先日、久し振りに尼子の里の「天台宗・瑞光山・清水寺」に詣でて来ました。
ここ「清水寺」の紅葉は、私の中ではあることを契機に、お参りすることも多くなってか、
特別美しいものとなっています。
すでに季節は‘立冬‘も過ぎてしまったと言うのに、境内の此処彼処には、モミジとイチョ
ウが彩りを競い、まだまだ‘錦秋‘の感がありました。
駐車場に車を置いて、苔むした石畳の参道を、山門を潜って右耳に谷川のせせらぎを
聴きながら、鬱蒼とした杉木立の中を喘ぎながら登って行くと、境内(上の段)が近付く
に従って、段々と石畳に赤と黄色の紅葉が散り敷き、明るい空が紅葉を透かして、思わ
ず「きれいだな~」と、ため息をつくほどの‘錦秋‘を見ました。
散り始めたとは言え「何と言っても、錦秋の清水寺が一番」です。(たしか、春にお参りした時
にも「清水さんは、桜の春が一番だ。」と言っていた様な・・・・)
お参りを終えしっかりと紅葉を愛で、参道をゆっくりと下って行くと、途中で500人ほども
あろうかと思うほどの団体さん(高齢)に遭遇してしまいました。(足腰の痛さに耐えながらゆっく
り、ゆっくりと昇って来られます・・・)
そんな訳で、狭い参道で立ったまま道を譲ること約30分、清水寺は‘厄落としの寺‘とし
て有名で、この日も家族の一員ミカ嬢(チワワ)にも、その御利益をと連れてのお参りで
あり、急坂な為にほとんど‘抱っこに負んぶ状態‘、お陰で今回のお参りは、ほんとうに
よい運動になりました。(これも御利益)
清水寺の「春秋」と言えば・・・
万葉の額田王(ぬかたのおおきみ)の和歌に、こんなが歌が・・・
『冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を
茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみ)つ
をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし怜(たの)し 秋山我は』
~春がやって来ると、鳴かなかった鳥もやって来て鳴き始める。 咲かなかった花も咲
くけれど、山は木が繁るので、入って行って花を手に取ることもできない。 草が深いの
で、折り取って見ることもできない。 ところが秋はどうか。
秋山の木の葉を見ては、色づいたのを手に取って賞でる。 まだ青い葉はそのままにし
、紅葉するのを心待ちにして溜息をつく。 そこが楽しい。 やはり秋の山が良い、私は。~
この歌は、天智天皇が命じた「春秋争い」の歌と言われ、結局、額田王の秋山の歌に軍
配が上がったそうな。
貴方にとって、今日も良い一日であります様に
レミゼラブルより「夢やぶれて」:スーザン・ボイル