~廃れゆく物の美しさ~
廃船、廃墟、廃屋など役目を終えて、静かに廃れゆくものの美しさに人は魅かれる。
この廃船の絵は1980年頃(昭和55年)市美展に向けて描いた日本画です。
当時、中海の干拓事業計画が発表され、大根島の堤防事業が中止となったため、中海(八束町入
江)に、取り敢えず消波堤の代わりにと、隣市(境港市)から譲り受けて捨て置かれた廃船である。
長年日本海の荒波に乗り出し活躍してきた魚船も、用済みになるとオカ(陸)に上げられ処分され
のだが、ここでは珍しくも海に捨て置かれる形となったため、歳月と共に次第に朽ち果てて、その
姿は ‘廃れゆくもの達の美‘ を醸し、全国から多くの写真ファンたち押し掛けたものである。
当時、直木賞作家・村松友視氏の著書「時代屋の女房」のテレビドラマ化に際して、この廃船が登
場していて、観た覚えがある。
先頃世界遺産登録された長崎市の、かつての栄華を語る「軍艦島」や、草深い里山に朽ち果てた
廃屋、窓を開けると煤煙が眼に沁みた蒸気機関車等々はその典型であり、私を含めてそのファン
は多い。
なぜ、人は‘廃れゆくものに美しさ‘を感じるのだろうか。
~この世に何一つ永遠などなく、いつの日にか必ず塵にかえるのだから、世界は美しい。~(長田弘「な
つかしい時間」より)
現世(うつつよに)に、廃れゆくものと向き合い、また、今は対面することの叶わない、懐かしい人々と向
き合い語らうこと、それは人としてごく自然の行為であり、過去を今に共有することであって、自らの‘今
を見詰めなおすこと‘でもあるのではないでしょうか。
~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~
夕陽に赤い帆~ナット・キングコール