これは巨匠・黒澤明監督の遺稿脚本(山本周五郎原作)を基に、監督の信頼厚かった小泉堯史がメガホンを
取り完成を見た映画「雨あがる」のラストシーンである。
物語は、華やかな元禄の世も終り、簡素な享保年代のこと、梅雨の長雨で安宿に足止めされた、武芸の達人
だが不器用な武士(三沢伊兵衛:寺尾聰)と、その妻(たよ:宮崎美子)を中心に、その時代を生きた貧しい庶民との
ほのぼのとした日常を描く、一方で剣術指南役としての仕官口の話が舞い込む、登用を目前にしながら、不器
用で世渡り下手が原因で、またしても叶わない仕官の顛末、映画は静かな流れの中で、人々との触れ合いの
暖かさを細やかに描写しながら、武士の強さと優しさ、その妻の夫を思う愛と心の広さを謳い上げて行きます。
劇中、仕官口がほぼ決まったと期待して使者を待つ夫妻に、使者の口から「賭け試合」を理由に断られた際の
妻の口上、
「確かに主人は、止むに止まれぬ賭け試合を致しました。 問題は主人が何をしたかではなく、何の為にしたか
だと思います。 あなた方の様な木偶の棒には分からないでしょうが・・・賭け試合はこれからも必要な時はどう
ぞやって下さい・・・そして困った人を助けて下さい・・・」と毅然と対応する場面、
またラスト部分で、「あの人はこれだけ立派な腕がありながら、花を咲かせることが出来ない・・・これが巡り合
わせなのでしょう・・・でもそれでいい・・・人を押し退けず、席を奪わず・・・貧しいけれど真実な方達に喜びと望
みを与えて下さい・・・このままであなたは立派です。」とつぶやく場面には感動しました。
また劇中前・後二度に渡る、新緑の林の中での伊兵衛の「居合い」の場面、これが演技ではなく、「真剣」を思
わせる程の真迫の演技でした。
それにしても「寺尾聰」、かつての名優宇野重吉(父)になんと良く似てきたことか。やはり「蛙の子は蛙」のようだ。
~今日も良い一日であります様に~