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坂本龍一、日本全国をかけまわる夏──教授動静【第15回】

2019-08-31 | アイヌ民族関連
GQ 8/30(金) 20:41配信

“教授“こと坂本龍一の動向を追うライター・編集者の吉村栄一による「教授動静」。第15回は、8月に日本に一時帰国した教授が参加したイベントの詳報をお届けする。(この連載は、毎月末に更新します。お楽しみに!)
More treesトリエンナーレ
前回お伝えしたように、教授は充実した台湾訪問を終えてニューヨークに戻った。
ニューヨークでは、引き続きフェルディナンド・チト・フィロマリノ監督の新作映画『Born To Be Murdered』の音楽制作に集中し(途中、ロスアンジェルスでフライング・ロータスとセッションも行なったが)、さあ、いよいよ佳境というところで夏の日本行きとなった。
この2019年夏、日本での予定もなかなかに気ぜわしい。北は北海道から南は和歌山、香川まで全国各地で予定が入っていた。
最初に赴いたのは北海道の美幌町。2007年に教授が立ち上げた森林保全の団体「more trees」のトリエンナーレ出席のためだ。美幌町は同じく道内の下川町、足寄町、滝上町とともに森林バイオマス吸収量活用推進協議会を結成している町。美幌町民会館で8月3日に行われた「more trees シンポジウム~多様性のある森づくり」でパネル・ディスカッション「『多様性のある森づくり』と私たちの暮らし」に作家の浜田久美子氏、more trees事務局長の水谷伸吉氏とともに登壇したほか、トリエンナーレの懇親会にも出席した。
「3年に1回のトリエンナーレでは、北海道から九州まで、more treesが提携している森林をもつ11の市町村の人びとが集まりました。どの地域でも森林の活性化や保全の活動をし、木の利用の促進にも取り組んでいるのですが、それぞれの市町村はお互いをよく知らない。風土や気候もちがう。しかしサステイナブルな活動を行なうのに、情報や知識を共有したほうがいいという考えから、3年にいちどみんなで集まって智恵を共有しようという集まりなんです」
トリエンナーレには、各自治体の関係者やmore treesを支援する関連企業の人びとも多く集まった。12年という歴史のあるmore treesだから、懐かしい顔もある。乾杯もした。
「みんなで話し合い、懇親を深める楽しい会。各地の森の人たちに会える機会はあまりないので、町長さんや市長さんが代替わりしていたり、逆に、まだご健在という方もいる。more treesも12年経って、最初に植樹した木はだいぶ大きくなってきたけど、それでも樹木が成木になるまでに60~70年はかかる。伝統的な林業というのはもともとそういうものなので、みんな次世代のためにがんばっています」
今回のトリエンナーレでとくに話し合われたのは、「日本の森に多様性を取り戻す」ということ。
「日本では、戦後すぐから建築需要で森が杉や桧の針葉樹ばかりになってしまったのを、もっと多様性のある森に戻したいということです。針葉樹ばかりだと花粉の問題もあるし、海外の輸入材流入の関係でお金が回らなくなり、それで保全もできなくなっている。針葉樹だけとか、単一種のみの森ではなく、広葉樹もまぜていろんな種類の木が生えている森のほうが、需要の変化にも対応できるし、病気や災害で一斉に枯死することもない。これは言ってみれば、自然の森の模倣ですね」
大阪、そして岩手へ
北海道の次は岩手に予定があったが、その移動の合間に単身、大阪にも立ち寄った。
目的は堂島リバーフォーラムで行われていた「堂島リバービエンナーレ2019」。ジャン=リュック・ゴダールの映画『イメージの本』にインスピレーションを受けて「歴史的記憶」をテーマに展開された本展には、ゲルハルト・リヒター、トーマス・ルフ、フィオナ・タン、ダレン・アーモンド、佐藤充に加え空音央/アルバート・トーレンの作品が展示された。
岩手の陸前高田市では、夢アリーナたかた多目的ホールで8月7日に行われた「三陸防災復興プロジェクト2019 クロージングセレモニー」に出席。東北ユースオーケストラから編成された弦楽四重奏とともに出演し、ストリングス+ピアノの小コンサートを行なった。曲目は「Kizuna World」「Aqua」「美貌の青空」「Rain」「ビハインド・ザ・マスク」「ラストエンペラー」「戦場のメリークリスマス」の7曲。東日本大震災からの復興を目的としたチャリティ企画で生まれた「Kizuna World」に加え、定番曲、そしてYMOの「ビハインド・ザ・マスク」も特別に演奏された。
「みんなが知っている『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』のほかに、もうちょっと盛り上がる曲もほしいなと。なにしろ場所が広いホールで、来てくださった幅広い年齢層の現地の方たちがちょっとでも耳にしたことがあるような曲がいいだろうと思ったんです。ぼくの場合はそういう曲が少ないので(笑)、ビートの効いた『ビハインド・ザ・マスク』ならいいんじゃないかと。これは盛り上がりましたね」
なんでも、達増拓也岩手県知事もYMOのファンだったそうで、「ビハインド・ザ・マスク」の演奏には「胸が熱くなりました」と教授に感想を伝えたそうだ。
陸前高田は教授にとって縁のある町。震災直後にmore treesが協力してここに100棟の木造の仮設住宅を建てた。その仮設住宅にはいまも11家族が残っているという。
