ふろしき王子のブログ◎
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庭で藍染めをしていますが、

寒い時期は藍を建てづらいので
今年も三月くらいからはじめようと思ってたら、ずっと寒い。
そして、この春四月を過ぎ、桜の開花に合わせて
うちの藍のバケツも再稼動をはじめました。

たまにかき混ぜたり、重曹水を加えてはいた。

友達から頼まれていた前かけを製作中です。

はじめ、木綿でよいと言われていましたが
「前掛けは汚れるから、大あさがのいい。水分が溜まらないから臭わず清潔」
と言って、大あさに本藍染めという豪華な組み合わせです。

文字を白抜きするために、ろうけつ染め(溶かしたロウを塗った所は染まらない)をしましたが
二重の麻布がロウをよく吸い込むのもあってか、白抜きの部分がやや水色に染まってしまった。
これを防ぐには、ロウを重ね塗りして、手堅くてかてかと覆っておけばよいです。

しかし、既に染まった所を白くするには「抜染(ばっせん)」といって薬剤を塗ればできなくはないが
染まった所を薬品で脱色するのは氣がすすまない。
仕方なく、再び文字の上にロウを塗って染め直し、
周りを濃くすることで字をはっきりとさせた。
あとは、白い糸で文字の上をくしゃくしゃと刺繍して、何とか白く見せる。

このように染めは、後戻りがしづらいのではじめが肝腎ですね。

ロウけち染めのポイントは、電熱器で温めながら、熱いロウで描くことで
布の奥まで染み込ませることと、さらに重ね塗りすること。
裏側も染め抜きたければ、裏からも塗ります。

また、何度か染めるとき、絞ってしまうとロウにひびが入るので
藍染にしても、カメから上げたらそのままぽたぽたと藍液をカメに垂らしたまま
風に当てておき、しずくが落ちなくなったらまたそのまま浸ける、という作業になります。

僕は普段は、染めたものは空氣にさらしておかずに水に入れてざぶざぶして、
水の中の酸素で青くしていますが、ロウけつの場合は絞れないので空氣です。

染料店では、ろうけつ用のワックスとして、白いロウが売っていますが
僕はミツロウもおすすめです。ミツロウは粘りがあるのでひびが入りにくいのと、
染めた後に熱湯で浮かせたロウを冷ましたら、かき集めて再利用するのに
蜜ろうの方が生命力?があって使いやすい感じだからです。
また、はじめに一氣にコンロで溶かすとき、蜜ろうだと煙も甘い香りで、
体に悪そうではないので氣が楽です。
もちろん、火の取り扱いには要注意で、電熱器も相当熱くなるので、電源を切った後も
しばらく冷ますことが大切です。

布に付いたロウを熱湯で取り除くのがひと手間といわれていますが、
まずロウ専用の寸胴鍋を用意して、湯を沸かします。布が入るので、水の量は半分くらいでよいです。
沸騰までしなくても、かなり熱くなればロウは溶けます。
布を入れるとロウが油のように浮いてきます。
ここにちょいと水を加えて、少しだけ固まらせたものを
観賞魚用の細かいアミですくうと取れます。

それでもまだ布の各所に根深く残っているので、ハシで布を動かしながらロウを浮かせます。
冷めてきたら、再びコンロにかけて熱します。
三度ほどそういう作業をするとだいたい取れます。

藍染だけにしても、ロウで描くにしても
カバンや洋服を作ってから染めると、かさばったりロウがすき間に入りこんだりと
作業がしづらいので、布だけを染めるほうがよいと思います。

長くなってしまいましたが、そんな感じで藍のろうけつ染めを大あさの布にしているので、
今年は服やふろしきに、いろんな模様なりを染め抜いてみたいと思います。

先日、自然派の人たちの間で人氣のあるブランドの服を、着なくなったからリメイクしてほしいと
頼まれていったんほどきましたが、たしかに布は風味があってよいのだけど
洋裁で作られてあるので、曲線ありのバラなパーツになってしまった。
僕は四角いままで作るので、それらを四角く裂いてからつなげて二枚の布にして、
古代の貫頭衣にしました。
洋裁は洋裁で、シルエット命で素晴らしいものだけれど、原点は動物の革であるから
やはり布は織ったままの四角を生かしたほうが、直しやすく、丈夫で長持ちもして
ふさわしいと思っています。

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こんばんは!

いつもこのブログをご覧くださりありがとうございます。

しかも最近は、謎の『物語』ばかり載せて、ふろしきと関係なく申し訳ありません。

3月末に初の著書『ふろしきで遊ぼう』が発売され、今後の広がりも楽しみにしている
今夜春の暖かいひと時です。

次回のふろしき講座は、国分寺から西武多摩湖線でひと駅の「一橋学園」駅目の前の
ハコギャラリーで開催されます。こないだ、ぶらり途中下車の旅でも紹介された
楽しくにぎやかな、箱貸しのギャラリーです。

このたびは、新しい結び方も色々ご披露いたしますので、
ふろしきがどれほど便利なのか、興味ある方はぜひご一緒しましょう。
参加の代金は1800円。4/21(土)の11:00~12:30です。
一橋学園駅南口改札正面のクリーニング屋の右の路地をすすんだ所です。

ご希望の方は、コメントまたはメール isamix@gmail.com まで
どうぞよろしくお願いします。

あなたと逢えるときを楽しみにしています。

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『青沙伝』

 春眠不覚暁
 処処聞啼鳥
 夜来風雨声
 花落知多少

田植え前にれんげは咲きほこり、
間をアマガエルがぴょんぴょん跳ねる。
夏前に甘酸っぱく実るヤマモモの樹の上に、
あどけない十一の娘、杏花(シンホア)が昼寝ちゅう。

