先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

役員全員が辞職へ/北海道アイヌ協会釧路支部

2010-03-15 | 日記
釧路新聞 2010年03月15日)
 
 道から不適切な会計処理を指摘され、北海道アイヌ協会(加藤忠理事長)から約212万円の返還を求められている同協会釧路支部(秋辺得平支部長・会員89人)は14日、釧路市の春採生活館で臨時総会を開き、今月31日付で、秋辺支部長以下役員全員の辞職を承認した。また、秋辺支部長は一連の問題について会員に陳謝し、「意図的に不正をしたということではない」と弁明した。
http://www.news-kushiro.jp/news/20100315/201003153.html

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鹿皮そり滑りに歓声、白老で山のイオル体験交流事業

2010-03-15 | 日記
【室蘭民報 2010年3月15日(月)朝刊】
 白老イオル体験交流事業推進協議会(野本勝信会長)が主催する「山のイオル体験交流事業」が14日、町内の森野スキー場で行われ、子供たちが鹿皮のそり体験などを通してアイヌ文化へ理解を深めた。
 平成19年度から実施しているイオル整備のソフト事業。毎年、子供たちが海・山・川のイオル体験交流を通して、アイヌの知恵や自然観などを学んでいる。この日は児童、保護者など36人が参加した。
 子供たちは、雪原での鹿皮のそり滑りに大歓声。クワエチャラセ(枝滑り)では、鹿皮の靴を履きながら木の枝を巧みに操ってスキーのように滑る体験も行い、アイヌ民族が冬山で用いた技能も学んだ。
 枝滑りを体験した松山亜由さん(白老小6年)は「バランスをとるのが難しかった」と話していた。
(高橋昭博)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/03/15/20100315m_07.html

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アイヌ協釧路支部 役員が総辞職へ

2010-03-15 | 日記
(朝日新聞 2010年03月15日)
■アイヌ協釧路支部の不適切会計
 北海道アイヌ協会釧路支部が、財団法人「アイヌ文化振興・研究推進機構」の助成事業で不適切な会計処理が指摘された問題で、同支部は14日、臨時総会を開き、秋辺得平支部長ら役員の総辞職を決めた。辞職は31日付。今後、秋辺氏を除いた会員で「再建委員会」を選出し、新役員や秋辺氏が兼務してきた生活相談員を選出する。
 秋辺氏は総会で、「助成事業で膨大な事務処理が出るが、事務処理費用などは1円も出ない。やりくりするのは当然」と説明したが、その詳細については語らなかった。
 総会後、報道陣の取材に「意図的ではなく、必要な費用を生み出すためだった。(不適切な会計処理との指摘が多い)2007、08年度については、当時の担当者の処理が追いつかなかった」などと話した。その上で助成金の返還について、「明細が出ておらず、明らかになれば払うが、明細が出ない場合、訴訟も辞さない」とした。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001003150004

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シカ皮の靴で雪山すいすい 白老アイヌ伝統つえ滑り

2010-03-15 | 日記
(北海道新聞 03/15 08:02)
 【白老】アイヌ民族が狩猟などで雪山を下りる伝統技術「クワエチャラセ」(つえ滑り)の体験会が14日、胆振管内白老町の森野スキー場で開かれた。クワエチャラセは、シカ皮の靴「ユクケリ」をはき、長さ約1・5メートルのつえで体を支えながら滑降する方法。毛の向きで滑りやすくなるシカ皮の性質を利用している。
 体験会には町内の小学生ら約40人が参加。滑り方を学んだ後、手作りの靴をはき、つえ滑りを体験した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/220724.html

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アイヌ協会:秋辺支部長ら辞職 不適切会計問題で 釧路支部臨時総会

2010-03-15 | 日記
(毎日新聞 2010年3月15日 0時35分)
 アイヌ民族の文化財保存・伝承活動事業の不適切な会計処理問題で、道や協会から最も不適切支出が多いと指摘された同協会釧路支部の臨時総会が14日、釧路市で開かれ、協会理事を解任された秋辺得平支部長を含む支部三役の31日付での総辞職を決めた。秋辺支部長は「運営面での『やりくり』はあったが、公金を私したことは一切ない」と弁明した。
 秋辺支部長は出席した約40人を前に、一連の経過を説明。指摘された不適切な会計処理について「お世話になった方へのお礼などは、ねん出してやりくりするのは当然」と不適切処理の存在を認める一方で、「事務費や運営費が1円も財団に認められない」と説明。助成を受ける財団法人「アイヌ文化振興・研究推進機構」から経費が認められていないことが一番の問題と主張した。
 道などからの返還請求には「確定した額ではない。どこを指摘したのか、明細を一切示さずに請求されても応じられない」とし、場合によっては法的措置も含め道などと交渉する考えを示した。【山田泰雄】

http://mainichi.jp/hokkaido/news/20100315hog00m040003000c.html

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今週の本棚:湯川豊・評 『黒船前夜-ロシア・アイヌ・日本の三国志』=渡辺京二・著

