先住民族関連ニュース

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道、アイヌ施策方針案 意見公募

2019-08-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/14 05:00
 道は、アイヌ施策推進法の5月施行を受けてまとめた道内におけるアイヌ施策の推進方針案について、パブリックコメント(意見公募)を行っている。道の推進方針案は、政府が同法施行に伴って定めた基本方針案とほぼ同様の内容で、道独自の取り組みはほとんど盛り込まれていない。
 同法は、政府が基本方針を定め、全国の都道府県が推進方針の策定に努めるよう規定している。政府の基本方針案は、アイヌ施策の意義や目標のほか、アイヌ文化の保存・継承や観光振興につながる地域計画を策定した市町村を対象に創設する、交付金制度の具体的な手順を定めており、今月中に閣議決定する。都道府県の推進方針案は、市町村が地域計画を策定する際の参考になる。
 道の推進方針案は、施策の目標について「共生社会の実現」などとし、具体的な数値などは掲げなかった。また「差別のない社会の実現に向けた道民理解の促進」という項目では、パンフレット作成や教育活動の推進、相談窓口の広報など、政府の基本方針案と同じ内容が並んだ。道が実施するアイヌ施策については「交付金を活用した市町村の施策が円滑に進むよう助言や協力(を行う)」と記すにとどまった。
 道は現在、「第3次アイヌの人たちの生活向上に関する推進方策」(2016~20年度)に続く21年度からの新たな方策の策定作業を進めており、方策を検討する有識者会議を近く立ち上げる予定。道アイヌ政策課は「有識者会議の議論の中で、北海道らしいアイヌ施策を打ち出したい」としている。
 道のアイヌ施策の推進方針案は道ホームページで公開中。パブリックコメントは20日まで募集している。問い合わせはアイヌ政策課(電)011・204・5185へ。(村田亮)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/334677

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講談師・一龍斎貞弥さん ユカラ講談づくりに挑戦 阿寒湖コタン関係者と共同「アイヌ文化伝えたい」

2019-08-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/13 05:00

以前上演されたユカラを題材にした演劇で使われた刀を見ながら、西田さん(中央)と秋辺さん(右)から話を聞く一龍斎貞弥さん
 【阿寒湖温泉】女性講談師の一龍斎貞弥(いちりゅうさいていや)さん=東京都=が、阿寒湖アイヌコタンの関係者らと共同でアイヌ民族に伝わるユカラ(英雄叙事詩)をテーマにした講談づくりに挑む。一龍斎さんは「なまじっかな気持ちではできないが、講談でアイヌ文化を伝えていきたい」と意気込んでいる。
 東京を拠点に活動する一龍斎さんは10年ほど前、当時は日本航空社員だった阿寒観光協会まちづくり推進機構の山下晋一専務理事と仕事を通じて知り合った。山下さんが日本航空退社後、同機構で阿寒湖観光に関わるようになり「多くの人にアイヌ文化を知ってもらいたい」との思いで創作講談を持ち掛けたところ、一龍斎さんも興味を示した。
 一龍斎さんは4日、釧路市の阿寒湖温泉で行う寄席に合わせ、阿寒アイヌ工芸協同組合の西田正男代表理事、演出家の秋辺デボさんを訪問した。一龍斎さんが「とっぴさがあり、ドラマチックなユカラは講談に向いている」と提案すると、西田さんは「ぜひ講談で聞いてみたい」、秋辺さんも「簡単ではないかもしれないが、まずはやってみればいい」と協力を快諾した。
 西田さんと秋辺さんは、かつて阿寒湖アイヌコタンの劇場で上演していたユカラを題材にした演劇や、参考にできる書籍などを紹介した。今後、一龍斎さんはコタン関係者らとチームを組み、制作に取りかかる。完成時期は未定だが、全国各地での披露を目指す。
 講談は張り扇で釈台をたたき、声色を使い分けてテンポ良く語る芸能。合戦などを扱った歴史物が多く、アイヌ民族に関する演目は初めてとみられる。一龍斎さんは「ユカラに込められた、アイヌ民族の自由さ、精神性をエンターテインメントで示していきたい。心がわくわくする講談にできれば」と話している。(光嶋るい)
☆ユカラのラは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/333804

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アイヌ差別 悲劇に重ね シェークスピア「旺征露(オセロ)」 ロンドンで上演

2019-08-16 | アイヌ民族関連
東京新聞 2019年8月14日 夕刊

9日、ロンドンで上演された「アイヌオセロ」の冒頭、アイヌ民族の旺征露(オセロ)が和人の貞珠真(デズマ)を妻として迎える婚礼の場面
 シェークスピアの悲劇「オセロ」の主人公を世界で初めてアイヌ民族として描いた演劇「アイヌオセロ 旺征露(オセロ)」が八月上旬、ロンドンで上演された。四百年前に書かれた黒人と白人の人種差別をアイヌと和人に投影し、古今東西に共通する人間の愚を表現した本作。ロンドンの劇場側は「欧州連合(EU)離脱で分断する英国でこそ見てほしい」と招待した。 (ロンドン・沢田千秋、写真も)
 「生まれてくる子は黒とも白ともつかねえ」「(和人とは)生まれも顔も血も違う」。舞台は幕末で、セリフは日本語。それでも、アイヌへの激しい差別感情や主人公オセロの潜在的な劣等感、嫉妬はシェークスピアの世界観を踏襲する。
 招待された仙台市の劇団シェイクスピア・カンパニー主宰、下館和巳(しもだてかずみ)東北学院大教授は、演出に際し、アイヌ芸術家の秋辺(あきべ)デボさんに協力を仰いだ。助言により「土人アイヌに(嫁を)やるなんて」など、差別語もあえて導入した。秋辺さんが率いる舞踏集団ピリカプは劇中、アイヌの衣装、音楽、言語を披露。下館さんは「アイヌの協力が劇の血肉となった」と振り返る。
 舞台上部の英語字幕で鑑賞した地元の学生アンドレ・バロッカさん(25)は「初めてアイヌを知った。西洋の植民地支配のように、日本でも差別があったのか」と感慨深げに語った。
 上演したタラ・シアターの芸術監督ジャティンダ・バーマさんは下館さんと三十年来の友人で、自身はインド系移民。ロンドンで四十年以上、反差別を訴える演目を手掛けてきた。
 今回、オリジナルにない演出として、オセロを憎む男をアイヌと和人の混血に設定。「混血は現代の移民に多く存在し、差別される自らの半分の血を激しく憎むジレンマを抱えている。アイヌオセロを英国に呼んだのは、アイヌの知識を広めると同時に、今の人種差別の悲劇として見てもらうためだった」という。
 バーマさんは「英国は今、かつてないほど分断している」と嘆く。「昨日もインド系の同僚が、路上で六歳ぐらいの子供から『国へ帰れ』とののしられた。EU離脱の混乱以降、人々の心はどんどん狭量になり、事態は悪化している」
 そんな状況下だからこそ、演劇の力に期待する。「二時間の鑑賞が異世界へいざなってくれる。役者がつむいだ異文化の物語を受け取った時、観客の心のありようは変化する。異なる世界へ心を開けば、多様性への理解につながるはずだ」
<オセロ> 英国出身の劇作家ウィリアム・シェークスピアの四大悲劇の一つ。1604年に書かれ、同年11月、国王ジェームズ1世を迎えたロンドン・ホワイトホール宮殿での上演が最古の記録。物語はイタリア・ベネチアで北アフリカ出身の武将オセロが白人の妻をもらうが、部下から聞かされた妻の不貞という虚偽の情報を信じ妻を殺害。妻の無実を知ると自らも命を絶つ。人種差別がもたらす憎悪、不信感、劣等感を描いている。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201908/CK2019081402000278.html

