白から次第にほんのりと紅を差しはじめ、ピンクから赤へと色変わりす
る芙蓉の花、これを、お酒を召した奥方が、ほんのりと頬を染め上げ
る姿に重ね合わせ、「酔芙蓉」等と誰が形容したものか。
ご存知の様に、演歌でも歌われ大ヒットをしました。
それが『風の盆恋歌』、石川さゆりが妖艶に歌っています。
蚊帳の中から花を見る 咲いてはかない酔芙蓉
若い日の美しい 私を抱いて欲しかった
しのび逢う恋 風の盆
(この歌は、富山県の八尾の伝統行事「おわら風の盆」を詩にしたもの)
毎年9月初頭の3日間、越中おわら節の哀調帯びたメロディーに乗せ
て、町衆が無言で踊り続け、笛や太鼓の音とともに通り過ぎて行くとい
う、とても幽艶な情趣に満ちた独特の祭り(行事)です。
小説『風の盆恋歌』が昭和60年に発表されベストセラーになるや、それ
まであまり知られない、極くローカルな盆踊りであった「おわら風の盆」
の人気が高まり始め、映画化に続き前述の、石川さゆりの演歌・『風の
盆恋歌』の大ヒットで、一躍「日本三大盆踊り」の一つと言われるまでに
なったと云うことですが、「おわら風の盆」の昔を知る人からは、『昔は素
朴で静寂な雰囲気が逢ったのだが今は失われてしまったな~。』と言う
声もある様です。
話変わって、中国には「芙蓉の花」にまつわるこんな史実もある様なの
です。
五代十国(ごだいじっこく)
~中国で唐が907年に滅亡してから、960年に宋が成立し、全国統一までの時代をいう。~五代(梁・唐・晋・漢・周の王朝) 十国(前蜀・後蜀・呉・南唐,呉越・閩・荊南 ・楚・南漢・北漢の諸国)
むかし昔その昔、中国の五代・十国時代の後蜀のニ代君主、「後主:孟
昶(もうちょう)」は、政治改革の一環として、農業養蚕や科挙を行うなど国
の安定を図る一方、文学や芸術を好む一面を持ち合わせておりました。
「孟昶」は、この「芙蓉」の花をとても愛していたそうで、居城の周囲に
160キロわたる城壁を巡らし、城内には芙蓉を此処彼処に植えさせ、美
女達とその美しさを褒め称えたと言います。
金銀の錦で飾られたかの様な光景を前に、孟昶は「これぞ真の錦城で
ある」と云ったとか、そんなことから蜀の成都は、「錦城」とも呼ばれるよ
うになったとか。。
確かに大変スケールの大きな話なのですが、実は君主「孟昶」の前に付
く、「後主」と言う称号が問題。(君主に対する便宜上の呼称:名ばかりの称号~後に付けられた~)
と言うのは、賢帝であった孟昶も、多くの権力者がそうであった様に、そ
の晩年は、度を超えた贅沢に溺れて、名宝の蒐集や後宮を拡張するな
ど、国政を顧みなかった為、他国から攻められて国を滅亡させてしまう
のです。
芙蓉の花に囲まれた通称「芙蓉城」も、こと敗れて振り返れば、『砂上
の楼閣』の様なものだったのかも知れません。
この様に芙蓉の花には、なんとなく「華やかさ」「妖艶さ」そして「儚さ」の
漂う花のイメージがある様に思うのは私一人なのでしょうか。
今日も良い一日であります様に
今日の曲は、私のよくお邪魔するブログ友達が先日紹介されていて、
「いい曲だな~」と思ったのでUPさせてもらいました。
ジミー・クリフの「遥かなる河」