■ 国指定史跡 新田荘遺跡 総持寺境内 ≪3/11≫
城 名:新田館(にったやかた)
別 名:館の坊・新田義重館
形 態:居館
時 期:保元2年(1157)
築城主:新田義重
城 主:新田氏の総領・世良田氏
遺 構:-
指 定:国指定史跡(「新田荘遺跡 総持寺境内」平成12年〔2000〕11月1日指定)
現 状:総持寺
所在地:群馬県太田市世良田町(旧新田郡尾島町)
新田館は、八幡太郎義家の孫にして源義国の長男で新田氏の始祖である新田義重(源義重)が構えた館で、新田宗家代々の居
館であったと言われます。今は、館跡の一画に総持寺があるのみで遺構はないようです。
総持寺山門と鐘楼
山門を正面から 本堂と位置が一致しています
「国指定史跡 新田荘遺跡 総持寺境内」の石標
新田館跡(棒の館・總持寺」説明板
鐘楼
「総持寺の梵鐘」説明板
山号「威徳山(いとくさん)」の扁額が架かっています
境内北東隅に建っている「新田館址」の石標 8年前の平成22年(2010)4月に初めて訪れたときは気付きませんでした
総持寺境内
本堂
境内北側にある石造物群の周囲は曼珠沙華の朱色で染まっています
総持寺の北側を走っている県道142号線(東国文化歴史街道)の総持寺入口交差点の標識
寺の西側には天然の水堀である早川が流れています
新田館跡(総持寺)は今回が2度目の散策となりました。実は、1度では用が足らず2回(2日)訪ねました。まあいつもの
ことで、ここだけに限ったことではありませんが・・・、
散策日:平成30年(2018)9月19日(水)・23日(日)
城 名:新田館(にったやかた)
別 名:館の坊・新田義重館
形 態:居館
時 期:保元2年(1157)
築城主:新田義重
城 主:新田氏の総領・世良田氏
遺 構:-
指 定:国指定史跡(「新田荘遺跡 総持寺境内」平成12年〔2000〕11月1日指定)
現 状:総持寺
所在地:群馬県太田市世良田町(旧新田郡尾島町)
新田館は、八幡太郎義家の孫にして源義国の長男で新田氏の始祖である新田義重(源義重)が構えた館で、新田宗家代々の居
館であったと言われます。今は、館跡の一画に総持寺があるのみで遺構はないようです。
総持寺山門と鐘楼
山門を正面から 本堂と位置が一致しています
「国指定史跡 新田荘遺跡 総持寺境内」の石標
新田館跡(棒の館・總持寺」説明板
鐘楼
「総持寺の梵鐘」説明板
山号「威徳山(いとくさん)」の扁額が架かっています
境内北東隅に建っている「新田館址」の石標 8年前の平成22年(2010)4月に初めて訪れたときは気付きませんでした
総持寺境内
本堂
境内北側にある石造物群の周囲は曼珠沙華の朱色で染まっています
総持寺の北側を走っている県道142号線(東国文化歴史街道)の総持寺入口交差点の標識
寺の西側には天然の水堀である早川が流れています
新田館跡(総持寺)は今回が2度目の散策となりました。実は、1度では用が足らず2回(2日)訪ねました。まあいつもの
ことで、ここだけに限ったことではありませんが・・・、
散策日:平成30年(2018)9月19日(水)・23日(日)