東京からの帰り、機上から眺めた夕暮れ時の富士山です。
これまでにも上京の度に幾度となく見てきた「雄大な富士山」の風景ですが、黄昏時に搭乗するのは、今回がたっ
た二回目のこと、めったにお目に掛かることの出来ない、夕陽を背景に眠りにつく前の、「穏やかな富士山」を眺め
ることが出来ました。
ある方のブログに、愛読の書として登場して来る長田弘氏(詩人・エッセイスト)、その詩集とエッセイを図書館で借
りて来ていたので、旅のお供にと持参し、読みなが時間を過ごしていました。
その『なつかしい時間』」という本の、「一日の特別な時間」という一文を読みながら、ふっと、機窓に目をやると、予
期せず幸運にも美しい富士山が目に飛び込んで来ました。
ちなみにこのエッセイ集の中で、長田氏は・・・
「どんなに時代が変わろうと、変わらないものがあります。 それは一日の時間です。」・・・「朝、昼、夜、24時間、
この変わり映えのしない一日の時間を、私達がもちうるゆたかな時間にしてきたのは、一日の特別な時間です。」
それは、ゆるやかな時間、夜あけ、曙、朝ぼらけ、朝まだき、昼下がり、日の暮れ等々。
そう言ったあいまいなと言っていい微妙な時間。・・・そんな誰でも感じられる様なそんな時間は、平凡な時間でしか
ない様にしか思えないでしょう。
また、もう一つ私達の一日の時間を豊かにしてきた特別な時間があります。
その時は気付かないけれど後になって気付く、「あの一瞬」といえる鮮やかな時間も、変わることのない私達の一日
をゆたかにしてきた時間です。
『人生の特別な一瞬』 長田弘
人生の特別な一瞬というのは、本当は、ごくありふれた、なにげない、あるときの、ある一瞬の光景にすぎないだろ
う。
その時は少しも気づかない。 けれどもあるとき、ふっと、あの時がそうだったのだと云うことに気でづいて、思わず
ふりむく。 ほとんどさり気なく、当たり前のように過ぎていったのに、ある一瞬の光景が、そこだけ切り抜かれたか
のように、ずっと後になってから、人生の特別な一瞬として、ありありと記憶となってもどってくる。
特別なものは何もない、だからこそ特別なのだという逆説に、わたしたちの日々のかたちはささえられていると思
う。 (長田弘エッセイ集より)
書かれてる。
あるいは、今日見た『黄昏時の穏やかな富士山』、あの光景が私にとっての、その『特別な一瞬』なのかもしれな
い。
~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~