タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

   ~裸婦A~

2013-12-12 | その他

裸婦のデッサン会には、若い頃1回だけ誘われたことがあるが、参加できず、その後

そんな機会もなく今日に至っています。

画家でなくても絵を描くことが好きな人なら、裸婦デッサンは、一度は挑戦してみたい

。(と言うより・・・基本中の基本か?)

以前、素人画家ではあったが、裸婦の個展(パステル画)が開かれており、これを見

自分も一度は描いてみたいと思いつつも、「裸婦は難しい」という先入観があって、

どうも・・・・と敬遠してきた感がある

しかし今日、日課のネット巡りをしていると、裸婦画の画像に出会い「ちょっと描い

うかな~」と、その気になってパステル(ソフト)で複写を試みてみました。

しかし、女性の優しく柔らかな体の線、質感の表現はやはり難しい・・・・・

考えてみれば「人類の創造主は神」「すべての人間の母は女性」、どちらにしても神

的、かつ魅力的なチーであることに間違いはないが、その攻略は・・・とてもと

ても・・・・・(笑)

でも、これを機会に、少し裸婦のデッサンに挑戦して見ようと思う。

          今日も良い一日でありますように

 

 


~煙たなびく田舎道~

2013-12-11 | 風景

今年の野良仕事もすっかり終わり、来春に向かっての片付けと焚き火、この時期田舎道

を歩いているとあちこちで見掛けられる風景です。

そのまま放って置いても、どうせ朽ちるのに、と思うのは農業の素人。

家の整理整頓と同じで、田んぼも畑も今年の役目を終えたのだから、雑草やゴミは焼い

たり堆肥にしたり、これも師走の野良仕事の節目の一つ。

当方、今は「猫額菜園」で農業の真似ごとをしているだけですが、子供の頃大人達が、「

〇〇屋の畑は、いつ見てもきれいに片づけてあるね」と噂していたのは、結局「農業に熱

心だ」と言うことだったんだ、と気付いたのは随分後になってからのこと。

考えてみれば、昔も今も「農業は大変」と云うのが大方の評価、そんな大変な仕事に意味

のない仕事は一つも無い訳だ。

フッとそんなことを思い出しながら、集落全体を包みなびく煙の中を、愛犬と共に今日は

散歩して来ました。

              ~今日も良い一日を~

 

 

 


~我らがヒーロー「力道山」~

2013-12-10 | その他

 

たしか私が中学生になった年(S31?)だったと思いますが、親戚がテレビを買い入れました。

当時、片田舎の私の住む地域では、まだテレビ(白黒)のある家はごく稀で、子供達の好きな

「月光仮面」や、大人に人気の「ジェスチャー」「私の秘密」などの番組が始まる時間帯になる

、近所の子供や若者達で居間は一杯になったものです。

中でもダントツで一番人気は「プロレス中継」でした。

そのプロレスで「日本国の英雄:力道山」の人気は絶大なものがありました。(まさに英雄)

当時まだ日本は、敗戦国として戦勝国アメリカに対するコンプレックスやショックを引きずって

り、そこに東洋的神秘的な空手チョップをひっ下げてリングに登場、雲を突くような外人レス

ー(当時は全てアメリカ人と思っていた・・・)の、度重なる憎らしい反則技攻撃に、力道山は耐えに

耐えた上で、伝家の宝刀をすらりと抜き、空手チョップを首筋に叩き込み相手をなぎ倒す。  

それはそれは、この上ない壮快な気分にさせてくれたもので、まさに日本人否、子供達の絶対

的なヒーローでした。

シャープ兄弟、白髪鬼プラッシー、四の字固めデストロイヤー、頭突きのボボ・ブラジル等との

壮絶な闘い(名勝負)は今でも目に浮ぶようです。

その我らがヒーロー「力道山」も、1963年12月、ヤクザの喧嘩に巻き込まれてほんとうにあっ

なくこの世を去ってしまいました。 

あれから約50年・・・今の日本は何もかも弱々しく、今こそ政治・スポーツ・文化等様々な分野

で、世界に冠たる「力道山」の様な「強いヒーロー」が登場してくれないものでしょうか。

力道山のお墓は、池上本門寺(東京都大田区)にあり、銅像も立っているようです。

今度上京する際には、お参りして来たいと思います。 

            ~今日も良い一日でありますように~















 


