輪  上前原5号墳  本庄市小島  5世紀  本庄市教育委員会蔵
中・右:円筒埴輪  生野山9号墳  美里町下児玉  5世紀  埼玉県教育委員会蔵



女子人物埴輪片  生野山9号墳  美里町下児玉  5世紀  埼玉県教育委員会蔵


左:男子人物埴輪片 右:武装人物埴輪片 生野山9号墳 美里町下児玉 5世紀 埼玉県教育委員会蔵


馬形埴輪片  生野山9号墳  美里町下児玉  5世紀  埼玉県教育委員会蔵


馬形埴輪片  小島本伝遺跡  本庄市小島  5世紀  本庄市教育委員会蔵


家形埴輪片  赤坂埴輪窯跡  本庄市東五十子  6世紀  本庄市教育委員会蔵


円筒埴輪片  宇佐久保埴輪窯跡  美里町白石  6世紀  美里町教育委員会蔵


上:盾持人物埴輪片 中:鳥形埴輪片 下左:馬型埴輪片 下右:器種不明形象埴輪片  
宇佐久保埴輪窯跡  美里町白石  6世紀  美里町教育委員会蔵



円筒埴輪  金鑽神社古墳  本庄市児玉町入浅見  4世紀  本庄市教育委員会蔵


朝顔形埴輪片  伝本庄市西富田二本松  本庄市西富田  4世紀  本庄市教育委員会蔵


左:翳形埴輪  長沖192号墳   本庄市児玉町長沖  6世紀  本庄市教育委員会蔵
右:靫形埴輪  宥勝裏埴輪窯跡  本庄市北堀    6世紀  本庄市教育委員会蔵



鞆形埴輪  諏訪道満古墳  本庄市日の出    6世紀  本庄市教育委員会蔵


馬形埴輪  前の山古墳  本庄市小島    6世紀  本庄市教育委員会蔵


人物埴輪  本庄市塚合  本庄市東台・日の出    6世紀  本庄市教育委員会蔵


左:円筒埴輪  前の山古墳  本庄市小島   6世紀  本庄市教育委員会蔵
右:馬形埴輪片 山の神古墳  本庄市小島   6世紀  本庄市教育委員会蔵



最後にもう一度展示室の模様を・・・

観覧日:令和6年(2024)10月14日(月・祝)

ロビー展「鎌倉街道上道の今昔 -歴史の調査と現在-」

2024年09月11日 | 企画展・見学会

埼玉県立嵐山史跡の博物館主催ロビー展
 鎌倉街道上道の今昔 -歴史の調査と現在-
  会期:令和6年9月10日(火)~10月20日(日)
  会場:埼玉県立嵐山史跡の博物館ロビー(比企郡嵐山町菅谷757)
が開催されていますので観覧してきました。
なお、開催予告では「鎌倉街道の文化財」となっていましたが、内容的には同じものと思われます


今回のロビー展の趣旨は次の通りのようです(ロビー展示場に掲示の「はじめに」(あいさつ文)
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       は じ め に

 鎌倉街道は、鎌倉と諸国を結ぶ道として鎌倉幕府によって整備されました。このうち「上道」は、鎌倉から埼
玉県西部の台地、丘陵地帯を抜け、北部の児玉郡から群馬県藤岡市方面へと抜けています。

 埼玉県教育委員会は、昭和56年度から平成6年度にかけて「歴史の道調査」を実施しました。鎌倉街道につ
いても、いにしえの道の痕跡を辿りながら経路を推定し、沿道の記録に努めたところです。
 その後、鎌倉街道上道は平成8年に文化庁「歴史の道百選」に選定され、令和4年には毛呂山町内の一部が国
の史跡に指定されました。

 今回の展示は、「上道」のいくつかのポイントについて、調査当時(昭和56年ごろ)の様子と現在の様子を
写真で対比させてみました。
 街の姿が急速に変化する現代において、調査から40年余りの間の間に鎌倉街道の風景がどのように変化した
か、あるいは地域の文化財いかに守り伝えられているかをご覧いただき、郷土の歴史と文化財への関心をより深
めていただければ幸いです。

 令和6年9月
                                  埼玉県立嵐山史跡の博物館

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上記趣旨に基づき、次の17件が白黒写真(昔)とカラー写真(現在)が上下に並べられています。