2010-03-15 | 日記
(毎日新聞 2010年3月14日 東京朝刊)

 (洋泉社・3045円)
◇蝦夷地で展開する「歴史という物語」
 扱われているテーマがめずらしい。「ロシア・アイヌ・日本の三国志」という副題が示唆するように、江戸時代の日露交渉史であり、その主要舞台は蝦夷地(えぞち)だから先住民であるアイヌが絡んでくる。十七世紀初めから十九世紀初めまで、おおよそは時間の流れに沿った展開だけれど、整然とそうなっているわけではない。
 エピソードが積み重ねられ、登場人物たちが生き生きと動き出すのを追っていくうちにいつのまにか時が流れて、すなわち歴史がつくられてゆく。そういう書き方は教科書的な歴史の本からは大きく外れている。渡辺京二氏自身が「あとがき」で用いている「歴史という物語」という言葉が、この本の特徴をいうのにいちばんふさわしいだろう。
 同時代の旅行記その他の資料を博捜して的確なエピソードを拾い出してくる著者の手腕は、前作『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)で凄(すご)みを感じさせるほどに発揮されていたが、それは本書でも同じこと。
 蝦夷地を統治していた松前藩主は、江戸城中で「蝦夷大王」と呼ばれていた。仙台侯が薩摩の島津重豪(しげひで)を客に呼んだとき、松前藩主道広が同席していた。それを知って薩摩侯は「はは、蝦夷大王だの」といった。つまりこの言葉には軽蔑(けいべつ)とからかいがこめられていたわけだ。そこから松前藩というきわめて特殊な藩が説明されてゆく。
 松前藩は一万石格だけれど、石高制がない。米が藩成立の基盤にない。そのかわりに商場(あきないば)知行制なるものがあった。アイヌとの交易地点を商場と呼び、その場所を藩主も持ったし家臣にも知行として与えた。そこで藩全体が限りなく商人に近くなるという「何とも面妖な侍のありかた」が出現した。
 しかし、著者はその「面妖さ」を否定的にとらえているわけではない。アイヌとの交易による利益が、侍の生活基盤になる。とすればアイヌから一方的に搾取しては生活が成り立たなくなる。現に「蝦夷大王」松前氏は、アイヌを領民として支配したのではないし、貢租を取り立てたのでもなかった。
 そして松前には想像外の富が蓄積され、城下は華美なほどに繁栄した。秋田、津軽の貧窮地帯を通って福山に至った旅行者にはそれが驚くべきことで、大旅行家の古河古松軒(こしょうけん)は、「上々国の風俗」と絶賛している(『東遊雑記』)。松前藩といえばアイヌからの収奪という図式が間違っているのだ。
 このような松前藩のありかたは、その背後にある江戸幕府とともに、領土意識がないという点で驚くべきことだ、と渡辺氏は指摘する。この度はずれたのんきさが修正されるのは、一七九九年、東蝦夷地を幕府直轄とした頃(ころ)からで、近世のナショナリズムがようやく擡頭(たいとう)してきたからだ。その背景には東蝦夷地へのロシア人の度重なる来航があった。
 とはいえ、ロシアの通商の迫りかたも、どこか間のぬけたところがある。
 シベリア、カムチャツカ、さらにはアラスカの開発経営のためには、日本と通商して水、食料などを得ることが必須の条件である。それは明らかだとしても、ロシア皇帝たちが国策として推進しようとしたのではない。ヨーロッパ情勢への対応に追われたりして、対日政策は一貫していず、北辺の地に利益を見た個人が宮廷を動かしながら活動した。
 しかしアレクサンドル一世が肩入れしたレザーノフあたりから、ようすが少しずつ改まった。レザーノフは一八〇四年に長崎に来航し、幕府に通商を迫る。六カ月待たされたあげく、申し出は拒否されるのだが、レザーノフ自身はかなり風変りな人間だった。退去せざるを得なくなったときでも、「顔色自若」だった、と幕吏が記録している。
 この幕吏は誰あろう狂歌師として名高い大田南畝(なんぼ)で、一時的にまじめに働いた時期があって、役人として長崎に来ていたのである。
 次に来た大物はゴローヴニン。一八一一年にクナシリ島で捕えられ、二年三カ月ものあいだ、松前、箱舘(はこだて)に幽囚の身となった。そしてゴローヴニン解放に力を尽したのが、かの高田屋嘉兵衛(かへえ)。農民出の船乗りで、日本有数の豪商となった男の時代認識の透徹、胸がすくような豪胆な行動力が実証的に手堅く語られる。
 この「歴史という物語」は、エピソードを巧妙に積み重ねるという手法で語られている、と先に書いた。とはいっても、エピソードを貫く史観がないという意味ではない。
 ロシア人の来航に対処する江戸幕府の卑怯(ひきょう)にも見える事なかれ主義をいたずらに嘲笑(ちょうしょう)すべきではない、と渡辺氏は主張する。徳川国家は強大な軍事力を背景に出発しながら、十九世紀初頭には、武力衝突を避け、平和的解決を重んじる社会をつくり出していた。それは少しも恥ずべきことではない、という。このようにイデオロギーに汚染されていない、したたかな史眼が随所に光っている。それこそがこの「歴史という物語」の源泉なのである。
http://mainichi.jp/enta/book/news/20100314ddm015070015000c.html