清の時代、実権は西太后にあった光緒四年(一八七九)。
長江と漢水の合わさる田園地帯の話である(現・湖南省武漢)。

薬草をはこぶモン族の行商から取りよせた、
目にもすずしげな水色の衣を着た杏花が木から跳びおりると
薄桃色の腰巻がぴんと張った。

汗と泥にまみれた田植えの後は、水草ゆらめく裏の沼に浸かる。
もじょもじょとおたまじゃくしも揺れる。
脚をいっぱいひらいて、仰むけにゆらゆら浮かんで空を見る。

草が薫りたち、稲もぐんぐん伸びる夏の日は、
お粥を米麹でかもした、甘く酸っぱいジュースを飲んだ。
蓮の花ひらく朝、イグサの上で目覚めた杏花は、
足元にまるいものが転がっていることに氣づいた。
白い卵で、まわりには鮮血が付いている。
まさかと思って股を触れたら、指先も紅に染まった。
(…まさか、私がタマゴを産んだの?)
何が何だか分からないが、捨てるのもはばかられる。
杏花は納屋に入って、積まれたもみがらの中にやさしくうずめておいた。

そんなことも忘れかけたころ、風のぬるい夏の午後、
友三人で連れ立ち七湖という湖に来た。
小舟を借りてやや漕ぎ進み、男は裸、女らは腰巻のみで浅瀬に飛びこむ。
底の砂がきらきら舞って、すぐに沈む。
瑠璃色の二枚貝を採りにきたのだ。
もっとも、すぐに水をかけあって騒ぎはじめた。

稲刈りの前日、杏花はいつものヤマモモの樹から
こがね色の田園を眺めた。
すると、聞き慣れぬ声がどこからかする。
(蛙に似ているが、何か違う)
耳をすまし、木から降りて、たどってみたら納屋の中だった。

「あああ!これはいったい誰だろう?」
もみがらの山の上に、河童のような緑色の赤子が鳴いている。
(あのときの卵から孵ったのか…それじゃあ私の子ども?)
相談する相手もいなくて、杏花は水がめの底にマコモを敷きつめて
その中で育てることに決めた。河童には碧(ピー)と名づけた。

稲刈りでは、いなごがたくさん捕れる。
時おり納屋を訪れて、「碧、ごはんよ」
いなごをたらふく食わせ、お茶を飲ませた。

冬になると、わらを編んだムシロでぐるりとかめを囲んだ。
熱い粥をふうふうすすりながら、杏花は毛の無い子どもを案じる。
そして春、碧は無事育っていて、今日は沼に連れてきた。
水草にくすぐられながら、碧の手を引いて泳ぐと、おたまじゃくしもついてくる。
すぐに碧は泳ぎを体得し、どこかへ消えたと思えば
かるがもの卵を盗んできて、飲みこんだ。

夏は蒸し暑い。トマトのように胸がふくらみ、
それでも腰巻一枚で、杏花は碧を連れて七湖に来た。
積み上がった貝で小舟は沈みそう。仕方なくいくらか返した。

空は高く、北の馬も肥える季節。
稲刈り前日、碧は満一才を迎えた。
杏花はお祝いに、甘いもち米を詰めた月餅を焼いたが、
碧はひと口かじると出してしまった。
このころにはもう、碧は長江下流の上海までひと泳ぎして、
たくさんの魚介と、ときには川底で拾った宝石までも
網に入れて持ってきた。
その年の暮れ、碧はもみがらに潜って冬眠した。

光緒六年(一八八一)春、すやすやと眠る杏花の枕元に
紅く澄んだルビーのネックレスを置いたまま、碧は帰ってこなかった。
(野生に帰ってしまったのだろうか…)
杏花の胸もこんもりふくらみ、この夏からは布で支えるようになった。
その間に、ルビーが紅く光る。
一年後、杏花が十四になった春に大雨がつづき、長江があふれ出した。

両親と祖父母の四人で小舟は満杯。
「私は大丈夫よ!」
杏花は屋根をつたい、ヤマモモの樹に登った。
家々はみるみる沈み、氾濫の激しさでとうとう幹も折れた。
「わああ~~~」
杏花は水に落ち、樹につかまったまま流されていく。
しばらく進むと、(えっ、あれは何?)
下流のからしぶきが上がり、猛々しい者が向かってくる。
地元で猪婆龍と呼ばれるワニ(ヨウスコウワニ)だった。
日ごろはおとなしいものだが、この増水で氣がふれている。
(あいつに捕まったら、やられる…)
それでも身動きがとれない杏花が覚悟をきめたとき、
ワニの背後から、青緑色の何者かが跳びかかった。

「…碧じゃない!?」
別れてからずいぶんたつが、雄雄しく成長した息子が
激烈な猪婆龍とがむしゃらにたたかう。
「碧、がんばれっ!!」杏花はそのまま流された。

皆が避難した高台の上、杏花も船に助けられていた。
見渡す限りの水を眺め、一遍の詩をうたう。

 川はこんなにあふれ、空よりも広い
 泥に染まった服も、きみに笑ってほしい 
 ルビーだけは、紅く光る
 あなたと私の血のように

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『にわとり娘』

唐丸中学校の事務員の遥(はるか)は二十四才。
いつも緋色のジャージを着て、生徒からはニワトリ先生と呼ばれる。
飼育委員は存在するが、遥はすぐ近くの古アパートに暮らし
休日も鶏を見に来られるのと、何より彼女自身が大の生きもの好きなのであった。

透き通った瞳に眼鏡をかけて、太めの眉に、短めの髪。
生徒と間違えられることもある。
その垢抜けない雰囲氣を支えるのは、やはりいつものジャージ姿。

「コッコッコッコッ…」
鶏たちは遥になついているが、いつもと違う服では
いちいちパニックになるのだった。
もちろん他人では言うまでもない。
遥のジャージは、繊細すぎる鶏に対応した
やむをえないものだった。

