水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説般若心経・127」

2007-12-11 11:06:42 | Weblog



  第十一章(2)
  無苦集滅道 

最初の「苦諦」。
人生は「苦」である、という後ろ向きの真実。
真実は何処にでもあるから、後ろ向きのもあるのだ。
決して、真実は一つでコレしか無い、などと思わないでね。
性格が暗い人が唱える・・・。
ラテン系は「苦」だなんて思わないぜ。

四苦プラス四苦で「四苦八苦」がある。
生・老・病・死が全て「苦」だとしていた。
ブッちゃん(仏陀)が出家する最初の疑問題だ。
そもそも、最初からブッちゃんは間違えていた。
この頃はブッちゃんではなく、シッちゃん(シッタルーダ)だった。

苦も楽も愉も嬉も快も、本人が選ぶ道だろ。
生老病死は避けられない人生ではあるけど、
そこに苦を最初から付けるのは・・・暗い性格だ。
やがて、シッちゃんはラテン系になる。
その時にブッちゃん(仏陀)となったのだ。
四苦八苦を強調するのは、出来損ないの弟子達だ。

      
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・126」

2007-12-10 12:16:31 | Weblog



  第十一章(1)
  無苦集滅道 

またまた仏教用語だ。
「苦集滅道」を「四諦」という。
四つを諦める、という意味じゃないぜ。
まぁ、それでも理屈は付けられるけどなぁ。
理屈なんて、どんな事でも付けられるもんだ。
何しろ、人に真理の判断能力は無い。
宗教は言いたい放題なのさ。

サンスクリット語の音読みを漢字に当てはめたのだ。
般若(パーニャ)とか波羅蜜多(パーラミタ)と同じだ。
だから漢字の意味は無い。
サティア(真実)を諦と当てはめた。
四つの真実(真理)という意味だ。
だが、真理ばかり多くてなぁ・・・
精神世界は真理や真実が好きだなぁ・・・。

まぁ、四諦にはいろいろな意味を込めてある。
真理を僅かな文字に託すんだもの、無理もあるさぁ。
というわけで、一応、無理を説明しないと先に進めない。
ゲンちゃんも多くの文字を書くのがメンドウだったのね。
つい、仏教用語を多用して心経を書き上げたのだ。

     
       
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「迷説般若心経・125」

2007-12-10 12:08:39 | Weblog



  第十章(13)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

「無明だから不安もあるよなぁ。
迷いも不都合もあるよなぁ。
だからといって、無明を無くそうとしなくていいぜ。
そんな事に人生を費やすと、人生が無駄になる。
オレもな、嘗て悟りを得ようと修行した。
そして、やっと、それらの努力は間違いだと気づいたのさ。

大切なのは、無明の中で生きる事なんだぜ。
それには無明にこだわらないことだ。
更に、無明を愉しむ事だ。
無明を愉しむとは、人生を愉しむ事だぜ。
愉しむってのは、一時一時を大切にするって事さ。
難しい事ぁ、無ぇだろ。
それが、無無明って事だ。

愉しめるなら、人生、何回やってもいいだろ。
それが、無老死尽って事だ。
何度生まれ変わって、無明の中で生きてもいい。
そう思えるようになるのが、智恵ってもんだぜ。
小難しい理屈じゃ無ぇんだよ」

     
       
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「迷説般若心経・124」

2007-12-08 17:54:22 | Weblog



  第十章(12)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

ワシ的訳。
「先の事は分からねぇだろ。
それを無明っていうんだ。
いろいろ迷ったり苦しんだりするだろ。
それらには原因があるんだ。
とりあえず、十二個の影響があると思ってくれ。
一応、まとめて十二因縁っていうんだ。
おっと、そんな事ぁ覚えなくていいぜ。

無明から始まって最後は老死になるけどな、
老死から、また無明につながるんだ。
そうして、何度も生まれ変わって人生を体験するんだ。
先が分からねぇ人生だから、いろいろ体験できる。
何でも分かって、何でも見切っていたら人生しなくてもいい。

つまりな、
生きているって事は、無明の闇だから意味があるんだ。
迷って、苦しむ事ぐらいで人生を嫌になるんじゃねぇぜ。
無明だからこそ、嬉しさも愉しさも気持ちよさも味わえる。
無明や老死から離れたら、生きている実感も無ぇのさ。」
    
       
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「迷説般若心経・123」

2007-12-07 10:59:38 | Weblog



  第十章(11)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

「無明」の中で生きている。
十二因縁の世界内で生きている。
それは大前提だ。
ならば、どう生きるか。
それが経なのだ。

ブッちゃんは「無」というコツをくれた。
「こだわるなよ」と笑顔で言った。
その先には「愉しめよ」がある。
無明を愉しむ。
無明は愉しめる環境なのだぜ。
愉しむ事が道(経)となる。