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慶應の女子大生が「アイヌ語」のユーチューブを始めた理由

2019-08-16 | アイヌ民族関連
Forbes JAPAN 2019/08/14 12:30
関根摩耶さん
いま世界に6000〜7000あるといわれている言語のうち、紛争や災害、あるいは社会的・経済的な理由により、話者が減少または死亡することで、約半数がこの100年間で消滅すると言われている。
2009年にユネスコが発表した「消滅危機言語」はおよそ2500語。その中に、日本で話されている言語も含まれている。
日本に危機言語がある、と言われてもピンとこない方が大多数だろう。なぜなら、多くの日本人は日本で話されている言語は日本語だけと考えているからだ。
日本における消滅言語のひとつが、主に北海道に居住し、かつては旧樺太、千島列島、東北地方北部などに居住していた先住民アイヌの言語「アイヌ語」だ。
「イランカラプテ」。アイヌ語で、「こんにちは」という意味の挨拶言葉である(「プ」は、アイヌ語の表記では小さく表示される)。直訳すると、「あなたの心にそっと触れさせてください」になる。近年では北海道の観光キャンペーンにもこの言葉が使われているので、ご存知の方もいるかもしれない。
アイヌ語は明治政府の同化政策の一環で使用禁止となり(※1)、話者が激減する。1898年に制定された旧土人保護法に基づき、アイヌの子供たちは強制的に日本的習慣を教えるアイヌ学校に入学させられ(※2)、日本語での教育が徹底された。またアイヌの親たちも自分たちの子供のことを考え、日本社会で生活をするためには日本語が流暢に話せる必要があると考えアイヌ語を教えようとしなかった。
その結果、2009年のユネスコの調査時点でアイヌ語話者は10数人程度と極めて少ない状況となった。
北海道のラジオ局であるSTVラジオでは、1987年からアイヌ語ラジオ講座を放送している。2018年度の講師を務めたのは、慶應義塾大学2年生の関根摩耶さんだ。摩耶さんは、アイヌが住民の7~8割を占めるといわれる二風谷地区で生まれ育ち、萱野茂さんからアイヌ語を学んだ最後の世代である。
アイヌ語弁論大会で2度の優勝経験を持つ実力者であり、アイヌ語の教材『ニューエクスプレス アイヌ語』(白水社)のアイヌ語音声や、北海道の日高地方を走る道南バスの車内放送でアイヌ語での案内も担当している。
ラジオのために毎週のように北海道と東京を行き来していた摩耶さんだが、そんな生活がひと段落したいま、新たな挑戦をしようと考えているという。アイヌ語の継承・発展に関わる若者世代の一人として、どのような想いで活動しているのか。話を聞いた。
──イベントやラジオ講座、インタビューと、精力的にアイヌ語の活動をされていらっしゃいますが、その原動力はどこから来るのですか?
自分が生まれ育ったアイヌ文化が大好きで、より多くの人にアイヌを知ってほしいと思っているからです。誰もが自分の故郷や文化を誇りに思っていて、自慢したいでしょう。私にとってのアイヌ文化もそれと同じ。アイヌに生まれたから、アイヌのためにやらなければならない、といった特別な使命感ではなくて、自分の育った文化に対する純粋な気持ちから、この活動に取り組んでいます。
──私も地元の香川に愛着を持っていて、都内で香川県人若手会など運営をしています。なぜそんなに熱心なのか尋ねられた時、単に「香川が好きだから」と答えると、拍子抜けしてしまうというか、がっかりしてしまうというか。「香川県の将来のため」、みたいな特別な使命感を求められてしまいます。
先祖が使ってきたアイヌ語を使って生活することができれば、それだけでとても幸せなんです。そんな環境を、自分の代では難しいかもしれないけど、自分の子どもや孫の代で実現できればいいなと思っています。そのために自分の活動が役に立つといいですね。
──自分が大切にしている価値観を多くの人が認めてもらいながら生きることができればとても幸せだと思います。一方で、まだまだアイヌ語がどんな言語なのか知らない人が多いと思います。摩耶さんはそんな人たちにアイヌ語のどんな点を伝えたいですか?
例えば、子どもが水をこぼした時、日本語では単に叱ったり、「あらあら」と思うだけでしょうが、アイヌ語だと「そこに水が飲みたい神様がいたんだね」と表現するんです。あらゆる事象を人間ではなく神の意思だと考える価値観が表れています。
狩猟にしても、日本語では「動物を矢で射る」と表現しますが、アイヌ語では「正しい人間には動物側から矢に当たる」と表現します。アイヌの考え方では、神と人間は対等かつ取引関係にあると考えられています。神は神の世界では人間と同じ姿をしていて、人間界に来るときに毛皮などのお土産を持ってやってくる。そして正しい人間のもとに(矢に当たる)ことで行き、そこで盛大にもてなされて人間からもらったプレゼントをもって神の世界に帰る。というような物々交換と考えられています。
このように、アイヌの持つ価値観や文化をアイヌ語を通して知ることができる点がとても面白いと思います。
──たしかに、言語は文化の根源と言えますし民族の宗教観、世界観を伝承する手段です。先祖が大切にしてきた価値観を伝える大切なものだと思います。大和民族の価値観を表現した日本語にも、一つのモノ、事象を様々に表現することばの豊かさがありますし、オノマトペと呼ばれる擬声語・擬態語がたくさんあることも大きな特長です。私もアイヌ語を知ることで、なんとなく話していた日本語の表現に対し敏感になりました。
