水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
第十一章(1)
無苦集滅道
またまた仏教用語だ。
「苦集滅道」を「四諦」という。
四つを諦める、という意味じゃないぜ。
まぁ、それでも理屈は付けられるけどなぁ。
理屈なんて、どんな事でも付けられるもんだ。
何しろ、人に真理の判断能力は無い。
宗教は言いたい放題なのさ。
サンスクリット語の音読みを漢字に当てはめたのだ。
般若(パーニャ)とか波羅蜜多(パーラミタ)と同じだ。
だから漢字の意味は無い。
サティア(真実)を諦と当てはめた。
四つの真実(真理)という意味だ。
だが、真理ばかり多くてなぁ・・・
精神世界は真理や真実が好きだなぁ・・・。
まぁ、四諦にはいろいろな意味を込めてある。
真理を僅かな文字に託すんだもの、無理もあるさぁ。
というわけで、一応、無理を説明しないと先に進めない。
ゲンちゃんも多くの文字を書くのがメンドウだったのね。
つい、仏教用語を多用して心経を書き上げたのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第十章(13)
無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽
「無明だから不安もあるよなぁ。
迷いも不都合もあるよなぁ。
だからといって、無明を無くそうとしなくていいぜ。
そんな事に人生を費やすと、人生が無駄になる。
オレもな、嘗て悟りを得ようと修行した。
そして、やっと、それらの努力は間違いだと気づいたのさ。
大切なのは、無明の中で生きる事なんだぜ。
それには無明にこだわらないことだ。
更に、無明を愉しむ事だ。
無明を愉しむとは、人生を愉しむ事だぜ。
愉しむってのは、一時一時を大切にするって事さ。
難しい事ぁ、無ぇだろ。
それが、無無明って事だ。
愉しめるなら、人生、何回やってもいいだろ。
それが、無老死尽って事だ。
何度生まれ変わって、無明の中で生きてもいい。
そう思えるようになるのが、智恵ってもんだぜ。
小難しい理屈じゃ無ぇんだよ」
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)