「おーーけこっこぉーーーう」
鶏のこえで、毎日五時に起こされる。
それでも起きなければ、何度もしつこく鳴かれる。
鶏たちに監視されている氣分だが、ちょっぴり頼りにもしていた。
おっちょこちょいだが真面目な遥は、毎朝背中に光を浴びて、
菜っ葉にハコベに刻みつづける。指先にはいつも絆創膏。

今の鶏小屋は二十年前に建てられて、何度かペンキを塗り重ねたが
芯が腐ってもはや限界。台風や野獣に遭遇したら簡単に壊れそうだ。
そういったわけで、いよいよ新たな小屋を作ることになった。

「おはようございま~す」
土曜日の朝、まだ眠そうな遥があらわれた。
嘘みたいだけど、休日は鶏の鳴きはじめが遅い。
実は何でも知っていて、氣をつかっているのだろうか。
色々な作業着で集まったメンバーは、
音楽教師(男)、PTAの女性会長、用務員のおじさんに、遥。

大工仕事に長ずる者がなく、会議した結果
室外機にかぶせるような金網の囲いをホームセンターで購入し、
側面の半分に板を張って、上に波状の屋根を乗せるという構造にした。
ニワトリに刺激を与えないよう、新しい小屋を作ってから
古い方を解体する手順にした。

近所の子どもたちも集まってきた。
お昼前に基本の箱が出来上がり、スタッフは出前のラーメンを食べた。
そして、午後には全部完成した。
「なかなかいい感じ!」
ニワトリは、遥が一羽ずつ運んで竹のカゴをかぶせておいた。
今までの小屋がみるみるうちに壊されて、
子どもたちも片付けを手伝った。

新しくなった鶏小屋に、五羽の鳥が放される。
隅っこに重なって緊張する鶏たちを子どもが覗くと、
「ケッケッケッケッケ!!!」と奇声をあげる。
「みなさま、お疲れさまでした!」

静かな夜で、月はまるい。遥は銭湯で汗を流し、
ふかし芋と差し入れのいなり寿司を食べ終えると
寝ころがって漫画を読んでいた。
ふと、あることを思い出す。
(あれ…鶏に水をやったかな?)

急いでジャージに着替え、学校へ駆けた。
生垣から侵入すると、ほっぺたがこすれ葉っぱが落ちた。
既に夜も十時を過ぎている。
新築の鶏小屋が、たたずんでいる。
カギを二箇所はずしてそっと中に入った。
鶏たちは身を寄せ合って、ロフトの上に居てささやいている。
懐中電灯を照らせば、床には水入れが置かれていた。
水もひかっている。
(なんだ…ちゃんと入れてたんだ)
ほっとしながらドアを押すと、
「っん、あれ?」

外側からカギが戻ってしまったようで、閉じ込められた。
(どうしよう…大声を出せば鶏も騒ぎそうだし)
新らしい小屋を蹴やぶるわけにもいかない。
致し方なく、朝が来るのを待つことに決めた。

(ぶるぶるぶる…さむい)
遥が小屋の中で立ちすくんでいると、
顔の高さにいるニワトリたちが寄り集まってきた。
鳥の体温が感じられてあたたかい。
遥は鶏の方に向くと、手のひらを鳥のおなかの下に
すべり込ませて、何とか体を温めつづけた。

空のたかく澄んだ翌朝、散歩していたおばあさんが助けてくれた。
「ありがとうございます!たすかりました。」
この日からさらに、遥は鶏のことが愛おしくてたまらず、
校舎裏の落ち葉を掘ってミミズを集めたり、
ニワトリの写真を載せるブログも開設した。
しかし翌春に、思いがけない事件が起きたのだった。

新年度がはじまり、当番の生徒も変わった。
「先生!ちょっと来てくださいっ!」
遥は正確には先生ではないが、生徒からはそう呼ばれて
ちょっと誇らしかった。その外見は、
胸の大きさをのぞいては女生徒とたいして変わらない。

生徒と駆けて行ったら、けたたましく鶏が騒いでいる。
生徒たちも囲んで見ている。
ひと目で分かった。「アオダイショウじゃん。でも、何このお腹!」
卵を飲みこんだヘビは、体がいくつか盛り上がっている。
鶏たちは、網によじ登ってをばたばた混乱。

小屋から出られないでいるアオダイショウをつかんで
倉庫の裏に放すと、遥たちは侵入経路らしきすき間に板を詰めた。
これで一件落着、かと思ったけれど、その日から
四羽のめんどりたちは、卵を産まなくなってしまった。

「わあ~、元氣なとりたちですね!」
初夏のある午後、用務員のおじさんが
網の袋にニワトリ三羽を入れてきた。
毛色の違う鳥がふえるのに胸をおどり、
遥は歓声をあげたけど、彼も静かに告げられた。
「遥ちゃん、今いる鳥たちはつぶすよ…」

「えええっ!?」
彼女は一瞬耳をうたがう。生理中ではあったけど、
全身から血のひく思いがした。
確かに、この小屋に八羽は窮屈だし
みんなも卵を楽しみにしている。
反対できる雰囲氣ではなかった。

ご飯を水でほぐして皿に盛り、
最後のめんどりのエサにした。
昼休み、生徒たちが見学に集まる。
遥は鶏をやさしくなでつづけた。
「…ありがとう。。」
歯を食いしばって鶏の首をひねり、氣絶するまで押さえておく。
熱い涙がぽろぽろと止まらなかった。

こうして解体されためんどりたちは、
明日の給食の食材にされた。
遥は鶏たちの骨を集めて、樹の下に埋めて葬った。

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『ろまんの汗』

弱肉強食。
いくたびの戦慄を生きのこった中国大陸の人々は、
ときに野蛮なほどに、即物的な現世利益の獲得にかけているが…
二十一世紀を過ぎていまここに、新しい人種も登場している。
桃慧(トーフィー)というその乙女は十九才、吉林の人。