また、震災翌年の2012年の冬にも同町を訪れ、陸前高田の高田中学校で慰問のコンサートを行った。その模様はドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』にも収録されている。
「2011年に行ったときの陸前高田は、あちこちに瓦礫の山がそびえていて震災の傷跡が生々しかったのですが、いまではずいぶん整備され、巨大な防潮堤も完成していました。防潮堤や新しい街づくりについては当時からどういうものにするのかという議論はあったし、地元にはいろいろな夢や希望がありました。しかしその後、国が方針に強く意見を出してきた。するとどうしても地元の希望とはズレが生まれます。復興は喜ばしいのですが、巨大な防潮堤を眺めると複雑な思いもしました」
東北ユースオーケストラの夏合宿
多忙は続く。
教授は、山梨県にある河口湖の施設で8月8日から4泊5日で行われた東北ユースオーケストラの夏合宿に8月9日から参加した。この合宿は毎年3月に行われる東北ユースオーケストラの演奏会のための練習を目的にして行われる定期的なものだが、教授の夏合宿参加は初めて。来年2020年の定期演奏会は、熊本や広島、北海道など3.11以降の自然災害の被災道府県から合唱への参加を募集し(公募時期は9月中旬発表予定)、ベートーヴェンの第9交響曲を演奏するほか、東北ユースオーケストラのために初めて教授が書き下ろす新作も披露される予定だ。
「まず、あらためてみんなで第9を聴き直し、繰り返し演奏してみました。これが毎日続き、みんな第9漬けに(笑)。あれほど第9まみれになったのは、ぼくも人生で初めてかも」
そして新曲のための練習も行われた。まだ曲全体は完成していないので、部分的要素の練習となった。
「できている部分を、こういうパートが出てくるよと披露して、そこの練習をしました。なにしろぼくの曲なので、ふつうのクラシック曲とはちがう手法で書かれている難しい部分もある。はやめに練習してもらおうと。ただ、意外にもみんなすぐ弾けるようになったので驚きました。すごく複雑なリズムを使ったりしているのだけど、よく考えたら、みんなこれまで藤倉大くんの曲とか、ぼくの『Still Life』など、ああいう変わった曲もやっているので飲み込みが早いんですかね」
第9、新曲のパート練習ともに非常に手応えがあり、うまくいくのではという確信も得たという。来年3月が楽しみだ。
また、この合宿の合間には教授のアルバム『async』にも参加している三味線奏者の本條秀慈郎をゲストに迎え、東北ユースオーケストラの団員たちに本格的な三味線の演奏を聴いてもらった。教授もピアノの内部奏法で共演し、日常ではなかなか触れることができない三味線やピアノの内部奏法の音にみな興味津々だったとのこと。この模様は9月1日にスタートするインターネット・ラジオ『Radio Hermes Tour』(https://www.radio-hermes.com/schedule/23/)でオンエアされる。
思いがけない休暇
この河口湖合宿から東京に戻り、イベントに出演したり、コンサートのために来日していた仲のいい韓国のロック・バンドSE SO NEON(セソニョン)とランチをしたり、評判の韓国映画『共犯者たち』を観賞したりとしばしの休暇。
この後、本来は和歌山県新宮市の文化組織“熊野大学”で8月15、16日に開催される「2019夏季特別セミナー オン・ザ・ボーダー 中上健次のいた時代」に講師として参加するはずだったが、大型台風が近畿圏に接近中のため、残念ながら中止に。興味深く貴重なイベントだっただけに中止は教授にとっても断腸の思いだっただろうが、思いもよらない3日間のオフが生まれたのも事実だ。
「映画を観たり、本を読んだり、ま、いつもの休暇と同じですが、仕事のプレッシャーがないぶんゆったりとすごせました。人間国宝でもある小鼓の大倉源次郎さんから、熊野が中止になったのなら時間があるでしょうとお誘いを受け、日本橋に新しくできた日本の伝統芸能のスペース(水戯庵)に能を観に行きました。日本橋はずいぶんひさしぶりで、再開発された街の変貌ぶりにびっくり。むかし神社だったところがビル化してミストなんかも出てるし、神社もモダンになっていたりして、いちいち驚いたり、新しい日本を見て小さなカルチャー・ショックでした」
思わぬ休日を満喫した教授は、またしても日帰りで香川県にある高松市美術館に宮永愛子展を観に行った。その後は残った仕事、取材を東京でこなし、8月終わりにニューヨークへと戻っていった。しばらくは映画『Born To Be Murdered』の音楽制作に没入する予定とのこと。
年末まで海外での予定が詰まっている教授だが、日本のファンに向けてはこんなスペシャル・イベントがある。この連載の第1回で紹介した、2017年12月に行われた坂本龍一キュレーションによるグレン・グールド生誕85周年記念コンサート「グレン・グールド・ギャザリング」の一夜限りの特別上映会。申込数によって成立するシステムの上映会で、観覧チケットには同映像のブルーレイ・ディスクもついてくる(後日単独発売)。今後二度とないと思われる貴重な機会なので、ぜひ!(https://www.dreampass.jp/e2080)
文・吉村栄一
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190830-00010008-gqjapan-bus_all