1 鎌倉街道本道(左)と堀兼道(右)
   鎌倉街道の分岐点 所沢市泉町
2 県指定史跡 七曲井
   街道沿いの古い大井戸跡 狭山市北入曽
3 県指定旧跡 堀兼の井
   街道沿いの古い大井戸跡 狭山市堀兼
4 徳林寺
   新田義貞・足利基氏布陣伝承地の一つ 狭山市入間川
5 八幡神社
   新田義貞勧請と伝わる 狭山市入間川
6 狭山市指定史跡 影隠地蔵
   鎌倉を逃れた源義高が身を潜めたとされる 狭山市柏原
7 県指定旧跡 女影原古戦場
   中先代の乱での北条時行と足利直義古戦場 日高市女影
8 毛呂山町上空から北を望む
   笛吹峠を経て大蔵・菅谷方面へ 毛呂山町大類以北
9 国指定史跡 鎌倉街道上道
   史跡指定後の現状 毛呂山町大類
10 笛吹峠
   鳩山町須江・嵐山町将軍沢
11 川越岩遠望
   荒川左岸深谷市黒田から
12 川端の宝篋印塔
   旧家の井戸から出土した三基分の部材 深谷市荒川
13 お茶々が井戸
   街道脇の茶店伝承地の井戸 深谷市小前田
14 中郷南端の旧街道出合
   旧街道の交差点 深谷市武蔵野
15 脇往還川越道の道標
   寄居町用土
16 広木の庚申塔と街道跡
   美里町広木
17 広木の一里塚榎
   白黒写真の榎はもう無い 本庄市児玉町児玉・美里町広木


これら17件の今昔の展示写真を掲載すれば一目瞭然なのでしょうがこれは難しい問題なので、これまで
に自身が訪ね歩いて撮ってきた写真を載せておきます。
無論、17件すべてを訪ねているわけではなく、昔の写真は一つもありませんが、1,8,14,15.16を除
く12件の現在の写真です。

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2 県指定史跡 七曲井                          2018.9.5撮影
不老川のほとりにある。中世のころで、竪堀井戸を掘る技術が確立していない頃のすり鉢状井戸の遺構。
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3 県指定旧跡 堀兼の井                         2018.9.5撮影
七曲井と同様か?
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4 徳林寺                                2018.8.19撮影
曹洞宗のお寺です
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5 八幡神社                               2018.8.19撮影
通称狭山八幡神社 社殿脇に「新田義貞駒繋ぎの松」(何代目?)があります。
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6 狭山市指定史跡 影隠地蔵                       2020.7.16撮影
左の道路は旧鎌倉街道で、この坂は「信濃坂」と呼ばれる
現在は石の地蔵で柏原よりに立っていますが、かつては木像でしかも広瀬側に地蔵堂があり、その中に安置され
ていたとのことです。

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7 県指定旧跡 女影原古戦場                        2018.9.3撮影
女影原の合戦の場となったのが、現在の霞野神社周辺と言われております。そんな古戦場跡とされる霞野神社
中央にあるのは「史蹟 女影原古戦場趾 埼玉縣」と刻まれている石標

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9 国指定史跡 鎌倉街道上道                       2022.11.25撮影
元は左側の林の高さであったものを掘って道を作っています 故に掘割!
毛呂山町のこの鎌倉街道上道は、小川町~寄居町に遺る鎌倉街道上道とともに文化庁選定「歴史の道百選」にも選定され
ています。

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10 笛吹峠                               2021.12.9撮影
破線のセンターラインが切れたところが現在の鳩山町と嵐山町の境界 手前が鳩山町、奥が嵐山町
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11 川越岩遠望                               2016.2.8撮影
荒川の渡川地点 この辺りが浅瀬になっていることから渡し場となっていた。ロビー展での写真は左岸の深谷市
(旧花園町)黒田から撮ったものが使われていますが、この写真は反対側右岸の寄居町赤浜から撮ったもの。

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12 川端の宝篋印塔                           2017.11.27撮影
バラバラになっていた三基の宝篋印塔の部材を二つの石塔に積み上げてあります。
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13 お茶々が井戸                            2019.6.23撮影
深谷市小前田 (旧大里郡花園町)の荒川左岸にあります。右側が荒川
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17 広木の一里塚榎                            2019.5.13撮影
「平成一里塚公園」と刻まれた石が置かれています。右側の道路を挟んで本庄市児玉町児玉(旧児玉郡児玉町)
となり、ガリガリ君の赤城乳業の工場があります。
   
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以上、「鎌倉街道上道の今昔」ならぬ「鎌倉街道上道の今」となってしまいましたが、ロビー展は無料で
観覧できますので興味ある方は行ってみてはいかがでしょうか!


観覧日:令和6年(2024)9月10日(火)

企画展「身近なモノの今昔 ー 変わるモノ、変わらないコト ー」

2024年09月05日 | 企画展・見学会


上里町立郷土博物館
 企画展「身近なモノの今昔 ー 変わるモノ、変わらないコト ー」
会 期:令和6年7月1日(月)~9月30日(月)
会 場:上里町立郷土資料館特別展示室 (児玉郡上里町七本木67)
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現在、郷土資料館の特別展示室では、
企画展「身近なモノの今昔-変わるモノ、変わらないコト-」を開催しています。
身の回りの道具はたとえ同じ役割を果たす道具であったとしても、時代によってその姿は様々です。
上里町で使われていた道具たちから、これらの移り変わりや背景を追っていきます。

                        ≪上里町HP「ようこそ、郷土資料館へ!!」より≫
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を観覧してきました。
展示内容は下記のとおりです。 

