四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

初詣は宝登山神社

2024年01月01日 | 神社仏閣

明けましておめでとうございます。
拙いブログですが本年もお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
初詣で秩父三社の一社である『宝登山神社』(ほどさんじんじゃ:秩父郡長瀞町)を詣でて来ました。


参拝者の列です


同上


二の鳥居
島木と貫の両端に装飾が施された綺麗な鳥居です


鳥居手前左側には今年も干支をモチーフにした大きな絵馬が飾られています


石段の手前です  一段上っては立ち止まり また一段の繰り返し


漸く拝殿近くまで


立派な彫刻ですがゆっくり写真を撮ってはいられません


参拝者の列


神楽が舞われていました 帰路はこの神楽殿の左側にあります


下まで戻ってきたらちょうど昼時  「ガーデンハウス有隣」で


「わらじかつ丼」を頂きました もう一方は「おっきりこみうどん」でした

参拝日:令和6年(2024)1月1日(月)

川窪(武田)氏ゆかりの陽雲寺

2023年10月03日 | 神社仏閣


上里町の「陽雲寺」を6年強ぶりに参詣してきました。前回は、金窪南城跡という城跡としての陽
雲寺を訪ねたものですが、今回は近くで行われた遺跡見学会の参加の帰りにちょっとだけ寄ったも
ので、特別な目的があったわけではありませんでしたが・・・

山 号: 崇栄山
院 号: ー
寺 号: 陽雲寺(よううんじ)
御本尊: 釈迦如来像
宗 派: 曹洞宗
所在地: 児玉郡上里町金久保701


陽雲寺説明板
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     陽 雲 寺
                           所在地 児玉郡上里町金久保701
 陽雲寺は曹洞宗の寺で、鎌倉時代初期の元久2年(1205)の創建と伝えられ、初めは唄樹山満願寺と称
したという。元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉幕府打倒を祈願して不動堂を造立したことが寺伝にみられ、
以来、”新田勝軍不動堂”などと称され、室町時代には金窪城主斎藤氏の帰依が厚かった。天文9年(1540)
斎藤定盛が諸堂を修復し、寺名を崇栄寺と改めたが、天正10年(1582)の神流川合戦の兵火で焼失した。
 天正19年、金窪の城主となった川窪信俊は養母である武田信玄夫人を伴って入封し、信玄夫人は当寺の
境内に居住したが、元和4年(1618)に没した。信俊は、夫人の菩提を弔うため、その法号である陽雲院
をとって寺号を崇栄山陽雲寺と改称した。元和5年には徳川幕府から御朱印5石が寄せられている。
 なお、境内には県指定文化財となっている元禄銘のある銅鐘や、県指定旧跡となっている新田義貞の家
臣であった畑時能の供養祠などがある。
   昭和60年3月
                                     埼玉県・上里町

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川窪信俊の父信実は武田信玄の異母弟で、甲斐・河窪村を領したことから川窪(河窪)を名乗りま
した(長篠の戦で戦死)。その子である信俊は徳川家康の関東移封に伴い、香美郡・比企郡に知行
地を与えられました。
比企郡小川町上横田にある「輪禅寺」は、信俊が父信実を追善するために既にあった安養寺を廃し
て建立した寺で、信実の供養塔(墓は甲斐・恵林寺)
をはじめとして川窪氏累代の墓があります。


お約束の六地蔵尊


銅鐘  埼玉県指定有形文化財(工芸品) 昭和39年(1964)3月27日指定


陽雲寺 本堂
大棟の中央には「花菱」紋 武田氏の家紋である「武田菱」紋の裏紋・控え紋  陽雲寺の寺紋でしょう
左側には曹洞宗の宗紋である「五七の桐」紋(總持寺) 右側にはやはり宗紋である「久我竜胆」紋(永平寺)


寺号標(扁額)


百日紅と本堂


本堂の前に咲いている彼岸花


太郎坊宮


陽雲院殿乃墓 上里町指定史跡  昭和37年(1962)2月22日指定


中央の宝篋印塔が武田信玄の夫人である陽雲院殿の墓とされるものですが、陽雲院殿なる者が信玄
の夫人とするには疑問があるようですが、ここではそのことに触れずに置きましょう。