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「サケ漁はアイヌの権利」 許可得ず、道職員が阻止試みる

2019-08-31 | アイヌ民族関連
中日新聞 2019年8月30日 18時40分
 北海道紋別市で30日、アイヌ民族の畠山敏さん(77)が、サケを捕ることは先住民族の権利だとして道の許可を得ず、川で儀式用のサケを捕獲しようとしたところ、道職員が止めようとする一幕があった。
 昨年には道警に阻止されており、畠山さんは「許可を取らなければいけないというのは和人(アイヌ以外の日本人)の考え方だ」と反発。漁を実行する考えだったが、体調不良のため、この日は見合わせた。31日早朝にも再開し、同日開かれる先祖供養の儀式に間に合わせたい考えだ。
 専門家は「漁業は先住民族の文化で、権利の一つとして保障される。許可が必要だというのはおかしい」と指摘する。
(共同)

https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019083001002132.html

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アイヌ民族のサケ漁を制止 道が許可申請要請

2019-08-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/31 05:00
 【紋別】アイヌ民族で紋別アイヌ協会会長の畠山敏さん(77)が30日、紋別市内の藻別川河口付近で、無許可でサケを捕ろうとし、道職員が制止した。この日は川の増水のため漁を取りやめたが、畠山さんは「サケ漁はアイヌ民族の権利」と主張し、31日以降も漁を試みる意向だ。
 畠山さんや道漁業管理課によると、アイヌ民族の伝統儀式に使うサケを捕ろうとして準備をしていた畠山さんを、道職員4人が制止した。道側は畠山さんに許可申請を求め、畠山さんは「サケ漁は民族の権利」と拒否し、押し問答になった。この日は増水して流れが速かったため畠山さんは漁を取りやめた。
 川でのサケ漁は水産資源保護法で禁止されているが、アイヌ民族についてはサケを迎える伝統儀式に限り、道に申請すると特別採捕が認められる。これに対し畠山さんは「許可を取れというのは和人が勝手に決めたことだ」と反発。道は「申請しないと密漁と区別できない」とする。
 4月に成立した新法「アイヌ施策推進法」はアイヌ民族を「先住民族」と明記したが、土地や水産資源などについての先住権についてはふれていない。海外では多くの先住民族が儀式用に限らず、自家消費でもサケを捕る権利が認められている。畠山さんは昨年もサケの捕獲を試みて道警に制止された。(泉本亮太)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/339946

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ウポポイ、空でもPR 全日空機で動画や応援歌

2019-08-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/30 19:25
 道は30日、来年4月に胆振管内白老町で開業するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」のPR動画を、この9月から全日空の機内無線LAN「Wi―Fi(ワイファイ)」を通じたインターネット接続サービスで放映すると発表した。ネットを利用できる機材であれば国内線は9、10月、国際線は10、11月に見ることができる。
 11月26日から開業までの150日間は、全日空の新千歳空港発着の道内5路線(函館、釧路、女満別、中標津、稚内)で、アイヌ文化への理解を深める応援ソング「イランカラプテ~君に逢(あ)えてよかった~」を機内放送する。
 また、9月12~15日に北広島市で行われるANAオープンゴルフトーナメントでは、ウポポイと世界遺産推薦候補の縄文遺跡群のPRブースを設けるほか、全日空ホームページでもウポポイと縄文遺跡群をPRする。(村田亮)
※「イランカラプテ」のプは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/339855

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【森喜朗さん】元首相で東京五輪・パラリンピック組織委会長

