19世紀末に甲骨文字が発見され解読が進むと、幸が含まれる報ホウ・執シツ・圉ギョなどの幸は甲骨文字で手枷てかせ(手錠)に当たることが明らかになったため、幸も「手枷だけの刑罰ですむのは思いがけない幸せ」などという解釈が広がってしまった。何しろ[常用字解]や[字統]が手枷説なので私も疑うことなく、この説を載せていた。では、反省をこめて、[説文解字]は、幸せの意味をどんな字で、どういう意味付けをしていたのか。改めて調べました。
幸 コウ・さいわい・さち・しあわせ 干部
解字 篆文(説文解字)は、「夭(=夭折ヨウセツ。わかじに)+屰ギャク(さかさ)」の会意。意味は夭折ヨウセツ(若くして死ぬこと)の反対で、長生きすること。疫病や戦争で多くの人が亡くなる古代において人が長生きすることは「運がよかった」「さいわい(幸運)だった」という意。さらに転じて、しあわせ(幸福)の意味ともなる。字形は隷書(漢代)で、「犬+羊」や「大+羊」「土+羊」などの字が乱立するなか、楷書に至って幸の字が定着してきた。従って幸の字の意味は、篆文の「夭+屰ギャク」から解釈すべきである。
19世紀末になり甲骨文字が発見され解読が進むと、幸が含まれる報ホウ・執シツ・圉ギョなどの幸は甲骨文字で手枷てかせ(手錠)に当たることが明らかになったため、幸も「手枷だけの刑罰ですむのは思いがけない幸せ」などという解釈が広がってしまった。何しろ[常用字解]や[字統]が手枷説なので私も疑うことなく、この説を載せていた。
では、[説文解字]は、手枷の意味の字を、どう表現していたのだろうか。以下が手枷に当たる字の変遷である。
甲骨文は手枷の象形。金文から形が変わり、篆文(説文解字)では、上が大、下が𢆉の㚔ジョウという字になっている。この字が手枷にあたる字で、圉ギョや執シツの篆文では、㚔が描かれている。しかし、[説文解字]の著者・許慎は、この字が手枷であることは知らずに「大と𢆉に従う。大声なり」と説明している。甲骨文字が発見されるのは、その1800年後であるから、わからないのは当然といえる。因みに、南北朝時代の梁(543年頃)で編纂された漢字字典『玉篇』によれば、『「㚔」は「幸」とは別の字だったが、漢の時代以降「幸」と混同された』と説明している。特に、しあわせの意の「幸」の単独字は楷書になってようやく出現するほど頻度が低かった。
意味 (1)さいわい(幸い)。思いがけない幸運。(=倖)「僥幸ギョウコウ」 (2)さいわいに(幸いに)。「幸便コウビン」(ちょうどよいついで) (3)さち(幸)。しあわせ(幸せ)。「幸福コウフク」「幸甚コウジン」(非常な幸せ) (4)みゆき(幸)。天子のお出まし。「行幸ギョウコウ」「巡幸ジュンコウ」
イメージ
「思いがけないしあわせ」(幸・倖)
元の字は「手かせ」(圉)
音の変化 コウ:幸・倖 ギョ:圉
思いがけないしあわせ
倖 コウ・さいわい イ部
解字 「イ(ひと)+幸(思いがけない幸せ)」の会意形声。幸の原義は、思いがけない幸せの意。イ(人)を付けて原義を表した。
意味 (1)さいわい(倖い)。思いがけないしあわせ。「僥倖ギョウコウ」(偶然の幸運)「倖利コウリ」(思いがけない利益)「射倖心シャコウシン」(偶然の利益を得ようとする欲心。=射幸心) (3)気に入る。分をこえて愛される人。「倖臣コウシン」(お気に入りの家来)
手かせ
圉 ギョ・ゴ・ひとや 囗部
