毎日新聞 2011年11月24日 東京朝刊
◇主体的に形成された自我
今年の台湾映画最大の話題は、霧社事件(1930年)における先住民族(台湾では原初から住んでいたという意味で「原住民」と呼ばれる)の蜂起を描いた『セデックバレ』だろう。これを契機に台湾内外で先住民族に対するより深い理解が進むことを切望するが、台湾社会に限ってみても、現在人口の2%弱、約40万人を数える先住民族の人権について、日本植民地統治下の抑圧は言うに及ばず、国民党支配下でも劣悪な状況にあったことが十分に理解されているとは言い難い。
パイワン族の女性作家リグラヴ・アウ(69年生まれ。日本ではリカラッ・アウーとの表記もある)が「忘れられた怒り」や「ウェイハイ、病院に行く」(『故郷に生きる』所収、2003年、草風館)で描くように、子どもの名前に民族の固有名を使うことすら困難があった。実はリグラヴ・アウ自身も名前を含めて、自らの民族アイデンティティを獲得することは容易ではなかった。彼女は大陸への帰還が不可能になった中年軍人と若い先住民族女性という戦後台湾独特の結婚形態から生まれた。父親は国民党政府による投獄・監視を経験しながら、娘に中国古典を学ばせて中国人意識を持たせた。
一方、パイワン族の母親がなぜ無口なのかを知らぬままに成長したリグラヴ・アウは、やがて軍人や漢民族に囲まれて孤独であった母親の心の内を理解するようになり、母親の内部にあったパイワン族の豊饒(ほうじょう)な言葉や文化を発見する。その結果、漢民族名からリグラヴ・アウへと名前を変更、パイワン族としての民族アイデンティティを確立する。アイデンティティとは探すものでなく、主体的に形成するものであることを、自分の人生で描き切ったその姿は感動的である。
激動の時代をまっすぐな心で生きた老女を描く「赤い唇のヴヴ」(同)に見られるように、聞き書きを多用し、先住民族の世界観・人間観を描くリグラヴ・アウの作品に登場するのは、自由な心と揺るぎない意志をもった女性たちである。耳の聞こえない少女との心の触れ合いを描いた「歌が好きなアミの少女」(同)では、「雑音がまったくない聴覚の世界では、楽しいアミ族の歌声は、美しく清らかなものに違いない」と、民族差別や身体的ハンディキャップへの偏見をものともせず、胸を張って生きる女性にこそ、人間の最も美しい魂が宿っていることを鮮やかに描く。
今のところ作品はみな短編だが、大きな物語に発展する可能性を秘めた玉手箱のようなリグラヴ・アウの文学世界を、ぜひ多くの人に味わってほしい。(日本大文理学部教授)=毎週木曜日に掲載
<作家本人から>
◇慎ましさの美学
多くの中高年の台湾人と同じく、私もある意味日本文化がとても好きで、機会がある度に日本へ行ってみたくなります。毎回多くの収穫と望外の喜びが得られます。
先住民の老人と同じように、慎(つつ)ましさがさりげなく表現されるので、日本人に親しみを覚えます。口元の控えめな微笑(ほほえ)みや、卑屈も高慢もないお辞儀や、穏やかな口調が、すぐに台湾南方の年配者を連想させます。
この地方は大武山に守られて、めいめいがしっとりと温(ぬく)もりに満ちた体温を持ち、豊かな文化の栄養の中で、民族特有の境遇や人情を伝えています。それは慎ましさの美学であり、深部まで沁(し)みこんでいなければ表せない気質なのです。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20111124ddm014070006000c.html
◇主体的に形成された自我
今年の台湾映画最大の話題は、霧社事件(1930年)における先住民族(台湾では原初から住んでいたという意味で「原住民」と呼ばれる)の蜂起を描いた『セデックバレ』だろう。これを契機に台湾内外で先住民族に対するより深い理解が進むことを切望するが、台湾社会に限ってみても、現在人口の2%弱、約40万人を数える先住民族の人権について、日本植民地統治下の抑圧は言うに及ばず、国民党支配下でも劣悪な状況にあったことが十分に理解されているとは言い難い。
パイワン族の女性作家リグラヴ・アウ(69年生まれ。日本ではリカラッ・アウーとの表記もある)が「忘れられた怒り」や「ウェイハイ、病院に行く」(『故郷に生きる』所収、2003年、草風館)で描くように、子どもの名前に民族の固有名を使うことすら困難があった。実はリグラヴ・アウ自身も名前を含めて、自らの民族アイデンティティを獲得することは容易ではなかった。彼女は大陸への帰還が不可能になった中年軍人と若い先住民族女性という戦後台湾独特の結婚形態から生まれた。父親は国民党政府による投獄・監視を経験しながら、娘に中国古典を学ばせて中国人意識を持たせた。
一方、パイワン族の母親がなぜ無口なのかを知らぬままに成長したリグラヴ・アウは、やがて軍人や漢民族に囲まれて孤独であった母親の心の内を理解するようになり、母親の内部にあったパイワン族の豊饒(ほうじょう)な言葉や文化を発見する。その結果、漢民族名からリグラヴ・アウへと名前を変更、パイワン族としての民族アイデンティティを確立する。アイデンティティとは探すものでなく、主体的に形成するものであることを、自分の人生で描き切ったその姿は感動的である。
激動の時代をまっすぐな心で生きた老女を描く「赤い唇のヴヴ」(同)に見られるように、聞き書きを多用し、先住民族の世界観・人間観を描くリグラヴ・アウの作品に登場するのは、自由な心と揺るぎない意志をもった女性たちである。耳の聞こえない少女との心の触れ合いを描いた「歌が好きなアミの少女」(同)では、「雑音がまったくない聴覚の世界では、楽しいアミ族の歌声は、美しく清らかなものに違いない」と、民族差別や身体的ハンディキャップへの偏見をものともせず、胸を張って生きる女性にこそ、人間の最も美しい魂が宿っていることを鮮やかに描く。
今のところ作品はみな短編だが、大きな物語に発展する可能性を秘めた玉手箱のようなリグラヴ・アウの文学世界を、ぜひ多くの人に味わってほしい。(日本大文理学部教授)=毎週木曜日に掲載
<作家本人から>
◇慎ましさの美学
多くの中高年の台湾人と同じく、私もある意味日本文化がとても好きで、機会がある度に日本へ行ってみたくなります。毎回多くの収穫と望外の喜びが得られます。
先住民の老人と同じように、慎(つつ)ましさがさりげなく表現されるので、日本人に親しみを覚えます。口元の控えめな微笑(ほほえ)みや、卑屈も高慢もないお辞儀や、穏やかな口調が、すぐに台湾南方の年配者を連想させます。
この地方は大武山に守られて、めいめいがしっとりと温(ぬく)もりに満ちた体温を持ち、豊かな文化の栄養の中で、民族特有の境遇や人情を伝えています。それは慎ましさの美学であり、深部まで沁(し)みこんでいなければ表せない気質なのです。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20111124ddm014070006000c.html