2019-08-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/30 09:20
 スポーツのビッグイベントが相次いで国内で開催される。2020年東京五輪・パラリンピックと、今年9~11月に札幌市などで行われるラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会。いずれの大会でも招致や準備で中心となって動いてきたのが、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長で元首相の森喜朗さん(82)だ。「スポーツこそわが人生」を公言してきたキーマンに、両大会への思いを聞いた。
 ――東京五輪・パラリンピック開幕まで1年を切りました。準備状況をどう評価していますか。
 「準備は、これでいいということはないし、毎日毎日が戦いです。ただ、今年に入ってからかな、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長も、コーツ調整委員長も、自分たちがこれまで取りかかってきた五輪でこれくらい着実に準備ができたのは初めてだと何度も言ってくれました」
 ――この夏のテスト大会では暑さで苦しむ選手もいましたが。
 「東京湾でのボート競技を見に行ったけど、大会役員はみんな冷房の効いた部屋にいた。私は暑さ対策を見に来たから、スタンドにいたんだ。確かに暑いけど、スタンドでは不満を言っている人はいなかったよ。翌日の新聞を見たら、暑い暑い言ってるってそんな記事ばっかりだったがね」
 「全世界の選手が同じ条件でやるんですよ。それがスポーツです。ただ、われわれはできるだけ暑さで支障がないように、マラソンはスタートが午前6時。パラマラソンも6時半としました。こういうことは可能な限りやります」
 ――東京オリパラの原点、源流は「復興」だと繰り返されていますが、復興にどう結びつくのか見えにくいという声もあります。
 「1940年の大会が日本(東京)に決まったときは関東大震災からの復興がテーマだった。そうしないと、国民の合意が得られなかった。戦争でやれなくなったが。64年の大会のときは、戦争が終わり、焦土と化した日本の復興を見てほしいというのが大義だった」
 「東日本大震災があり、全国各地でも災害がいっぱいありました。五輪によって、被災された方に気持ちを高めてもらおう、頑張ろうと思ってもらおう、もう一つは世界に向けて感謝と、ここまでやれるよ日本は、というのを見せたい。それが源流なんですよ。復興はまだまだこれから。これでいいっていうものはないですよ」
■障害者も健常者も、気持ちは一つ。それこそ共生でしょ
 ――どういう開会式にしたいと考えていますか。
 「オリパラの開閉会式全体を起承転結のある一つのドラマとして受け取ってもらう。一つの組織委が世界で初めてオリパラをやるわけですから、五輪にばかり力を入れて、パラリンピックをおろそかにはしたくないんですよ。五輪の開会式が『起』、閉会式が『承』、パラの開会式が『転』、閉会式が『結』。気持ちは一つ、それこそ共生でしょ。障害者も健常者も変わりないことを見せたい。アイヌ民族の古式舞踊も、日本の民族という位置づけの中で、ちゃんと入れるように頼んであります」
 ――札幌は30年の冬季大会招致を目指しています。
 「東京に招致するときは日本オリンピック委員会(JOC)が中心となって東京都と、IF(国際競技連盟)、NF(国内競技連盟)と交渉しました。IFは票を持っていて、過大な要求をするんです。そして、それを(大会招致を担う招致委員会は)受けるんです。東京はこんなの造れるだろうか、それなら1票考えてもよい、みたいなやりとりになってね。政治家の選挙と同じなんだ」
 「しかし、いよいよ実行しなくてはいけなくなったときに困るんです。セーリング競技の場合、最初はすべて東京湾に造る約束をしてました。計算させたら、それだけで1兆円を超えていたな。会場計画を全部見直して、2千億円カットしましたよ」
 「そういう五輪のあり方を変えないといけないと思う。さあ、北海道、参考になるかな」
■北海道はラグビーの素地がある。W杯はチャンスだよ
 ――ラグビーW杯はまもなく開幕です。日本代表主将のリーチ・マイケル(東芝、札山の手高出)が、W杯は日本ラグビーを変える最後のチャンスだと言っています。
 「W杯終わって、良かった良かったってビール飲んでるんじゃ大学の学園祭と同じだよ。W杯を使って、そこから何をしていくか。そういう意欲のある人が世界に日本のラグビーを見せろっていうことで、名選手だった森重隆と、清宮克幸をラグビー協会の会長、副会長にしたんですよ。本気で政府やら経済界やら国民を巻き込んで、五輪ほどじゃないけど、ラグビーはこれだけのことをやるって、世間に見せろっていうことです」