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廃校の小学校校歌を合唱 京極の町民グループ「オークの会」

2010-03-15 | 日記
(北海道新聞 03/13 14:04)
 【京極】町民グループ「オークの会」(笹原真奈代表)は、14日午前10時半から町公民館で開かれる町文化協会の芸能発表会で、廃校になった町内5小学校の校歌などを合唱する。客席に歌詞を配る予定で、「懐かしい校歌を一緒に口ずさみませんか」と来場を呼び掛けている。
 京極混声合唱団員も加わり、約20人で各校歌の1番と3番を合唱する。脇方小(1970年閉校)、東花(とうか)小(76年同)、錦小(81年同)、更進小(81年同)、北岡小(83年同)の5校のほか、現存する京極小と南京極小の校歌も披露する。
 同会のメンバーが「廃校になった小学校の校歌を残したい」と発案。2年前から当時の教師や卒業生から楽譜を集め、昨年末から練習を重ねてきた。
 同会は「旋律や歌詞はそれぞれ特徴があって面白い。当時を思い出してもらえれば」と話している。入場無料。午前11時半ごろに出演、飛び入り参加も歓迎。問い合わせは同会の笹原代表(電)0136・42・2718へ。
 発表会ではこのほか、町内の音楽講師深沢正之さんが開幕とともに、自分で修理したアイヌ民族の弦楽器トンコリを演奏し、「さくら」など3曲を披露する。(内藤景太)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/220441.html

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アイヌ協会 展示会も不適切会計

2010-03-15 | 日記
(朝日新聞2010年03月13日)
■道、補助金返還要請へ
 アイヌ民族の伝統工芸品の販路拡大を目的とした展示会などを対象に道が実施している補助事業で、北海道アイヌ協会が不適切な会計処理をしていたことが12日、明らかになった。高橋はるみ知事は道議会一般質問で、事業の内容を調査した上で補助金の返還を求める意向を示した。同協会をめぐっては、社団法人「アイヌ文化振興・研究推進機構」などの委託事業で釧路支部の不適切な会計処理が発覚し、道などは同協会と同機構に計約710万円の返還を求める方針を示している。
 小野寺秀氏(自民党・道民会議)の質問に答えた。
 不適切な会計処理があったのは、アイヌ民族が経営する中小企業の安定を図るため、道が同協会を対象に1975年から実施している「アイヌ中小企業振興対策事業」。アイヌ民族の伝統工芸品の販路拡大やアイヌ文化の普及のため、全国各地で開催している展示会や工芸品製作者の技術研修の費用を補助しており、2008年度の補助額は509万円だった。
 道によると、08年9月6~11日と09年2月15~22日に新千歳空港ターミナルビルで開かれた展示会で、補助対象となる展示会の費用の中に、本来は補助対象にならない販売会の費用が含まれて処理されていたという。
 この展示会では、着物をかけるハンガーや姿見などのレンタル費用、展示ブースなどの会場設営費用などが補助の対象だった。しかし、これらの費用の中に、隣接した場所で開かれたアイヌ民族の伝統工芸品の販売会の費用も含まれて処理されていた。
 高橋知事は「調査を行った上で、補助金の返還を含め必要な措置を講じる」と述べ、今後は「健全な事業運営を促す」との考えを示した。
 また、小野寺氏は、道教育委員会が昨年11月~今年2月に調査した「アイヌ民俗文化財保存・伝承活動事業」でも、新たに同協会の1支部で出張旅費の処理に不審な点があることが判明したと指摘。高橋教一・道教育長は、出張したとされる人物と支部の言い分に食い違いがあることを認め、「追調査を早急に実施する」と述べた。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001003130005