畑時能供養祠 埼玉県指定旧跡 昭和38年(1963)8月27日指定  ※中央に見える石祠


参道沿いの石仏・石造物


境内に咲く彼岸花に魅せられて・・・


群生もよいけれどこの程度の範囲に咲くのもこれまたいいですね。

参詣日:令和5年(2023)10月1日(日)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第七番「正伝院」

2023年09月22日 | 神社仏閣

深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」をめぐってみました。
第七番は毘沙門天/クズの寺・正伝院です。これで一応七寺院めぐりは完了しましたが、七福神には会えたもの
の、秋の七草は半分にも至りませんでした。それぞれの花が咲く時季に訪ね歩けばよいのでしょうが・・・

第七番
正伝院(しょうでんいん)
『毘沙門天/クズの寺』
山 号: 瑠璃山
院 号: 正伝院
寺 号: 薬師寺
御本尊: 薬師如来
宗 派: 曹洞宗
所在地: 深谷市高島161


正伝院表入り口


寺号標「高野山真言宗 瑠璃山正伝院」と刻まれています


「由緒 正伝院は弘仁年中(810~823)に小野篁が関東に下向する際、薬師如来の尊像を彫刻し安置して 瑠璃山薬師寺
正伝院とし、弘法興隆している。」と寛政8年(1796)鋳造の梵鐘(太平洋戦争に供出 銘にあったため、現梵鐘にも、
この銘を左のとおり鋳造してある。」
※小野篁・・・おののたかむら 小野小町の祖父
説明板の左下半分が切り取られたようになっていますが、何が書かれていたのか気になるところです



お約束の六地蔵尊


四脚門(山門) 大棟に「三つ葉葵紋」


山号額「瑠璃山」と揮毫


門扉にも「三つ葉葵紋」  正伝院と三つ葉葵紋との関係がわかりません(調べた範囲では資料なし)寺領〇〇
石といった御朱印状でも受領しているのでしょうか?



正伝院境内


鐘楼 「施薬の鐘」と揮毫された扁額が掲げられています


鐘楼の隣に「毘沙門天」像があります


毘沙門天


毘沙門天
秋の七草・正伝院の花であるクズ(葛)らしきものが見当たりません



境内(2)


手水舎


三鈷の松


弘法大師像 和歌山県の高野山の方を向いているとのこと


正伝院本堂


正伝院本堂


本堂扁額「正傳院」と揮毫


石仏


境内から四脚門(山門)方向を

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第六番「泉光寺」

2023年09月21日 | 神社仏閣


深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」をめぐってみました。
第六番は泉光寺(恵比寿天・オミナエシの寺)ですが、昨年も訪ねています。とは言っても深谷七福神・七草寺
めぐりが目的ではありませんでした。ここ深谷市上敷免(じょうしきめん)地内に、鎌倉街道上道の支道とされる
伝承路線が残されており、この泉光寺を起点に鎌倉街道の伝承路線を歩きました。その際にオミナエシを見てい
たものですから、他の七草寺と違って間違いなく花を見ることができるという確信がありましたが、案の定、沢
山のオミナエシが咲いていました。

第六番
泉光寺(せんこうじ)
『恵比寿天/オミナエシの寺』
山 号: 寛平山
院 号: ー
寺 号: 泉光寺
御本尊: 阿弥陀三尊
宗 派: 高野山真言宗
所在地: 深谷市上敷免473


泉光寺遠景


泉光寺鐘楼門の斜め前に百日紅と六地蔵


泉光寺鐘楼門


庚申塔・青面金剛


鐘楼門 柱に「高野山真言宗」(右) 「寛平山泉光寺」(左)の標札


境内参道


真言宗開祖・弘法大師像と地蔵


子育観音と六地蔵


オミナエシ(女郎花)が境内のあちこちに咲いています


泉光寺本堂の前にも


本堂


本堂とオミナエシ


同じく本堂とオミナエシ


堂宇(覆屋)の中に「恵比寿天」がおりました


「恵比寿天」を正面から  鈴緒がちょっと邪魔のようで


少しだけ斜めから これならお顔がよく見えます
あれ! 恵比寿さんの後ろに「深谷七福神・七草寺めぐり」の幟が隠れています
どうも境内に幟が立っていないと思ったら・・・恥ずかしがらずに立ってください
そういえば「恵比寿」と染め抜かれた朱色の幟がどこにも見当たりませんが