「天城:天国へ結ぶ恋」

2013-12-08 | その他

今朝の空は見上げると、どんよりと曇った冬空、今にも枝から離れそうなモミジの葉が、寒そう

に震えている。

今年ももう十二月、空を見上げながらフッと思い出したことがある。

それは以前映画にもなった「天城心中:天国へ結ぶ恋」のことである。

あのニュースを聞いたのは、1957年のことだから、私がまだ中学生の頃のことだが、何故か鮮

明に覚えている。

多分それ(記憶)は、当事者の女性が、あの映画「ラスト・エンペラー」の、最後の皇帝(旧満州国

愛新覚薄儀の姪・愛新覚慧生であったことが衝撃的だったからであろうと思う。

『慧生の父・溥傑(薄儀の弟)は、政略で日本人:浩と結婚させられたもの「傀儡政権」』

「天国へ結ぶ恋」は、学習院大学の同級生である大久保武道と慧生が、学業を通じて出会い、恋

に落ちたことから始まる・・・純粋すぎる武道は、身分の違いや、他所に子供をもうけた父親の性

を良く思わず、自分の中にも父親と同じ血が流れていると嫌悪し、慧生を愛すれば愛するほど

、二人が結ばれることはないだろうと悩み、次第に追い詰められて死を意識するようになったよう

である。

結局そんな武道を、慧生は思い留まらせるようと説得したがかなわず、最後には「彼を一人で逝

かせる事は出来ない・・・」と心中を決意する。

1957・12・10、こんなどんよりとした冬空の下、天城山中において拳銃で若い二人が心中した

と云う衝撃的な(当時としては)事件である。

武道と慧生は死後50数年が経過する今も、山口県と青森県に離れ離れに祀られているという。

ただ、青森の武道の墓には慧生の名も刻まれ、それぞれの遺髪と爪は寄り添い続けていたとい

う。

              ~今日も良い一日でありますように~

 

 

 


~雨の清水参道~

2013-12-07 | 風景

久々に今年の紅葉は如何なものかと、安来市・清水(寺)詣でをしました。

昨夜来の雨で濡れた石畳の参道を、ゆっくりと登ってゆくと、途中で年配の

ご婦人が参道脇の谷川に散った、モミジの落ち葉を、何枚も何枚も撮影中

、「どちらからですか?」と、声を掛けると「O市からです。 あんまり綺麗な

もので・・・でも紅葉には少し時期が遅かった様で・・・」と大変残念そう。

確かに、赤いモミジはほとんど散った状態で、濡れた石畳にモミジの黄

が張り付き、これはこれで大変美しい。

参道を登り、境内の茶店のご婦人(店番の上品な奥さん)と話をしていると

、お参りの老夫婦と娘さん(50歳位か?)が、「北海道からまた来ました。 

主人が大病をしてお陰様で良くなったもので・・・お参りが済んだら立ち寄ら

せてもらいます・・・」とのこと、病み上がりのご主人も嬉しそう。

決して神仏にすがるのではなく、手を合わせることによって「病と闘う勇気と

元気」を貰われたのだろう。

            ~今日も元気で行きましょう~

          黒く濡れた石畳とモミジの対比が美しい


~竹久夢二の美人画「黒船屋」~

2013-12-05 | その他

大正浪漫を代表する画家・竹久夢二の最高傑作と言われる、『黒船屋』の夢二美

を模写(模写と言っても鉛筆にパステル)してみました。

線が細く、伏し目がちで、潤う瞳の憂いを帯びた女性は、とても魅力的です。

実際に模写してみると、和服の美女に甘えるように身を委ねた黒猫が、な

とも象徴的かつ魅力的な作品となっていることを実感させられます。

 竹久夢二)

