ふろしき王子のブログ◎
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『二人のわたし』


昭和二十年代の終わりごろ、茨城県の霞ヶ浦は、
琵琶湖、秋田の八郎潟についで、全国第三の広さを誇る湖だった。
そのころは現在とは違って、水はひじょうに澄みわたっていた。

北岸の水郷地帯で生まれそだった葵(あおい)は、
水とひかりをいっぱい浴びて、高校生になっていた。
一帯は、いつでもカエルの歌が流れつづけ
縦横無尽の水路には、ヘビがすいすい泳いでいる。
子どもらは竹筒を沈めてウナギを捕らえると
黒自転車にカゴを重ねたおじさんに持っていって
小銭に替えてもらっていた。

「あおいちゃん、まだ風呂敷なんだ…でもこれは可愛い。」
「桃浦」駅から鹿島鉄道沿いに西へ自転車を漕いで、
石岡の高校に通っている。
まわりの生徒は大方、赤茶色の革のカバンであったが
彼女は木綿の風呂敷で、藍染めに麻の葉文様が刺し子されていた。
弁当箱をとっても、皆はアルマイトなのに
飴色に輝く、篠竹で編まれた年代物である。
入学して、夏の前にはすでに
彼女は「あおいドン」という愛称で親しまれていた。

いちめんの田んぼに、水路の巡る穏やかな風景であるが
その水面下では、無数のまるどじょうが獰猛にミジンコを追い回している。
葵の自宅はこの湿原の中、石垣の上に高床式の家であった。
家業は稲作のほか、蓮根、じゅん菜を栽培していて
祖父母はよしずも編んでいる。

「葵、草とり頼んでもいい?」
「あーいあーい」
寝室で制服を脱ぐと、短いふんどしをはいて
腰巻を巻く。胸は出したまま、
麦わら帽子をかぶって、田んぼへ向かった。
ひたひたと裸足で進み、いざ田へ踏み入れると
むむむと足が沈んで、腰まで泥に浸かった。

カエルの唄に合わせてハミングしながら、
稲とともに生きる、ヒエやミズアオイを抜いて取る。
背中にはカゴをしょって、スッポンの収穫に備えている。
ひと巡りして、葵はよっこら上がると、カゴと帽子を岸に置いた。
やおら二、三歩あるくと、水草がゆらめく水路に
とっぽーんと跳び込み、下半身の泥をあらい流した。
大きなカエル、ぴゅーーんと逃げた。

流れのちょいと先に、掘ったて小屋がある。
「かわや」と呼ばれている便所で、杉の丸太を組んで
よしずを囲んだだけのものだ。
床板にしゃがみ、すき間に用を足せば、
真下で泳ぐ鯉がまたたく間に喰らってしまう。
清潔で合理的なシステムであった。
葵の幼いころから、ここに一匹の緋鯉が居着いている。
「悪いね!よろしく~」
用足しのたびに、彼女は鯉にひと声かけた。
鮮やかな緋色をきらめかせて、今はかなりの大きさに成っている。

時期はちょうど、戦後復興期。
周囲の山からも古木大木が伐り出され、
葵の父親もちょこちょこと手伝いに行っている。
夏休みも明けて、空は無数の赤トンボに覆われた。
それを追うのはムクドリの群れ。
「今度うちが建つのよ!」
同級生の話を聞きながらぱりぱりと、葵は弁当のおかず
イナゴの佃煮をかんでいた。

9月半ばに稲刈りを終えて、台風を迎える。
今年はいつにない荒天となった。
葵の家は、洪水に備えて家財を梁に吊るす。
家族は心配したが彼女はこの日も登校した。
昼前には風雨が増して、結局学校は早じまいになった。
獰猛な風雨の中、自転車は学校に置き、まくれないよう
スカートにひもを巻いて線路沿いを歩きつづける。
傘はぶんと折れて、またたく間に全身びしょ濡れ。
「葵、まだかしら・・・」

濡れた靴を持って一歩一歩、びちゃびちゃと葵は向かった。
「フ~、フ~」
川は増水し、かなり大きい岩まで転がっている。
ぬめる橋を慎重に渡り終えて、ようやく自宅が見えた。
「はぁぁ・・・うわつ!っ」
まだ現役の夏草に足が滑って、葵は水路に転倒してしまった。_

スカートにひもが巻いてあるため、脚がうまく動かせない。
水の勢いでどんどん流されていく。
「うるああっ!」
かわやの丸柱を何とかつかんだ。
ひもをほどいて登りたいが、手が離せない。
猛烈な風雨が顔面を直撃する。
「おーーーーーい、おーーーーーい」
声は届くのか。
(この以上増水すれば流される!)

