『青沙伝』
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
田植え前にれんげは咲きほこり、
間をアマガエルがぴょんぴょん跳ねる。
夏前に甘酸っぱく実るヤマモモの樹の上に、
あどけない十一の娘、杏花(シンホア)が昼寝ちゅう。
清の時代、実権は西太后にあった光緒四年(一八七九)。
長江と漢水の合わさる田園地帯の話である(現・湖南省武漢)。
薬草をはこぶモン族の行商から取りよせた、
目にもすずしげな水色の衣を着た杏花が木から跳びおりると
薄桃色の腰巻がぴんと張った。
汗と泥にまみれた田植えの後は、水草ゆらめく裏の沼に浸かる。
もじょもじょとおたまじゃくしも揺れる。
脚をいっぱいひらいて、仰むけにゆらゆら浮かんで空を見る。
草が薫りたち、稲もぐんぐん伸びる夏の日は、
お粥を米麹でかもした、甘く酸っぱいジュースを飲んだ。
蓮の花ひらく朝、イグサの上で目覚めた杏花は、
足元にまるいものが転がっていることに氣づいた。
白い卵で、まわりには鮮血が付いている。
まさかと思って股を触れたら、指先も紅に染まった。
(…まさか、私がタマゴを産んだの?)
何が何だか分からないが、捨てるのもはばかられる。
杏花は納屋に入って、積まれたもみがらの中にやさしくうずめておいた。
そんなことも忘れかけたころ、風のぬるい夏の午後、
友三人で連れ立ち七湖という湖に来た。
小舟を借りてやや漕ぎ進み、男は裸、女らは腰巻のみで浅瀬に飛びこむ。
底の砂がきらきら舞って、すぐに沈む。
瑠璃色の二枚貝を採りにきたのだ。
もっとも、すぐに水をかけあって騒ぎはじめた。
稲刈りの前日、杏花はいつものヤマモモの樹から
こがね色の田園を眺めた。
すると、聞き慣れぬ声がどこからかする。
(蛙に似ているが、何か違う)
耳をすまし、木から降りて、たどってみたら納屋の中だった。
「あああ!これはいったい誰だろう?」
もみがらの山の上に、河童のような緑色の赤子が鳴いている。
(あのときの卵から孵ったのか…それじゃあ私の子ども?)
相談する相手もいなくて、杏花は水がめの底にマコモを敷きつめて
その中で育てることに決めた。河童には碧(ピー)と名づけた。
稲刈りでは、いなごがたくさん捕れる。
時おり納屋を訪れて、「碧、ごはんよ」
いなごをたらふく食わせ、お茶を飲ませた。
冬になると、わらを編んだムシロでぐるりとかめを囲んだ。
熱い粥をふうふうすすりながら、杏花は毛の無い子どもを案じる。
そして春、碧は無事育っていて、今日は沼に連れてきた。
水草にくすぐられながら、碧の手を引いて泳ぐと、おたまじゃくしもついてくる。
すぐに碧は泳ぎを体得し、どこかへ消えたと思えば
かるがもの卵を盗んできて、飲みこんだ。
夏は蒸し暑い。トマトのように胸がふくらみ、
それでも腰巻一枚で、杏花は碧を連れて七湖に来た。
積み上がった貝で小舟は沈みそう。仕方なくいくらか返した。
空は高く、北の馬も肥える季節。
稲刈り前日、碧は満一才を迎えた。
杏花はお祝いに、甘いもち米を詰めた月餅を焼いたが、
碧はひと口かじると出してしまった。
このころにはもう、碧は長江下流の上海までひと泳ぎして、
たくさんの魚介と、ときには川底で拾った宝石までも
網に入れて持ってきた。
その年の暮れ、碧はもみがらに潜って冬眠した。
光緒六年(一八八一)春、すやすやと眠る杏花の枕元に
紅く澄んだルビーのネックレスを置いたまま、碧は帰ってこなかった。
(野生に帰ってしまったのだろうか…)
杏花の胸もこんもりふくらみ、この夏からは布で支えるようになった。
その間に、ルビーが紅く光る。
一年後、杏花が十四になった春に大雨がつづき、長江があふれ出した。
両親と祖父母の四人で小舟は満杯。
「私は大丈夫よ!」
杏花は屋根をつたい、ヤマモモの樹に登った。
家々はみるみる沈み、氾濫の激しさでとうとう幹も折れた。
「わああ~~~」
杏花は水に落ち、樹につかまったまま流されていく。
しばらく進むと、(えっ、あれは何?)
下流のからしぶきが上がり、猛々しい者が向かってくる。
地元で猪婆龍と呼ばれるワニ(ヨウスコウワニ)だった。
日ごろはおとなしいものだが、この増水で氣がふれている。
(あいつに捕まったら、やられる…)
それでも身動きがとれない杏花が覚悟をきめたとき、
ワニの背後から、青緑色の何者かが跳びかかった。
「…碧じゃない!?」
別れてからずいぶんたつが、雄雄しく成長した息子が
激烈な猪婆龍とがむしゃらにたたかう。
「碧、がんばれっ!!」杏花はそのまま流された。
皆が避難した高台の上、杏花も船に助けられていた。
見渡す限りの水を眺め、一遍の詩をうたう。
川はこんなにあふれ、空よりも広い
泥に染まった服も、きみに笑ってほしい
ルビーだけは、紅く光る
あなたと私の血のように
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