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道アイヌ協会:不適切会計処理 虚偽出張旅費支出か /北海道

2010-03-15 | 日記
(毎日新聞 2010年3月13日 地方版)
 ◇補助対象外の経費請求も
 道アイヌ協会の不適切会計問題を巡り、すでに道が調査を実施したアイヌ民族の文化財保存・伝承活動事業で、協会支部が新たに虚偽の出張旅費を支出していた疑いのあることが分かった。また、国と道が補助している08年度のアイヌ中小企業振興対策事業では、協会が補助対象外の経費を請求していたことも判明。道や道教委は再調査に乗り出した。
 新たな不適切会計は、12日の道議会一般質問で自民党・道民会議の小野寺秀氏(帯広市)が質問し、道と道教委が明らかにした。
 道教委によると、協会支部から提出された08年度の文化財保存・伝承活動事業の事業報告書で、講師の出張旅費として領収書が添付されていたものの、その講師は「出張に行ったことはなく、旅費も受け取っていない」と証言。協会支部は「ほかの経費と一緒に支払った」とし、証言が食い違っているという。
 アイヌ中小企業振興対策事業では、補助対象外となっている販売事業の一部経費を補助対象の展示事業経費に組み入れ、水増し請求していたという。道は「補助金の返還も含めて必要な措置を講じる」としている。【高山純二】
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20100313ddlk01040200000c.html

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古代メキシコ、遺体を切断する二重埋葬

2010-03-15 | 日記
(National Geographic News March 12, 2010)
John Roach

 現在のメキシコに住んでいた古代先住民の「二重埋葬」の慣習が明らかになった。最近の調査によると、腐敗した遺体を掘り起こし、四肢と頭を切断した後に再び埋葬していたという。
 人類学者の研究チームが調査したのは、メキシコ、バハカリフォルニア・スル州のカペ地方。この地域の先住民は、紀元前3000年頃から、ヨーロッパ人が初めてこの地を訪れた16世紀までのおよそ4500年間に渡って二重埋葬を行っていたという。
 メキシコ国立人類学歴史学研究所(INAH)で自然人類学の研究を行っているアルフォンソ・ロザレスロペス(Alfonso Rosales-Lopez)氏によれば、先住民らは、死を「自由が失われ苦痛に満ちた状態」と捉え、死者の手足を切断すれば苦痛から解放されると考えていたようだ。
 死を命の終焉ではなく新たな状態への移行と見なす文化は世界中に存在するが、二重埋葬も彼らの信仰に見合った慣習だとロザレスロペス氏は話す。
 ロザレスロペス氏は、1991年からバハカリフォルニア州南部の沿岸地域で100件以上の二重埋葬を調査しており、結果をまとめた論文を執筆中である。
 当時の死者は、息を引き取った直後に獣の皮で包まれた後、胎児と同じ体勢にされ、リュウゼツランで作ったひもで固く縛られる。リュウゼツランは、蒸留酒テキーラの原料となる多肉植物である。遺体は1体ずつ浅い墓穴の中へ安置され、貝殻や木炭とともに土で覆われる。
「これで埋葬は終わったかのように思える。だが、実際の遺体はいくつもの部分に切断されているので、次の段階が控えていたことがわかる」。ロザレスロペス氏はそう語る。
 6~8か月後、埋葬された遺体は再び掘り起こされることになる。「この時点の遺体は、腐敗が相当進んでおり、四肢と頭を切り離しやすい状態になっていただろう」とロザレスロペス氏は指摘する。
 切断された四肢と頭は、胴体部分と一緒に墓穴へ埋め戻される。
 調査チームはこれらの墓地遺跡付近で、矢じり、ナイフ、銛(もり)など、食物の調達や調理に使用したとみられる石器や、軟体動物の殻、種子、植物など食料の残骸も発見している。
『The Prehistory of Baja California: Advances in the Archaeology of the Forgotten Peninsula』の著者の1人で、考古学研究のコンサルティング会社「ASM Affiliates」の上級考古学者ドン・レイランダー氏は、二重埋葬はケープ地方特有の慣習だと考えている。
 またレイランダー氏は、ロザレスロペス氏らの調査がメキシコ古代先住民の文化に新たな知見をもたらしたと高く評価している。
 例えば、この遺跡から見つかった二重埋葬の痕跡や貝殻や骨は、地域の先住民が半定住生活を営みながらも儀式を重要視していたことを示唆しているとレイランダー氏は言う。
 彼らが生活の場を移動した後も、かつての居住地を放置しなかったことが出土した品々から伺えるからだ。ロザレスロペス氏も、死者の亡骸を守る義務感からかつての居住地をたびたび訪れていたのだろうと話す。
 ただレイランダー氏は、当時の文化についてわかったのは一部に過ぎないと話す。同氏によると、ケープ地方の先住民文化は200年以上前に消失しており、学術的な記録もほとんど残っていないという。
 遺体切断に関してもロザレスロペス氏が目的を説明しているが、レイランダー氏は「まだ憶測の域を出ない」とコメントしている。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100312002&expand&source=gnews