大切なことを知らせる   高札(拾馬札)・・・町広報誌
機械で文章を書く     タイプライター・・・コンピューター用キーボード
学校で勉強する      国定教科書・・・昭和の教科書・・・平成の教科書
お金で払う        寛永通宝・・・一厘硬貨・・・10円札・・・新紙幣
食材をすりつぶす     石皿・・・すり鉢(室町時代~江戸時代)・・・すり鉢
火をつける        火おこし器・・火打石・・・マッチ・・・ライター
料理を取り分ける     土師器坏(古墳時代)・・須恵器坏(古墳時代)・・土師器坏(奈良時代)             
             高台付碗(平安時代)・・灰釉陶器碗(平安時代)・・碗(明治~大正時代)
お米を調理する      甕(古墳時代中期)・・甕(古墳時代後期)・・甑 (古墳時代後期)
             羽釜(平安時代)・・羽釜(昭和)・・炊飯器(現代)


右側の品名は都合により文字としましたが、実際には実物が展示されています。
カラー版展示解説pdf「身近なモノの今昔 ー 変わるモノ、変わらないコト ー」(上里町立郷土資料館)
           
観覧日:令和6年(2024)9月5日(木)

企画展「オリエントへのまなざし-古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」

2024年08月30日 | 企画展・見学会


小野義一郎コレクション
オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-
 会 期 :2024年6月29日(土)~9月1日(日)
 会 場 :本庄早稲田の杜ミュージアム 早稲田大学展示室(本庄市西富田1011)

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   ごあいさつ
オリエントと呼ばれる西アジア地域は、古代にメソポタミア文明やエジプト文明が生まれ、その後もシルクロード
の中継地として長く東西を結ぶ要地であり続けました。「オリエント」は太陽の昇る方向=東方を意味するラテン
語のOriensに由来し、広義では、西洋に対して東アジアや東南アジアまでを含めたアジア全域を指す言葉としても
用いられています。
実業家・小野義一郎氏(1918〜2007)は中国大陸の先に広がるオリエントに憧憬し、300点を超える工芸資料を蒐
集されました。氏のコレクションは没後、ご子息である小野隆彦氏(元東京農工大学副学長、元早稲田大学客員
教授)より早稲田大学會津八一記念博物館へ寄贈されています。
本展では小野義一郎コレクションから80点を展観し、その意義や、小野義一郎氏が想いを馳せたオリエントの魅力
をご紹介いたします。
最後になりましたが、貴重なコレクションをご寄贈いただいた小野隆彦氏をはじめ、本展を開催するにあたりご協
力を賜りました関係各位に、心より御礼申し上げます。
                                  早稲田大学文化企画課考古資料館
                                  早稲田大学會津八一記念博物館
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を観覧してきました。


展示会場の早稲田大学展示室  
夏休みの研究にするのでしょうか数名の小学生が一生懸命にメモを取っていました


オリエントとはこの辺りを指すようで・・・


展示は、第1章 古代ガラスとイスラーム陶器 (作品の下の台座の色が青色)
    第2章 コプト織
    第3章 東南アジア陶器 (作品の下の台座の色が赤色)
に分かれています。


展示ケースの一部  第1章 古代ガラスとイスラーム陶器 (作品の下の題の色が青色)


左:双把手付長頸瓶×3  右:鋳造パテラ形杯  《東地中海沿岸》
  

左:藍釉浮出アラベスク文菊花鉢  中:色絵金彩把手付壺  右:藍釉色絵金彩花文皿  《イラン》


中:色絵金彩鉢  右:白色盛上動物文深鉢  《イラン》


第2章 コプト織 展示コーナー

       
       コプト織説明パネル


コプト織 踊る人物とライオン


コプト織 人物と植物と動物


コプト織 鳥と魚


コプト織 帽子


左:黒褐釉刻線小壺  中:黒褐釉刻文壺  右:黒褐釉刻形壺  《クメール バンクルアト》


左:青磁花文盤  《タイ・パーン》   右:白釉緑彩鳥文綾花盤  《ミャンマー》


左:白磁鳥形水注  《タイ・カロン》  右:白・黒象嵌瓶  《タイ・ハリプンチャイ》


左:鉄絵唐草文小壺  《タイ・サワンかローク》  右:鉄絵幾何学文合子  《タイ・サワンかローク》  

本庄早稲田の杜ミュージアムでは、本庄市の遺跡古墳からの出土品等を常設展示しているほか、情報資料室や交
流広場などでも地元児玉・深谷地域の遺跡からの出土品の企画展示が時折開催されます。更に早稲田大学展示室
においては、早稲田大学に関連した企画展が催されますが、今回の企画展もそのひとつです。オリエンタルとい
うことでブログアップを躊躇っていましたが、開催終了間際となったことから展覧会見学の一記録としてアップ
した次第です。

観覧日:令和6年(2024)7月26日(金)