僕の母は、実は俳人である。
地元ではそれなりに知られている存在だ。
その母が、妻の病気のことや入院と逝去、その後の僕ら家族のことは、一切俳句として発表していなかった。
一周忌にあたり、「いくつかは作っていたんだけど、どうしても主観的になって出来はイマイチなので外に出していなかった。でも一周忌だし、身内だけにお見せしようと思って・・・」とまとめてくれた。
82歳の父がパソコンで打ってくれて、参列者に配布した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
病棟は八階富士の夕焼くる(平19/5/23 S大学病院へ見舞う)
アネモネの開ききったり屈託へ(19/5/23 S大学病院)
病院を出づるなきがら五月闇(19/5/27逝く 五十歳と一ヶ月)
五月逝く一夜枕を並べけり
訃も喪また一字で足れり五月闇
白百合や五十路大事に罷りぬ(19/5/29通夜)
犬を飼う夢のまま逝く夏浅し
百合の香や長男喪主をつとめおり(19/5/30お弔い)
柩埋め尽くす夏菊幼な泣く
荼毘の扉を閉ざして梅雨のひたひたと
骨拾ふ重きしぐさや梅雨明り
打ち水を辿りて墓地を購(あがな)えり(19/6/30霊園にて)
白き布墓石を拭ふ涼あらた(19/9/02百か日法要・納骨)
佛壇の奥行浅く初明り(20/1/1)
亡き人のいつか在るごと年迎ふ
亡き人も一人と数ふ雑煮椀
青年の供華を振り振り冬麗(20/1/2墓参)
拭きゆける墓の眩しも二日晴れ
彼岸参り若き佛に花増やし(20/3/22墓参)
(一部省略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前にも書いているように、僕には俳句や和歌を愛でる才能がない。
だからどの句も、正確に理解出来ているわけではない。
しかし、母がこの一年どんな気持ちでいたのか、どんな思いで僕たち親子を見ていてくれたのかが、十分に理解できる。
皆さんにもじっくり読んでいただいて、その時々の情景を想い描いていただければ幸いである。
地元ではそれなりに知られている存在だ。
その母が、妻の病気のことや入院と逝去、その後の僕ら家族のことは、一切俳句として発表していなかった。
一周忌にあたり、「いくつかは作っていたんだけど、どうしても主観的になって出来はイマイチなので外に出していなかった。でも一周忌だし、身内だけにお見せしようと思って・・・」とまとめてくれた。
82歳の父がパソコンで打ってくれて、参列者に配布した。
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病棟は八階富士の夕焼くる(平19/5/23 S大学病院へ見舞う)
アネモネの開ききったり屈託へ(19/5/23 S大学病院)
病院を出づるなきがら五月闇(19/5/27逝く 五十歳と一ヶ月)
五月逝く一夜枕を並べけり
訃も喪また一字で足れり五月闇
白百合や五十路大事に罷りぬ(19/5/29通夜)
犬を飼う夢のまま逝く夏浅し
百合の香や長男喪主をつとめおり(19/5/30お弔い)
柩埋め尽くす夏菊幼な泣く
荼毘の扉を閉ざして梅雨のひたひたと
骨拾ふ重きしぐさや梅雨明り
打ち水を辿りて墓地を購(あがな)えり(19/6/30霊園にて)
白き布墓石を拭ふ涼あらた(19/9/02百か日法要・納骨)
佛壇の奥行浅く初明り(20/1/1)
亡き人のいつか在るごと年迎ふ
亡き人も一人と数ふ雑煮椀
青年の供華を振り振り冬麗(20/1/2墓参)
拭きゆける墓の眩しも二日晴れ
彼岸参り若き佛に花増やし(20/3/22墓参)
(一部省略)
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前にも書いているように、僕には俳句や和歌を愛でる才能がない。
だからどの句も、正確に理解出来ているわけではない。
しかし、母がこの一年どんな気持ちでいたのか、どんな思いで僕たち親子を見ていてくれたのかが、十分に理解できる。
皆さんにもじっくり読んでいただいて、その時々の情景を想い描いていただければ幸いである。