水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説般若心経・137」

2007-12-21 10:22:47 | Weblog



  第十一章(12)
  無苦集滅道 

「苦を無くす事にこだわらなくていいけど、より楽に生きてぇだろ。
苦ってのは暗ぇんだぜ。
ならば、明るく生きればいいじゃねぇか。
正しく生きるのは難しいけどよ、明るく生きるのは出来るぜ。

誰だって赤ん坊だったろ。
暗い赤ん坊なんて居ねぇんだ。
誰だって、明るかったんだよ。
ならば、誰だって、出来るんだよ。
昔、自分でしていた生き方だ。
それが、八正道って言葉なんだぜ。

人生、明るく生きようぜ。
それが、人生を愉しく生きる事になる。
苦を含めて、いろいろ体験する。
全て含めて、明るく愉しむ。
それが、この世に生まれてきた理由だ。」

          
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・136」

2007-12-20 11:19:11 | Weblog



  第十一章(11)
  無苦集滅道 

ワシ的訳。
「皆、苦労してるかぁ?
まぁ、苦しい事は多いわなぁ。
だからって、人生は苦だ、なんて思うなよ。
ん?ワシがそう言った? そりゃ誤解だ。
四諦? そりゃ、若気の至りってやつだ。
つまらねぇ事なんざ、忘れろよなぁ・・・

四苦八苦という苦しみがあるよな。
あるけど、苦しみだけでも無ぇだろ。
苦しみだけだと思い込むと、苦しみしか感じられ無ぇのさ。
苦しみにこだわるなよ。
こだわり、ってヤツが、更に苦しみを産んでいるのさ。

こだわりを無くせば、苦しみは小さくなる。
無くなるわけじゃ無ぇけど、楽になる。
無くすには、コツがあるんだ。
こだわりを無くす、って事にも、こだわらねぇのさ。
キマジメに執着を無くそう、なんて思うなよ。」

          
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・135」

2007-12-19 11:21:20 | Weblog



  第十一章(10)
  無苦集滅道 

苦諦、集諦、滅諦、道諦の「四諦」に、
ブッちゃんは「無」を付けた。
「無」は「こだわるなよ」という意味だ。
更に「愉しめよ」という深いメッセージもある。

「四諦とは、人生の真実」と大見得を切った。
その人生そのものを「こだわるなよ」と言った。
そして、人生を愉しめよ、と言ったのだ。
優しい言葉だろ。

「悔い改めなさい。さもないと・・・」などと脅かさないぜ。
「正しい道を歩みなさい。そうでないと」などと言わないぜ。
もし、道を示すとしたら、安心させる言葉だろうな。
ブッちゃんは気張った道は説かない。
優しい道を教えてくれるが、歩くのは個人に任せている。

         
       
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「迷説般若心経・134」

2007-12-18 11:34:30 | Weblog



  第十一章(9)
  無苦集滅道 

逆の言い方をしよう。
通常の解説版「八正道」
これが出来なければ「苦」は無くならない。
出来る人は、ほとんどいない。
(誰も、といいたいくらいだけど)

エラソウに解説する人達が、出来るはずが無い。
解放されたなら「何でもいいぞ」と言うはずだぜ。
つまり絶望を解説しているようなものだ。
出来もしない「正しい生き方」を唱える人達は信用できない。
誰も出来ないから、宗教組織は無くならない。
詐欺といっても(それほど)言い過ぎでもなかろう。

救いを求める人達に手助けするのが宗教だろ。
絶望を示して、どうするんだ?
「正しさ」を押し付けたら、絶望が膨らむだけだぜ。
そして、「明るさ」を示したら、希望が湧くのだぜ。
だからブッちゃんの言った「八正道」は「明るい道」だ。
正しい道じゃないぜ。

         
       
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「迷説般若心経・133」

2007-12-17 18:37:02 | Weblog



  第十一章(8)
  無苦集滅道 

最初から「正」の訳し方が間違っている。
「正」は「明るさ」の事なのだぜ。
これなら、誰でも判断できるのだ。
「正しい考え」は人によって違う。
だが「明るい考え」は一致する。
「正しい言葉」ではなく「明るい言葉」なのだ。
「正しい行い」ではなく「明るい行い」だぜ。

ブッちゃん(仏陀)は「苦」を軽くする、
あるいは無くすには「明るさ」がいいぜ、と言ったのだ。
それが「八正道」なのだ。
不出来な弟子達は、真意が解らなかった。
マジメな人達は「正しさ」に固執する。
マジメな人達は、結構争い好きなのだぜ。
戦争はキマジメな人達で行われているのだ。

「正しさなんて追求するなよ。
それは害になるだけだ。
それより、明るさが一番だぜ」
正しさを追求する修行を止めた。
そして菩提樹の下で閃いて仏陀(開けた人)になれた。
ラテン系のオッサンになって、解放されたのだ。

        
       
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「迷説般若心経・132」

2007-12-16 13:14:35 | Weblog



  第十一章(7)
  無苦集滅道 

八つの正しき道。
それが「道諦」というわけだ。
ここも「正道」の訳し方が間違っている。
正誤は人では判断できない、という真実(諦)・・・
当然、組織の僧や神父や牧師や○○先生には無理だろう。

正見(正しい見解)
正思惟(正しい決意)
正語(正しい言葉)
正業(正しい行為)
正命(正しい生活)
正精進(正しい努力)
正念(正しい思念)
正定(正しい瞑想)

何が正しいとするのか、人間では無理だろうな。
それぞれの宗教は、自分の宗教が正しいとする。
某アメリカは他国への軍事を正しいとする。
某日本政府はアメリカのする事は何でも正しいという。
それに報復する某複数の中東系国は、自分達が正しいという。
嫁は自分が、姑は自分の方が・・・
そして、お互いが争う・・・
争いは、正しさか?