 ――札幌ドームでも2試合あります。盛り上げたいところです。
 「(9月21日の)オーストラリアとフィジー、(翌日の)イングランドとトンガ。これは良い試合だよ。各国の応援団は試合後、次の試合まで1週間待つわけだから、その間に稚内まで行こうや、知床まで行こうやってなるじゃない。すぐに大阪に行かせちゃうんじゃなくて、北海道にとどめておかなきゃ。そういうことの感覚がないよ、北海道は」
 「北海道はラグビーの素地があるんだよ。トップリーグのうち多くのチームが合宿で入っているわけでしょ。網走は昔、番外地で売っていたが、今はラグビーですよ。かつては北見、夕張では神戸製鋼が高校生を集めて、平尾(誠二氏=故人)が指導してましたよ」
 「日本ハムが自前の野球場を造ると、札幌ドームが空くわけだからラグビーで使える。プロリーグは、12チームのうち北海道にも一つつくらないといけない。今ある北海道バーバリアンズでもいいし、釜石と組んでもいいんですよ。北海道東北、北日本みたいに。リーチも気持ちが強いし、監督やるかGM(ゼネラルマネジャー)やるか。北海道はチャンスだよ」
 ――自らの生き方をラグビーボールに例えることがありますね。
 「ラグビーは楕円(だえん)球だから面白い。どこへ行くか分からない。私は(司令塔の)スタンドオフをやっていたからね。もらったボールを瞬時にどう生かすか、そのときの瞬間の判断でぱっと処理しないといけない」
 ――政治家としても瞬時の判断をしてきたと。
 「自民党が野党になったときの幹事長だったが、(細川護熙政権の)政権転覆で動いたり、自社さ連立政権をつくったり、そういうことは、全部できましたからね。相談して計算してやったらダメですよ。そのときの判断です」
 ――首相の小渕恵三さんが病に倒れ、後継首相というボールが目の前に来て取りに行きました。
 「そういうことでしょう。来たボールを取りに行くか蹴飛ばすか、です」
 ――オリパラが終わった後、楕円球はどこへ転がりますか。
 「グラウンドへ行くでしょうね。私はスタンドから見ているよ。自分の命はあと1年だと思っている。だって、2月から透析に入ったから。医者に、死ぬときはどうしたらいいですかって聞いたら、透析をやめればいいって。1週間くらいで死にますねって。ただ、私が先に死ぬと老妻がかわいそうだろ。同い年で、六十何年もつきあってきてさ。かといって、あっちが先に死ぬと、私が困るんだよな。ちょうど、一緒に死ねる方法がねえかな」
<略歴> もり・よしろう 1937年(昭和12年)、石川県根上町(現能美市)生まれ。早稲田大卒。産経新聞記者などを経て、69年、衆院議員初当選。文相、通産相、建設相、自民党幹事長などを歴任、2000年4月から約1年間、首相を務めた。12年、政界を引退。高校時代からラグビーに傾倒、政治活動としてもスポーツ振興に力を入れた。日本ラグビー協会の会長としてラグビーワールドカップ2019の招致実現に尽力。14年、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長に就任。15年3月に肺がんの手術を受けている。
<ことば>2020年東京五輪・パラリンピックとラグビーW杯日本大会 東京オリパラは第18回大会(1964年)以来2回目。五輪(2020年7月24日~8月9日)とパラリンピック(8月25日~9月6日)に合わせて1万5490人の選手が集う。札幌で2試合が行われるラグビーW杯(19年9月20日~11月2日)は初のアジア開催で、20チームが出場。いずれも観客動員数などから、サッカーW杯とともに世界3大スポーツイベントに位置づけられる。
<ことば>ラグビーのプロ化構想 日本ラグビー協会の清宮克幸副会長は7月、国内プロリーグを2021年に発足させる構想を表明した。札幌を含むW杯日本大会の12会場を本拠地とするチームを立ち上げる考え。トップリーグ(16チーム)などと交渉を進め、11月をめどに詳細を発表する。
<後記> 東京オリパラ組織委の会長職を給料をもらわず、ボランティアで引き受けている。その理由を尋ねると、「国家のために奉仕するんだよ、政治家だもん」と話した。オリパラが「奉仕」なら、若いころ選手だったラグビーはたぶん「愛」だろう。インタビュー中もラグビーの話をするとき、目はらんらんと輝いていた。ラグビーの新たな“聖地”としての北海道への期待感も伝わってきた。札幌ドームでのW杯の2試合、スタジアムを観客でいっぱいにしたいものだ。(東京編集局長 近藤浩、東京報道 大矢太作)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/339630

