ところが、この歳になって大治郎を息子として観る割合が増えた。
剣の名人が、普通の人の領域に入ってきたのだ。
大治郎も剣客としては名人だ。
だが、人の心の機微や矛盾や不可解は素人だ。
表だっての保護もしないが、父親としての気持ちを自覚する。
名人は一つの道を極める。
道の途中までは自分しか観ていない。
自分にこだわっていては、その先に行けない。
名人クラスは、自分を離れる事を行える。
そうして、果てしない道に踏み出す。
有限の人間に到達はできないが、離れると観える。
自分を離れて道を観ているから、名人という。
名人が他の領域に入る。
やはり自分を離れて観る事ができる。
すると、イキナリ本質に迫ってしまう。
一芸に秀でると、多種もタダモノでなくなるのだ。
この作品は、そういう深さ面白さがある。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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