オミナエシをアップで


オミナエシと地蔵の背


オミナエシ越しに子育観音を


揚羽蝶 オミナエシには止まってくれず百日草ばかりに止まっていました。蝶にも好みの花があるようで


多層塔(十三重塔)とオミナエシ  右に庫裡


オミナエシと多層塔(十三重塔)


多層塔の宝珠に雀が止まりました


オミナエシと本堂

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第五番「惣持寺」

2023年09月20日 | 神社仏閣


深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」をめぐってみました。
第五番は惣持寺(弁財天・オバナの寺)ですが、同寺のHPによれば草創は奈良時代初期の養老2年(718年)行
基菩薩によって創建され、後弘安年間(1278年~1288年)顕盛(勅号宗澄)により再興された、深谷市内最古の
名刹であるとのことです。果たして七福神唯一の女性の神・弁財天にお会いできるでしょうか・・・

第五番
惣持寺(そうじじ)
『弁財天/オバナの寺』
山 号: 蓮沼山
院 号: 地蔵院
寺 号: 惣持寺
御本尊: 大日如来
宗 派: 高野山真言宗
所在地: 深谷市蓮沼463-1


総持寺参道 寺号標には「高野山真言宗 蓮沼山総持寺」と刻まれています
白壁土塀の前にはいくつもの石造物が並んでいます



白壁土塀の前に並んだ石造物の一部


山門(表門)と仁王像(金剛力士)


寺号額「総持寺」と揮毫


山門内の参道  参道両脇には石仏等が並びます


六地蔵尊と子育て観音(中央)


この円形の参道の名は? 説明書きがあったのですが失念しました


地蔵尊


真言宗の開祖・弘法大師の像


総持寺本堂  向拝柱の朱色が目立っています


扁額「総持寺」と揮毫されています
ガラス戸に入っている「五三の桐紋」は二つある真言宗の宗紋のひとつ もう一つは三巴紋です



客殿(彩光殿)前の参道量脇には羅漢が


客殿(彩光殿)


こちらにも羅漢が


鐘楼


本堂前の境内のどこにも「弁財天」の姿がありません。むろんオバナ(薄)もありません。
それどころか「深谷七福神・七草寺めぐり」の白い幟が立っていませんし、「弁財天」の朱色の幟も見当たりません。



何と本堂の西側の木の下に


「弁財天」


せめて幟を立てていてくれれば・・・弁財天にはどうにかお会いできましたが、オバナ(薄)はどこに?

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第四番「全久院」

2023年09月19日 | 神社仏閣


深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」めぐりの第四番は「全久院」です。深谷は深谷上杉氏が治めていましたが
後北条氏の傘下に入っていました。豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が敗れたため所領を奪われました。
全久院は、徳川家康が関東入府後、松平丹後守康長が当地を領有しましたが、祖先戸田弾正左衛門宗光追福のた
めに、豊川全久院を写して当地に創建したといいます。

第四番
全久院(ぜんきゅういん)
『寿老人/フジバカマの寺』
山 号: 東方山
院 号: 全久院
寺 号: ー
御本尊: 釈迦如来像
宗 派: 曹洞宗
所在地: 深谷市東方2902

【幡羅郡八十八ヶ所霊場第50番札所】


道路端に建立されている石標「七福全神巡排の寺」 全久院内だけで七福神を巡排できるようです


全久院山門 塀の外側にも色々な石碑が並んでいます 檀家さんから奉納・寄進されたものでしょう


門前の大きな看板の側面には「深谷七福神七草寺 寿老人 フジバカマの寺」と書かれています


山号額「東方山」と揮毫


境内参道 


本堂に向かって参道左側の六地蔵尊  この六地蔵の他にも何体ものお地蔵さんがありました


深谷市指定文化財(考古資料)の板碑  南北朝時代のもので善光寺式阿弥陀三尊像を刻す


本堂の前のこの大木は深谷市指定文化財(天然記念物) 樹齢800年の榧(雌) カヤ(メス)


全久院本堂


扁額 院号「全久院」と揮毫

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ここからは全久院の七福神を  何れも檀家さん?からの奉納のようです

毘沙門天


大黒天


恵比寿天


福禄寿


布袋尊


弁財天


寿老人
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深谷七福神・七草寺の幟  やっぱりこれが立っていなければ七福神めぐりの気分になれませんからね


「寿老人」と染め抜かれたこの朱色の幟が立っている所に深谷七福神の寿老人がいます


寿老人


寿老人が連れているのは「鹿」 鹿は長寿を意味するそうです


全久院の秋の七草は「フジバカマ」ですが花は見当たりません。これが花が咲く前のフジバカマのようです
違っていたら内緒で違うよと教えてください!!