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世界の教室から 北欧の教育最前線(29)先住民族サーメの教育(上)

2019-08-31 | 先住民族関連
教育新聞 2019年8月31日[購読会員限定]
ディズニー映画『アナと雪の女王』には、トナカイと暮らすサーメ人とみられるクリストフ・ビョルグマンが登場する。魅惑の地、北欧の北部には約7万人のサーメが暮らしていて、サーメの子供のための学校もある。ノルウェーにおけるサーメの教育制度と学校、若者の文化発信と継承の課題について、2回にわたって報告する。
サーメとは
サーメ語で「サプミ」と呼ばれる彼らは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧3カ国とロシアに住んでいて、そのほとんどはノルウェー最北のいわゆる北サーメ地域に居住している。人口は約7万人と推定され、半数以上がノルウェー国籍を持っている。
サーメ語は10の方言地域に分けられ、それぞれ独自の言語をもっている。もともと狩猟採集民だったが、800年代ごろからトナカイの放牧を営むようになった。そのため、トナカイとの関係は生活文化に深く根差している。
サーメのための教育制度
ノルウェーでは、1990年代に基礎学校(日本の小中学校に相当)で、サーメの子供らがサーメ語を学ぶ権利が保障された。……
この記事は購読会員限定です。購読を申し込むと、続きをお読みいただけます。
https://www.kyobun.co.jp/close-up/cu20190831/

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地域固有の文化資源を活用した、日本文化の魅力発信【文化庁×ネイキッド】

