呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

訳アリで山暮らしから都会に戻ったオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

呑む気オヤジの、読む!~小説「八日目の蝉」

2011-05-28 | 本の話
八日目の蝉 (中公文庫)
角田 光代
中央公論新社



♪「八日目の蝉」角田光代著 中公文庫

映画を観て、どうしても原作を読みたくなって、帰りに文庫を買った。いや、原作も期待に違わず面白かったし、ぐっと胸に迫ってきた。
小説(特に良く出来た本)を映画にすると、相当の確率で映画(映像)のほうがつまらなくなる。本を読んでから映画を観ると、がっかりすることが結構あるよね。また映画を観てから本を読むと、原作があまりにも素晴らしくて、映像なんて白々しく感じることも多い。
なんでだろうね。文章は詳細まで表現できるし、読み手が自分の経験に照らし合わせて場面をいろいろ想像できる。言ってみれば、自分の好きな都合のよい場面が想像できるわけだ。
反面、映像にすると、直接的には「目に映るもの」しか分からない。主人公の表情、風景、セリフの裏とか背景を想像しながら観るのは難しいし、それを観せるのも難しいんだろう。だから、映像化するのは大変なのかな。(何度か観直せば、分かるんだろうけど)

なんて、屁理屈はどうでも良い。
映像で観るより、文章のほうが主人公たちの感情が淡々と語られ、その分良く理解できる。先に映像を観ると、どうしても登場人物の顔が浮かんできてしまうのが玉にキズ?でも、それもまぁいいか。
映画の脚本が、ほぼ原作に忠実であることが良く分かった。登場人物のセリフも原作と大体同じ。でもラストが全然違う。これは賛否両論あるだろう。
もっとも、賛否両論は映画に対してであって、原作はあくまで「オリジナル」なのだから、論議の余地はない。僕は、多少出来過ぎだけど、原作のラストのほうがいいなぁ。もちろん、映画のこれまた多少唐突で、でもいろいろとこれからの未来の出来ごとを想像させるラストシーンもなかなか良い。
原作をある程度ガラッと変える脚本家や監督の勇気に感心するとともに、成功で良かった。普通はあまり変え過ぎると、批判の嵐になるからね。

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恒例の追伸
タイトル「八日目の蝉」とは、普通の蝉は7~8年という長い間地中にいて、やっと地上に出てきたと思ったら、たった7日間で死んでしまう。でも中には8日間生きる蝉もいる。8日間生きた蝉は幸せなのか?というテーマなんです。
このことはまた別途。



コメント (2)
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