Forbes JAPAN 2019/08/14 12:30
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関根摩耶さん
いま世界に6000〜7000あるといわれている言語のうち、紛争や災害、あるいは社会的・経済的な理由により、話者が減少または死亡することで、約半数がこの100年間で消滅すると言われている。
2009年にユネスコが発表した「消滅危機言語」はおよそ2500語。その中に、日本で話されている言語も含まれている。
日本に危機言語がある、と言われてもピンとこない方が大多数だろう。なぜなら、多くの日本人は日本で話されている言語は日本語だけと考えているからだ。
日本における消滅言語のひとつが、主に北海道に居住し、かつては旧樺太、千島列島、東北地方北部などに居住していた先住民アイヌの言語「アイヌ語」だ。
「イランカラプテ」。アイヌ語で、「こんにちは」という意味の挨拶言葉である(「プ」は、アイヌ語の表記では小さく表示される)。直訳すると、「あなたの心にそっと触れさせてください」になる。近年では北海道の観光キャンペーンにもこの言葉が使われているので、ご存知の方もいるかもしれない。
アイヌ語は明治政府の同化政策の一環で使用禁止となり(※1)、話者が激減する。1898年に制定された旧土人保護法に基づき、アイヌの子供たちは強制的に日本的習慣を教えるアイヌ学校に入学させられ(※2)、日本語での教育が徹底された。またアイヌの親たちも自分たちの子供のことを考え、日本社会で生活をするためには日本語が流暢に話せる必要があると考えアイヌ語を教えようとしなかった。
その結果、2009年のユネスコの調査時点でアイヌ語話者は10数人程度と極めて少ない状況となった。
北海道のラジオ局であるSTVラジオでは、1987年からアイヌ語ラジオ講座を放送している。2018年度の講師を務めたのは、慶應義塾大学2年生の関根摩耶さんだ。摩耶さんは、アイヌが住民の7~8割を占めるといわれる二風谷地区で生まれ育ち、萱野茂さんからアイヌ語を学んだ最後の世代である。
アイヌ語弁論大会で2度の優勝経験を持つ実力者であり、アイヌ語の教材『ニューエクスプレス アイヌ語』(白水社)のアイヌ語音声や、北海道の日高地方を走る道南バスの車内放送でアイヌ語での案内も担当している。
ラジオのために毎週のように北海道と東京を行き来していた摩耶さんだが、そんな生活がひと段落したいま、新たな挑戦をしようと考えているという。アイヌ語の継承・発展に関わる若者世代の一人として、どのような想いで活動しているのか。話を聞いた。
──イベントやラジオ講座、インタビューと、精力的にアイヌ語の活動をされていらっしゃいますが、その原動力はどこから来るのですか?
自分が生まれ育ったアイヌ文化が大好きで、より多くの人にアイヌを知ってほしいと思っているからです。誰もが自分の故郷や文化を誇りに思っていて、自慢したいでしょう。私にとってのアイヌ文化もそれと同じ。アイヌに生まれたから、アイヌのためにやらなければならない、といった特別な使命感ではなくて、自分の育った文化に対する純粋な気持ちから、この活動に取り組んでいます。
──私も地元の香川に愛着を持っていて、都内で香川県人若手会など運営をしています。なぜそんなに熱心なのか尋ねられた時、単に「香川が好きだから」と答えると、拍子抜けしてしまうというか、がっかりしてしまうというか。「香川県の将来のため」、みたいな特別な使命感を求められてしまいます。
先祖が使ってきたアイヌ語を使って生活することができれば、それだけでとても幸せなんです。そんな環境を、自分の代では難しいかもしれないけど、自分の子どもや孫の代で実現できればいいなと思っています。そのために自分の活動が役に立つといいですね。
──自分が大切にしている価値観を多くの人が認めてもらいながら生きることができればとても幸せだと思います。一方で、まだまだアイヌ語がどんな言語なのか知らない人が多いと思います。摩耶さんはそんな人たちにアイヌ語のどんな点を伝えたいですか?
例えば、子どもが水をこぼした時、日本語では単に叱ったり、「あらあら」と思うだけでしょうが、アイヌ語だと「そこに水が飲みたい神様がいたんだね」と表現するんです。あらゆる事象を人間ではなく神の意思だと考える価値観が表れています。
狩猟にしても、日本語では「動物を矢で射る」と表現しますが、アイヌ語では「正しい人間には動物側から矢に当たる」と表現します。アイヌの考え方では、神と人間は対等かつ取引関係にあると考えられています。神は神の世界では人間と同じ姿をしていて、人間界に来るときに毛皮などのお土産を持ってやってくる。そして正しい人間のもとに(矢に当たる)ことで行き、そこで盛大にもてなされて人間からもらったプレゼントをもって神の世界に帰る。というような物々交換と考えられています。
このように、アイヌの持つ価値観や文化をアイヌ語を通して知ることができる点がとても面白いと思います。
──たしかに、言語は文化の根源と言えますし民族の宗教観、世界観を伝承する手段です。先祖が大切にしてきた価値観を伝える大切なものだと思います。大和民族の価値観を表現した日本語にも、一つのモノ、事象を様々に表現することばの豊かさがありますし、オノマトペと呼ばれる擬声語・擬態語がたくさんあることも大きな特長です。私もアイヌ語を知ることで、なんとなく話していた日本語の表現に対し敏感になりました。
言語は文化にとって切り離せない存在だと思います。特に文字がなく、口承だったアイヌ文化にとってアイヌ語はとても大切なものです。また、踊りや刺繍など様々あるアイヌ文化の中で、私が幼い頃から触れてきたのがアイヌ語でした。
父がアイヌ語を熱心に勉強していましたし、アイヌ文化について教えてくれた近所のおじいさんおばあさんたちも、やはり自分たちの言語の重要性を教えてくれました。だから、アイヌ文化を広めようと思ったとき、私がまずできることから始めようと考えたら、それがアイヌ語に行き着いたのです。
──幼いころからアイヌ語に囲まれた生活の中から、アイヌとしてのアイデンティティも育まれていったのでしょうか?