2019-08-31 | アイヌ民族関連
PRTIMES 2019年8月30日 17時00分
第一弾を新千歳空港で発表!アイヌ文化にフィーチャーした演出を実施
株式会社ネイキッド(英語表記:NAKED Inc. 所在地:東京都渋谷区、代表:村松亮太郎)は、2019年8月30日(金)より北海道・新千歳空港に新しくつくられる国際線ターミナル到着コンコース内にて、大型映像アート作品「カムイのいる世界(The breath of KAMUY)」、コンコース窓の装飾作品「100年の軌跡(100 years of history)」を発表します。

本作は、文化庁が主催する空港等におけるメディア芸術日本文化発信事業「メディア芸術×文化資源 分散型ミュージアム」の第一弾として、北海道の先住民族であるアイヌ文化をテーマにし、縦2m全長26mのLEDビジョン等で表現したアニメーション作品と、全長40mのステンドグラス風の窓面装飾を施し、新千歳空港の国際線ターミナル到着コンコース空間を演出しています。
アイヌ文化では、人間と「カムイ※1」との関わり合いがこの世界を形成すると考えられています。LEDビジョンのアニメーション作品では、北原 モコットゥナシ氏※2(北海道大学 アイヌ・先住民研究センター 准教授)にご監修いただき、ありとあらゆるカムイが宿った北海道の大自然を一枚絵にし、村を守る特別なカムイとされているシマフクロウに導かれる物語を描き、アイヌの精神文化を表現しました。また、実際にアイヌ民謡を歌われているアーティストのKAPIW&APAPPO(カピウ&アパッポ)と北原 モコットゥナシ氏※2にご協力いただき、アイヌ民謡をベースにアイヌの民族楽器などを使用し、アイヌ民謡独特の節や発声を活かしたリミックスをしています。
※1 アイヌ語で神を意味する
※2 モコットゥナシのシは小さい字
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000487.000008210.html

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今注目の南米メキシコを代表するシェフ、「Quintonil」のホルヘ・バイェホ氏が来日!

2019-08-31 | 先住民族関連
日本橋にて5日間(9/3~9/7)限定のイベント開催
PRTIMES 2019.08.30
株式会社グラナダ(東京都中央区 代表取締役下山雄司)が運営する世界のスターシェフが次々と来日するガストロミーレストラン「COOK JAPAN PROJECT」で、世界ランキング24位、南米9位に輝くメキシコの「Quintonil」のシェフ、ホルヘ・バイェホ氏が来日。メキシコの新たな一面を見せる5日間限定コースを発表!
COOK JAPAN PROJECTで、これまで南米から来日した2名のシェフ、ヴィルヒリオ・マルティネスシェフと、ロドルフォ・グスマンシェフ。彼らの料理はこれまでの欧米の高級料理の常識をはるかに超えた、驚きに溢れた新しい美食でした。その国の固有の大地からとれるユニークな食材と、先住民族の食文化ももとりいれた、今までにないその料理はゲストから大絶賛を受けました。
そして今、南米からいよいよ3人目のシェフが来日します!
それは、世界ランキング24位、南米9位に輝くメキシコの「Quintonil」のシェフ、ホルヘ・バイェホ氏。
ホルヘシェフの料理は、メキシコの先住民の食材や昔ながらの調理法などを生かし、そこに自身の創造性を加えた進歩的なモダンメキシカン。その洗練されながらも長く育まれてきたメキシコの食文化を表現した料理は、メキシコ国内のみならず世界的な賞賛を受けています。
◆ホルヘ バイェホシェフの経歴
ホルヘ バイェホ(Jorge Vallejo)
World’s 50 Best Restaurants 24位 Latin Americas's 50 Best Restaurants 9位
ホルヘシェフは、メキシコの料理学校を卒業後、マドリードのミシュラン2ツ星レストラSantceloniで働きました。その後、プリンセスクルーズのキッチンで世界中の航海しながら経験を積みます。2007年にメキシコに帰国し、モダンメキシコ料理の父と呼ばれるエンリケ・オルベラシェフのレストラン、Pujolに勤務。数々の名のあるホテルやレストランを経て、2012年に妻のアレハンドラ・フローレス氏とともにメキシコシティに自身のレストラン「Quintonil」をオープン。
「Quintonil」は、その洗練されたサービスと新しいアプローチのメキシコ料理によって瞬く間に評判となり、メキシコの料理界に新風を巻き起こしました。ホルヘシェフの料理は、メキシコの豊富な素材とその栽培方法、特徴についての研究に基づいており、素材自体の最大限の可能性を引き出す方法を踏まえて調理されています。
また、ホルヘシェフは、メキシコで著名なシェフが集うメキシココレクティブキッチンのメンバーであり、メキシコ料理の伝統、技術、そして素材を守るために活動をしています。
今回のイベントでも、メキシコを代表するソースである、様々な唐辛子とスパイスを使ったミルパアルタ地区のサン・ペドロ・アトクパンのモーレや、メキシコの伝統食であり珍味といわれるチカタナアリやココパチというカブトムシの一種など、メキシコの食文化を紹介してくれます。
彼はメキシコのいたるところにある小さな村や町を旅して習慣を調べ、地元の人々と経験や学びを共有しています。そして国内の小さな農業生産者、供給者そして農業コミュニティとのパートナーシップを重視し、真の持続可能性を目指すシェフでもあります。
◆ホルヘ バイェホシェフ5日間限定のイベント
日程:2019年9月3日(火)-9月7日(土)
時間:ランチ(9月7日のみ)12時、12時半、13時
  ディナー18時、18時30分、19時
内容:デグスタシオンコース
ランチ ¥27,000 → HP決済価格 ¥25,000(税別・サービス料込)
ディナー¥33,000 → HP決済価格 ¥31,000(税別・サービス料込)
ご予約:https://cookjapanproject.com/category/select/cid/117
◆ホルヘ バイェホシェフのデグスタシオンコース(抜粋)
ワカモレとチップス
甘えびエビのバルバコア(BBQ)スタイル グラスホッパーアドボとともに
ハバネロマヨネーズとカニを詰めた カボチャの花の天ぷら
メロンとライスオルチャタのトマトサラダ
軽く火を入れ燻製したかんぱち、ゆず、花と西洋ワサビのオイル、カキのエマルジョン
アトクパンスタイルのモーレと天然キノコ バターとピティナのエマルジョン
ローストキャベツ、ホタテ、アーティチョーククリーム、チリアンチョ
和牛のグリル、ナス、グリルしたピコデガロ、サルサボラチャ、骨髄、ココパチ
赤い果実の「カオス」
「カラバザエンタチャ」ハチミツとミルクアイスクリーム
メニューは仕入れの関係により変更になる可能性がございます
◆ホルヘ ・バイェホシェフのレストラン
Quintonil http://quintonil.com/en/home/
メキシコ メキシコシティ
◆『COOK JAPAN PROJECT』とは
世界各国から30名のスターシェフを順に招致し、ひと月に3人×10か月間にわたり料理を提供してもらう美食イベント。世界を驚かす日本の最高の素材をシェフに紹介し、それらを取り入れた、このイベント限定のコースを創り上げてもらい、お客様に楽しんでいただくレストランプロジェクト
https://cookjapanproject.com
●ホームページ:https://cookjapanproject.com/
●Facebookページ:https://www.facebook.com/CookJapanProject/
●公式Instagramアカウント:https://www.instagram.com/cookjapanproject/
https://shinagawa.keizai.biz/release/18612/