同じ国ではあるが、長春市で生まれそだった桃慧にとって、
上海は異国といってもよかった。
高層ビル群を見上げながら、うっすらと汗をにじませる。
(ハルビンのロシア建築のほうが優雅だと思う…)

上海は南国である。シャツをまくって腹を出して歩く男、
涼しげな、恥ずかしくなるほど軽装の娘っちが
何がしかのスイーツをなめている。
万里の長城を越えて、鉄道を乗り継いで三千里。
ヤマモモのマフィンにのどを鳴らした。
「あつぅ~」母のおさがり、青い馬乗り服は脱いでしまった。

上海駅の近く、蘇州河を南西方向へさかのぼると、
コンクリー打ちっぱなしの、蒸しあつい箱がある。
この春から桃慧の通う、上海美術大学だ。
生徒は垢抜けていて、化粧は今どき。
お嬢さま育ちなのか、脚も細くてすらっとしている。
桃慧は北の農家で育ち、体も小柄であるが
内ももがきゅんと締まって健脚だった。

「おまた!っっ」
海に面したベンチに、友達がようやっと40分遅れで着いた。
桃慧はシベリヤの風に吹かれて育ったため、
超マイペースな上海のリズムにきょとんとしつくしていたが、
ひと月経ったころには、いつでもカバンに本を備えて対応した。
美術大学の生徒は妙に理屈っぽく、メッセージのはっきりした作品をつくる。
桃慧は逆で、手のむくままに無心で製作をした。
「きみ、これは何を表現しているのかねぇ」
教授がたずねられると、桃慧は照れ笑い。
「う~ん。。万感たる思いが入っているのでしょうが…言葉にはできません」
周囲がくすくすと笑っている。
しかしもっともショックだったのは、上海の川であった。


「お父さん、これはどこの絵?」
満州の冬、花巻(ねじったマントウ)を揚げたものを
つまんでもぐもぐしながら、
七才のひとり娘、桃慧は指をさした。
美しい河が流れている。それは父が若いころに描いた上海の街。
両親はここ北の大地で、小麦と大豆を作っている。
母はロシアの血が混ざっていて、桃慧の目も奥二重に
青いひとみを灯していた。

農閑期はつららに窓を塞がれる極寒で、
娘は石灰岩の暖炉に腰かけて、お尻をあたためていた。
父はしずしずと、麻布のキャンバスに絵の具をのせる。
桃慧もいつの間にか絵を描くようになって、
高校を卒業すると、父の愛した上海へ向かったのであった。


学校にもちょっと慣れたきた初夏、
自転車通学の桃慧は蘇州川沿いを漕ぐ。
青い空に、臭う河。
(ビルを高くする前にさ、河をきれいにするのが本当の文明じゃないか)
上海の河を美しく描きたいが、まずはこの現実を何とかしたい。

「わいわい、がやがや」
にぎやかな学食でひとり、桃慧はフヨウハイをつついていた。
「河をきれいにするには…」
思案しつづけて、ご飯はさめてしまったが
ふと彼女は目を見ひらいた。
「似合わないことは、成り立たない!」

帰りみち、プールのあるホテルを訪ねた。
ポリエステルの水着が、花のように彩られている。
「これじゃあないな~」
海沿いをそのまま南へ漕いでいたら、知らない地域に入った。
旧城も近い、古い街なみが広がる。
(あれれれー?)
方角も見えない、網の目のような路地に迷いこんでいた。

「水着、水着、水着…」
呪文のように唱えながら、足にまかせてくねくねと入っていく。
おいしそうな風が流れてきた。たどっていくと、小さな店が連なっている。
「お姉さ~ん、どうですかあ?」
多様な服装の易者や道士が並んで、カナリアの美声も響いている。
ここは、占い師の集まる通りだ。

(聞くだけ聞いてみよう!)
桃慧は引き返して自転車を停めると、
占者たちを観察しながらゆっくり歩いた。
そのうちの一人に目に留まる。
平凡そうなおじさんだが、妙に安定感がある。
(この人は、魔人に違いない…)桃慧は直観した。
さっそく前の椅子に座ると、目的を告げた。
「…そのための、ふさわしい水着を探しているのです」

鳥たちも息を飲むなか、魔人が口をひらいた。
「手芸屋があるから、自分で作ったほうがいいよ」
「なるほど~!」

古びた手芸屋の入り口には、組みひもにたくさんの鈴が結ばれていた。
「ちりりりーん♪」奥からゆっくりと、白髪のおばあさんが出てきた。
「何か欲しいの?あなた」
桃慧が訳を話すと、老婆は奥に消えていった。
店内には丁寧に刺し子された布が飾られ、机の上には編みかけのレースが置かれている。
「あー、面倒くさい、面倒くさい」
何かを持って、おばあさんが戻ってきた。

こころ洗われるような、薄水色のシルクの反物が置かれた。
「わあ、これを水着にしたらすごい!…だけど高そう」

「これ…うんっ、あなたにあげるわ!」
「えええっ!!!」
「河を、よろしくね!」

翌日、風呂敷で巻いたシルクを持って学校へ行き、
服飾科に相談して旧館にある足踏みミシンを借りた。
「う~ん、このすてきな布を切るのはもったいない…」
端の処理だけして、四角い布のまま水着にできないものか。

帰宅後も、夜ふけまで水着の結び方を試行錯誤。
体をうごかして汗びっしょり、服を脱ぎすて裸になっていた。
なかなか決まらない。
(水に入ったら、はずれちゃいそう…)
部屋には、ふるさとの胡弓の民謡がながれている。
ふと壁を見やると、若いころの母が馬に乗っている写真。
桃慧が受け継いだ、スリットの大きい馬乗り服を着ていて
腰には帯を巻いている。長時間馬に揺られても、胃下垂にならないためである。

やっと霧が晴れた。
「帯…じゃなくて、そう、ひもを組み合わせよう!」
古アパートのランプが、いっぱしの水着すがたの桃慧を照らす。
「おしゃぁー☆」
自分へのご褒美に、エッグタルトをほおばった。

次の日曜日の朝、桃慧は近所のカナリアで目が覚めた。
「えっちらさっさー」準備体操をして家を出たら、
そこから野良猫が先導してくれた。
なぜか信号も次々と青にかわる。
桃慧は母の騎馬服を着ているが、ズボンを履いていないので
チャイナドレスの長袖版に見える。

(ついに来た!)
青い満州服を脱いで柵にかけると、
ぴょんと乗り越え、川の際に立った。
シルクの水着は薄水色で、白い肌はやや紅潮している。
(いくぞ!)