解字 甲骨文は「囗(かこい)+手枷また手枷を嵌められた人」の会意形声。手かせをして囲いに入れられること。字形は金文から囗の中が㚔になり、隷書から幸の字が出現し、現代字の圉になった。また、馭ギョ(馬をあやつる)に通じ、馬飼いをいう。
意味 (1)ひとや(圉)。罪人を入れておく所。牢獄。「囹圉レイギョ」(囹も圉も、牢屋の意) (2)馬飼 いの役人。「圉人ギョニン」「馬圉バギョ」(馬を飼う)
執 シツ <しっかりと捕まえる>
執 シツ・シュウ・とる 土部
解字 甲骨文は「手枷(てかせ)+両手を出してひざまずいた人」の形。両者を合わせた執は、坐って手を出している人の両手に手かせをはめ、しっかりと捕まえたさま。罪人をとらえるが原義。金文は手枷の形が変化し、第2字で篆文につながる㚔ジョウの字が出現し、篆文では両手を出した人が丮ケキになった。隷書第2字で執が出現し現代に引き継がれている。意味は、しっかりと罪人をとらえる意から、「とる・手にとる」、捕まえて放さないことから「こだわる・しつこい」意となる。
意味 (1)とる(執る)。手にとる。とり行う。「執刀シットウ」「執筆シッピツ」 (2)あつかう。つかさどる。「執事シツジ」 (3)こだわる。しつこい。「執念シュウネン」「固執コシツ・コシュウ」「執心シュウシン」
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「しっかりと捕まえる」(執・摯・蟄・鷙・贄)
音の変化 シツ:執 シ:摯・贄・鷙 チツ:蟄
しっかりと捕まえる
摯 シ 手部
解字 「手(て)+執(しっかりと捕える)」の会意形声。手でしっかりと捕えること。つかむ意のほか、しっかりと受け止めることから、まこと・まじめの意がある。
意味 (1)つかむ。もつ。にぎる。「摯執シシツ」(しっかりととらえる) (2)まこと。まじめ。「真摯シンシ」(まじめでひたむき)「摯実シジツ」(まじめで誠実)
蟄 チツ・チュウ・かくれる 虫部
解字 「虫(むし)+執(しっかりと捕える)」の会意形声。虫が捕えられたように土の中で冬ごもりすること。また、それを人に移していう。
意味 かくれる(蟄れる)。虫が地中にとじこもる。「蟄虫チツチュウ」(地中で冬籠りする虫)「啓蟄ケイチツ」(冬籠りの虫がはい出ること。啓は始める意)「蟄居チッキョ」(外出しないで家にこもること)
鷙 シ 鳥部
解字 「鳥(とり)+執(しっかりと捕える)」の会意形声。するどい爪で獲物をしっかりと捕える猛禽類の鳥。
意味 (1)あらどり。ワシ・タカなどの猛禽類の総称。「鷙鳥シチョウ」(あらあらしい鳥。猛鳥)「鷙禽シキン」(猛鳥) (2)あらあらしい。「鷙悍シカン」(たけだけしい)「鷙勇シユウ」(たけだけしい)「鷙戻シレイ」(荒々しくて道理にさからう)
贄 シ・にえ 貝部
解字 「貝(財貨)+執(=摯。つかむ・もつ)」の会意形声。財貨を手にもって差し出す意。人と会見するとき贈る礼物を言った。[春秋左氏伝]には「男の贄は、大なる者は玉帛(玉と絹織物)、小なる者は禽鳥(鳥類)」とあり、貝(財貨)は玉や絹織物などを表している。そして財貨以外の物として禽鳥が挙げられているが、日本では神や朝廷にたてまつる土地の産物の意味で用いた。
意味 (1)あいさつの贈り物。手土産。「贄敬シケイ」(敬って差し出す贈り物の意で、初めて人を訪問するとき、また入門するときの進物)「贄見シケン」(贈り物を持って師に会う。入門する) (2)[国]にえ(贄)。神や朝廷にたてまつる土地の産物。「大贄おおにえ」(立派なにえ)「生贄いけにえ」(魚や鳥などを生きたままで贄とすること。転じて人がある目的のため犠牲になること)
