四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

帝松酒蔵まつり2016・武蔵越生高等学校 和太鼓部 「青龍」

2016年02月29日 | まつり・イベント


2月28日(日)に開催された「第13回帝松酒蔵まつり」における武蔵越生高等学校 和太鼓部 「青龍」さんの第2部(午後の部)の演舞模様です。


























































散策日:2016年(平成28年)2月28日(日)            

帝松 酒蔵まつり2016

2016年02月28日 | まつり・イベント


関東灘小川町にある蔵元のひとつ【帝松】(松岡醸造)において本日『帝松酒蔵まつり』が開催されたので行ってきました。
酒蔵まつりですから、当然、きき酒大会や試飲等が主となるわけですが、お酒を飲まない自身の目的はお酒にあらずでした。




この看板の近くにいくつかの駐車場が用意されておりますが、どこも満車状態です。




小川町駅と蔵元を結ぶ3台のシャトルバスでピストン輸送していましたが、町外からのお客さんも多かったようです。




受付脇には今年も薦被りが飾られていました。




会場となっている蔵元の中庭は人だらけ。年々増えているようですが皆さんお酒好きなのでしょうね。




帝松の酒まんじゅう・大吟醸ソフトクリーム・樽酒・大吟醸ゼリー・酒粕アメ等、酒を材料にしたものも各種。




一番の人気は樽酒でしょうか? 紙コップ1杯100円は安いのでしょうね(飲まない人間には分りませんが)




お酒とお酒関係の商品だけではありません。地元小川町のお店が何店舗も出店しています。
この長い列は何の店? この列に並んでいる間に目的のものが終えてしまいました(泣)
え! それなら目的のものを済ませてから並べばよかっただろうと言われそうですが。確かにそうではあるのですが、
ここも目的のひとつでもあったし、まさか並んでいる間に終えてしまうとはおもいもしませんでしたので・・・




列の最後尾に並んでから約1時間。やっと番が来ました。
「大田ホルモン」のやきとりです。やきとりと言っても鳥ではありませんが。

このあと「むらさき」の特大稲荷寿司いなりの王様も買って・・・




酒蔵見学もあったのですが、人数制限もあり今回も断念。数年前は苦労なく見学できたのですが。




仕込み水




帝「松」ですが「梅」も咲いています




売店 




きき酒大会  無論、参加(挑戦)     しませ~んでした




餅つき  ついた餅はあんこ餅、からみ餅にして販売していましたが、数に限りがあり買いそびれた方も。




武蔵越生高等学校和太鼓部「青龍」さんの演奏 第2部(午後の部)です。
午前中の第1部は上述の理由で観られませんでしたので午後はしっかりと・・・

演奏写真は次回アップさせていただきます。

散策日:2016年(平成28年)2月28日(日)            

上谷の大クス

2016年02月23日 | 花・鳥・風景


越生町上谷(カミヤツ)地内にある埼玉県指定天然記念物「上谷の大クス」を見に行ってきました。全国巨木ランキング第16位・県第1位に認定された巨木のようです。
ここも20日(土)放送の出没アド街ック天国”で「関東三大梅園を探訪 埼玉・越生」の影響でしょうか沢山の方が訪れており、駐車スペースもいっぱいで
空くのを待たねばならない状態でした。山の上と言いましょうか山の中と言いましょうか、対向車でも来たらすれ違うのが大変な狭い林道を登って行きました。
本当は別のルートを予定していたのですが、越生梅林の梅まつりの関係でとんでもないルートになってしまったのですが・・・
場所を変えたり角度を変えたりして撮ってみましたが、あまりにも巨木で1枚には納まりませんでした。























散策日:2016(平成28)年2月21日(日)           

越生梅林 梅まつり

2016年02月22日 | 花・鳥・風景


関東三大梅林のひとつである越生梅林で一昨日の2月20日(土)から「梅まつり」が始まりましたので、昨21日(日)に行ってきました。
今冬は早くから梅が咲きだしたことから、梅まつりのころには散ってしまうのではと余計な心配をしましたが、
寒の戻りがあったことから開花が延びて、期間中に満開を迎えそうな丁度よい状態になったようです。