言語は文化にとって切り離せない存在だと思います。特に文字がなく、口承だったアイヌ文化にとってアイヌ語はとても大切なものです。また、踊りや刺繍など様々あるアイヌ文化の中で、私が幼い頃から触れてきたのがアイヌ語でした。
父がアイヌ語を熱心に勉強していましたし、アイヌ文化について教えてくれた近所のおじいさんおばあさんたちも、やはり自分たちの言語の重要性を教えてくれました。だから、アイヌ文化を広めようと思ったとき、私がまずできることから始めようと考えたら、それがアイヌ語に行き着いたのです。
──幼いころからアイヌ語に囲まれた生活の中から、アイヌとしてのアイデンティティも育まれていったのでしょうか?
アイヌという言葉そのものは、北海道などの先住民族を指す言葉として使われていますが、もともとは「人間」という意味なんです。私の周囲も、「人間」という意味でアイヌという言葉を使っていたし、私も幼い頃からそういう意味で教えられ、使ってきました。
ですから、改めて「私たちはアイヌだ」という意識を持つことは、あまりなかったんです。どちらかというと、アイヌ語やアイヌ文化に根差した個性を持っているという感覚です。アイヌが多い地域から離れたあとも、いまだにその感覚が強いですね。
──大和民族が人口の圧倒的多数を占める東京で自らをわざわざ大和民族だと意識しないのと同じように、摩耶さんにとってもアイヌであることは当たり前の感覚だったんですよね。ところで、ラジオ番組で去年は相当忙しかったと思いますが、今年は何か新しい取り組みなど考えていますか?
ユーチューブを始めました!
──ユーチューバーになったんですか? それはまたなぜ?
いま気軽にアイヌ語に触れることができる機会は少ないと思います。だから、気軽で親しみやすくアイヌ語を知ることができる方法を作りたくて、ユーチューブという形で発信しようと考えました。
ユーチューブ第1回はアイヌ語の自己紹介について。摩耶さんとアシスタントがお喋りしながら進行する。時間も数分程度で気軽に観ることができる。※現在「しとチャンネル」という名前で随時更新中。(シトはアイヌ語で団子のことで、摩耶さんの好物)
──これまで、なんらかのきっかけでアイヌ語に興味を持ったとしても、どうしたらいいのか困った人も多かったと思います。まだまだアイヌ語を学ぶ教材は多くありませんし、ネットや書籍を探しても、専門的で難しそうな印象を受けるものが多い。そういう意味で、このユーチューブは簡潔でわかりやすいですね。
でも、まだまだ悩みながら制作しています。これまでのアイヌ文化に関する教材は、少し難しくてハードルが高かったと思います。そのため、制作する際には、どうすればアイヌ文化に触れやすく、身近に感じやすくなるかを第一に考えています。
あまりにまじめな内容にしてしまうと、ハードルが高くなる。一方で、目立つことや拡散されることばかりを考えてしまうのも違うなと思います。特に、アイヌ文化をある程度理解されている方やアイヌ文化に誇りを持っているアイヌの方々の気持ちを考えた時に、安易な動画にはしたくないという想いもあります。
そして、アイヌの方々自身にも、気軽にアイヌ語、アイヌ文化を学ぶ機会として活用していただけたらとても嬉しい。そう考えた時にどんなユーチューブにしていくか、試行錯誤の日々です。
悩みながらも少しづつ前に進む姿は力強い。摩耶さんのようにアイヌ語学習に積極的に取り組む人々は増加傾向にあり、慶応義塾志木高校や平取町立二風谷小学校などアイヌ語の授業を行う学校も現れてきた。アイヌ語を日本語と並んで日本の公用語にすることを目指す動きも起きている。
アイヌ語の継承や発展に向けた取り組みは各地で様々な人の手で行われてきた。アイヌ初の国会議員で、旧土人保護法の廃止とアイヌ文化振興法の制定に尽力した萱野茂さんもその一人。萱野さんは1987年から北海道沙流郡平取町二風谷でアイヌ語教室を開いた。そして当時教室に通っていた子供たちが現在、アイヌ文化の振興において重要な役割を担っている。
近年では、北海道や東京を始め各地で対象年齢を制限しないアイヌ語教室が多く開催されている。漫画『ゴールデンカムイ』が流行した影響も伺える。アイヌ自身が先祖の言葉を学ぶ目的以外に、アイヌではない人たちの間でも、彼らの文化を学ぶきっかけとしてアイヌ語学習が広まっている。
言語の多様性はその国の文化の豊かさを象徴するものだと思う。豊かな文化は、創造の源だ。アイヌ語の復興は、決してアイヌの方々だけの問題ではなく、日本に暮らすすべての人々の問題なのである。
少数言語の復興には、マジョリティの役割が欠かせない。まずは「イランカラプテ」という挨拶言葉から覚えてみよう。アイヌ語の世界が、そっとあなたの心に触れてくるだろう。
※1 1871年の開拓使通達でアイヌの習俗の禁止や日本語学習の奨励を指示。これ以降、法令等により「日本語学習を奨励する」という形をとり、事実上アイヌ語の使用が困難な状況となる。(参考)小川正人『近代アイヌ教育制度史』 ※2 1901年の旧土人児童教育規程等によって教育内容の詳細が規定され、旧土人学校で日本化教育を受ける体制が整備。(参考)小川正人『近代アイヌ教育制度史』
https://forbesjapan.com/articles/detail/28565

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ウポポイ開設PRイベント「アイヌフェスティバル2019」を開催します=北海道

