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「日印原子力協定」締結にNO!~遠のく核廃絶の実現

2016-11-24 | 先住民族関連
レイバーネット日本-2016/11/18  西中誠一郎

11日朝9時過ぎ、冷たい雨の中、首相官邸前に「日印原子力協定」締結に反対する人々が集まった。NPT(核拡散防止条約)やCTBT(包括的核実験禁止条約)に非加盟でありながら核兵器保有国であるインドに対して、世界唯一の被爆国で甚大な福島原発事故を起こした日本が、原子力発電の資機材のみならず、プルトニウムを取り出すことができる使用済み核燃料の輸出を可能にする内容の原子力協定の調印が、11日夕方に首相官邸で行われるとあって、日本、インドはじめ世界各地で同日抗議デモが行われた。「日印原子力協定反対!」「核輸出、核拡散反対!」「福島を忘れるな!」
インドへの核輸出を巡る国際社会と日本の動向:
 日印原子力協定締結に至る経過を整理してみる。1979年スリーマイル島原発事故や86年チェルノブイリ原発事故など相次ぐ巨大事故や核廃棄物の最終処分問題に世界は直面し、1990年代に入ると新規原発建設の動きは停滞し、冷戦崩壊で核兵器削減の取り組みも活発になった。しかし21世紀に入ると原子力産業の巻き返しが強まり、欧米諸国を中心に「原子力ルネサンス」の動きが活発になった。その最大の輸出先候補がインドだった。
 1974年にインドが使用済み核燃料を再処理して核実験を行ったことがきっかけで、78 年に原子力技術機器輸出を管理規制する「原子力供給グループ」(NSG)が発足(現在48カ国)したが、インドは98年にも計5回の軍事用核実験を行った( 98年隣国パキスタンもこれに対抗し2日間、計5回の核実験を行った)。
 しかし日米などNSG46カ国(当時)は、2008年にインドが行った自主的な核実験凍結宣言(モラトリアム)を続けることを前提に、NPTやCTBT 未加盟のインドへの核関連物質と技術の移転を例外的に認める方針を決定し、国際原子力機関(IAEA)もこれを追認した。
 日本では09年に民主党政権が誕生して以降、新幹線や原発などのインフラを海外輸出する「新成長戦略」が打ち出され、インドへの原発輸出を可能にする原子力協定の締結に向けた外交交渉が始まったが、「インドが再び核実験を行ったら協定を停止する」という核実験停止条項を日本側が示したため、2010年11月以降、表向き交渉は止まっていた。
 しかし巨大なインド電力市場を巡るNSG各国の原発売り込み競争は過熱化し、アメリカ、フランス、ロシア、カナダ、韓国、オーストラリアなどの各国政府が次々に原子力協定をインド政府との間に結び、日本企業の技術力を高く評価する米国やフランス企業などからも、日印協定の早期締結を求める圧力が高まっていた。
 2011年3月に福島原発事故が起ったにも関わらず、12月には野田首相が訪印し協定締結に向けた交渉を再開した。自民党「アベノミクス」もこの原発輸出政策を引き継いだ。
 2015年4月に事業者の有限責任と原発メーカーの賠償責任の免罪を規定する「原子力損害の補完的補償に関する条約」(CSC)発効と同時に日本政府は条約加盟し、インド政府も原発メーカーへの損害賠償制度を定めた「原子力損害に関する民事責任法」(インド原賠法)を改悪して、CSCに加盟した。
 そして「核兵器廃絶の障害となりかねない」「NPT体制の空洞化を招きかねない」として「日印原子力協定の中止」を再三求めてきた広島•長崎両市長の要請や、インド政府の弾圧で死傷者を出しながら原発反対の非暴力運動を続けてきたインド各地の住民運動、世界各地の市民運動の抗議を無視して、昨年12月安倍首相は訪印し、モディ•インド首相との間で「原子力協定の原則合意」に署名した。
【参照】
■福永正明さん講演会(2015年5月10日 ノーニュークス・アジアフォーラム通信No.116)
「燃え上がるインドの反原発運動 原発輸出反対は私たちの責務」
 http://www.nonukesasiaforum.org/jp/116b.htm
■「インドへの原発輸出 日印原子力協定の問題点」(2016年10月6日「原発ゼロの会」資料)