そのとき、葵の体が浮き上がった。
「あれっ?」
お腹を見ると、下に緋色の大きな存在。
居着きの鯉が、流れに逆らいながら
葵の体を持ち上げようとしていた。
(いまだっ)
彼女は思い切って片手を離し、太もものひもをほどいた。
そして、柱をしっかりつかむと、足を上げ
よしずのはためく便所小屋へ登っていった。
「ハーあ、ハーあ」

下を覗くと、緋鯉は濁り水に消えていった。
なんとか無事に帰宅する。
「葵~!大丈夫か?」
午後には橋も崩落し、家は床上まで浸水。
吊るした小舟を部屋に下ろし、その中で家族はひと晩を過ごした。

翌朝はさわやかに晴れ渡り、水は茶色いがぐんと引いていた。
葵は急いでかわやに向かい、穴を覗きこむが
緋鯉は見当たらなかった。
「おーい」
徐々にカエルも合唱再開。
葵が用を足したときも、やっぱり鯉は来なかった。
慣れ親しんだ緋鯉のつぶらな瞳を思い出し、
そして命を助けてもらった感謝で、
葵はしゃがみながら涙を落とした。

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『池のほとりで』

高校時代、よく一緒にゲームセンターに通った男が結婚した。
上野にある「池の端文化会館」で、小雨の中でジューンブライドを挙げた。
この式場はださいという先入観があったが、意外にすてきで、スタッフも親切だった。
五年ぶりに顔を合わせた同級生。女子らはすっかり大人の女性でびっくり。
二次会は若者だけで騒ぎ、三次会には新郎新婦は参加せず
いくつかの店へと分かれていったようだ。

雨はしとしと降っていたが、風は生ぬるかった。
僕が参加したグループは、当時からもペットの小鳥について語り合うような
静かな面々であった。
プロントで黒いビールをすすりつつ、ジャーマンポテトをつついて
それぞれの社会人生活を報告。
就職をしていない者もあるが、かえって熱く人生を語っている。
「バイトとかけ持ちで大変だけど、この資格を取って切りひらいていきたい」
なんと、髪結いを修行しているという。

中に、高校時代からもおとなしい、聞き役だった小野さん。
彼女は現在、ヨガインストラクターをしているという。
「えっ、それじゃあ体めちゃ柔らかいの?」
「あ、まあ普通よりはそう」
当時、僕はその子とあまり話さなかったけれど、
たまに目が合うときがあって、その純粋な瞳に吸い込まれそうだった。
どんどん夜は更けて、一人一人減っていく。
僕は、小野さんがなぜかテーブルの縁に指さきを押し当てながら
左右になぞりつづけている仕草が氣になっていて、なるべく粘ることにした。
最後の三人で店を出たときは、十二時をとっくに過ぎていた。

快活な女性、大枝さんは
「んではね~」と手を振って、常磐線のホームへ走っていった。
僕と小野さんは同じ線に乗るのだが、表示板に「最終」とある。
周りの人々が駆け抜ける。
「小野さん、走ろう!」
彼女に呼びかけたものの、表情も変えずに
マイペースに、とことこと軽い早あし。
ホームに上がってみたら、ちょうど鉄道は
明日へ向かって出発した後だった。
「うわあ~…行ってしまった。。」

彼女はにこっと微笑んで言った。
「今日は土曜日だし、暖かいから何とかなるよ」
その落ちつき具合にムッときたが、
やや憧れていた小野さんと二人で取りのこされて、
心臓はどきどきと響いていた。
「とりあえず…駅を出なきゃ」
雨は少なくて、南風がすがすがしい。
なんとなく歩いて、上野公園に入って葉桜の並木みちを歩いた。
人はちらほらで、草からは虫の声が響いている。
緑いろの薫りの中で、ふいに小野さんから
杏仁豆富のような芳香が泳いできた。

会話はなく、すいすいと進んで噴水広場に着いた。
その先はうっそうと暗い雰囲氣なので、二人は脚をとめた。
「さあ、これからどうしようか…」
噴水は停まっていて、水面にさざ波が揺れる。
久しぶりに小野さんの顔を向くと、
白く曇った空の下、変わらぬ尊いお顔であった。
「徹夜するのはよくないよ、夜はちゃんと寝ナイト。」
「漫画喫茶とか、カラオケとか?」
「かえって疲れるよ」
「…とりあえずま、公園をおりよう」