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アイヌ民族 道外調査 来年1月めどに集計

2010-03-15 | 日記
(朝日新聞 2010年03月12日)
■アイヌ政策会議 公園も具体化着手
 政府の「アイヌ政策推進会議」(座長=平野博文官房長官)の作業部会の初会合が11日、東京都内であった。推進会議が1月、(1)民族共生の象徴となる空間(公園施設)づくり(2)道外のアイヌ民族の生活実態調査――の二つの課題に作業部会を設け、約1年かけて検討するとの方針を受けた。生活実態調査は来年1月の集計を目指す。象徴施設については、アイヌ民族からの提案をもとに具体化の検討に入ることを確認した。
 この日午後、二つの作業部会が相次いで開催された。各部会は部会長と5人の構成員からなるが、一部重複しており計9人。うちアイヌ民族関者が5人を占めた。
 「民族共生の象徴となる空間」作業部会(部会長=佐々木利和・人間文化研究機構国立民族学博物館教授)では、佐々木部会長が「アイヌ民族から提案してもらいたい」と発言。次回4月の部会で、構成員で北海道アイヌ協会の加藤忠理事長や川上哲副理事長らから、象徴空間をつくるにあたっての検討課題を提案してもらうこととした。
 佐々木部会長と加藤氏によると、今のところ(1)共生空間の意義や必要性(2)共生空間に必要な具体的機能(3)海外及び国内の事例――などを提案することになりそうだという。
 「道外アイヌの生活実態調査」作業部会(部会長=常本照樹・北大法学部長)では、作業部会の事務局から調査集計までのスケジュールのたたき台が示された。4月から実施準備に入り、調査対象候補者を把握して調査員が訪問して調査する。対象者名簿を作成したうえで10~11月に調査を開始し、来年1月の集計を目指すという内容だ。
 1年程度で調査を終えることにしているが、「道外のアイヌ民族には道内よりも差別や格差があり、アイヌ民族だと言うことにはより敏感だ」(常本部会長)との事情もあり、困難も予想される。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001003120005

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口承文芸まとめた知里幸恵ノート、道有形文化財に

2010-03-15 | 日記
【室蘭民報 2010年3月11日(木)朝刊】
 道教委は10日、アイヌ民族に伝わるユーカラなどの口承文芸作品を文字によって初めて記載した登別出身のアイヌ女性、知里幸恵が残した「知里幸恵ノート」など2件を、新たに道指定有形文化財にすることを決定した。
 道教委によると、ノートは4冊でそれぞれ縦20・9センチ、横16・5センチ。「アイヌ神謡集」はノートにつづられた13話のカムイユーカラを翻刻し、幸恵自身の日本語対訳付きで出版された。「知里幸恵研究資料として貴重であるばかりでなく、明治・大正期を生きた一人のアイヌ民族の女性が残した歴史的遺産として極めて重要」という。
 ノートは幸恵の死後、アイヌ語学者の金田一京助氏が所蔵していたが、昭和50年に金田一氏の遺族から道立図書館に寄贈され、現在は同館が所蔵。
 ほかに指定されるのは、享保16年(1731年)、現在の北斗市矢不来天満宮に建てられている大乗妙典一千部供養塔。今回の指定で道有形指定文化財は74件になる。
(北川誠)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/03/11/20100311m_01.html