 https://drive.google.com/file/d/0B4sSurkQeTFgdEgwLTBvdFpXMzg/view
 11日朝の首相官邸前での緊急抗議行動を呼びかけた国際環境NGO「FoE Japan」の満田夏花さんは以下のように訴えた。「今回の協定締結は、核廃絶を願う世界すべての人々への裏切りです。日本は今まで多くの国と原子力協定を結んできましたが、どの国にも使用済み核燃料の再処理は許していません。今回インドを例外的に容認するなら大問題です」。
  国際原子力機関(IAEA)の査察は、インドについては特別な方式が容認され、インド政府の自己申告制で、民生用施設はIAEAの査察を受け、軍事用施設 は受けなくてもよいというものになっている。インド国産ウランや使用済み核燃料の再処理技術でプルトニウムを取り出すことは今回の「日印原子力協定」でも可能だ。 
【参照】
■http://www.dianuke.org/インドに原発を輸出しないで-sundaram/
■外務省「日印原子力協定」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/in/page3_001879.html#section2
 満田さんの訴えは続いた。「福島原発事故で、今も多くの人たちが苦しんでいます。インドでも原発周辺や建設予定地の地域住民やNGOが命がけで反対運動を続けています。東電は『原子力損害賠償・廃炉等支援機構』を通して、私たちの電気料金や税金を吸い上げ、賠償、廃炉、除染費用などに回しています。そういう現実を世界の人たちは見ています。原発は自然環境や、人々の暮らしや人権を破壊し、経済的にも割の合わない斜陽産業だということはもはや明らかです。昨日も『ベトナム政府は、日本とロシアの協力で進めている原子力発電所の建設計画について白紙撤回する方針を固めた』という新聞報道がありました。世界のリーダーたちは冷静になって、原発に税金や公的資金をつぎ込むのは絶対にやめるべきです」。
【参照】
■国際環境NGO FoE Japan「日印原子力協定締結に抗議」声明
「核廃絶を願うすべての人々を裏切り、福島現原発事故の被害を無視する行為 」
http://www.foejapan.org/energy/export/161111_2.html
 「武器輸出反対ネットワーク」(NAJAT)代表の杉原浩司さんは「日本とインドは昨年安倍首相が訪印した際に『武器輸出協定』を結んでしまった。一昨年、武器輸出禁止三原則を閣議決定だけで撤廃し、防衛装備移転三原則が動き出した案件のひとつとして、『救難飛行艇US2』(「新明和工業」製造)をインドへ売ろうという計画が進んでいる」と指摘し、「原発輸出でも武器輸出でも、安倍首相は一握りの大資本や死の商人ための利益を優先して、核廃絶を願う市民の利益に反することをやり続けています。インドでは日本以上にひどい権力弾圧が行われています。今日も現地で数千人の人が反対の声を上げています。これからも諦めずに、原発輸出、武器輸出をやめさせましょう」と訴えた。
 インドに8年間在住し、インドの反原発運動について博士論文を書いているオーストラリア人女性に話を聞いた。「インド各地の住民の反対運動を肌で感じました。命がけで闘って、死者も出ています。日本はお金を地元にバラまいて住民を分断するが、インドの住民弾圧はもっと酷い。インドで一番古い『タラプール原発』(1969年1、2号機稼働)の建設では、土地や財産を奪われた人たちの補償もなければ、いまだに立ち退き先に電気も通っていない。電気がないから病院もない。本当に悲惨な状態です。
 インド南端にある『クダンクラム原発』では女性たちが立ち上がっています。2004年の津波で、周辺住民は家屋を失った。原発から500mしか離れていないところに仮設住宅が作られて、そこに住んでいます。津波の時は停止中だった原発もダメージを受けたと思いますが、被害状況は公開されていません。4基のうち2基は今も稼働しています。住民は2011年の福島原発事故の様子をテレビで見て、2004年の津波の記憶が重なり、そこから女性たちが反原発運動に立ち上がりました。