無明だから、全てが経験となる。
無明だから、生きる力がある。
先が分からないから、生きられる。
無明は、生かしてくれる環境なんだぜ。
苦しみを含めて、生きる力となるんだぜ。

    
       
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「迷説般若心経・122」

2007-12-06 10:04:31 | Weblog



  第十章(10)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

通常は「無明」を最初から「間違い・悪」と決めている。
ロクデナシだ!無能だ!役立たずだ!
ヒ、ヒドイわ・・・
無能愛好会に贔屓するワシは「無明」を弁護する。

無明や無能やロクデナシなら、ほぼ全人類が当てはまる。
自分は有能だと思っていたら、それは無知か厚顔だ。
心の中を覗けば判る。
今までの人生を振り返れば判るはず。
だから・・・人は、可愛いのだ。
だから、有能だと思い込んでいる人は、可愛くない。

無明は、この世界(物質・肉体世界)の基本環境だぜ。
無明から抜け出したら、この世界にはいられない。
抜け出る事が素晴しいかどうかは、別な話だ。
抜け出てみなければ判らない。
少なくても、この世で生きている限りは無明を肯定しようぜ。

   
       
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「迷説般若心経・121」

2007-12-05 11:16:08 | Weblog



  第十章(9)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

誤解された解説がある。
「無明」が生きている事を苦しめる。
そこから続く十二因縁が迷いや苦しみを産む。
未来の「老死」は更に来世の「無明」へと続く。
この悪循環を断ち切るには正しい道を歩かなくてはならない。
それには、○○教が一番。
さあ、いらっしゃい!
・・・・・

ブッちゃんは宗教(組織)をしたいのじゃないぜ。
苦しみから解き放たれる、我々の顔の変化が観たかった。
その笑顔が好きだったのだ。
だから「正しい道を歩みなさい」などと言わない。
大丈夫だぁ、と言ったのだ。

「老死」は十二因縁の最初の「無明」に続く。
「老死尽」は続き続ける十二因縁の全てを表す言葉だ。
それに「無(こだわるなよ)」を付けた。
気にしなくても大丈夫だぁ。
十二因縁の中で暮らしていても大丈夫だぜ。
お前ぇ等は、愛されているぜ。

   
       
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「迷説般若心経・120」

2007-12-04 10:19:19 | Weblog



  第十章(8)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

「無老死尽」をどう訳すか?
というより、ゲンちゃんはどういうつもりだったのか?
これも難しいわけじゃない。
ヒネクレていても、基本は優しさだ。
誰の為に書いたか、を忘れなければ明白になる。

「十二因縁」なんて書いたけど心配するなよ。
全部、気にしなくていいからな。
無明に尽きても大丈夫なんだ。
だから十二因縁全部も大丈夫だ。

ゲンちゃん(玄奘)はブッちゃん(仏陀)とシンクロしている。
ゲンちゃんの書いた心経は、ブッちゃんの言ったことだ。
ブッちゃんは十二因縁の仕組みを説いたのではない。
十二因縁なんか、気にしなくていい、と説いたのだ。

  
       
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「迷説般若心経・119」

2007-12-03 11:03:58 | Weblog



  第十章(7)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

マトモな人は「老死尽」の訳に困っているようだ。
「老死も無く、老死に尽きる事も無い」・・・
老死に尽きるという言葉はないだろうなぁ・・・。
ここにもゲンちゃん(玄奘)のオチャメ心がある。
イタズラ坊主の心経だぜ。

「無無明乃至無老死」
通常ならこれでいいはず。
「無明尽」なら何とか訳せる。
「無明に尽きる・最後まで無明だ」でいい。
だけど「老死尽」は訳せない。

十二因縁の最後の「老死」だ。
最初の「無明」へと続く。
老死に尽きる、では続かない・・・。
心経は「イイカゲン」でないと訳せないのだ。

 
       
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「迷説般若心経・118」

2007-12-02 22:26:50 | Weblog



  第十章(6)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

「老死」は十二因縁の最後の言葉だ。
人は無明で生まれ、老死まで続いて迷う存在だ。
だから無明から脱却しよう!
というのは無茶な話だし、宗教組織の商品言葉だ。

無明から脱却したフリの教祖やその他はいる。
本当に無明から脱却したら、人間でいられない。
「悟り」を得たら、人間ではいられない。
そんな事は当たり前なのになぁ・・・。
「悟り」を商品にして商売するんだもんなぁ・・・。
頭いいよなぁ・・・・

頭の悪い衆生達、ケモノ達、妖怪達。
騙されるくらいで落ち込むなよ。
ブッちゃんは、その為に話をしてくれている。
「般若」はその為に書かれているのだ。
頭のいい、悪いと幸せは別次元なんだ。

       
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