今朝いちばん縁側に出て見ると、「あれ?なんの花だろう」、プランターの中に見慣れない薄紫の綺麗な花がの咲いていではないか。 これは、昨年「イタリアン・トマト」の種を注文した際に、サービスとして付いて来た、サラダ菜(各種)の中の一種なのだが、毎朝食べていながら名前が全く分からない。 多分、ヨーロッパ圏の人が見たら一発で言い当てるであろう。 菜っ葉なのだが。。。日本の野菜の花で言えば、色だけは「野大根」の薄紫の花によく似ている。 いやいや、野大根の花は、こんなに「花・はな・ハナ」と言う感じではない。 これが多年草の様で、家内が昨年からずーっと年中朝の食卓に上げている。 ちなみに草丈は既に私の背丈ほども伸びて花が咲くと言う事は、とうが立っいると言う事か。 「ところ変われば品変わる」とはよく言ったものである。 プロバンス風サラダ菜には、ロケット、セイヨウタンポポ 、カーリーアンディーブ、ミズナ 、オークリーフ 、マーシュ、ラディッキオ、ソレル、ハーブのシャービル等、もう数えきれない、、、中には奇妙なサラダ菜もあったりする。
因みに送られた種の袋には、「フランス メスクラン」と記されているのだが。。。これは、南フランス・ニース地方の「 mesclumo 」="混ぜる"という意味のことばに由来している様で、結局ネットを駆使しても、この花の名には到達することは出来なかった。
~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~
ポール アンカ:「マイ ウェイ
My way マイ・ウェイ(英語・訳)
そして今や終わりが近づいている
僕は人生の終幕を迎えているのだ
友よ、はっきと言おう
確信を持って言うことが出来るよ
僕は精一杯生きてきた
どんな道も避けずに通ったが
更に、それ以上に自分の道を歩んで来たのだ
少しは後悔することもあったよ
いまさら言う程の事ではないが
目を逸らさずにするべきこととはしたし
自分で立てた人生の設計図をもとに遠回りをしながらも慎重に歩み
更には、それ以上のことを自分なりの方法で成し遂げたよ
だが君が知っての通り
自分の力を超えたことをして持て余したこともあった
だけどどんな時でも、疑問が残れば
それを食い尽くしてからそいつを吐き出してやった
僕はひるむことなく何にでも立ち向かい、自分の道を生きてきた
僕は愛し、笑い、泣いた
欲しいものは手に入れたけれど、失うこともあった
そして今や涙は乾き、楽しい思いで一杯になったのを感じるよ
僕がして来たいろいろなことを考えると
ためらい無く言えるだろうけれど
「ああ、いや、そうではないんだよ、僕に限っては、自分の信じることをしてきたのさ」
男として何をすればいいのか、何を得れば良かったのか?
自分を偽れば、彼が本当に感じた事を言う事も出来なければ
祈りの言葉も口にすることは出来ないだろう
僕の人生の履歴は僕が戦いながらも
自分の信ずるままに生きてきた証なのだ!
そうさ、それが僕の生きる道だったのさ