見て下さい。この列を。今までに何度も越生梅林の梅まつりに行っていますが、入場券を買う人が列をなすということはなかったように思います。
梅まつりが始まったその日の夜、テレビ番組の”出没アド街ック天国”で「関東三大梅園を探訪 埼玉・越生」を放送したものですから、
天候も良かったうえに昨日の今日と言うことで沢山の方が越生梅林に訪れたようです。
お陰で梅園入り口前にある舗装されたばかりの駐車場には入れられず一番遠い駐車場まで誘導される羽目に。それにこんな野暮なことは書きたくない
のですがと言いながら書きますが、入場料(大人)が200円から300円に、駐車代(普通車)が400円から500円にと値上がりしていました。
人に見せられるような写真ではありませんが、梅まつりに行ってきた証として何枚かをアップしておきます。






























この越生梅林のあと、やはりアド街ック天国に登場した場所を訪ねましたので後日記事にしたいと思います。

大梅寺の二連板碑(埼玉県小川町)

2016年02月21日 | 神社仏閣


この曹洞宗の寺院「拈*山 大梅寺」(小川町大字470番地)にも二連塔婆が1基あります。

数え切れないほど訪れている寺ですし、時折、散歩で前を通っていますので、この記事を書くにあたりあらためて行ったわけではなく、
これまでに撮ってあった写真を使わせていただきますので、季節にばらつきがありますことを先に断っておきます。

*・・・文字化けしてしまいます  山門の山号額の文字を見てください 「拈華山」と同語




参道と本堂




お約束の説明板 境内ではなく山門に上がる石段の右方に設置されています。

大 梅 寺   所在地 比企郡小川町大字大塚

大梅寺は、勧進録によれば仁治三年(1242)に、土地の豪族猿尾氏が都幾川村の霊山院の栄朝禅師を招請し、
創建したと伝えられている。
鎌倉幕府滅亡のおり、将軍守邦親王が当地に下向し病没したので、大梅寺の円了長老が引導し葬ったという言  
伝えが残っている。
永禄四年(1561)の兵火で寺院が焼失したが、寛永の頃(1624~1644)に、越生町の龍穏寺第十六世
鶴峰聚孫大和尚が中興され、この時より曹洞宗となる。その後、更に焼失し天明五年(1785)に、再建され現
在に及んでいる。
本堂前の記念碑の裏手にある二連塔婆が、暦応四年(1341)に建てられたものであり、貴重なものである。
また記念碑の左手には、江戸時代の俳人太魯の墓がある。

   昭和五十九年三月  埼 玉 県・小 川 町

と説明されているが、『風土記』では、「いと覚つかなき説なれど・・・」などとしながらも、同寺は正元元年(12
59)に故あって当地に下向した梅皇子(後深草院の第三皇子)が建治二年(1276)に建立したという伝承が載っ
ているとのことです。

なお、説明文2行目の  都幾川の霊山院の  のところで霊山に「れいざん」とルビがふってありますが、
これは間違いで、正しくは「りょうぜん」です。




山門をくぐってすぐの左手にある六地蔵




本堂東側にある二連板碑(板石塔婆)




大梅寺二連板石塔婆
    大字大塚

一枚の石材に板碑二基分を彫り出した双式板碑(二連板石塔婆)は、埼玉県に一二基確認されており、そのうち
八基が小川町に所在しています。一般的に頂部は水平に成形されますが、この板碑は二つの山形になっているのが
特徴で、こうした形態は県内に二基しか確認されていません。
中央に暦応四年(1341)の銘があり、それぞれ本尊の阿弥陀如来種子(キリーク)、蓮台の下に、光明真言の
凡字(サンスクリット文字。オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マガボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバ
リタヤ・ウンと読む)が四行ずつ刻まれています。真言と唱えると一切の罪業が除かれると説かれることから、追
善供養の際によく唱えられました。この板碑も、逆修(生前に死後の冥福のために行う供養)や追善供養のために
造立されたと考えられます。
なお、裏面は文政六年(1823)の三界万霊塔(全ての霊を供養するための塔)に転用されています。

  [昭和五十三年三月十七日 町指定]       小川町教育委員会




この二連板碑(板石塔婆)は夫婦を供養したものらしいですが誰かは不明とのようです。




俳人太魯の墓 
江戸時代の俳人と言うことでいろいろ調べてみましたが何もわかりませんでした。現在の小川町の出身とかでしょうか?

