撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

コータウン路地

2021-08-02 00:02:17 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)


托鉢行列を見失った地点。写真左側の建物は



市場だった。入ってみようと思ったが時間の制約もあり路地を歩いて回る事にした。


強烈なニオイがするので行ってみたら

魚を売っていた。
ウイキペディア英語版その他によると、コータウンの漁船が獲る魚の多くは対岸のタイ ラノーンに安く買い叩かれ、コータウンにはあまり出回らないとの事で、これらの魚を獲っているのは航海術に長けた少数民族「サロン族」であるそうな。
この少数民族は日本では「モーケン族」と言われているが、タイ側にもいてタイでは ชาวเล「チャオレー族」と呼ばれ、独自の言語をもち海上の舟を棲家とする漂海民、海のジプシーともいわれる人々なのだ。
その人口は2,000人ほどで、現在も減り続けているとの事、民族のDNAを絶やさずにいてほしいと願ってやまない。



果物も売っていた。



お世辞にも清潔とは言い難い食堂もあって、逞しいミャンマーのおばちゃんたちが何か食べていた。


振り返ると緑色のモスクの屋根が見えたので、モスクのある通りに戻る事にした。

以下次号

コータウン 托鉢行列

2021-07-30 06:16:26 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)


コータウン時計塔から北に向かっていたら、侵入禁止の標識のそばに警察官が二人立っていた。
写真に写っている白上着で向こうを見ている人物とその右の黒制服の人物だ。これは何かあると待っていたら



程なくして南の坂から托鉢僧の一団が下りてきた。



邪魔にならぬ様離れて撮影



托鉢僧の列は北の方へ向かって行くので後をつけた。ちなみに托鉢行列が向かう前方左側には緑色の屋根のモスクが見えた。
仏教僧とモスクの取り合わせといった光景はタイ南部でも良く目にする。



最後尾には白い僧衣の4~5歳くらいの男の子がいたが、ぐずっている様子で大人の僧があやしていた。
この男の子は筆者が後をつけているのに気付くと機嫌が良くなったのか、頻繁に振り返り、はにかんだ笑顔を見せてくれた。残念ながら振り向きの速度が素早すぎて写真を撮り損ねた。
この後一団は右折し、路地に入ったのだがオートバイと人ごみに遮られ、そこで一団を見失ってしまった。

あれから1年7か月、ミャンマーの軍事クーデターでは女性や子供まで犠牲になったと聞く。この子が無事でいてほしいと願う今日この頃である。

以下次号

コータウン時計塔 地図付き

2021-07-29 02:02:20 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)


イミグレを出てから見えた時計塔に至った。時計塔はロータリーの役割も果たしていた。



時計塔からイミグレを望む。位置的には時計塔から東、三角屋根が並んでいるあたりがイミグレ、そのすぐ向こうはクラブリ川河口部及びアンダマン海である。



時計塔を北から南に向かって眺めた。



南側には坂があった。



時計塔を南から北に向かって見てみた。時計塔から北の海岸にかけて繁華街を形成している様だった。

以下は時計塔の位置である。


次号に続く

コータウン ボッタクリ客引きに会わず

2021-07-27 04:05:26 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)


イミグレを無事通過し、9時28分 向こうに時計塔が見える通りに出た。



通りを



歩いてみたが、事前に情報を得ていたバイタクや観光ガイドと称する「ボッタクリの客引きに遭遇せず。
地球の歩き方にも、舟を降りた途端タカリのミャンマー人が寄ってきて云々という様な事が書いてあったがイミグレを出た所から至って平穏、仕方がないので30分のミャンマー滞在時間は歩いて散策する事にした。

以下次号

ミャンマー コータウン上陸 2019.11.18

2021-07-24 00:11:51 | ミャンマー連邦共和国
2019年11月18日(月)


いよいよミャンマーはコータウンに上陸である。



タイ時間9時22分、ミャンマーについに上陸。
8時47分に舟に乗ってから35分でミャンマーに着いた事になる。貸切でなかったらいつになったか判らぬであろう。往復600バーツ、邦貨訳2,200円はイタイ出費だが良しとした。

船頭に時間がないから30分で回ってこいと言われ、入国手続きを済ませ

9時28分 通りに出た。しかし何か事前の情報と違い少し肩透かしを食った気分だった。

以下次号

注:ミャンマーにおいてはご存じの通り本年2月1日 軍によるクーデターが勃発、軍や警察が民主化を求める市民を弾圧し、この7月までに900人以上が犠牲になっているという。
筆者が訪れた2019年11月当時は民主化も進み観光で収入増を狙って日本人の暫定ビザなし入国が可能となった時期で当時はまさかクーデターが起こるとは夢想だにしなかったのである。

こういった時期にミャンマー訪問記を吊るすのもどうかと思ったが、一時期は頻繁に報道されていたミャンマー情勢も最近では報道の頻度が極端に少なくなってきており、拙ブログを目にされる諸賢におかれては少しでもミャンマー情勢に関心を持って頂ければと思い、記事を吊るす次第である。