護岸の縁を蹴って、あかるい体がきらんと跳ねる。
そこから真下へ、とぽーーん落下。
「ブクブクブクッ…うへえ」
足裏がヘドロに触れると、また浮き上がってきた。

「汚いだろぉ~?おおーい」
橋の上から、通りがかりのおじさんが呼びかける。
水面ではたまらん臭いが漂うけれど、
桃慧は平泳ぎしながら微笑んでいた。
見物客が次第にふえて、声援をおくる者、あきれて眺める者、
観光客は写真を撮っている。
いよいよ、警察もやってきた。「そこで待ってなさい!」
小舟が近づいてくると、「人魚を捕らえないで!」
野次馬が盛り上がっている。

舟に引き上げられたとき、桃慧のシルクがちょっと下がって
片方の乳が覗いたが、手ばやく直し、岸にいる人たちに訴えた。

「私の泳ぐこの河が、汚ないわけはないでしょう☆」


一艘の小舟が、蘇州河を下っていく。
橋のらんかんにもたれながら、桃慧は半分乾いた髪を解いている。
「革命が、はじまるかな…」

この日彼女を見た人たちも、大多数は
ほどなく忘れてしまったが、ほんの数人だけ、
川に対する意識が変わった。
油を下水に流すのをやめて、川を目にするたび
美しくあれと願う。そして言いかえるのだ。
「あの娘の泳いだこの河が、汚ないわけがなぁーい!」

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『二人のわたし』


昭和二十年代の終わりごろ、茨城県の霞ヶ浦は、
琵琶湖、秋田の八郎潟についで、全国第三の広さを誇る湖だった。
そのころは現在とは違って、水はひじょうに澄みわたっていた。

北岸の水郷地帯で生まれそだった葵(あおい)は、
水とひかりをいっぱい浴びて、高校生になっていた。
一帯は、いつでもカエルの歌が流れつづけ
縦横無尽の水路には、ヘビがすいすい泳いでいる。
子どもらは竹筒を沈めてウナギを捕らえると
黒自転車にカゴを重ねたおじさんに持っていって
小銭に替えてもらっていた。

「あおいちゃん、まだ風呂敷なんだ…でもこれは可愛い。」
「桃浦」駅から鹿島鉄道沿いに西へ自転車を漕いで、
石岡の高校に通っている。
まわりの生徒は大方、赤茶色の革のカバンであったが
彼女は木綿の風呂敷で、藍染めに麻の葉文様が刺し子されていた。
弁当箱をとっても、皆はアルマイトなのに
飴色に輝く、篠竹で編まれた年代物である。
入学して、夏の前にはすでに
彼女は「あおいドン」という愛称で親しまれていた。

いちめんの田んぼに、水路の巡る穏やかな風景であるが
その水面下では、無数のまるどじょうが獰猛にミジンコを追い回している。
葵の自宅はこの湿原の中、石垣の上に高床式の家であった。
家業は稲作のほか、蓮根、じゅん菜を栽培していて
祖父母はよしずも編んでいる。

「葵、草とり頼んでもいい?」
「あーいあーい」
寝室で制服を脱ぐと、短いふんどしをはいて
腰巻を巻く。胸は出したまま、
麦わら帽子をかぶって、田んぼへ向かった。
ひたひたと裸足で進み、いざ田へ踏み入れると
むむむと足が沈んで、腰まで泥に浸かった。

カエルの唄に合わせてハミングしながら、
稲とともに生きる、ヒエやミズアオイを抜いて取る。
背中にはカゴをしょって、スッポンの収穫に備えている。
ひと巡りして、葵はよっこら上がると、カゴと帽子を岸に置いた。
やおら二、三歩あるくと、水草がゆらめく水路に
とっぽーんと跳び込み、下半身の泥をあらい流した。
大きなカエル、ぴゅーーんと逃げた。

流れのちょいと先に、掘ったて小屋がある。
「かわや」と呼ばれている便所で、杉の丸太を組んで
よしずを囲んだだけのものだ。
床板にしゃがみ、すき間に用を足せば、
真下で泳ぐ鯉がまたたく間に喰らってしまう。
清潔で合理的なシステムであった。
葵の幼いころから、ここに一匹の緋鯉が居着いている。
「悪いね!よろしく~」
用足しのたびに、彼女は鯉にひと声かけた。
鮮やかな緋色をきらめかせて、今はかなりの大きさに成っている。

時期はちょうど、戦後復興期。
周囲の山からも古木大木が伐り出され、
葵の父親もちょこちょこと手伝いに行っている。
夏休みも明けて、空は無数の赤トンボに覆われた。
それを追うのはムクドリの群れ。
「今度うちが建つのよ!」
同級生の話を聞きながらぱりぱりと、葵は弁当のおかず
イナゴの佃煮をかんでいた。

9月半ばに稲刈りを終えて、台風を迎える。
今年はいつにない荒天となった。
葵の家は、洪水に備えて家財を梁に吊るす。
家族は心配したが彼女はこの日も登校した。
昼前には風雨が増して、結局学校は早じまいになった。
獰猛な風雨の中、自転車は学校に置き、まくれないよう
スカートにひもを巻いて線路沿いを歩きつづける。
傘はぶんと折れて、またたく間に全身びしょ濡れ。
「葵、まだかしら・・・」

濡れた靴を持って一歩一歩、びちゃびちゃと葵は向かった。
「フ~、フ~」
川は増水し、かなり大きい岩まで転がっている。
ぬめる橋を慎重に渡り終えて、ようやく自宅が見えた。
「はぁぁ・・・うわつ!っ」
まだ現役の夏草に足が滑って、葵は水路に転倒してしまった。_

スカートにひもが巻いてあるため、脚がうまく動かせない。
水の勢いでどんどん流されていく。
「うるああっ!」
かわやの丸柱を何とかつかんだ。
ひもをほどいて登りたいが、手が離せない。
猛烈な風雨が顔面を直撃する。
「おーーーーーい、おーーーーーい」
声は届くのか。
(この以上増水すれば流される!)