 現在インドでは、多くの原発建設が計画されていますが、そのうち『ジャイタプール原発』6基は1000MW級で、柏崎刈羽原発規模の世界最大級の原発です。2008年にインドとアメリカ、フランスが相次いで原子力協定を結び、建設契約はフランスのアレバ社になりました。
 アメリカもフランスも、日本製の原子炉格納容器などの資機材が必要なので、建設は止まっている状態です。だから今日の日印原子力協定の締結には世界規模で反対行動が起っています。
 インドは長年イギリスの植民地でした。抑圧されてきた歴史や隣国パキスタンとの紛争があるので、国威発揚で原発を作り、核武装しようとする発想が生まれます。電力市場が大きいのでインドは特別扱いされていますが、このような流れを断ち切らないと、脱原発も核拡散防止も遠のくばかりです」と警鐘を鳴らした。
 「トランプ氏が核のボタンをもつ大統領になり、世界中が心配しています。一日も早く核廃絶のために全世界の市民が声をあげないといけません。核拡散につながる日印原子力協定に、絶対反対です」とマイクを握り訴えたアメリカ人女性、アンエリス•ルアレンさんに話を聞いた。彼女は日本の大学で反原発運動や、先住民族の権利と持続可能な開発について研究している。
 「3.11震災以降、原発がどんなものか改めて考えました。クリーンなエネルギーではないし、核廃棄物処分はアメリカでも失敗続きです。インドでは原発建設で漁民や農民の生活が破壊されていますが、アメリカやカナダ、オーストラリアでも先住民族の土地で、ウラン鉱山の採掘や核廃棄が行われ,深刻な環境破壊や放射能汚染が進んでいます。まさに『環境レイシズム』です。
 トランプが大統領選で勝利し、シェールガス採掘と石油会社に投資して、パイプラインをどんどん作ろうとしています。さらに原発輸出政策の推進により、核拡散に歯止めがかからなくなる危険があります。日本はまず福島原発事故の収束や、原発輸出ではなく持続可能な再生可能エネルギーの開発に全力で取り組むべきです」。
 「日本は技術とか安全性とか優れていると思っていましたが、福島原発事故を起こし、安全対策がでたらめだということが分かってしまいました。ましてや開発途上国に原発輸出し、相手国の内政事情に任せるのは非常に無責任です。相手国が地域住民と話し合って、納得できるプロセスで安全対策を作らないといけないのに、インドではそういったプロセスは一切ありません。
 ベトナム議会が、原発から撤退するという決議をしたのは良いニュースでしたが、トルコやインドなどでは政府による住民弾圧が心配です。民主主義でない国、住民が抗議の声を上げられない国に原発を輸出するのは非常に危険で無責任です」。
 「大企業が国家権力と固く結びついている新自由主義的なエネルギーシステム自体を変えていかなければいけません。原子力産業を成立させている構造的なシステムそのものが、住民自治も民主主義社会も破綻させます。だからどこの国でも、私たち市民がもっともっと大きな声を上げて、原子力開発の流れを止めなければいけません。日印間だけの問題ではない。核不拡散条約に加盟していないインドが、日本の援助を受けてどんどん核兵器を作ってしまうことになりかねません」。
 日印原子力協定は、来年の通常国会で予算関連の審議が行われた後、4月以降に承認案が提出される見通し。2010年以降、時の与党内でも同協定締結に対し慎重を求める声が上がっていた。しかし「インドとの原子力協定については、技術的な詳細が完成した後に署名されることが確認されている段階であり、現時点でその文言に関する事項についてお答えすることは差し控えたい」(2016年10月25日付。初鹿明博衆議院議員の質問主意書に対する安倍首相の答弁書)という具合で、安倍内閣はまともな答弁をしてこなかった。国会で参考人招致はじめ徹底した審議の上、原子力協定、原発輸出のあり方を根本から変える必要がある。核拡散防止のためにも、目先の経済的利益や外交関係に囚われない、党派を超えた審議と、国際的な「日印原子力協定にNO!」の世論形成が必要だ。
【参照】
■「日印原子力協定」署名に反対する抗議書(「日印原子力協定阻止キャンペーン2016」)
http://www.cnic.jp/7262
http://www.labornetjp.org/news/2016/1111nisinaka