<紫色は常用漢字>
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幸 コウ・さいわい・さち・しあわせ 干部
解字 篆文(説文解字)は、「夭(=夭折ヨウセツ。わかじに)+屰ギャク(さかさ)」の会意。意味は夭折ヨウセツ(若くして死ぬこと)の反対で、長生きすること。疫病や戦争で多くの人が亡くなる古代において人が長生きすることは「運がよかった」「さいわい(幸運)だった」という意。さらに転じて、しあわせ(幸福)の意味ともなる。字形は隷書(漢代)で、「犬+羊」や「大+羊」「土+羊」などの字が乱立するなか、楷書に至って幸の字が定着してきた。従って幸の字の意味は、篆文の「夭+屰ギャク」から解釈すべきである。
19世紀末になり甲骨文字が発見され解読が進むと、幸が含まれる報ホウ・執シツ・圉ギョなどの幸は甲骨文字で手枷てかせ(手錠)に当たることが明らかになったため、幸も「手枷だけの刑罰ですむのは思いがけない幸せ」などという解釈が広がってしまった。何しろ[常用字解]や[字統]が手枷説なので私も疑うことなく、この説を載せていた。
では、[説文解字]は、手枷の意味の字を、どう表現していたのだろうか。以下が手枷に当たる字の変遷である。
甲骨文は手枷の象形。金文から形が変わり、篆文(説文解字)では、上が大、下が𢆉の㚔ジョウという字になっている。この字が手枷にあたる字で、圉ギョや執シツの篆文では、㚔が描かれている。しかし、[説文解字]の著者・許慎は、この字が手枷であることは知らずに「大と𢆉に従う。大声なり」と説明している。甲骨文字が発見されるのは、その1800年後であるから、わからないのは当然といえる。因みに、南北朝時代の梁(543年頃)で編纂された漢字字典『玉篇』によれば、『「㚔」は「幸」とは別の字だったが、漢の時代以降「幸」と混同された』と説明している。特に、しあわせの意の「幸」の単独字は楷書になってようやく出現するほど頻度が低かった。
意味 (1)さいわい(幸い)。思いがけない幸運。(=倖)「僥幸ギョウコウ」 (2)さいわいに(幸いに)。「幸便コウビン」(ちょうどよいついで) (3)さち(幸)。しあわせ(幸せ)。「幸福コウフク」「幸甚コウジン」(非常な幸せ) (4)みゆき(幸)。天子のお出まし。「行幸ギョウコウ」「巡幸ジュンコウ」
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「思いがけないしあわせ」(幸・倖)
元の字は「手かせ」(圉)
音の変化 コウ:幸・倖 ギョ:圉
思いがけないしあわせ
倖 コウ・さいわい イ部
解字 「イ(ひと)+幸(思いがけない幸せ)」の会意形声。幸の原義は、思いがけない幸せの意。イ(人)を付けて原義を表した。
意味 (1)さいわい(倖い)。思いがけないしあわせ。「僥倖ギョウコウ」(偶然の幸運)「倖利コウリ」(思いがけない利益)「射倖心シャコウシン」(偶然の利益を得ようとする欲心。=射幸心) (3)気に入る。分をこえて愛される人。「倖臣コウシン」(お気に入りの家来)
手かせ
圉 ギョ・ゴ・ひとや 囗部
解字 甲骨文は「囗(かこい)+手枷また手枷を嵌められた人」の会意形声。手かせをして囲いに入れられること。字形は金文から囗の中が㚔になり、隷書から幸の字が出現し、現代字の圉になった。また、馭ギョ(馬をあやつる)に通じ、馬飼いをいう。