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自分が最も必要としていたのは、「代弁者」 フォトグラファー・ヨシダナギさんから見る拾われる力 Vol.3

2019-08-31 | 先住民族関連
J.Score 2019/08/30

ホーム>インタビュー>自分が最も必要としていたのは、「代弁者」 フォトグラファー・ヨシダナギさんから見る拾われる力 Vol.3
フォトグラファー・ヨシダナギさん。彼女の代名詞といえば鮮やかに世界の先住民族たち。アクティブに見える彼女ですが、実際にお話をお聞きしてみると一つ一つの言葉をしっかりと考えながらお話されます。そんなヨシダナギさんの書籍『ヨシダナギの拾われる力』には、周囲の人との関わり方やご自身のお考えが散りばめられています。ヨシダさんから見る拾われる力とはどのようなものでしょうか。また、ヨシダさんの今後の展望についてもお聞きしました。
とりあえず、生きていくためには何かしらの職業を持つことが前提としてあるものの、私にはこれと言ってやりたいことはありませんでした。小さい時からアフリカ人にはなれないという絶望感がありましたが、人とは違う仕事をしなければならないという感覚をどこかに持っていました。幼少期の頃から漠然と抱いていたことですが、それが何なのかということが分かりませんでした。
でも、自己分析をすると性格的に自分から情報を発信し続けるタイプでもなければ、自分を売り込むことも得意ではないので、代わりに営業をしてくれたり、誘導してくれる人が必要だということをキミノと出会ってからは痛感しています。キミノと出会えて、自分がやりたくないことではないというギリギリ耐えうる仕事にいつか巡り会いたいと思ってたのが、たまたまフォトグラファーという道でした。ですから、自己実現に手を差し伸べてくれた人=キミノではなくて、自分が必要としていた、あるいは私の代弁をしてくれる人が運良く見つかったというのが率直な気持ちです。
–とてもヨシダさんらしい、独特な言い回しですね。
私は本当にある意味で無力で無欲。一人では何もできないのです。私のように拾われる力が備わっているのならば、放棄せずに待ち続けていても損はないのかなと思います。よく分からない相手から声をかけられて一瞬不審だなと感じても、相手の言葉に一度耳を傾けたりと、直感を感じるのも悪くはないと思います。
おそらく記憶の中で一番に私のことを拾ってくれたのは、中学時代の担任でした。私は引っ越してからいじめに遭っていたのですが、そのことを周囲に話せませんでした。ある日、授業が終わると先生が「ヨシダはちょっと残れ」と言ったんです。なにか悪いことしたかなぁと思いながらビクビクしていると先生が「お前は一人じゃない。俺がいるから大丈夫だ」とおっしゃったんです。私がいじめられているのを目の前で見ていた訳でもないのに、気づいてたんですよ。私を見つけてくれた。学校へ来ても、一人じゃないんだなという安心感を得ることができたんです。
ありがたいことに、私は人生の節々で自分に気づいてくれる、拾ってくれる人と巡り合っているので、「今が自分のターニングポイントだ」と感じた時に知りあった相手は逃さないようにしています。きっとなにかを変えてくれると信じて。
–キミノ氏との出会い以降、拾ってくれた人はいましたか?
先程もお話をしたのですが、雑誌『Pen』の編集チーム、および編集長です。私はあまり人を好きにならないんですよ。その分、もちろん嫌いにもあんまりならない。人に対してほとんど情を持たないというか。でも、『Pen』の人たちは初めて会った日からいいな、好きだなと思えました。そのあと、特集号を組んでいただいたり、取材のオファーをいただいたりと、ワクワクするようなことをたくさん運んでくださいます。
それから、西武渋谷店の美術キュレーター。その方は私がテレビに出る以前に、Facebookを通して拾ってくださいました。先方から連絡をいただいたので挨拶しに行ったのですが、初対面なのにいきなり厳しいことをバンバン言われてしまって。だけど、なぜか関係が途切れることはありませんでした。彼のお陰で今の作風に辿り着いたということもありましたし、西武デパートで写真展示を3年間させていただきました。
–テレビに出る前ですか。さすがキュレーターだけあって、先見の明がありますね。
彼との出会いは、TBSの『クレイジージャーニー』に出演する前のことなので、もう5年ほど前になります。初めてお会いした時は、「君の写真にはコンセプトがない」と、めちゃくちゃ怒られました。それなのになぜ私に声をかけたんだろうと、最初は本当に不思議でした。でも、根気よく真摯に向き合ってくださいました。たくさんアドバイスもいただきましたし、現在までずっと面倒を見てくれている恩人です。
–『ヨシダナギの拾われる力』では、「拾われる」以外に「あきらめる」「受け入れる」という章もありますね。
それは、諦めの多い人生だったという意味ではありません。例えば、友達が少ないとかコミュニケーション能力に乏しいということは、世間ではあまり良い印象を持たれませんよね。でも私はそれをネガティブに捉えていなくて、それどころか個性だと自負してるんです。コミュニケーション能力に長けた人間になりたい、そうなるように努力したいとも思っておらず、これでいいでしょ?どこが悪いの?と思っています。つまり、世間一般でいうネガティブな部分を、私は諦めているんです。
おかしなことに、「諦めてしまうことは悪だ」という風潮もあります。夢を諦めるのはカッコ悪い、なんで前向きになれないの?って。でもその押し付けって、本当に息苦しい。世間の妙な風潮はすっぱり諦めて、自分を受け入れてしまうこと。それもまた勇気ではないのかなって。
気の合う仲間とチームを組んで、映像も手掛けてみたい
–最後になりますが、今後の活動予定やチャレンジしたいことがあれば教えてください。
普段は無欲全開のヨシダではありますが、映像のディレクションをやってみたいなぁと思ってます。写真だと情報量に限りがありますが、映像ならさらに幅広く表現できるというのが面白そう。今は現地へ取材に行っても、すべて自分が取り仕切って動いてます。ロケハン、ライティング、ポージングに至るまで。それらをさらに突き詰めて考え、私よりもずっとテクニックのあるプロたちに、写真や映像を撮ってもらう。それがチームとして動けるようになったら、また新たなヨシダナギをみなさんに知ってもらえるのではないかなと。
誰とでもチームが組める訳ではないですけれど、見つかったんですよ、素晴らしい映像チームと。男臭いんですけど、彼らとの仕事が実現できれば嬉しい。クリエイターと映画監督がすでに世界観を持ってくれていて、「映像にしたら、もっと面白くなるよ」などアドバイスをくれました。とてもありがたいことです。そして私はまたしても拾われてしまった、と(笑)。
–ロケハンやライティングもお一人でされてたんですね。
はい、撮影は一日2回、朝夕各1時間ずつ。現地の人たちは、肌の色はそれぞれ。綺麗に見せるためにも撮影する時間帯は重要です。少しでもずれてしまえば、肌がくすんで見えてしまうから。
ちなみに撮影以外の時間は何をしているのかといえば、スマホでゲーム三昧です。朝起きて、ランチの後、寝る前、この3つのタイミングで必ずゲームをしています。少数民族の集落には残念ながらWi-Fiは通ってませんが、オフラインゲームがありますから。オンラインゲームでは課金することもありますよ。だって、課金すればレベルアップして強くなって早く次の場面に行けたり、クリアしたりするのは、それだけ投資をしているってことだから。実はガチの課金勢でもあります(笑)。
(撮影:髙橋明宏)
https://www.jscore.co.jp/column/interview/2019/yoshidanagi03/

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