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台湾先住民族と交流協定 白糠アイヌ協会21日締結

2016-11-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/19 07:00

台湾のタイヤル民族の一行(左奥)を歓迎する白糠アイヌ協会のメンバーら=5月、釧路管内白糠町役場
 【白糠】釧路管内白糠町の白糠アイヌ協会(高木津吉会長)は21日、5年前から交流を続けている台湾北部の新北市烏来(ウーライ)区の先住民族「タイヤル民族」の団体と友好交流協定を結ぶ。北海道アイヌ協会などによると、アイヌ民族の地域団体が海外の先住民族の団体とこうした協定を結ぶのは初めて。これを縁に今後、白糠町も烏来区と自治体間協定を結ぶ方針だ。
 高木会長や白糠アイヌ文化保存会の磯部恵津子会長、町教委の板谷聖一教育長ら4人が烏来区を訪問。タイヤル民族協会に相当する「烏来区原住民編織(へんしょく)協会」と調印式で覚書を交わす。タイヤル民族側からは烏来区の高富貫(こうふかん)区長ら約60人が出席する。
 白糠アイヌ協会とタイヤル民族は2011年、台湾の領事館に当たる台北駐日経済文化代表処札幌分処の紹介で交流を始め、互いに訪問を続けてきた。今年5月に高区長らが白糠町を訪れた際、高木会長や棚野孝夫町長と協定を締結することで合意した。
 タイヤル民族は台湾全土で8万人以上おり、烏来区では人口約7千人の大半を占めるとされる。
 協定は互いの歴史を尊重し、さらに連携を深めるのが狙い。相互訪問だけにとどまらず、伝統文化などさまざまな分野で交流の拡大を図る。町教委は「民族間の協定をきっかけに自治体間の交流も活発にしていきたい」として、烏来区と協議を進める。
 高木会長は「両民族の子供たちの交流が広がるような協定にしていきたい」と話している。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0339826.html

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【ブース】アイヌの言語・文化にふれてみよう! 藤田護研究会

2016-11-24 | アイヌ民族関連
SFC CLIP-2016年11月18日
今年もORFでは、あらゆる分野の研究が展示されている。藤田護研究会は「SFCコタン ~アイヌ語と口承文学~」と題した展示を行う(A28)。藤田研は、アイヌ語・アイヌ文化やアイヌの口承文学を主に扱っている研究会だ。
今回の展示について、藤田護環境情報学部専任講師と研究会の学生たちに話を聞いた。
「アイヌ」にとらわれない幅広いテーマを
「我々の研究会はアイヌ語とアイヌ語の口承文学をメインに扱っている研究会ですが、学生が取り組んでいるテーマにはもっと広がりがあります」と藤田専任講師は語る。実際、藤田研ではアイヌ文化についての研究はもちろん、アイヌ出身の知識人、アイヌ語の口承文学に登場する人と人の関係のあり方や社会のあり方、また、アイヌとは関係ない自分の出身地域のお年寄りの伝承など、多岐にわたるテーマの研究が行われている。
アイヌの説話から学ぶ人間の安全保障
もともと国際政治に興味があった山田慎太郎さん(総3)は、アイヌの散文説話をまとめたものである「ウェペケレ」を通して「人間の安全保障」を考察している。「ウェペケレの登場人物は辛苦を乗り越え、最後に幸せな姿で終わるというのが一つのテンプレートとしてあります。様々な説話の分析から、生活や生計の安定についてアイヌの人々の知をより広い枠組みで共有できないかと考えています」と語った。