2019-08-16 | アイヌ民族関連
JIJI.COM (2019/08/13 11:16:06)
 2020年4月24日、北海道白老町にウポポイ(民族共生象徴空間)がオープンします。
 民族共生象徴空間とは、アイヌ文化の復興・発展のための拠点となるナショナルセンターであり、主な施設に、アイヌ民族の視点で語る多彩な展示で歴史や文化を紹介する国立アイヌ民族博物館と古式舞踊の公演や体験プログラムを通じてアイヌ文化を体感できる国立民族共生公園があります。
 北海道では、来年4月の開設に向けて、ウポポイやアイヌ文化の魅力を紹介するPRイベント「アイヌ・フェスティバル2019」を開催します。
◆日時◆
2019年8月17日(土)~18日(日) 両日10:00~17:00
◆場所◆
札幌駅前通地下歩行空間(チ・カ・ホ)札幌駅側イベントスペース
(札幌市中央区北4条西3丁目、地下鉄南北線さっぽろ駅9番出口側)
◆内容◆
・アイヌ古式舞踊やアイヌ音楽の披露
・アイヌ民工芸品の販売、試着体験
・アイヌ民族衣装の試着、アイヌ料理の試食
・ウポポイ来場イメージ及びアイヌ民族の世界観のVR体験
 また、17日(土)には、以下のイベントを行います。
・ウポポイPRキャラクターの発表 (17日(土)11:00~予定)
・ウポポイ開設PRアンバサダー坂口渚沙さん(AKB48チーム8北海道代表)トークステージ(17日(土)13:30~予定)
◆お問い合わせ◆
北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課
TEL:011-204-5185
https://www.jiji.com/jc/article?k=20190813Pr2&g=jmp

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アイヌ文化保存・伝承 体験型で新観光事業―千歳市と協会

2019-08-16 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2019/8/14配信
 千歳固有のアイヌ文化の保存と伝承を目的に、千歳アイヌ協会や千歳市などの関係者が新たな観光事業を創出する動きを開始した。伝統漁具を使用するマレク漁体験、チプ(丸木舟)の制作体験などを素材とする誘客策や記録動画の製作を盛り込んだ事業展開を目指す。事業を通して千歳アイヌの文化振興を図る狙いがある。
 北海道観光振興機構が実施主体となる「石狩地域コンテンツの旅行商品化促進事業」として展開する。同事業には千歳市、札幌市、北広島市が参加。共同で事業案をまとめて同機構に提出し、採択された。事業は観光資源構築などを行うインサイト(札幌)と日本旅行北海道(同)の2社が同機構から受託して実施する。
 事業は主に千歳市の案が多く盛り込まれた内容で、アジア圏からの訪日外国人旅行者が対象。千歳アイヌ協会と市は1年前から事業化に向けて話し合いを進め、今後は2社も加わって具体的な事業化を進める。
 千歳に関する事業の分野は▽歴史文化資源の開発▽動画製作・配信▽受け入れ環境整備―など。伝統漁具のかぎもり、マレクを使い実際にサケを捕る体験のほか、アイヌが使った丸木舟を観光客が一緒になって制作する体験型観光を実現したい考えだ。
 加えて歴史と文化の後世への保存と継承のため、記録目的を柱とした動画も製作する。伝統舞踊など千歳アイヌの文化を映像化して、市埋蔵文化財センターや蘭越生活館などで公開することを念頭に置く。
 パンフレットや関係施設の館内表示などの多言語化も検討している。
 アイヌ文化を「観光資源」とだけ捉えるのではなく、伝統文化の振興と継承に主眼を置いた事業にしていく方針。観光事業化で一定の収益を上げる仕組みをつくり、活動に継続性を持たせる狙いがある。
 このほど関係者による初めての合同会合が開かれ、受託者であるインサイトの担当者が事業概要を説明。市観光企画課の吉見章太郎係長は「歴史をしっかりと見詰めて伝承するためにお手伝いをしたい」と強調した。出席した千歳アイヌ協会の中村吉雄会長も「北海道の歴史はアイヌ文化なしでは語れない。共存共栄で、みんなで取り組んでいければ」と話していた。
https://www.tomamin.co.jp/news/area1/16931/

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北海道)野付半島に会津藩の隊旗 北辺警備の歴史示す

2019-08-16 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2019年8月16日03時00分
 花々や野鳥の自然豊かな野付半島を走るフラワーロード沿いで、「會」の字をあしらった旗が訪れる人の目を引いている。幕末の蝦夷地でこの地域の警備を担い、北海道標津町に陣屋を置いた会津藩の隊旗だ。
 隊旗は、陣屋に勤務中の文久3年(1863年)に亡くなり、野付半島に葬られた会津藩士ら3人の墓2基のありかを示す。標津町歴史文化研究会(中村憲二会長)が、夏の観光シーズンの間立てている。13日には、さらに墓を藩の陣幕でおおい、藩士をしのぶ盆恒例の供養祭も開かれた。
 墓には会津藩の陣屋の歴史を記す同研究会のちらしも置かれ、隊旗を立てるようになって年間2千部ほどが持ち帰られているという。「蝦夷地で和人とアイヌはしばしば対立したが、会津藩士はアイヌに教育をほどこし、一緒にサケ漁を開発するなど協力した。墓を訪れ、そうした歴史をぜひ知ってほしい」と、中村会長は話している。(大野正美)
https://www.asahi.com/articles/ASM8H3S02M8HIIPE006.html

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NZ先住民マオリ族の青少年が訪台 台湾原住民アミ族の歓迎受ける

2019-08-16 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2019/08/15 11:23

行政院庁舎で台湾アミ族の人々(左側)の出迎えを受けるニュージーランド・マオリ族の青少年ら
(台北 15日 中央社)ニュージーランドの先住民マオリ族の青少年一行が14日、ルーツ探しのために訪台し、台北の行政院(内閣)庁舎で台湾原住民(先住民)アミ族の人々に出迎えられた。アミ族のKolas Yotaka(グラス・ユタカ)行政院報道官は「ここはみなさんの郷里です。われわれは家族です」と歓迎の意を示した。
近年の研究では、台湾とニュージーランドは同じオーストロネシア(南島)語族に属し、同語族の祖先は5000年余り前に台湾を出発して、約1200年前にニュージーランドにまで到達したとされている。昨年から台湾原住民とマオリ族の相互訪問が始まり、青少年間の結びつきを通じて同語族間の重要なネットワークが築かれることが期待されている。
訪台したのは、ニュージーランド北島に住むナティ・マヌ部族の青少年ら。東部・花蓮県玉里集落のアミ族の人々らから出迎えられた後、伝統芸能のカパ・ハカを披露した。
一行は24日まで台湾に滞在する。来年2月には台湾原住民の青少年団がニュージーランドを訪問する予定。
(顧セン/編集:名切千絵)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201908150001.aspx