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ユーカラ記録「知里幸恵ノート」を道文化財に

2010-03-15 | 日記
(読売新聞 2010年3月11日10時04分 )
 北海道教育委員会は10日、アイヌ民族の口承文芸作品をローマ字でつづった「知里幸恵ノート」(道立図書館所蔵)と、1731年に建てられた石碑「大乗妙典一千部供養塔」(北斗市)を道有形文化財に指定することを決めた。
 「知里幸恵ノート」は、全4冊。登別市生まれの知里幸恵(1903~22年)が、祖母らから聞いて覚えたアイヌ語のユーカラ(叙事詩)などをローマ字を使って書きつづったほか、その一部を日本語に訳して記している。
 死後、アイヌ語学者の金田一京助が所蔵したが、後に道立図書館に寄贈された。これを基に編集された「アイヌ神謡集」は、現在もアイヌ文学の古典として読み継がれている。
 「大乗妙典一千部供養塔」は、高さ約1メートル。仏教経典の一種「大乗妙典」が1000回、読経された記念に建てられたもので、先祖供養のほか、国家安全などの願文が刻まれ、道内の江戸時代の宗教に関連した石碑として、学術的価値が高いと評価された。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100311-OYT1T00076.htm

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道アイヌ協会:不適切会計処理 釧路支部長の秋辺理事を解任 /北海道

2010-03-15 | 日記
(毎日新聞 2010年3月9日 地方版)
アイヌ民族の文化財保存・伝承活動事業の不適切な会計処理を巡り、道アイヌ協会の理事を務める秋辺得平釧路支部長の解任が、7日の臨時総会で決まった。支部長職についても辞職勧告されており、支部は14日の総会で、本人から説明を聞いたうえで役員の刷新を図るとみられる。
 道と道教委の調査では、財団法人「アイヌ文化振興・研究推進機構」への助成事業のうち469万円、道アイヌ協会に委託した事業のうち242万円の計711万円が不適切な会計処理だったことが判明した。
 これらの助成・委託事業は道アイヌ協会の各支部が実施。不適切な会計処理は釧路支部で数多く見つかり、行事に参加していない者の架空領収書などで処理されていた。秋辺支部長は道などの事情聴取に応じず、態度も非協力だという。加藤忠理事長は「疑惑解明に積極的に協力したい」と話している。【千々部一好】
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20100309ddlk01040198000c.html

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悼む:アイヌ文様刺しゅう家・チカップ美恵子さん=2月5日死去・61歳

2010-03-15 | 日記
(毎日新聞 2010年3月10日 東京朝刊)
 ◇アイヌの誇りを表現--チカップ美恵子(みえこ)さん=急性骨髄性白血病のため2月5日死去・61歳
 「大空をはばたく鳥のように、民族や人種を超えた社会を実現したい」。アイヌ民族とロシア・サハリン(樺太)の先住民族らによる初の「マイノリティー・フォーラム」(98年)。チカップさんに誘われ、一緒に訪れたユジノサハリンスクでこう語った。チカップはアイヌ語で鳥の意味。カムイ・チカップ(神の鳥)にあやかった名だった。
 自ら立ち上がった「肖像権訴訟」(85年)。民族楽器のムックリを吹く自分の写真が学術書に無断で掲載され、「滅びゆく民族」と記されていた。「トキが一羽、二羽と減るように私たちは滅びるのか」。3年の裁判闘争の末、被告側の謝罪で和解した。
 北海道釧路市で生まれた。伯父は民族復権運動に力を注いだ山本多助エカシ(長老)。母の伊賀ふでさんは詩人だった。そして自身はアイヌ文様の刺しゅう家に。母に教わった手仕事の技に鮮やかな色彩と民族の誇りを織り交ぜ、アイヌの精神世界を表現するアートとして打ち込んだ。
 「文化の伝承と差別との闘いは切り離せなかった。僕らがアイヌ文化をアートと言えるのはチカップさんらの運動があったから」と「アイヌ・アート・プロジェクト」代表で版画家の結城幸司さん(45)は言う。結城さんの父庄司さんも孤高の運動家だった。
 「白血病に負けるわけにはいかない」。05年末の発病以来、闘い続けた。今年1月には札幌で作品展が開かれ、新著「カムイの言霊(ことだま)」も刊行。「次は刺しゅうの写真集を」と病床で友人の植村佳弘さん(50)=北海道新聞写真部次長=に話した。
 きらきらした目。たおやかな笑顔。他を寄せ付けない厳しさ。どれもがチカップさんの生き方と重なる。【明珍美紀】
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100310ddm012070104000c.html

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