アイヌの口承文学から国際政治を考える山田慎太郎さん
"伝承すること"の意義を考える
山野貴大さん(総3)は口承文学の伝承の研究をしている。山野さんの地元新潟県長岡市の伝承をもとに小説を書きながら、「現代において、伝承していくとはどういうことか」について考察している。「自分が聞いている話に限らず、伝承というものはあらゆるところに存在すると思います。家族団欒の時間、語り継ぐ機会が減って、物語を持っているのに聞いてもらえない人がいる。多くの物語が語られないまま、文字にされないまま失われています。この研究を通して、伝承とはどういうことか、物語を聞いたものの役目は何か、ということについて考えていきたいです」と山野さん。
アイヌ語に触れてみよう! ワークショップも開催
ポスター発表以外にも、研究会全体での企画として「アイヌ語ワークショップ」を行っている。「今回のORFの目的のひとつとして、来場者の方にアイヌ語に親しんでもらうことがあります。アイヌ語は我々も勉強している途中ではあるのですが、実際に聞いて喋って、お互いにやり取りをしてみようという企画です」と藤田専任講師。人が集まれば実施という形で2日間を通して開催している。アイヌ語という少数言語に触れられる貴重な機会なので、ぜひ参加してみよう。
SFCにもアイヌ語やアイヌの文化を学べる場所がある
藤田専任講師は「この展示を通して『SFCにもアイヌ語やアイヌの文化を学べるところがある』ことを知ってもらうと同時に、研究会の学生一人ひとりが、自分の研究テーマを聞いてもらい、知ってもらい、アドバイスをもらえる場になればと思っています」とORF展示にかける想いを語った。
アイヌ語やアイヌ文化に興味がある人はもちろん、少数言語・民族や口承文学全般に興味がある人にとっても興味深い展示になっている。明日19日(土)も展示を行っている藤田研究会ブース(A28)に、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。
https://sfcclip.net/news2016111804/

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戦時下の室蘭舞台にミステリー小説 「小説幻冬」創刊号で連載開始

2016-11-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/18 16:00

葉真中顕さん=幻冬舎提供
 【室蘭】東京の出版社「幻冬舎」の月刊文芸誌「小説幻冬」の創刊号(11月号)で、戦時中の軍需都市・室蘭を舞台にした葉真中顕(はまなかあき)さん(40)=東京在住=のミステリー小説「凍(い)てつく太陽」の連載が始まった。葉真中さんは9月に室蘭を訪れて市内の郷土史家に取材し、「室蘭は軍需工場や遊郭など戦時中のエッセンスが詰まった町。日本人とは何かを考える小説にしたい」と話している。
 小説は1945年2月、室蘭にある架空の軍需企業「大東亜鐵鋼(てっこう)室蘭製作所」の港湾での荷役作業の場面から始まる。製作所には秘匿名「愛国・伊7工場」が付けられていた。主人公で特高警察の日崎八尋(ひざきやひろ)は朝鮮人作業員になりすまして潜り込み、宿舎で集団生活を送る。ある作業員が脱走を図り、死亡。その内幕を探る任務が与えられていた―。
 特高警察をモチーフにした小説を書こうとしていた葉真中さんは、北海道新聞の連載記事を収録した「北海道と戦争」を手に取った。兵器を製造する軍需工場の存在自体が軍事機密で、秘匿名で呼ばれていた室蘭の史実に興味を深めた。
 次号以降は、主人公がアイヌ民族の血を引くことが明かされて物語が展開していく。「小説幻冬」は道内の主な書店で取り扱っている。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0339586.html

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祖母のアイヌ神謡、輝き再び アニメ化、フェスで最高賞 制作者「物語もっと広がって」

2016-11-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/18 05:00
 十勝地方に伝わるアイヌ民族のオイナ(神謡)「クモの女神」のアニメ作品が、今秋東京で開かれた「第10回こどもアニメーションフェスティバル」(実行委主催、女子美術大共催)でグランプリに輝いた。亡き祖母の語りの収録テープをもとに、北広島の主婦高橋ひとみさんが習得したオイナに合わせ、映像が作られた。関係者は「これを機にアイヌの物語がもっと世に広がってほしい」と喜ぶ。
 「クモの女神」は、4本の手を持つ女神が手から出る網で夜盗を懲らしめてコタン(集落)を守る物語だ。同フェスは日本アニメーション協会の古川タク会長らが審査員を務める品評会で、「クモの女神」は25の出品作の中で「女神が個性的で、伝えたいことが明確だ」などと評価された。
 高橋さんは約3年前、祖母の故田辺トヨさんのオイナの音声テープを親族から譲り受けた。これをきっかけに自身も「クモの女神」を習得し、昨年5月に札幌市であったアイヌ民族のイベントで披露。アイヌ語の研究者の目に留まり、公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)がアイヌ民族の口承文芸の伝承のため制作するアニメの題材のひとつに採用されることになった。
 作品は、北大アイヌ・先住民研究センターの北原次郎太准教授ら編集委員4人が構成を検討。札幌の制作会社の小笠原大さん(37)が高橋さんの声を入れた映像を6分20秒にまとめ、フェスに応募した。同フェスによると、アイヌ民族に関する作品の受賞は初めて。小笠原さんは「子どもも楽しめるようにアクションシーンを取り入れた」と語り、高橋さんは「祖母が残した物語が美しい映像となって感無量です」と話している。
 同機構は胆振・日高地方の神謡カムイユカ●など3作を含むDVDを2千枚作製し、道内の小学校や図書館で配布。動画サイト「YouTube(ユーチューブ)」でも配信している。
●は小さい「ラ」
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0339391.html