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インドネシア東端で激化、軍と武装集団の衝突

2019-08-16 | 先住民族関連
JBpress 2019.8.16(金)大塚 智彦
取材規制も敷かれ、衝突の実態は窺い知れず

2016年12月、首都ジャカルタで西パプアの独立を訴えデモを行う「自由パプア運動」(OPM)の人々(写真:AP/アフロ)
 グリーンランドに次ぐ世界で2番目に大きな島「ニューギニア島」は、東半分を独立国であるパプアニューギニアが占め、西半分はパプア州と西パプア州からなるインドネシア領となっている。インドネシア領としては最東端に位置するパプア州は民族的にはニューギニア高地人とメラネシア系の住民が先住民族で、インドネシア併合後は移民政策でジャワ人などが多数入植、インドネシア同化政策が進められている。
 首都ジャカルタがあるジャワ島から遠隔地であることや山岳地帯が多いことなどからインドネシアでは最も開発が遅れた地域とされ、分離独立を求める武装組織「自由パプア運動(OPM)」による独立運動が、弱体化しながらも現在も続いている。
 そのため外国メディアによる自由な取材活動も制限され、OPMやその分派が活動を続ける中部山岳地帯などの取材には警察当局の許可が求められることが多い。
警察官を拉致して殺害
 そのパプア州で現在、2018年に発生した道路建設作業員19人の殺害事件に関連して「治安維持」を名目に増派された国軍、警察部隊と武装勢力による衝突が繰り返されていることが改めて注目される事態となっている。
 この8月12日に、プンチャック県ウシル村で活動中の警察官が正体不明のグループに拉致され、約6時間後に殺害されているのが発見されたためだ。
 事件はインドネシア国内で大きく報道され、ユスフ・カラ副大統領は14日に「反撃する必要がある」と発言。リャミザード・リャクード国防相も「警察官を殺害したグループは壊滅させる」と強硬姿勢を示し、インドネシア世論は現地武装勢力に対して厳しいものになりつつある。
相次ぐ襲撃や治安部隊との衝突
 もう少し詳しく経緯を振り返ってみよう。
 2018年12月2日、ンドゥガ県イギ郡のパプア縦断道路建設工事現場で州外からの出稼ぎ労働者ら19人が正体不明の集団に襲撃されて殺害される事件が起きた。当時は翌年4月の大統領選、総選挙を控えた時期だったので、「パプアの独立運動激化」という印象を回避するためか、政府や治安組織は単なる「犯罪集団」による犯行とみなしていた。
 そうした中、2019年3月7日には同県同郡で移動中の軍部隊が待ち伏せ攻撃され、兵士3人が死亡する事件が起きた。襲撃側も7人が現場で殺害されたとされる。さすがに当局も、この犯行は犯罪集団というよりOPMの分派、あるいは別組織との見方を示して、現地に約600人の兵士を急派して治安回復と武装組織掃討作戦に着手したのだった。
 地元紙「テンポ」や「ジャカルタ・ポスト」などの報道を総合すると、軍や警察の増援部隊が展開する中、同郡ではパプア人の一般住民が近隣の村落や山間部に避難したり、学校が休校したりするなど市民生活に深刻な影響が出はじめていたという。
 そうした事態のさなかに起きた今回の警察官殺害事件だけに、政府や治安当局は事態を重視して「掃討作戦の徹底」を進めようとしている。もっとも増派部隊による一般のパプア住民への尋問・捜索はこれまでも過酷を極め、放火や脅迫、暴行が横行し深刻な人権侵害が起きているとの情報もある。
 国際的な人権団体「アムネスティ・インターナショナル」やパプア人の人権擁護団体、さらにキリスト教徒が多数のパプアで活動するカトリック教会関係者などは、ンドゥガ県地域を中心に多数の住民が治安部隊から逃れるため難民化しており、その結果2018年12月から2019年7月までに飢餓や治安部隊の暴行などで182人が死亡したとしている。「軍や警察は地域の教会を占拠してそこを拠点にして武装集団捜索の名目で民家を焼き払っている。そのため多数の住民が山間部に避難せざるをえなくなっている状況だ」とパプア人人権団体関係者は指摘している。
 これに対し政府側の発表によると死者は59人であり、「182人の死者説は偽情報であり、人権侵害も事実ではない」としている。
 国家警察のデディ・プリセトヨ報道官も地元メディアに対して「国軍と警察は現地の地域の安定に寄与しており、我々の存在に住民は安心して生活している。人権侵害をしているのは現地の犯罪者集団であり、独立組織である」との見解を示し、双方による非難合戦、責任の押し付けが繰り返されている。
 パプアのンドゥガ県やプンチャック県などの遠隔地で何が起きているのかは、地元インドネシアメディアも現地取材が困難なため、インターネットやテレビ電話などで現地治安当局者にインタビューするなどして情報を得るしかなく、実情はよく分からない、というのが正直なところだ。
インドネシア軍の侵攻で葬られた独立
 パプア州と西パプア州はかつてイリアンジャヤ州と呼ばれる一つの州で、1961年に植民地支配していたオランダが独立を認めたものの、直後にインドネシアが軍事侵攻して占領。1969年に住民による「独立か、インドネシア併合か」を問う住民投票を実施したが、結果を無視してインドネシア領に併合され、以後OPMなどによる独立を求める武装闘争が今日まで続いている。
 パプア州南部にあるティミカは世界的な銅・金の産出地である。米フリーポート社による銅・金の産出と精錬の一大工場地帯で部外者の立ち入りが厳しく制限された場所で、インドネシアがパプアを手放さなかった最大の理由がその豊富な地下資源にあると言われている。
 こうした背景はスマトラ島北部で長らく独立武装闘争が続いたアチェ特別州も豊富な石油資源があったことと同じである。
実際に何が起きているのかは不明
 インドネシア政府の姿勢をさらに強硬にしたのは8月13、14日に南太平洋のツバルで開かれた太平洋諸島フォーラム(PIF)という南太平洋の18カ国・地域が参加する国際会議に、主催国バヌアツの代表一員という形で英国在住のパプア独立武装組織の幹部が参加したことだ。
 人権問題を主に伝える「ブナール・ニュース」の報道によると、インドネシア政府は外交ルートを通じてフィジーのPIF本部に口頭と書簡で「インドネシアはそもそもPIF正式メンバーではなく、パプアの問題は内政問題であり、武装勢力の参列はインドネシアに対する敵対行為である」と抗議したという。
 1998年に民主化の波で崩壊したスハルト長期独裁政権の時代には、パプア地方(当時はイリアンジャヤ州)は東ティモール、アチェとともに国軍による「軍事作戦地域(DOM)」に指定され、精鋭部隊が派遣されて独立武装組織との戦闘が繰り返された。その結果、多くの犠牲者とともに人権侵害事件が発生、国際世論の批判を浴びた。
 その後、東ティモールは2002年に住民投票結果を受けて独立を果たし、アチェ特別州は2004年12月のスマトラ島沖地震・津波の甚大な被害を契機に特別自治を認める形で独立運動は終焉した。
 そのため、現在も独立武装運動が継続されている唯一の地域であるパプアは、インドネシア政府や治安部隊にとっては「喉に刺さったトゲ」であると同時に、国軍部隊や警察が唯一「実戦」として作戦を実行できる地域として残されている。
 OPMはアチェの「自由アチェ運動(GAM)」や東ティモールの「ファリンテル」などの武装組織・勢力に比べると組織も構成員、所持する武器も貧弱で、インドネシア軍が本腰を入れて掃討作戦を実行すれば間違いなく壊滅は可能と言われている。
 しかし、そうしない理由が民主化の時代に武装治安組織として軍が存在感を示し、社会安定に寄与する姿を国民に示す場所、機会としてパプアが利用されているとの見方が説得力を持って指摘されているのだ。
 「実際には何が起きているのか分からない」と多くのインドネシア人記者は見ている。そして「何が起きていてもおかしくない」とも断言する。
 ニューギニア島に生息する極楽鳥(フウチョウ)は最も美しい鳥と言われ、もちろんパプア州でもその貴重な姿を見ることができる。インドネシア語で「チェンドラワシ」という極楽鳥はパプアのシンボルでもあるのだが、パプアの予断を許さない現状は、「極楽」の名にはあまりに相応しくないと言えるだろう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57340

