スマホから打ちこんでおります。何か写真を入れてみんとしても、 リストに画像が表示されず、 わからない。まだまだぴよ子です。
こういうことは、若い人ほど 感覚的に操作できちゃうのだろう。 携帯ネイティブですね。
写真撮影はあたり前として、 動画を撮るのもきっとハードルは 存在しないはずだ。
子どものうちから空氣がごとく親しむと、 無意識のさじ加減が能う。 姿勢と呼吸と、生み出さるるものが 一致する。
そのうち日本にも、だんだんとまた 「風呂敷ネイティブ」が育ってくれば、 道具としての距離感が薄れて 個別の感性や身体感覚に根ざした 「手足としての風呂敷」という ステージへと進化されるだろう。
そうなってくると、より 皮膚感覚との共振が希求される。 主に視覚的な風呂敷単体の魅力から、 素材自体の機能性、表面的でない 色の味と深み、 からだとセットの使い勝手そのもの が問われると同時に、 個人の技加減が、使い勝手を左右する。
様々な結び方レシピを知っているか否か ではない。 もっともシンプルなお弁当つつみでも、 加減ひとつでレベルとラベルの 違いが生じる。 さながら、塩むすびが結び手によって 天地の差があるように。
真の個性は、結び方の新たしさではない。 同じことをやっても、否応なしに現出する、 ちょっとした全てのことだ。
雰囲氣をうみだすのは、細部の奥の、 ひとかけらのきらめきによる。
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