5月30日の益城町テント村報告会見は、テント村の設置に協力した岡山県総社市片岡市長、避難者の健康管理にあたったAMDA菅波代表が同席。野口健さんの尽力もさることながら、総社市の存在がいかに大きかったかがわかる会見だった。しかしながら、肝心なところが殆ど報道されていないので、今後のために少し紹介したい。
まず、テント村を作るためには、行政間同士の契約が成立しないと建てられない。テント村の設営は片岡市長の采配で益城町と決まった。そこで、総社市片岡市長と益城町西村町長の話し合いが行われた。すぐさま合意がなされたが、決め手となったのは車中泊の多さだった。場所は総合運動公園。片岡市長は会見で、「人口3万人の益城町で、武道館にも匹敵するような総合運動公園を貸してくれると言われた。これは西村町長のご英断だった」と述べておられる。さらに、合意の背景には、総社市独自の取り組みがあった。それは、総社市が東日本大震災後につくった「災害支援条例」、いわゆる地方版ODAだった。税金を使ってよそのまちを助けるには、市民に対してそれなりの理由がいる。姉妹縁組をしていないと職員は使えない。まさに今回、この条例が活躍したというわけだ。言い換えれば、この条例があったから、テント村ができたと言っていいだろう。(ちなみに、この条例が定める公金は年間一千万円。今回、テント村にかかった経費はおよそ800万円。これを運営に賛同した丸亀市や備前市など加盟団体で折半するという)
災害が発生した場合、従来(というか現在)の行政支援は「やどかり支援」といわれるもので、自治体は、被災した市や町が作っている避難所に入り込んで物資を搬入したり、医療チームを派遣したりする。ところが、今回は被災地と契約を結び、外部の人間が外部の物資を被災地に持ち込んで、建設、運営を行い避難所(テント村)をつくるという、日本初の支援手法が実現した。今後、南海トラフも懸念される中、テント村が、仮設住宅ができるまでの避難所のひとつとして活用できることが証明された。避難所のあり方は大きく前進したと思う。そして、「交渉さえ成立すれば、そして責任を持って建設、維持管理をするのであれば、この国の新しいルール(支援方法)として成り立つのではないか」という片岡市長の発言は、全国の自治体に向けて貴重な提言となった。ただ課題もある。今回は町の要請で閉村となってしまったが、これが長期間の運営となると経費は嵩む。片岡市長も予想以上にお金が掛かったと述べておられる。単独の自治体で運営するには負担が大きい。やはり、国全体で考えていかなければならないということだろう。災害はいつどこで起きるかわからない。これを機に、各自治体あるいは議会で議論が高まっていけばと思う。
(写真:片岡市長ブログより)
《動画》
・野口健さん 熊本県益城町テント村報告会見(日本記者クラブ 2016.5.30)
《参考》
・テント村記者会見(岡山県総社市 片岡市長ブログ 2016.5.30)
《関連記事》
・「テント村」避難の選択肢に 登山家野口健さん(熊本日日新聞 2016.5.30)
・益城町「テント村」が閉村 利用者、感謝と不安(熊本日日新聞 2016.5.31)
《追記》
唯一、条例のことについて触れている記事。
・ 社説:熊本テント村 経験を今後に生かそう(毎日新聞 2016.6.8)