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「アイヌ民工芸品展示販売業務」に係る一般競争入札

2019-08-16 | アイヌ民族関連
札幌市 2019年8月15日
告示文
本業務に係る一般競争入札については告示文(札幌市告示第4283号)(PDF:174KB)にて告示されています。
告示日
令和元年(2019年)8月13日(火曜日)
入札説明書
入札説明書(PDF:230KB)
仕様書(PDF:242KB)
平成25年度札幌市アイヌ民工芸品振興基礎調査等業務報告書(PDF) (PDF:3,706KB)
平成29年度札幌市アイヌ民工芸品振興等可能性調査等業務報告書(PDF:7,083KB)
平成30年度札幌市アイヌ民工芸品振興等可能性調査等業務報告書(PDF:8,618KB)
入札説明書 別紙1 契約条項(PDF:226KB)
入札説明書 別紙様式1 質問書(Word)(ワード:19KB)
入札説明書 別紙様式2 入札書(Word)(ワード:35KB)
入札説明書 別紙様式3 代理委任状(Word)(ワード:30KB)
入札説明書 別記(PDF:86KB)
入札説明書 別記 様式1(Word)(ワード:18KB)
質問期限
令和元年(2019年)8月13日(火曜日)から令和元年(2019年)8月15日(木曜日)まで
(入札説明書のとおり書面を提出すること)
入札日時及び場所
令和元年(2019年)8月20日(火曜日)13時30分
札幌市役所地下1階2号会議室
http://www.city.sapporo.jp/shohi/keiyaku/ippankyoso/tenjihanbai.html

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<北海道>アイヌ文化をリレー展示 「ウポポイ」開設に向けて(動画)

2019-08-16 | アイヌ民族関連
HTB 8/14(水) 12:01配信

 アイヌ文化を広く知ってもらおうとアイヌ伝統の工芸品展が札幌市内のホテルで開かれています。
 この展示は民族共生象徴空間=ウポポイが来年4月、白老町にオープンするのを前に、アイヌ文化を広く知ってもらおうと行われているものでウポポイを応援する134の企業と団体がそれぞれリレー形式で行っています。今回展示されているのは木彫りのカエルのほかアイヌ民族伝統のお盆や小さな刀、喫煙具などの工芸品6点です。会場ではウポポイのPR動画も上映されています。こうしたリレー展示は来年4月のウポポイオープンまで続きますが今回の京王プラザホテルでの展示は今月21日までとなっています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190814-00000002-htbv-hok

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中島翔哉が定位置を掴めない理由に? 実父に直撃…ポルト気鋭の22歳、ルイス・ディアスとは

2019-08-16 | 先住民族関連
footballchannel.jp2019年08月15日(Thu)10時20分配信
今夏、ポルトガルの名門ポルトに移籍した中島翔哉は熾烈なポジション争いに身を置いている。その中島のライバルとなるのがコロンビア代表FWルイス・ディアスである。22歳の新鋭はどのようなキャリアを歩んできたのか。コロンビアサッカーに精通する記者がルイス・ディアスの実父を訪ねた。(取材・文:北澤豊雄)
多くのコロンビア人がポルト経由で大成