上野駅公園口のテラスを進み階段を下ると、
まだ賑々しい週末の夜。
「ビジネスホテル、とかかな・・・」
僕は独りごとのようにつぶやき、二人で線路づたいを歩いていった。
やがて辺りはしんとしてきて、小野さんの方をちらりと向いたら、
彼女も同時にこちらを向いた。
「んん?」
赤い傘の中で、薄紅色に映えてるほっぺたと
青いほど深い瞳は、じつにかけがえのない今。
「大丈夫?疲れてない?」
「私はへいきよ」

歩き歩きていくと、いつの間にか周囲にネオンが目立ってきた。
「ラブホテル街だっ!」
臆することなく口にした小野さんに、
僕は緊張して、「ウン」と小さく応えた。
不意に折しも、おばさんが道路をななめに横切って近づいてきた。
「お二人さん!部屋あるよ。安くするよ~」客引きのようだ。
「えっ…」僕が横を向くと、小野さんは無邪氣に微笑んだ。
「泊まっちゃおっか?」

広大な寛永寺の墓地と線路をはさんで、
鶯谷にはラブリーな旅館が林立している。
夜中に元氣な骨太のおばさんに付いていったら、
シャロムというホテルは満室、
近くのシャロムⅢも一杯で、ようやくシャロムⅡに入れた。

「わたしはね、こういうお店初めて」
平常心を保とうと、僕は鼻から腹式呼吸を繰り返している。
カギを回しドアを開けると、中の部屋は暖色のみかん色で、かつほの暗いムーディー仕掛けだ。
たまらない緊張を保ったまま、ぎこちなく行動し、二人はもちろん別々に
入浴や着替えをこなしていった。最後は、僕が転げ落ちるほど距離をあけてベッドに寝た。
いざという時にまじめになってしまう(育ちのよい???)僕は
結局朝まで、何のアクションを起こせなかったが、
果たしてこれでよかったのだろうか?
小野さんは耳を真っ赤にして寝ていて、その熱がこちらへじんじん伝わってきたからだ。_

翌朝、目がさめると見知らぬ天井でカーテンの外は薄明るい。
小野さんは既に起きて髪を解いている。
「おはよ~」
水筒のお茶をグラスに注いでくれた。
窓から上野の森が見える。
「まだ早いけど、朝の散歩に出ようか」

雨のやんだ静かな朝。路地を抜けて言問通りを進む手に引き出物。
「また上野に行こう」
線路が見えた角を曲がると、昨夜の道に戻った。
まだ陽は射さないが、雲間から青空が覗く。
健脚の小野さんだが、何となく淋しそうに見えた。
僕は歩きながら、彼女の手を握ってみた。

カラスのよく鳴く中、二人は無言のまま
しっかり手をつないでいた。
ところがしばらくして、余りの熱さにとうとう手を離し、
お互いに顔を合わせて笑った。
「あっつ~~」

上野駅よりも手前で、長い坂を上がる。
すき通るような彼女の頬と微風にそよぐ黒髪は
この世のものとは思えなかった。
「おおーーー」
坂を上り切ると、樹々のこんもりふくらむ上野の森。
キジバトも歌っていて、今日は晴れそう。

葉桜の道を散歩しながら、僕は二人分の紙袋を持ち
小野さんは三毛猫を撮影したりしていた。
途中で右側の石階段を下りてみると、眼前に緑の海。
不忍池に広がる蓮の葉だった。
「すごーい」
葉っぱを動かすと、雨のしずくがぽぽろんと揺れる。

蓮を背にアジサイの花も咲く、とっておきのスポットを発見した。
「すごくすてきー」「小野さん、ここをバックに撮ってあげる」
二人は柵をまたいで入り、僕は
胸の鼓動を抑えながら丁寧に小野さんを撮った。

その姿に天使を見て、僕は妄想を抱いた。
実現は困難だが、惜しい!
「ああ~~~」
「どうしたの?」
「絶対無理だけど、思いついちゃった」
ぴかあとお日さまが差してきた。
「あの、冗談だけどさ、小野さんのヌードをここを撮ったら
 世界一美しいと思ったの」

彼女は目を見ひらくと、いたずらそうな笑みを浮かべて
「いいよ!」
マサカッと思いながらも僕は周りを見渡した。今しかない!

「はいっ」小野さんの声に
胸に太鼓を打ち鳴らして振り返ると、
上半身をはだけた彼女が手ブラしている。
「あ、じゃ、撮るから!せーの」「っ☆」
すばやく元に戻り、はしゃぎながら二人は駆け出した。

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