意味 (1)ひとや(圉)。罪人を入れておく所。牢獄。「囹圉レイギョ」(囹も圉も、牢屋の意) (2)馬飼 いの役人。「圉人ギョニン」「馬圉バギョ」(馬を飼う)
執 シツ <しっかりと捕まえる>
執 シツ・シュウ・とる 土部
解字 甲骨文は「手枷(てかせ)+両手を出してひざまずいた人」の形。両者を合わせた執は、坐って手を出している人の両手に手かせをはめ、しっかりと捕まえたさま。罪人をとらえるが原義。金文は手枷の形が変化し、第2字で篆文につながる㚔ジョウの字が出現し、篆文では両手を出した人が丮ケキになった。隷書第2字で執が出現し現代に引き継がれている。意味は、しっかりと罪人をとらえる意から、「とる・手にとる」、捕まえて放さないことから「こだわる・しつこい」意となる。
意味 (1)とる(執る)。手にとる。とり行う。「執刀シットウ」「執筆シッピツ」 (2)あつかう。つかさどる。「執事シツジ」 (3)こだわる。しつこい。「執念シュウネン」「固執コシツ・コシュウ」「執心シュウシン」
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「しっかりと捕まえる」(執・摯・蟄・鷙・贄)
音の変化 シツ:執 シ:摯・贄・鷙 チツ:蟄
しっかりと捕まえる
摯 シ 手部
解字 「手(て)+執(しっかりと捕える)」の会意形声。手でしっかりと捕えること。つかむ意のほか、しっかりと受け止めることから、まこと・まじめの意がある。
意味 (1)つかむ。もつ。にぎる。「摯執シシツ」(しっかりととらえる) (2)まこと。まじめ。「真摯シンシ」(まじめでひたむき)「摯実シジツ」(まじめで誠実)
蟄 チツ・チュウ・かくれる 虫部
解字 「虫(むし)+執(しっかりと捕える)」の会意形声。虫が捕えられたように土の中で冬ごもりすること。また、それを人に移していう。
意味 かくれる(蟄れる)。虫が地中にとじこもる。「蟄虫チツチュウ」(地中で冬籠りする虫)「啓蟄ケイチツ」(冬籠りの虫がはい出ること。啓は始める意)「蟄居チッキョ」(外出しないで家にこもること)
鷙 シ 鳥部
解字 「鳥(とり)+執(しっかりと捕える)」の会意形声。するどい爪で獲物をしっかりと捕える猛禽類の鳥。
意味 (1)あらどり。ワシ・タカなどの猛禽類の総称。「鷙鳥シチョウ」(あらあらしい鳥。猛鳥)「鷙禽シキン」(猛鳥) (2)あらあらしい。「鷙悍シカン」(たけだけしい)「鷙勇シユウ」(たけだけしい)「鷙戻シレイ」(荒々しくて道理にさからう)
贄 シ・にえ 貝部
解字 「貝(財貨)+執(=摯。つかむ・もつ)」の会意形声。財貨を手にもって差し出す意。人と会見するとき贈る礼物を言った。[春秋左氏伝]には「男の贄は、大なる者は玉帛(玉と絹織物)、小なる者は禽鳥(鳥類)」とあり、貝(財貨)は玉や絹織物などを表している。そして財貨以外の物として禽鳥が挙げられているが、日本では神や朝廷にたてまつる土地の産物の意味で用いた。
意味 (1)あいさつの贈り物。手土産。「贄敬シケイ」(敬って差し出す贈り物の意で、初めて人を訪問するとき、また入門するときの進物)「贄見シケン」(贈り物を持って師に会う。入門する) (2)[国]にえ(贄)。神や朝廷にたてまつる土地の産物。「大贄おおにえ」(立派なにえ)「生贄いけにえ」(魚や鳥などを生きたままで贄とすること。転じて人がある目的のため犠牲になること)
<紫色は常用漢字>
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