竹久夢二は、孤独な漂泊者として、その生涯を終えた画家であり詩人でもある。

女性・自然、そしてまた一冊の聖書の内に「癒し」を求める旅人であったともいえよう。

その足跡は、東北から九州まで広く、旅先で様々な絵を描き残している。

特に哀愁漂う古びた港や海、芸妓といった画題を愛し、絵や詩に書いている。

夢二が最も強くその足跡を残した金沢では、我が子の療養のために、最愛の妻:彦乃

達と共に、都会の喧騒を逃れて山里で暮らしたひとときは、おそらくは生涯において最

高の旅であったであろうと言われている。

夢二の心に安らぎを与え、良きモデルにもなった妻:彦乃は、夢二にとって 「永遠のひ

と」であり、この彦乃をモデルとして夢二の画風が確立されて行く。

自分を「河」そして妻:彦乃を「山」と呼び、夢二は特にその晩年、山の絵を好んで描い

ている。

最愛の女性を山の絵に託し、そこに終わることのない「永遠の縁」を求めようとしたの

だろう。

夢二の絵の、最大の特色は、いうまでもなく女性の絵に見られる。

いわゆる夢二式美人画は、細くしなやかな肉体、長い睫毛に囲まれた大きな瞳、物憂

げな表情、この妻:岸たまき(最初の妻)をモデルとして初めて誕生したもだと云われる。

こうして多くの美人画を描き続けながらも、夢二が自らの内に創り出した「理想の女性

美」を現実の女性の中に発見することができなかった。

夢二の描く女性像のすばらしさは、夢二が女性を描く時、単に外見の美しさだけでは

なく、内に隠された深い哀しみ、夢二自身の哀しみ、そして普遍的な人間の哀しみ

をも伝えようとしたところにあろう。

大正7、妻:彦乃は結核に倒れ入院するが、彦乃の父親によって面会を断たれ臨終に

立ち会うことは叶わなかった。

夢二が、後に歳を聞かれた際に・・・「私は37の年で死んだことになっているんです・・

・・彼女が25で、私が37で死んだのです」、つまり彦乃が死んだ時点で自分も死んで

しまった。と・・・・・・あとは「ただぼやんと、生きているだけさ・・・」と言ったという。

夢二に、ここまで告白させた「彦乃」という女性は、夢二にとってはまさに「永遠のひと」

であった。

そして、二人で訪れた金沢の湯涌は、いつまでも「懐し」の地として、夢二の胸に深く刻

みこまれていたのである。

(出典:金沢文化振興財団「金沢湯涌夢二館」)

           ~今日も元気で行きましょう~


 

 


♪白い灯台 潮風耐えて~

2013-12-04 | 風景

出雲大社の大遷宮の影響でしょうか ここ出雲日御碕灯台に足を運ぶ人も

多くなってきた様な気がします。

島根半島の最西端、岬の先の切り立つ断崖の岩場に、真っ青な日本海を望み

夕焼け空(青空)に、スクッと立つ石作り「白亜の灯台」、私のとても好きな景色

の一つで、時にはやって来てひと時を過ごします。

この灯台、美空ひばりの名曲「みだれ髪」の舞台となった、福島県いわき市・塩

屋崎の灯台によく似ていて、どちらも日本の灯台50選に選ばれています。

1903年の建設から、110年、今は保存灯台となっていますが、かつては映画「

喜びもしみも幾年月」のように、沖行く船の安全航路を指し示してきた灯台で、

何かしら哀愁さえ感じます・・・・・・

今日は、鉛筆で描きパステルで抑えめに色をつけて見ました。

   みだれ髪(歌:美空ひばり)

髪のみだれに 手をやれば

赤い蹴出(けだ)しが 風に舞う

憎や 恋しや 塩屋の岬

投げて届かぬ 想いの糸が

胸にからんで 涙をしぼる


この灯台にも「日御碕灯台」という歌があります。 

   日御碕灯台(歌:丘みどり)

白い灯台 潮風耐えて

誰を待つのか ただひとり

必ず帰ると言ったのは その場限りの嘘ですか

あなたに逢いたい 日御碕


         ~今日も良い一日でありますように~

 


~夜になると眠る可憐なムラサキカタバミの花~

2013-12-02 | 植物

可憐かつ華やかな彩りの「ムラサキカタバミ」の花が咲きだし始めました。

昨年、ブログUPした際、プランターに寄せ植えすれば一斉に開花してきれい

かも知れないと書きましたが、早速実行、今年はその花が2~3日前、最初の

一茎が背伸びして花を着けました。

これから次々と咲きつ継ぎ、きっと見栄えがするだろうと楽しみです。

昔々、観賞用にと海を渡って、南アメリカの原産地から旅してきたこの花、私は

ピンク(紫)色の、この「ムラサキカタバミ」しか知りませんが、黄・白など様々な

種類があり、今では日本全国にはびこって?います。

きっちりハート型の三つ葉?からこんなきれいな花が咲きますが、繁殖力が

ても強く、農家の方には少々敬遠気味の様です。

この花をよく観察してみると、3日間連続して規則正しく朝開き、約10時間

夕方には閉じ、また葉ぱも半分に折りたたみ就眠活動に入るから驚きです

(自然も神の創造物)

花名の由来は、就眠に入り葉が半分なくなる様に見えることから、片喰み~

喰:「カタバミ」となったと言うのが有力説のようです・・・面白い。

 今朝のムラサキカタバミ・・・朝が寒いので只今9時と言うのに、少々朝寝坊の様です