        
       
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「迷説般若心経・131」

2007-12-15 17:46:37 | Weblog



  第十一章(6)
  無苦集滅道 

苦の原因である「執着」は煩悩の大部分だ。
だから煩悩を無くせば、苦は消える。
それが「滅諦」という言葉になる。
(わざわざ真実(諦)などと付けなくてもいいと思うし、
ブッちゃんは「これが真実(諦)」などと力まないと思うよ)

まぁ、理屈はそうだけど・・・現実的じゃないな。
机上の論理という真実(諦)・・・
誰もできないような教えは・・・胡散臭い。
その陰に別な企みを感じるぜ。
ブッちゃんは優しいから、無理は言わないだろう。
やはり組織を維持したい、その後の僧達の解説だろうな。

「真実(諦)」ではなく、「事実」なら話として判りやすい。
「苦」がある事実。
それは「執着」から生まれる事実。
それを無くせば「苦」も楽になる事実。
ブッちゃんは、分かり易くこう話したのだろうな。
無くす方法の一つとして「八正道」というのも話した。
もちろん、今の仏教での解説とは少し違うだろうな。

        
       
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「迷説般若心経・130」

2007-12-14 10:33:01 | Weblog



  第十一章(5)
  無苦集滅道 

「集諦(じったい)」は「苦」の原因。
「苦」は執着で発生する、という真理(諦)。
真理は限りなく有るから、それも一つだと思う。
だけど・・・執着が無くても「苦」は有る。

ここからはワシの体験も含めてだ。
「苦」は「本人の苦」でなくても伝わる。
元は執着から生まれたモノかもしれない。
だが、「苦」という「氣」は独立する。
本人の執着でなくても「苦」は有る。
同じく本人の「快・喜・幸」でなくても伝わる。
この世は、他とつながりあっているのだ。

「生老病死」
誰も避けられない、この世の存在とセットだ。
ならば「苦諦」としたら矛盾するだろ。
存在が「集諦」なら、この世は地獄かぁ?
そこから抜き出るには「八正道」が必要?
(宗教組織としてはオイシイ解説だ)

そんな事ぁ、ブッちゃんは言わないだろ。
八正道を実行できる人がいるかぁ?
(八正道は四諦とセットで解説される)
無理を迷える衆生に押し付けるわけ無い。

        
       
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「迷説般若心経・129」

2007-12-13 10:21:55 | Weblog



  第十一章(4)
  無苦集滅道 

ある日、仏陀(悟った人)となったブッちゃん。
初期において、この四諦と八正道を説いたとされている。
そうかもしれないけど・・・
言わんとした事は、歪められて伝わった。
これは、キリちゃん(イエス)なども同じだと思う。
優秀な人は簡単に理解されない・・・。
言葉は組織を維持するのに都合よく解釈される。

更に二人とも、誤解を解く事などメンドウなのだ。
いいさ、誤解したけりゃ、しておきな。
解る人には解る。
解らん人には、何を言ってもわからんだろうな。

四苦八苦と言ったけど・・・
そりゃあ、方便だぜぃ。
言葉だけでとらえるなよなぁ。
お前ぇ等(弟子の僧達)、マジメすぎるぜ。
マジメじゃ優しくなれねぇぞ。

       
       
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「迷説般若心経・128」

2007-12-12 12:11:50 | Weblog



  第十一章(3)
  無苦集滅道 

生・老・病・死の四苦の他にも四つの苦があるとしていた。
「苦」ばかり観ていると、苦は増えるのだ。
この四つは、日常生活の身近な苦しみを集めた。
つまらないモノを集めたもんだなぁ・・・
一応説明しておこう(受け売りだけど・・・)

「愛別離苦」は愛する人との別離の苦しみ。
「怨憎会苦」は嫌いな人と一緒に生活や仕事をしなければならない苦しみ。
「求不得苦」は欲しいものが手に入らない苦しみ。
「五蘊盛苦」は色・受・想・行・識(五蘊)から生ずる身心の苦しみ。

そんな事ばかり言っているから、説法する人は陰気なのだ。
陰気は明るい未来を呼ばない。
嫌な事、脅かす事、不安にさせる事を広める人は信用おけない。
心を迷わせて、何かを勧める。
怖れを煽って、誘導する。

コレを買えば大丈夫!
コノ宗教に入れば大丈夫!
私にまかせなさい!
信じる者は救われる!
・・・・
自分の人生は、自分で歩こうね。

       
       
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