同上

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第三番「宝泉寺」

2023年09月17日 | 神社仏閣


深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」をめぐってみました。
第三番はキキョウの寺・宝泉寺ですが、果たして桔梗は咲いていたでしょうか・・・

第三番
宝泉寺(ほうせんじ)
『福禄寿/キキョウの寺』
山 号: 境井山
院 号: ー
寺 号: 宝泉寺
御本尊: 釈迦牟尼仏
宗 派: 曹洞宗
所在地: 深谷市境220-1


参道入口  寺号標には「曹洞宗 境井山寶泉寺」と刻まれています


参道脇には沢山の石仏・石造物が並んでいます


山門前です


お約束事になっている「六地蔵尊」


仁王像(金剛力士像)


「深谷七福神・七草寺めぐり」の幟  深谷七福神・秋の七草寺めぐりをしているわけですからやはりこの幟が立ってい
ないと絵になりませんね



山門から参道と宝泉寺本堂を


山門を潜ったすぐの左手に「高祖道元禅師」像
曹洞宗のお寺さんではこの像がよくみかけます。道元は日本における曹洞宗の開祖ですからね



参道左側に「福禄寿」の姿が見えてきました


「福禄寿」の幟も立っています


「福禄寿」


「福禄寿」


「キキョウの寺」ですので、どこかに桔梗はないかと探してみたところ本堂寄りの石灯篭の下にちょっとだけ咲
いていました



3輪程ですが・・・


参道を跨ぐ松の枝の向こうに本堂が・・・絵になります


他に桔梗が咲いていないかと探したところ、駐車場の脇の方にある石製五重塔の周りにも群生とまではいきませ
んが咲いていました。



桔梗の花の時季を過ぎたのでしょうか枯れているのがあります


ここにも何輪か


僅かに咲いていた桔梗をアップで・・・これでどうにか秋の七草寺・キキョウの寺の面目は立ちました。

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第二番「一乗寺」

2023年09月16日 | 神社仏閣

深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」めぐりの第二番は「一乗寺」です。一乗寺は武蔵七党の猪俣党の流れをく
む人見氏の菩提寺といわれています。人見氏の館跡は一乗寺の北方約550mのところにありますが、説明板が立っ
ているだけで遺構と呼べるようなものは何もありません。

第二番
一乗寺(いちじょうじ)
『布袋尊/ナデシコの寺』
山 号: 泰国山
院 号: 人見院
寺 号: 一乗寺
御本尊: 阿弥陀三尊立像
宗 派: 時宗
所在地: 深谷市人見1621-2


参道の両側に建つ石標
左側の石標には「開基 人見四郎基堅入道恩阿」 右側の石標には「時宗 人見院泰國山一乗寺」と陰刻



山門前の模様
左側に「深谷七福神・七草寺霊場会のご案内」とある看板。案内図の右下に当寺(一乗寺)の概略、案内図の左
右に他の6寺院の概略。 その右側に一乗寺の文化財等の説明板



一乗寺の文化財・人見氏累代の墓・板碑についての説明板


一乗寺山門


山号額「泰國山」と揮毫


山門を潜ったすぐ右手に「六地蔵尊」


左手に「人見氏累代の墓」


参道  
本堂に向かって右手の「深谷七福神・七草寺めぐり」と染め抜かれた白色の幟と「布袋尊」と染め抜かれた朱色
の幟が立っているところに「布袋尊」がいます。



参道左手にある「鐘楼」


「布袋尊」


同上  花立の花が枯れたまま この暑さではすぐに枯れてしまい仕方ないのかもしれませんが・・・
ところで肝心の「ナデシコ」はどこに? それらしきものが見当たりません