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アイヌ文化の人形劇練習に熱 民族学博物館で来月上演 阿寒

2016-11-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/17 16:00

人形劇「ふんだりけったりクマ神さま」の大阪公演に向け、練習する阿寒アイヌ工芸協同組合のメンバー
 【阿寒湖温泉】12月3日に国立民族学博物館(大阪府吹田市)で上演する阿寒アイヌ工芸協同組合の人形劇「ふんだりけったりクマ神さま」の準備が本格化している。同館が6月に「アイヌの文化」展示を大幅刷新した記念事業の一環として招待されたもので、出演者たちは「アイヌ文化を知るきっかけにしてもらいたい」と練習に励んでいる。
 記念事業は12月から来年2月まで。アイヌ民族のアーティストによる音楽ライブや研究者の講話などを実施。阿寒湖畔の民芸品店などでつくる同組合の人形劇は開幕公演となる。
 演目は、サケを捕るためにクマの姿になって人間界を訪れた「クマ神さま」が大変な出来事に遭遇する物語で、カムイ(神)と人間との関係をユーモラスに描いている。2012年に開館した阿寒湖アイヌシアター「イコロ」で披露するために制作され、13年には岡山県倉敷市で道外初上演された。
 14日にイコロで行われた練習では、5人の出演者が約2時間にわたり、せりふのタイミングや動きを何度も繰り返し確認していた。「クマ神さま」を演じる平沢隆二さん(50)は「何年かぶりの上演なので四苦八苦している最中。大変な部分もあるが、道外で上演する貴重な機会なので、誠心誠意臨んで、見る人に感動してもらいたい」と気を引き締める。
 22日から3日間、脚本・舞台監督の遠州まさきさん指導の下で最終調整し、本番に挑む。(山崎真理子)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doto/1-0339083.html


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マット・グロッソ州=発電所ダムからオイル漏れ?=河川流域先住民に深刻な影響

2016-11-18 | 先住民族関連
ニッケイ新聞-2016年11月18日 New!
 出所不明の油が、マット・グロッソ州とパラー州の間を流れるテレス・ピレス川に流出し、流域を汚染していると17日付現地紙が報じた。
 12日に初めて発見された油の染みは、川下に流れ、流域の先住民族への水の供給も脅かしている。油流出の原因と汚染された地域の広さは、ブラジル環境省の国立再生可能天然資源・環境院(Ibama)が調査している。
 テレス・ピレス川の油流出の原因が同川流域のサン・マノエル水力発電所の貯水ダムなのか、他の要因によるものかは判明していない。同河川でよく見受けられる不法採掘者のボートが沈められ、そこからガソリンが漏れた可能性もある。
 サン・マノエル水力発電所の所有会社、エネルジア・サン・マノエル社は、ボートを出して、同川流域に住む80世帯、約320人の先住民族に、大型の水のボトルを届けている。
 流域の先住民族の族長であるタラヴィ・カイアビ氏は、「15、16日で、合わせて約4200リットルの水を受け取った。ここは我々にとっての聖地。ダムは付近の土地を水の底に沈めただけでなく、川の水を汚染した。魚はいなくなり、住民は下痢で病気になっている。みんな健康状態を非常に心配している」と語った。
 ブラジル社会環境院(ISA)の弁護士で、同地域に住んだ経験もあるジュリアナ・デ・パウラ・バチスタ氏は、「水力発電所から60キロの範囲には他にも少なくとも900の部族が住んでおり、川の下流には8千人の先住民が住む居住区もある。これらの先住民居住区はどこも、水道が敷設されていないから、被害が拡大する可能性は大きい」と警鐘を鳴らしている。
 エネルジア・サン・マノエル社は、「流域の監視を続けると共に、原因究明に努めている」と発表するに留まっている。
http://www.nikkeyshimbun.jp/2016/161118-24brasil.html