西光寺の二連板碑(埼玉県小川町)

2016年02月20日 | 神社仏閣


小川町大字小川1277番地に所在する曹洞宗の寺院「瑞龍山西光寺」を訪ねてみました。
3月下旬から4月上旬にかけて咲くカタクリや枝垂れ桜で知られたお寺で、これまでにも何度か訪れています。




山門の上に鐘楼がのっています。それとも鐘楼の下に山門があるのか。
物事の捉え方はひとつではない・・・と、偉そうなことを言ってみました。




ちょっと角度を変えて本堂も入れてみました。




お約束の説明板。今回の目的は説明板の最後に書かれている「阿弥陀三尊の二連板碑」です。

今までにもこの説明板を見たことはあったのですが、板碑のことは目に入らずにいましたからその存在すら知りませんでした。
それと言うのも最近まで板碑に興味がなかったからと言うのが正直なところです。

龍谷(たつや)薬師堂の墓地にあったものをとさりげなく書いてありますが、龍谷薬師堂は西光寺四世石春が同寺の少し西方の地に建てたお堂で薬師如来を安置したそうです。
石春が建てたお堂であることから石春庵とも称されるとのこと。まあ、分家にあったものを本家に持ってきたといったところでしょうか。




枝垂れ桜と鐘楼  咲いたら絵になります




本堂




本堂裏には「残りの雪」が




本堂東側にある庭園です(一部ですが)
この庭園の上に沼があり、昔、冬になると沼が凍り自然のアイススケート場になりましたが今ではそんなこともなくなったようです。




二連板碑はこんなところにありました。気にしなければ気が付きません。




阿弥陀如来の種子(キリーク)が確かに3つ(上に大きなもの1つ 下に小さなものが並んでで2つ)

訪寺日:2016(平成28)年2月19日(金)

円城寺の二連板碑(埼玉県小川町)

2016年02月19日 | 神社仏閣


小川町青山地内にある曹洞宗の寺院「北青山円城寺」を訪ねてみました。
寺の前を通ったことは数え切れないほどありますが、境内に入ったのは初めてです。




理由はこの案内板にも書かれている二連板碑を見るためでした。




山門に懸かった禅語の額

左は「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)
  足元をよく見なさい(気をつけなさい) 自分自身(脚下)をよく振り返って反省(照顧)しなさい

右は「知足安穏」(ちそくあんのん)
  あれこれ求めず今あるもので満足するする生き方をすれば気持ちが楽に生けられる
と言ったような意のようです。




本堂ですが戸を閉めていますので堂内の様子は全く分かりませんでした。




本堂の西側にある二連板碑2基です。
日差しの関係で片方が暗くなってしまいましたが、この暗い方の右側のものが正中二年(1325年・鎌倉時代後期)銘のあるもの

左側のものが延文六年(1361年・南北朝時代)銘のあるもの。
細かいことは下の写真の説明板にありますのが、2基とも阿弥陀如来の種子(キリーク)。

通常板碑の頭部は山形(三角)になっていますがこの2基は平です。
本堂に安置されているとある薬師如来坐像図像板碑は一般には公開していないようです。




この説明板の左側に薬師如来坐像図像板碑の写真がありますが暗くて見えませんが、薬師如来の種子ではなく薬師如来像(座像)が刻まれている板碑です。

頭部はやはり山形ではなく平らに削られているようです。




円城寺の墓地の前にあるブロック塀で囲まれたこの空地はかつて小川町立大河小学校青山分校があったところですが、1979(昭和54)年に廃校になっています。

なお校舎が処分されたのはいつかは分りません(自身とは全く縁のない学校ですし・・・)

訪寺日:2016(平成28)年2月18日(木)

関東の駅百選 深谷駅

2016年02月18日 | 駅百選














関東の駅百選第3回選定(1999(平成11)年・24駅)
JR東日本 高崎線線「深谷駅」 埼玉県深谷市西島町3丁目 開業1883(明治16)年10月21日
選定理由:東京駅を彷彿させる赤煉瓦のモダンな駅舎と、時代を先取りした多目的な駅

大正時代に竣工した東京駅・丸の内口駅舎の建設時、深谷に所在する日本煉瓦製造で製造されたレンガが使われた。
1996(平成8)年、その東京駅をモチーフにした駅舎に改築した。ただし深谷駅は煉瓦ではなくコンクリートの
上にレンガ風タイルを貼り東京駅に似せたものであり、ミニ東京駅と呼ばれる。