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北海道新聞 2025年2月2日 10:59(2月2日 15:20更新)
1945年(昭和20年)の第2次世界大戦の終戦から今年で80年となる。節目の年の始まりに合わせ、1月1~6日の朝刊に連載した「戦禍とアイヌ民族」の取材を通じて見えたのは、専門家らが「形式的な平等」と評するアイヌ民族を取り巻く社会環境が、戦中も戦後も全く変わっていない現実だった。アイヌ民族が希求してきた「真の平等」を実現するにはどうすればいいのか。大戦前から積み残されてきた課題に、現代社会を生きる私たちは真剣に向き合うべきだ。
記者は今回の取材で、30人以上のアイヌ民族や専門家から話を聞いた。戦禍を生きたアイヌ民族の手記や当時の新聞、公文書なども可能な限り調べた。
「軍隊の中は平等だった」
「戦時中も差別は続いた」
取材を重ねる中で数多く耳にしたのが、この二つの言葉だった。なぜ正反対の認識が後世に伝わったのか。取材を進めるほど疑問は深まった。
遺族の証言や当時の報道からは、旧日本軍の一員として勇敢に戦ったアイヌ民族の姿が浮かび上がった。戦場で先頭に立った人。短銃のみ携えて敵地で情報収集に臨んだ人。危険を顧みずに戦地で奮起したアイヌ民族の逸話は枚挙にいとまがない。
何が彼らを駆り立てたのか。国立民族学博物館のマーク・ウィンチェスター助教(アイヌ近現代思想史)は「和人と肩を並べて戦うことで平等になれると考えた人もいた」とみる。
他国では、社会的弱者や少数者が戦争を通じて権利や平等な地位を獲得した歴史がある。英国や米国では第1次世界大戦を経て女性の参政権が実現。ベトナム戦争後に米国では参政権の年齢を引き下げられた。
しかし日本で進んだのは、アイヌ民族の権利保障ではなく、一方的な和人への同化だった。
従軍したアイヌ民族は「上官からアイヌも忠君愛国の精神にたって身命を賭せと指導された」「天皇陛下万歳と言えと言われた」などの証言を残している。軍隊の中ではみな「皇軍の兵」だった。こうした「平等」の背景には、兵士確保のためにアイヌ民族排除の論理が働きにくい事情もあったとみられる。
一方、軍隊と無関係なところでは、アイヌ民族への差別がやまなかった。戦時中の新聞をひもとくと「亡(ほろ)び行くアイヌ民族」「土人の生活に“活”」など見下した表現が散見された。
アイヌ民族が差別を恐れ、出自を明らかにすることをためらい、和人社会への「同化」を余儀なくされる。一見相反する差別と同化は同時に進んだ。差別を恐れ、子どもにアイヌ文化を伝えなかった人もいた。
アイヌ民族の伝統や文化を尊重し、和人と同等の自由と権利を保障する―。そうした視点を欠く同化政策が社会にもたらしたのが「形式的な平等」(ウィンチェスター助教)だった。
その一例が、戦後間もなく始まった農地改革だ。地主から強制的に土地を買収して小作農家に売り渡す政策で、1899年(明治32年)の北海道旧土人保護法に基づきアイヌ民族に払い下げられた狭く、やせた農地も対象になった。
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