ふろしき王子のブログ◎
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無関心とは罪なようでも、人の誘いに乗るほど受け身であって、
拒む行為にも多くの能動がひそんでる。

誰かに乗せられたまま、つられて同じことを繰り返すなら、
受け身どころかロボットじゃないか。

胸の振幅激しい人は、大地に立脚していない。
そのレベルの感情でたかをくくっちまっている。

感じなくとも動くところに生命の本意がある。

見え透ける散弾銃に揺さぶられず、小静かで永遠たる
独りぼっちのやさしさにならうのだ。

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よく立っている人はげんきで、座ってばかりいると
楽でもげんきは減っていく。

生きるとは重力との折り合いだ。
重力を利用して人生を形づくりながらも、
やがて重力に抗えず、死を迎える。

もしも重力が半分だったら、心身かろやかにぽーんと跳ねて
自然とほほえみのこぼれるだろう。
そして、体も垂れず若いままで、
寿命がずっと伸びる。

だけど、この重力あってこその人情や文化が生まれたのだね。

ともあれ、なるべく立って生きるんだ。
眠るときは寝転ぶのだから、目覚めているうちは
何もしなくてよいから、立つのじゃ。

立てば位置エネルギーにより、重力を利用して
動くことができる。

動けば場が変わるから、自然と手足も頭も変化する。

その場に応じた、いのちのダンスの発生だ。

立ったから、何もかもが生まれた。
それは泉のごとく下から上へとジャンプして
空を見上げながらも、下へ下へと流される。
魚のようにぴょんぴょん跳ねて遊びながら、
死という新生をめざすのだ。

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アリでも蚊でも、酸化した物質をエサにする。
酸化とは壊れている状態でもあるから、内部の匂いが発せられる。

弱っていたり、疲れていたり、ピークを過ぎて熟れていたりで
そこから漏れる酸化の香りに寄って、分解しに行く掃除屋だ。

けれどアリは、その場では食べない。
かじり取り、吸いとって、必ず巣へと運ぶ。

そして、家族みんな揃ってから「イタダキマース」と食べるが、
そのときに欠員があれば、探しに行く。

そもそも仲間の酸っぱい死臭にも敏感だから、あれば辿って、
どこかで事故などで行き倒れた仲間はきちんと巣まではこび、
遺骸供養室で弔う。

死して名を残す、ではなく蜂やアリは一族の存続を第一に、
死して巣をのこす意氣概があるが、それでも巣自体が
ニンゲン様等によりぶち壊されてしまえば、

血族を繋ぐために新しい巣を造りはじめる。

これって、癌という症状とも似ている。

蟻がガンウイルス。
蟻の巣がガン細胞。

蟻を殺しても巣からは新たな構成員が誕生し、
巣を壊しても、亡命アリが新たな巣を建設する。
癌ではそれを転移と呼ぶ。

蟻がもっとも困るのは、餌がないことだ。

その環境に餌がなければ滅びるので、はるか彼方まで大移動しなければ
ならないし、癌ウイルスの場合は、ばいばいと必然的に消える。

ウイルスにとって餌とは何か。
ウイルスは蛋白質でできている。
ワクチンの培養も、溶き卵や肉汁が使われるという。

人体も蛋白質でできている。

しかし、冒頭で書いたように、酸化してくたびれた部分しか
餌とは認識できない。

癌になるから弱るのではなく、先に弱ってきたところを
嗅ぎつけて、ウイルスが寄生し、癌細胞という城、拠点をつくるのだ。

だから、身も蓋もない極論かもしれないが、健康を保持、制御できていれば癌にならないという… 

癌細胞というただの城を壊そうとするのではなく、
住人であるウイルスを兵糧攻めにすることが自然な解決で、

住む人がいなくなると、城は通常の民家へとリフォームされて
ふたたび泰平の時代へ落ち着く。

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