そのとき、葵の体が浮き上がった。
「あれっ?」
お腹を見ると、下に緋色の大きな存在。
居着きの鯉が、流れに逆らいながら
葵の体を持ち上げようとしていた。
(いまだっ)
彼女は思い切って片手を離し、太もものひもをほどいた。
そして、柱をしっかりつかむと、足を上げ
よしずのはためく便所小屋へ登っていった。
「ハーあ、ハーあ」

下を覗くと、緋鯉は濁り水に消えていった。
なんとか無事に帰宅する。
「葵~!大丈夫か?」
午後には橋も崩落し、家は床上まで浸水。
吊るした小舟を部屋に下ろし、その中で家族はひと晩を過ごした。

翌朝はさわやかに晴れ渡り、水は茶色いがぐんと引いていた。
葵は急いでかわやに向かい、穴を覗きこむが
緋鯉は見当たらなかった。
「おーい」
徐々にカエルも合唱再開。
葵が用を足したときも、やっぱり鯉は来なかった。
慣れ親しんだ緋鯉のつぶらな瞳を思い出し、
そして命を助けてもらった感謝で、
葵はしゃがみながら涙を落とした。

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『池のほとりで』

高校時代、よく一緒にゲームセンターに通った男が結婚した。
上野にある「池の端文化会館」で、小雨の中でジューンブライドを挙げた。
この式場はださいという先入観があったが、意外にすてきで、スタッフも親切だった。
五年ぶりに顔を合わせた同級生。女子らはすっかり大人の女性でびっくり。
二次会は若者だけで騒ぎ、三次会には新郎新婦は参加せず
いくつかの店へと分かれていったようだ。

雨はしとしと降っていたが、風は生ぬるかった。
僕が参加したグループは、当時からもペットの小鳥について語り合うような
静かな面々であった。
プロントで黒いビールをすすりつつ、ジャーマンポテトをつついて
それぞれの社会人生活を報告。
就職をしていない者もあるが、かえって熱く人生を語っている。
「バイトとかけ持ちで大変だけど、この資格を取って切りひらいていきたい」
なんと、髪結いを修行しているという。

中に、高校時代からもおとなしい、聞き役だった小野さん。
彼女は現在、ヨガインストラクターをしているという。
「えっ、それじゃあ体めちゃ柔らかいの?」
「あ、まあ普通よりはそう」
当時、僕はその子とあまり話さなかったけれど、
たまに目が合うときがあって、その純粋な瞳に吸い込まれそうだった。
どんどん夜は更けて、一人一人減っていく。
僕は、小野さんがなぜかテーブルの縁に指さきを押し当てながら
左右になぞりつづけている仕草が氣になっていて、なるべく粘ることにした。
最後の三人で店を出たときは、十二時をとっくに過ぎていた。

快活な女性、大枝さんは
「んではね~」と手を振って、常磐線のホームへ走っていった。
僕と小野さんは同じ線に乗るのだが、表示板に「最終」とある。
周りの人々が駆け抜ける。
「小野さん、走ろう!」
彼女に呼びかけたものの、表情も変えずに
マイペースに、とことこと軽い早あし。
ホームに上がってみたら、ちょうど鉄道は
明日へ向かって出発した後だった。
「うわあ~…行ってしまった。。」

彼女はにこっと微笑んで言った。
「今日は土曜日だし、暖かいから何とかなるよ」
その落ちつき具合にムッときたが、
やや憧れていた小野さんと二人で取りのこされて、
心臓はどきどきと響いていた。
「とりあえず…駅を出なきゃ」
雨は少なくて、南風がすがすがしい。
なんとなく歩いて、上野公園に入って葉桜の並木みちを歩いた。
人はちらほらで、草からは虫の声が響いている。
緑いろの薫りの中で、ふいに小野さんから
杏仁豆富のような芳香が泳いできた。

会話はなく、すいすいと進んで噴水広場に着いた。
その先はうっそうと暗い雰囲氣なので、二人は脚をとめた。
「さあ、これからどうしようか…」
噴水は停まっていて、水面にさざ波が揺れる。
久しぶりに小野さんの顔を向くと、
白く曇った空の下、変わらぬ尊いお顔であった。
「徹夜するのはよくないよ、夜はちゃんと寝ナイト。」
「漫画喫茶とか、カラオケとか?」
「かえって疲れるよ」
「…とりあえずま、公園をおりよう」

上野駅公園口のテラスを進み階段を下ると、
まだ賑々しい週末の夜。
「ビジネスホテル、とかかな・・・」
僕は独りごとのようにつぶやき、二人で線路づたいを歩いていった。
やがて辺りはしんとしてきて、小野さんの方をちらりと向いたら、
彼女も同時にこちらを向いた。
「んん?」
赤い傘の中で、薄紅色に映えてるほっぺたと
青いほど深い瞳は、じつにかけがえのない今。
「大丈夫?疲れてない?」
「私はへいきよ」

