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昨日、小平市の夢塾で風呂敷の藍染めとむすび方教室がありました。
今日はそのときお世話になったスタッフの方と、横濱で研修。

午前中に、名建築や庭園を眺め観られる三渓園へ。

午後は、満洲民族のシャーマンの記録映画を、
同じく横濱のシネマジャックべティで鑑る予定。

昨日は荷物運んだり絞ったりでくたくたで帰宅し、
例のごとく夕食後のまにまに床に寝落ちました。
しかし今日の横濱行は9時に根岸驛に待ち合わせなので
ジャッと疲れをとって早起きするために
3時くらいに入浴し、ちゃんと蒲団で寝ました。

朝、植物への水やりや昨日の荷物を急いで片付け出発。
傘を忘れました。

横濱も海辺も、土地として好きな処なので
どんな旅となるかな。

満洲といえば、チャイナドレスも元は満洲の民族衣装です。
左右のスリット(切れ込み)は、脚をひらいて
馬に乗りやすくなっている。
満洲は狩猟民族なので、さらに元をたどれば
モンゴルの遊牧民の服へつながるでしょう。
寒風の吹きこまぬよう、襟はぴたっと閉じるかたち。
夏の湿度対策が前提で、何事も風通しをよくする
日本文化とは必要が異なります。

また、北へ行くほど米から麦へ変わるイメージがありますが、
北京や西安は乾燥地で小麦の麺なりマントウ、チャオズでも、
より北の満洲は川や湿地も多くて、稲作が盛ん。

とはいえ、やはり北方で平均的に寒いため、工業に向いた土地ではあります。

僕は古い蚊帳の生地を風呂敷にしたことがありますが、
その蚊帳のタグには『昭和十六年 満洲國製 リンネット』とありました。

一般的な大麻草ではなく、亜麻(リネン)製の蚊帳のようで、
確かに柔らかめの手触りでしたが、
今に至って健在なわけで、製品の質はよかったといえます。

日本は満洲より撤退したわけですが、その間に満洲民族自身の
民族意識や独立心は育たなかったのか、インドネシアのように
残留旧日本軍による助太刀が無かったためか、
故郷の地で、満洲國を自分たちで創っていこうという
大きなロコモーションもなく、ソ連の占領を経たのち
漢民族の中国共産党に吸収される形となりました。

漢民族にとって、満洲族は清の時代の支配者であり
少なからず恨みもあります。

だから、立場が逆転すると迫害や略奪もありますから、
満洲族であることを隠すため、ほとんどの人が漢族風の名前に改めました。
例:愛新覚羅→金

ちなみに金は、清の前身の国でもありますから、
名字を一文字に変えたとて、その一字には様々な
思いが込められているでしょう。

あれから70年を経て、いまだ受け継がれつつも
風前の灯火ともいえる満洲族のシャーマンの伝承を記録した
映画『ロストマンチュリアサマン』
どんな体験や情動が響くかたのしみです。

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