ポルトで中島翔哉とポジションを争うルイス・ディアス【写真:Getty Images】
 中島翔哉の名を出すと、彼はしばらく考えてから口を開いた。
「動きの良い選手だろう。背番号10の」
 名門ポルトの10番の噂は南米コロンビアの片田舎にも轟いているのだ。中島の入団発表の数日後、ワユ民族という先住民の血を引く若きコロンビア人アタッカーがポルトに加入している。中島と同じ左サイドを主戦場とする22歳のルイス・ディアスは国際的にはまだ無名だが、コロンビア代表の新鋭である。
「中島は息子さんとはライバルになりますね」
「ポルトには良い選手がたくさん集まる。そういうチームだ」
 ルイス・ディアスの父親のマヌエル・ディアスはそう言うと、グランドの中央でリフティングに精を出す子供たちのほうに戻っていった。彼はクラブバイエルンという少年サッカークラブの監督である。
 グラウンドの外に置かれた彼のスクーターには、コロンビア代表のユニフォームを着た息子の写真が座席の側面に大きく引き延ばして貼れていた。コロンビアの首都ボゴタから北へ約710キロ、ここ、グアヒラ県バランカス市でルイス・ディアスは生まれている。
 コロンビア人選手が欧州に挑戦するのは、それほど珍しいことではない。にもかかわらず彼が現地メディアで話題になっているのは、新天地がポルトであることと、コロンビアサッカー界のレジェンド、カルロス・バルデラマの秘蔵っ子だからである。
 コロンビアスポーツ紙「アス・コロンビア」Web(2019年7月4日)はルイス・ディアスの加入を受けて大胆にも《ポルトはコロンビア人選手がヨーロッパで住む最初の家》と謳い上げている。多くのコロンビア人選手がポルトで活躍、またはポルトを経由して大成しているからである。
 フレディ・グァリン(2008/09~2011/12)、ラダメル・ファルカオ(2009/10~2010/2011)、ハメス・ロドリゲス(2010/2011~2012/2013)ら日本人に馴染みのある選手を筆頭に、ポルトガルリーグ3年連続得点王のジャクソン・マルティネス(2012/2013~2014/2015)、ロシアW杯の日本戦でハメスの代わりにタクトをふるいフリーキックを決め、現在はリーベル・プレートの司令塔を務めるファン・フェルナンド・キンテーロ(2013/2014~2014/2015)のほか、合計7人がポルトでプレーした。それらの系譜を継ぐ8人目のプレイヤーとして期待されているのだ。
18歳まで本格的なサッカー教育を受けず
 とはいえ、ルイス・ディアスは18歳まで本格的なサッカー教育を受けていない。18歳のときに「コパ・アメリカ先住民サッカー大会」が開催されるにあたってそのセレクションを受けて合格、コロンビア各地の先住民の有望なプレイヤーが集まった。
 コロンビアには102の部族が住んでいる。ワユ民族の一人として参加した同大会では決勝でパラグアイに敗れたものの、コロンビア代表を準優勝に導く活躍を見せた。そのときテクニカルディレクターとしてチームに帯同していた人物こそがカルロス・バルデラマだったのである。
 バルデラマは彼の身体能力を高く評価して大会が終わるとすぐに自身が所属した国内の名門「ジュニオル」に推薦。セカンドチームのバランキージャFCに入団すると、3年目にトップチームに引き抜かれ、4年目に才能が開花。リーグ戦38試合に出場して13得点4アシストを記録、2018年9月にはA代表に初招集され、今年6月に開催されたコパ・アメリカにも出場している。
 ボールを持ったら縦の動きに強く、独特のリズムで踊るように強弱をつけながら一瞬で相手を抜き去る。今年3月22日におこなわれた日本との親善試合では、79分に交代出場すると90分に左サイドから室屋を置き去りにして強烈な左シュートをポストに当てている。元コロンビア代表のアスプリージャを想起させるバネがあり、推進力に長けた選手だ。中島とはタイプが違うが、ライバルになることは間違いない。
 現在、左サイドにはポルトで実績のあるメキシコ代表のヘスス・コロナ、それに、左右をこなせるブラジル代表のオタービオといったワールドクラスが待ち受けている。同期入団、同ポジションの中島翔哉とルイス・ディアスはどうなっていくのか。あるいは、どう連係していくのかーー。ポルトのポジション争いも見逃せない。
(取材・文:北澤豊雄)
https://www.footballchannel.jp/2019/08/15/post334410/

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新たなブーム! 美しい木彫り熊の展覧会が開催。

2019-08-16 | アイヌ民族関連
Housekeeper8/14(水) 11:45配信
〈CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店〉にて、北海道の木彫り熊を展示する『東京で熊さんかい?by東京903会』が開催中。迫力ある姿から愛くるしいものまで、表情豊かな木彫り熊たちが一堂に会しています。
尾張徳川家の当主であった尾張義親がスイスから持ち帰った熊に由来する、北海道の木彫り熊。かつては定番の北海道土産だったが、近年そのデザイン性や技術に注目が集まり新たなブームとなっている。
この夏、木彫り熊を広める活動を行う「東京903会」が、〈CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店〉にて展覧会を開催中だ。代表の安藤夏樹のコレクションを中心に道内各地の木彫り熊を展示するほか、総勢220点もの木彫り熊の写真を収録した図鑑『熊彫図鑑』を発売。また、新旧の木彫り熊も販売する。
発祥の地、八雲の熊や、旭川のアイヌのアーティストによる熊。はたまたトロフィーや看板として彫られた変わり種の熊まで、数多くの作品が揃ったこの展覧会。鮭を咥えた荒々しい姿というこれまでのイメージを変える、奥深い木彫り熊の世界に出会えるはずだ。
text_
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190814-00003957-casabrutus-cul

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とんでもない湯の圧力 旅行作家・下川裕治が行く、台湾の超秘湯旅3