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いま学ぶべき「循環の知恵」が、インド・ワルリ族の素朴な暮らしの中に!イベント〈わふフェス2016〉開催

2016-11-18 | 先住民族関連
T-SITEニュース-2016年11月17日 (木) 17:01
コロカルの連載『貝印 × colocal「つくる」Journal!』でも活動をお伝えしていた〈ウォールアートプロジェクト〉。インドの先住民族・ワルリの素朴な暮らしから循環の知恵を学び、環境負荷の低い暮らしを提起する〈ノコプロジェクト〉の一環です。詳しくは連載記事にて!
今週、本プロジェクトにまつわる2つのイベントが、東京と福島県・猪苗代で行われます。
東京会場のタイトルは『わふフェス2016 ワルリ族とノコプロジェクトを知る一日』。開催は、2016年11月18日(金)の13時〜20時まで。場所は貝印株式会社にあるコミュニケーションスペース〈KaiHouse(カイハウス)〉。多彩なゲストを招き、3部構成で開催されます。
なんとイベントにはインドから特別にワルリ族を招きました。伝統的な家を建て、伝統的な暮らしをする彼らの体験から、さまざまな智恵を学ぶ…。直接ワルリの文化を伝える充実のセッションです。お好きな時間に、ご参加ください。
そして2016年11月20日(日)には、福島県の猪苗代町にて〈ウォールアートフェスティバル in 猪苗代〉が開催されます。
なぜ猪苗代なのか?それは、猪苗代湖、磐梯山、広がる田園風景など、ウォールアートプロジェクトが見た猪苗代町と、ワルリ族の村の風景がとても似ているから。
〈ウォールアートフェスティバル in 猪苗代〉の会場は、旧山潟小学校。ここに土と共に生きるワルリのアーティストが訪れ、猪苗代の人々へのインタビュー、登山などを通じて地元の方と交流。猪苗代を描いた“ワルリ画”の展示や、猪苗代、会津のおいしいものマルシェ、ワルリ画ワークショップなど、様々な催しが行われます。時間などの詳細は、Facebookをご確認ください。
information
わふフェス2016 ワルリ族とノコプロジェクトを知る一日
日程:2016年11月18日(金)
会場:貝印株式会社 カイハウス(東京都千代田区岩本町3-9-5)
時間:13:00〜20:00
Web:Facebook
information
ウォールアートフェスティバル in 猪苗代
日程:2016年11月20日(日)
会場:旧山潟小学校(福島県耶麻郡猪苗代町大字山潟字湊志田191)
時間:10:00〜17:00
Web:Facebook
writer profile
Akiko Saito
齋藤あきこ
さいとう・あきこ●宮城県出身。図書館司書を志していたが、“これからはインターネットが来る”と神の啓示を受けて上京。青山ブックセンター六本木店書店員などを経て現在フリーランスのライター/エディター。
http://top.tsite.jp/news/lifetrend/o/32844673/

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18世紀の交易所にアンプがあったなら-アイヌと日本人の“境界線”から生まれるOKIの音楽

