昨夜は、錦織圭のテニスを観戦していたのだが、脇腹の故障で途中棄権してしまった。 楽しみにしていたTV観戦も不完全燃焼感が尾お引き、睡眠時間は短いのに、まだ外はシーンと静まり返って、物音一つもしない時間だと言うのに目覚めてしまった。 とても二度寝は出来そうにない。 テーブルの上に生けてある薔薇の香と、点てたばかりのコーヒーの香りが流れる中で、詩集を開いてみた。 至福の夜明けのひと時である。
食卓に珈琲の匂い流れ <茨木のり子の詩集より>
ふとつぶやいたひとりごと
あら
映画の台詞だったかしら
なにかの一行だったかしら
それとも私のからだの奥底から立ちのぼった溜息でしたか
豆から挽きたてのキリマンジャロ
今さらながらにふりかえる
米も煙草も配給の
住まいは農家の納屋の二階 下では鶏がさわいでいた
さなから難民のようだった新婚時代
インスタントのネスカフェを飲んだのはいつだったか
みんな貧しくて
それなのに
シンポジウムだサークルだと沸きたっていた
やっと珈琲らしい珈琲がのめる時代
一滴一滴したたり落ちる液体の香り
静かな
日曜日の朝
食卓に珈琲の匂い流れ……
とつぶやいてみたい人々は
世界中で
さらにさらに増えつづける。
茨木のり子さんの詩は、「日常の出来事の中からの発見と 心の奥の隠れた真実を 鋭い感性とすがすがしい言葉で、ときには怒りと毒をこめた詩に結実させている。」との注書きがあるように、なかなか奥の深い詩が多い。 書かれたその時代背景や、読む人それぞれの生活環境など、受け止め方や解釈のしかたは随分違ってくると思われる。(これは詩全体に言えることなのだが。。。) 作者の置かれた時代背景に立ち返り、ありふれた日常の一コマとして、思索にふけるのり子さんの様子が、詠われたものとして率直に受け止めてみた。
フリオ・イグレシアス:ビギン ザ ビギン