2019-08-16 | 先住民族関連
朝日新聞8/15(木) 20:02配信
■クリックディープ旅
本連載「クリックディープ旅」(ほぼ毎週水曜更新)は、30年以上バックパッカースタイルで旅をする旅行作家の下川裕治さんと相棒の写真家・阿部稔哉さんと中田浩資さん(交代制)による15枚の写真「旅のフォト物語」と動画でつづる旅エッセーです。過去「12万円で世界を歩く」や「玄奘三蔵が歩いたルートをたどる旅」など過酷な?テーマのシリーズでお届けしてきました。
今回のテーマは「台湾の超秘湯旅」。3回目は、泰安温泉から廬山(ろざん)温泉を目指します。はたしてどんな秘湯や珍道中が待っているのでしょうか? もはや生き様ともいえる旅のスタイルや、ひょうひょうと、時にユーモラスに旅を続ける様子を温かいまなざしでお楽しみください。
台湾の温泉は一期一会
前回、泰安温泉の行き止まりにあった警光山荘で湯につかった。ここは日本の統治時代に建てられた温泉施設だった。今回は、ここから行きに通ってきたウェンシュイシーという川に沿った道をくだり、台中の秘湯をめざして南下していく。その途中にもいくつかの温泉があった。湯が湧きでていたら、「とりあえず入っていこう」というのりで南下していく。
台湾の温泉は地震や水害の影響で、温泉が枯渇したり、突然、湧出(ゆうしゅつ)したりすることもよくあるという。どうも台湾の温泉は一期一会の感がある。台中への道沿いにも、休業状態になった温泉が二つあった。そして台中から、再び山中に分け入っていく。
旅のルート
今回の旅のデータ
幹線道路に沿った温泉は、泊まり客より、日本の温泉ランドのように利用されることが多い。それぞれ、趣向を凝らした浴室や温泉プールをつくり、1日のんびりできる施設になっている。料金は350元、約1225円というところが多かった。
日本でいう「ご休憩」で使うカップルも多いらしい。そんな客向けなのか、ホテルのような個室も用意されている。部屋には温泉もある。食堂を充実させ、ビアガーデン風の施設をつくったところもある。台湾の温泉も客集めに苦労している。
■泰安温泉から廬山温泉へ「旅のフォト物語」
Scene01
台中への街道沿いにいくつかの温泉がある。そのなかの麒麟(きりん)峰温泉旅館に寄ってみることにした。台中から車で30分ほどの距離。日帰り利用が多い温泉だった。近くに日光温泉もある。「あそこよりうちの方が泉質がいい」と麒麟峰温泉旅館のオーナー。商売敵の悪口を必ずいうのは、台湾の温泉オーナーの特徴。
Scene02
温泉ランドのように利用されることが多いから、さまざまなタイプの浴室がある。屋外の温泉プール、個室、露天風呂スタイル……そのなかに必ずあるのが“日式”(=日本式)。裸で入ることができる温泉だ。見ていると、ここがいちばん人気。台湾人も裸入浴が好きらしい。僕も日式へ。温泉の温度は42度。少しぬるっとした泉質。
Scene03
台中手前にある道沿いの食堂で昼食。メインのおかずを1品注文すると、あとは定食のようにしてくれる庶民食堂。このあたりの名物だという鶏肉のカツを指さすと、野菜を4種類ほどとご飯とスープを添えてくれて70元、約245円。かなりのボリューム。鶏肉は脂身が多い。名物といっても安食堂になると味は……。
Scene04
台中をかすめるように進み、埔里(プーリー)に出た。埔里といえば紹興酒。その工場がある埔里酒廠(ジウチャン)の店に寄った。大陸からの中国人を乗せたバスが何台も止まっていた。ここで酒づくりが盛んになった理由は水がいいから。その水は台湾の中央の山から流れ下ってくる。その流れに沿って秘湯を求め、山に分け入っていくことになる。
Scene05
店の裏手に鳥居があった。見ると和服姿の女性たちが。わざわざ埔里まで和服でやってくる日本人女性? 違いました。この鳥居脇に和服のレンタルショップがあるのだという。そして鳥居をバックに、日本にいるかのような写真を撮ってインスタにアップ。台湾や韓国ではつい鳥居に神経を使ってしまう僕は、ちょっと複雑。
Scene06
埔里から眉渓(メイシー)に沿って山に向かっていくと、突然、埔里箱根。「これって温泉?」「箱根ですよ」。聞くと温泉だった。オーナーの息子の林原毅さんが説明してくれた。20年ほど前、地震の後で、温泉が湧出したのだという。いま周辺に温泉は3軒。ただ温泉としての名前はない。「埔里温泉にしましょう」。勝手な日本人だと林さんにあきれられた。
Scene07
「温泉となれば入らなくてはいけない」と今回の旅の案内人で温泉フリークの廣橋(ひろはし)さん。僕はそのつもりはないが、台湾の全温泉制覇を目指す彼につられて、やはりつかってしまう。前回紹介した泰安温泉と合わせ、今日、3回目の入湯。さすがに疲れた。気分を変えようと打たせ湯の下に立ってスイッチを入れると、とんでもない湯の圧力。台湾人はこういう湯が好きなの?
Scene08
一気に山をのぼっていく。頂に近いあたりに碑があった。霧社事件のものだった。日本統治時代、2回にわたって事件が起きた。1回目は日本に反発する先住民の一部が駐在所や学校の運動会を襲ったことがきっかけだった。134人の日本人が犠牲になった。日本軍や警察は鎮圧するが、1000人以上の先住民族が死亡したといわれる。
Scene09
2回目の霧社事件は先住民同士の争いに発展してしまった。1回目の事件では、霧社公学校での運動会に参加していた人々が襲われた。和服を着た日本人が標的になった。先住民には首を狩る習慣があった。霧社の中心に記念公園がつくられていた。
Scene10
霧社から廬山温泉をめざして坂道を下っていく。廬山温泉──。台湾中部では有名な温泉地だった。しかし2008年、台風による増水で多くの宿が水没。2012年、政府は廬山温泉の廃止を伝えた。しかし営業している宿もあるらしい。これも秘湯? はたして廬山温泉で温泉につかることはできるのだろうか。
Scene11
廬山温泉はまだあった。政府は埔里近くに移転地をつくったが、深い山に囲まれた温泉の雰囲気は消えてしまう。移転を拒む宿も多いようだった。温泉街の入り口には客引きまでいた。「まだ200軒以上が残っている。廬山温泉はもうないっていうのは風評」。客引きのおじさんは声を荒らげるのだが。
Scene12
しかし温泉街は寂しかった。人通りが圧倒的に少ない。土産物や食堂が連なる通りでは、猫が寝ていた。長編動画を見てほしい。温泉街の中心でもあるつり橋。朝とはいえ、渡る人もまばらなのだ。さて、今晩はどうしようか。泊めてくれる宿はそこにあるのだろうか。坂道を行ったり来たりするしかなかった。
Scene13
温泉街をゆっくり歩くと、やはり廃業した宿や食堂、土産物屋が次々に現れた。彼らはいったいどこへ行ったのだろう。政府が用意した土地には、まだ温泉街はできていないという。「向かいの宿は安いよ。なにしろこういう状態だからね」。食堂の中年女性が教えてくれた。泊まることができるってこと?
Scene14
結局、正揚大飯店という宿に。ひとり朝食付きで600元、約2100円。民宿並みの値段ではないか。「いや~、足元を見るようなことになってしまってすいません」と申し訳なさそうな顔をつくるが、心のなかでは、「やった!」と叫んでいた。貧乏派旅行者ですいません。と、いいながら、本日4回目の温泉は部屋で入った。
Scene15
「宿を教えてくれた女性の店に行かないとまずいんじゃない?」と中田カメラマンと廣橋さんに促して、閑古鳥が鳴く食堂へ。女性は待ち構えていました。彼女がつくってくれたのは炒山羌肉。山鹿肉の炒めものだった。これで200元、約700円。ほかに名物だという高原キャベツの炒め物。誰も客がいない静かな店内。秘湯旅はまだ続く。
【次号予告】次回は廬山温泉から梵梵野渓温泉への旅。
※取材期間:2019年5月9日~10日
※価格等はすべて取材時のものです。
<下川さんによるクラウドファンディング>
「バングラデシュの小学校校舎の修繕プロジェクト」はこちら
https://a-port.asahi.com/projects/sazanpen/
(文:下川裕治 写真・動画:中田浩資 / 朝日新聞デジタル「&TRAVEL」)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190815-00010000-asahiand-life

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