歩き歩きていくと、いつの間にか周囲にネオンが目立ってきた。
「ラブホテル街だっ!」
臆することなく口にした小野さんに、
僕は緊張して、「ウン」と小さく応えた。
不意に折しも、おばさんが道路をななめに横切って近づいてきた。
「お二人さん!部屋あるよ。安くするよ~」客引きのようだ。
「えっ…」僕が横を向くと、小野さんは無邪氣に微笑んだ。
「泊まっちゃおっか?」

広大な寛永寺の墓地と線路をはさんで、
鶯谷にはラブリーな旅館が林立している。
夜中に元氣な骨太のおばさんに付いていったら、
シャロムというホテルは満室、
近くのシャロムⅢも一杯で、ようやくシャロムⅡに入れた。

「わたしはね、こういうお店初めて」
平常心を保とうと、僕は鼻から腹式呼吸を繰り返している。
カギを回しドアを開けると、中の部屋は暖色のみかん色で、かつほの暗いムーディー仕掛けだ。
たまらない緊張を保ったまま、ぎこちなく行動し、二人はもちろん別々に
入浴や着替えをこなしていった。最後は、僕が転げ落ちるほど距離をあけてベッドに寝た。
いざという時にまじめになってしまう(育ちのよい???)僕は
結局朝まで、何のアクションを起こせなかったが、
果たしてこれでよかったのだろうか?
小野さんは耳を真っ赤にして寝ていて、その熱がこちらへじんじん伝わってきたからだ。_

翌朝、目がさめると見知らぬ天井でカーテンの外は薄明るい。
小野さんは既に起きて髪を解いている。
「おはよ~」
水筒のお茶をグラスに注いでくれた。
窓から上野の森が見える。
「まだ早いけど、朝の散歩に出ようか」

雨のやんだ静かな朝。路地を抜けて言問通りを進む手に引き出物。
「また上野に行こう」
線路が見えた角を曲がると、昨夜の道に戻った。
まだ陽は射さないが、雲間から青空が覗く。
健脚の小野さんだが、何となく淋しそうに見えた。
僕は歩きながら、彼女の手を握ってみた。

カラスのよく鳴く中、二人は無言のまま
しっかり手をつないでいた。
ところがしばらくして、余りの熱さにとうとう手を離し、
お互いに顔を合わせて笑った。
「あっつ~~」

上野駅よりも手前で、長い坂を上がる。
すき通るような彼女の頬と微風にそよぐ黒髪は
この世のものとは思えなかった。
「おおーーー」
坂を上り切ると、樹々のこんもりふくらむ上野の森。
キジバトも歌っていて、今日は晴れそう。

葉桜の道を散歩しながら、僕は二人分の紙袋を持ち
小野さんは三毛猫を撮影したりしていた。
途中で右側の石階段を下りてみると、眼前に緑の海。
不忍池に広がる蓮の葉だった。
「すごーい」
葉っぱを動かすと、雨のしずくがぽぽろんと揺れる。

蓮を背にアジサイの花も咲く、とっておきのスポットを発見した。
「すごくすてきー」「小野さん、ここをバックに撮ってあげる」
二人は柵をまたいで入り、僕は
胸の鼓動を抑えながら丁寧に小野さんを撮った。

その姿に天使を見て、僕は妄想を抱いた。
実現は困難だが、惜しい!
「ああ~~~」
「どうしたの?」
「絶対無理だけど、思いついちゃった」
ぴかあとお日さまが差してきた。
「あの、冗談だけどさ、小野さんのヌードをここを撮ったら
 世界一美しいと思ったの」

彼女は目を見ひらくと、いたずらそうな笑みを浮かべて
「いいよ!」
マサカッと思いながらも僕は周りを見渡した。今しかない!

「はいっ」小野さんの声に
胸に太鼓を打ち鳴らして振り返ると、
上半身をはだけた彼女が手ブラしている。
「あ、じゃ、撮るから!せーの」「っ☆」
すばやく元に戻り、はしゃぎながら二人は駆け出した。

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『ひっとスポット』

日暮里駅北口の坂を上ったり下ったりすると、
谷中銀座の手前に、「夕焼けだんだん」という階段がある。
そこから西へ伸びる商店街の先から
きらきらきらと現われる夕陽に照らされる、人氣のスポットだ。
谷中には猫が多くて、この階段の途中にも、いつも数匹に逢える。

お寺に坂みち、曲がったみち。谷中を探訪する好き者は、
舗装も不確かな路地や玄関を覆う鉢植え、銅張りの古い店など
風情のあるものを探しにくるから、趣向にフィットする野良猫も格好の被写体だ。

お天氣の平日、明沙(みさ)は昼まえに日暮里駅に到着した。
お腹をぐうと鳴らし、駅内で売られていたアナゴ弁当にもそそられたが
道を歩いていけば何かにぶつかると信じて振り切った。
梅雨は過ぎて、駅から5分足らず歩くと汗がほんのり。
明沙はさきの春にコンピュータの学校を卒業した二十歳。
レースの軽やかな空豆色のワンピースに身をつつみ、
革のポーチを斜めに引っかけていた。

「にゃんこ、にゃんこ」
夕焼けだんだんにはやっぱり猫がおって
わかいカップルの足を停めていた。
近所の寿司屋からは甘辛いそよ風が漂う。
明沙も猫を見ると、カップルの彼女が話しかけてきた。
「すてきな服~」
「あ、ありがとうございます。自分でも大好きです」

明沙は神奈川の実家に暮らしながら、下着を手づくりしている。
今日も夕方前に、商品を鶯谷のランジェリショップに届ける予定だ。

「えー、この服はどこで買うんですか?」
「元の服はフリマで買って…レースは自分で付けました」
明沙は照れて目を細める。
「おおっ!すごい。あたしも欲しいかも…ね?」
隣の彼氏の顔を見る。
明沙は、服を送ってくれればレースを付けることはできると伝えて
名刺を渡した。
「魔法のランジェリー製作 Miisa」_