アイヌという言葉そのものは、北海道などの先住民族を指す言葉として使われていますが、もともとは「人間」という意味なんです。私の周囲も、「人間」という意味でアイヌという言葉を使っていたし、私も幼い頃からそういう意味で教えられ、使ってきました。
ですから、改めて「私たちはアイヌだ」という意識を持つことは、あまりなかったんです。どちらかというと、アイヌ語やアイヌ文化に根差した個性を持っているという感覚です。アイヌが多い地域から離れたあとも、いまだにその感覚が強いですね。
──大和民族が人口の圧倒的多数を占める東京で自らをわざわざ大和民族だと意識しないのと同じように、摩耶さんにとってもアイヌであることは当たり前の感覚だったんですよね。ところで、ラジオ番組で去年は相当忙しかったと思いますが、今年は何か新しい取り組みなど考えていますか?
ユーチューブを始めました!
──ユーチューバーになったんですか? それはまたなぜ?
いま気軽にアイヌ語に触れることができる機会は少ないと思います。だから、気軽で親しみやすくアイヌ語を知ることができる方法を作りたくて、ユーチューブという形で発信しようと考えました。
ユーチューブ第1回はアイヌ語の自己紹介について。摩耶さんとアシスタントがお喋りしながら進行する。時間も数分程度で気軽に観ることができる。※現在「しとチャンネル」という名前で随時更新中。(シトはアイヌ語で団子のことで、摩耶さんの好物)
──これまで、なんらかのきっかけでアイヌ語に興味を持ったとしても、どうしたらいいのか困った人も多かったと思います。まだまだアイヌ語を学ぶ教材は多くありませんし、ネットや書籍を探しても、専門的で難しそうな印象を受けるものが多い。そういう意味で、このユーチューブは簡潔でわかりやすいですね。
でも、まだまだ悩みながら制作しています。これまでのアイヌ文化に関する教材は、少し難しくてハードルが高かったと思います。そのため、制作する際には、どうすればアイヌ文化に触れやすく、身近に感じやすくなるかを第一に考えています。
あまりにまじめな内容にしてしまうと、ハードルが高くなる。一方で、目立つことや拡散されることばかりを考えてしまうのも違うなと思います。特に、アイヌ文化をある程度理解されている方やアイヌ文化に誇りを持っているアイヌの方々の気持ちを考えた時に、安易な動画にはしたくないという想いもあります。
そして、アイヌの方々自身にも、気軽にアイヌ語、アイヌ文化を学ぶ機会として活用していただけたらとても嬉しい。そう考えた時にどんなユーチューブにしていくか、試行錯誤の日々です。
悩みながらも少しづつ前に進む姿は力強い。摩耶さんのようにアイヌ語学習に積極的に取り組む人々は増加傾向にあり、慶応義塾志木高校や平取町立二風谷小学校などアイヌ語の授業を行う学校も現れてきた。アイヌ語を日本語と並んで日本の公用語にすることを目指す動きも起きている。
アイヌ語の継承や発展に向けた取り組みは各地で様々な人の手で行われてきた。アイヌ初の国会議員で、旧土人保護法の廃止とアイヌ文化振興法の制定に尽力した萱野茂さんもその一人。萱野さんは1987年から北海道沙流郡平取町二風谷でアイヌ語教室を開いた。そして当時教室に通っていた子供たちが現在、アイヌ文化の振興において重要な役割を担っている。
近年では、北海道や東京を始め各地で対象年齢を制限しないアイヌ語教室が多く開催されている。漫画『ゴールデンカムイ』が流行した影響も伺える。アイヌ自身が先祖の言葉を学ぶ目的以外に、アイヌではない人たちの間でも、彼らの文化を学ぶきっかけとしてアイヌ語学習が広まっている。
言語の多様性はその国の文化の豊かさを象徴するものだと思う。豊かな文化は、創造の源だ。アイヌ語の復興は、決してアイヌの方々だけの問題ではなく、日本に暮らすすべての人々の問題なのである。
少数言語の復興には、マジョリティの役割が欠かせない。まずは「イランカラプテ」という挨拶言葉から覚えてみよう。アイヌ語の世界が、そっとあなたの心に触れてくるだろう。
※1 1871年の開拓使通達でアイヌの習俗の禁止や日本語学習の奨励を指示。これ以降、法令等により「日本語学習を奨励する」という形をとり、事実上アイヌ語の使用が困難な状況となる。(参考)小川正人『近代アイヌ教育制度史』 ※2 1901年の旧土人児童教育規程等によって教育内容の詳細が規定され、旧土人学校で日本化教育を受ける体制が整備。(参考)小川正人『近代アイヌ教育制度史』
https://forbesjapan.com/articles/detail/28565