一乗寺本堂


扁額「一乗寺」


もう一度本堂を  右側の木の下には色々な石造物が・・・でも、今回の目的は布袋さんとナデシコでしたので

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第一番「瑠璃光寺」

2023年09月15日 | 神社仏閣


七福神めぐりや七草めぐりは各地にあるようですが、そんな数多い中から深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」
をめぐってみました。深谷七福神・秋の七草寺 は次の通りです。
 第一番 瑠璃光寺『大黒天/ハギ』
 第二番 一乗寺 『布袋尊/ナデシコ』
 第三番 宝泉寺 『福禄寿/キキョウ』
 第四番 全久寺 『寿老人/フジバカマ』
 第五番 惣持寺 『弁財天/オバナ』 
 第六番 泉光寺 『恵比寿天/オミナエシ』
 第七番 正伝院 『毘沙門天/クズ』
秋の七草とは言え 咲く時季にずれがあるようで七草寺めぐりについては名ばかりになってしまいましたが、第一
番から順番に紹介してみたいと思います。

第一番
瑠璃光寺(るりこうじ)
『大黒天/ハギの寺』
山 号: 深谷山
院 号: 光明院
寺 号: 瑠璃光寺
御本尊: 釈迦如来像
宗 派: 天台宗
所在地: 深谷市稲荷町北9-25

【関東九十一薬師霊場第39番札所】



仁王門(山門)
江戸中期の享保年間(1716~1736年)建立  深谷市指定有形文化財



山号額
見てすぐの時は何と揮毫されているのか戸惑いましたが「深谷山」ですね
内部に三つ葉葵紋が見えますが、これは徳川家康逝去(1616)後に家康の遺骨を日光に奉遷する際には天海僧正
が当寺で休憩、慶安2年(1649)には寺領10石の御朱印状を受領していることからのようです。



仁王像


仁王門(山門)を潜った先には薬師堂  深谷市指定有形文化財 
参道の両脇には献灯篭が  通称・深谷薬師と呼ばれる


地蔵堂(奥)と鐘楼(手前)


薬師堂  深谷市指定有形文化財


仁王門(山門)の右方にある本堂参道


定門  深谷市指定有形文化財


同上


本堂


同上


扁額 寺号「瑠璃光寺」


本堂と薬師堂を繋ぐ回廊  本堂→薬師堂


本堂と薬師堂を繋ぐ回廊  薬師堂→本堂


回廊の下を潜ると開山・慈覚大師の「御手植椎」


さて目的の『大黒天』と『ハギ』はどこにと探すに、本堂右手の庫裡の前の方に多層塔がありその後方に


居りました ハギに囲まれた『大黒天』さんが・・・でも、萩の花は咲いていません


同上


同上


ほんの僅かに咲いている花を これで何とか秋の七草寺『ハギの寺・瑠璃光寺』に・・・


同上


ハギの花はまだまだでしたが、百日紅はまだまだ盛りを極めていました


こちらは白色の百日紅

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

土師神社と土師の辻

2023年04月22日 | 神社仏閣


社 号:土師神社(どしじんじゃ)
旧 称:-
御祭神:野見宿禰(のみのすくね)
創 建:不詳
社 格:旧郷社 
例 祭:春祭り・秋祭り 
指 定:-
鎮座地:群馬県藤岡市本郷164

土師神社があるこの地域は、古墳時代には埴輪や土師器(はじき)を製造した技術集団である土師部
(はじべ)が周辺に住んでいたとされ、その氏神である野見宿禰を祀ったのが土師神社のようです。
祭神である野見宿禰は土師(はじ)氏の祖であり、相撲の始祖とされています。



境内参道




割拝殿




拝殿




神額『正五位上土師大明神』




本殿




神楽殿  勾欄の塗り替え中でした




石祠群




北参道(社殿背後)の鳥居(両部鳥居)  ※表側の鳥居は失念




土師神社境内にある「日本三辻」のひとつとされる「土師の辻」(相撲辻)
「土師の辻」は藤岡市の指定史跡となっています(昭和46年〔1971〕4月16日指定)




「土師の辻」説明板




相撲壇(相撲の土俵)




「土師の辻」歌碑

参詣日:令和5年(2023)4月20日(木)