ようやく階段を下り終え、いざ谷中銀座へとつにゅう。
昨夜はほぼ徹夜で、起きてすぐこちらへ向かったが
無事に作り終えて頭はすっきり、そしてお腹もぐーぐー。
商店街には揚げたてコロッケなども充実しているが、
明沙はゆったりとお昼がしたかった。

ぽわんと歩きつづけて谷中銀座もゴールが見えてきた頃、
「すてきな服」女性の声がした。
横を向くと、美しいお姉さんが椅子に腰かけている。
道幅は広くないし、日中は車も通らないため
建物と道路の境はあいまい。
アジアらしいマイペースな時が流れる。

「あ、どうも。ありがとうございます!」
「私もレース好きだよ」
お姉さんは無邪氣ににやっとして
「こことかね」腰骨あたりをぽんぽんと打つ。
明沙は目を見ひらいた。
「もしかして、あの・・・下着とか?」
お姉さんが立ち上がると、
薄手の上着のスリットとズボンのすき間に
三角形の生肌が覗いた。

十分後、二人は店内にいた。
夕焼けだんだんを下りた谷中銀座の入口、
明沙は氣になりながらも通りすぎていたザクロというお店。
お姉さんもここで働いている。
絨毯の敷かれた床に座って食べるイラン・トルコ・ウズベキスタン料理は
新鮮な衝撃だったが、それよりもまず驚いたのは
紅い長じゅばん地の裂き織りというお姉さんとっておきのランジェリーは
明沙の手づくり商品と判明したからだ。

香り豊かで辛くはないカレーにナン、
油を敷いて炊いた香り米にピクルス。
途中からお姉さんはここの仕事にもどり、
明沙は重なる感動にうづきつつ夢中で食べつづけた。
店内は、ニ人でぼーっとする若いカップルや
水煙草をくゆらす年齢不詳のお兄さんが居て、
周りはベリーダンスの装飾品やラクダの人形など
異国情緒であふれている。

革のポーチからB5のノートを取りだし、
キャップをはめた鉛筆をつまんだまま
明沙は新しいランジェリーの素材や形を夢想した。
「濃紺のリネン地に・・・絹の手編みレースとか・・・」
いつしか時刻は十四時を過ぎている。
腰に巻くスパンコールの飾りをお土産に、明沙は店を後にした。

「ニャーオ、ニャアオ」
階段の途中、猫から声をかけられた。
ありふれたものとして普段は通りすぎているが、
今日のうれしい出逢いの記念にと明沙は猫を撮影し
駅南口の階段を下りて鶯谷へと向かった。
後日、この日の猫写真を添えた新しい名刺を作ると、そのお蔭なのか
「Miisaの魔法のランジェリー」は注文もふえてきた。

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『今年のたうえ』

雪解け水もぬるんで、庭のフキノトウも大きくなったころ、
虫鉢玉(ちゅうばち・たま)は中学二年を迎えた。

「みんな、いっぱい体をつかって、元氣に育ってください!」
担任は眼鏡をかけた若い男に変わった。
(まにあってるよ~…)玉は心でつぶやいた。
親の代から兼業農家で、彼女は田畑の手伝いのほか
味噌づくり、うどん打ち、毎朝の掃除などで
日々体を動かしつづけていた。

小麦の収穫を終えた畑に水を入れて、
彼女の家では周りに遅れて六月に田植えをおこなう。
父がトラクターで耕す前に、
生き物を愛する玉は、畑に住むものたちに避難をけしかけた。
おけら、はさみ虫、かなへび、こがね虫の幼虫を逃がす。

田植えの当日、土曜日は小雨が降っていた。
「炎天下よか楽じゃ」
レクリエーションも兼ねて、家族以外に玉の友達や
父のはたらく信用金庫の若いスタッフも参加する。

まわりに流れているのは、シュレーゲル青がえるの合唱。
母は家でごちそうをつくり、ばあばうどんを打つ。
じいじはぽーんと苗の束を投げる。
植え手は、父のほかはみんな女性。
「美肌にいいってよ、泥を塗ると」
おしゃべりしながらぴこぴこと植えすすむ。
レインコートにつなぎ姿、玉の同級生は
体そう着やキャラクターTシャツの古いのを着ていた。

「すごい、本物じゃん!」皆を圧倒したのは、
玉は先祖代々の農業に誇りを持っているのもあって
ばあばの若いころの、木綿の紺かすりの着物をきて
下には紅い腰巻さえ身につけているからだ。
(…ないしょだけど、パンツも履いてないのだ)
下から覗かれる状況ではないし、
周りは女性ばかりなので不安はない。
小雨は降りつづけ、たまにくしゃみも聞こえるが
泥の中はあったかい。そんな折に
「おおーい、先生さぁこんにちはあ!」_

植えのあまい苗を直していたじいじの声がすれば、
畦には自転車に乗った担任先生が来ていた。
いつもの眼鏡に加え、頭にはスゲ笠。
「せんせーえ、こんにちはあ」
「やってるね!」
教え子たちの勇姿を激励するが、
やはり和服の玉に目が留まる。
「先生あとで一緒にうどん食べましょうよ」

そのとき、カエルの歌が停止した。
「きゃあーっ!」
突然誰かが叫ぶと、みなも騒いでいる。
担任が近くへ寄ると、そこには小さなヘビがうねっていた。
「シマヘビは毒ないから大丈夫よ」

そう言って立ち上がった玉の雨に濡れた紅い腰巻が、
お尻の割れ目にぴったり沿っていた。
担任は目のやり場に困って笠を深々とかぶると、
畦上で自転車をくるりと回した。
「それではまた学校で!っ」

ヘビはどこかへ消えていた。
「うどん食わねぇのけ?」
じいじの勧めも丁重に断り、
すげ笠の担任は霧の中へすい込まれていった。
その光景をぼーっと見てた玉、
足をすべらせて泥の海にひっくり返った。

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