2016-11-17 | アイヌ民族関連
https://www.70seeds.jp/- 2016.11.17 CULTURE

伝統芸能の継承者が少なくなってきている…これは日本が抱える大きな問題です。少子高齢化、都市部への人口流出などが原因といわれていますが、そのような社会状況の中でも伝統を次世代へつなげよう、多くの人に伝えていこうと活動している方々もいます。
皆さんは「OKI」というミュージシャンを知っていますか?アサンカラ(北海道旭川市)アイヌの血を引くトンコリ奏者です。トンコリとはカラフトアイヌの伝統的な弦楽器で、ギターのような形で、ハープのように演奏されます。
このトンコリ、基本は生音で演奏するのですが、そこに一工夫加えたのがOKIさん。アイヌの伝統を、ちょっと変化させながら日本のみならず世界に発信しています。そのOKIさんに、「アイヌの血をひく者」としての生き方を聞きました。
原点は、「昔のアイヌの人がどんな演奏をしていたか」
-OKIさんは現在は北海道在住ですが、学生時代は神奈川で過ごされていたとか。
育ちは神奈川、大学は東京でした。なので、自分の内面をつくったのは、アイヌ文化とは関係のない環境だったんです。実は、僕自身アイヌの血を引いていることを知ったのは大学4年生のときなんですよ。父親が旭川出身のアイヌなんですが、離婚して母親に引き取られたんです。3歳くらいまで阿寒(アイヌ民族が多く暮らしている)に居たらしいのですが、全然覚えていなくて。
-記憶は神奈川からですか…。
ずっと北海道に住んで、アイヌ文化のある環境の中で育った親戚たちを羨ましく思います。純粋なアイヌ人でもない、純粋な日本人でもない…もっとアイヌ寄りになりたいと思った時期もあったんですけど、立ち位置はどっちでもないんです。その境界線に立っている感じは、死ぬまで続くのかなと思います。
-すごい葛藤がありそうですね。
逆に表現の広がりを考えたときには、その立ち位置はマイナスにはならないんですよ。アイヌ音楽を伝えるというメッセンジャー的な部分は意識していなくて、自分の作った曲をCDやライブでどれだけ完成度を高めて気持ち良い演奏ができるか、その結果皆さんに喜んでもらうことがテーマなので。でも、軸は何かといったらトンコリなんです。
-あくまで軸をトンコリの演奏において、表現を広げると。
そうなんです。いつも立ち返る先は、昔のアイヌの人たちがどういう演奏をしていたかが原点ではあります。その原点を引っ張り出してきたときに、だんだんと『僕』という存在になっていくんですよ。
-いわばOKIさんに刻まれたDNAですね。
あとはアイヌ音楽のリズム。今のポップスは4・16といった拍子に取り方をしますが、アイヌ音楽は予定通りの拍子にはならないんです。7・3・3・5・9みたいに変拍子の嵐なので、凄いプログレッシブ。変拍子かつ輪唱や裏拍があるのですが、僕、大好きなんですよ。このリズムを聴いていると、リズムパターンが僕の中で決まって来るんです。今までなかったものが生まれる、楽しい作業ですね。このときは、アイヌ文化というよりは音の世界に没頭しているという感じですよ。
-音楽そのものにどっぷり入り込んでいるということですね。
そうです。例えば、レゲエアーティストがジャマイカを世界に知らしめることをテーマにしているわけではないと思うんです。それよりも、レゲエの良さを伝えているわけですよ。同じように、アイヌ文化を広めるというよりもアイヌ音楽をやっているんです。なので、今僕がやっている新しいアイヌ音楽に名前がついたらいいなと思っています。これは昨日寝ながら考えていたんですけど(笑)。
-それはいいアイディアですね!
皆さんに『アイヌ文化を広めている』と言われるんですけど、そんな大役は無理だと思って(笑)。音楽のジャンルを作って、その決め事の中で個性を出していくという……僕が今やっているOKI DUB AINU BANDみたいなことを、ほかのミュージシャンもやるようになったら面白いなと思います。
 アイヌ社会に居場所がなかった人間が見つけたアイヌとのつながり
-学生時代は鍛金をされていたそうですね。
鉄や真鍮や堂の板を叩いて、壺やヤカンを作っていました。日本の伝統工芸を学んでいたんですが、今と全然違うでしょ(笑)。
-卒業後はニューヨークで美術製作をされていたとか。
大学の同期は皆教授ですよ。僕は、美術では居場所がなかったんです。でも、失業が今につながっているわけだから、良かったのかもとも思います。ニューヨークから帰ってきたきっかけは、日本で長期に渡って映画を作るというので引き抜かれたんです。ニューヨークの住まいも引き払って帰って来たのに、2か月もしないうちに映画がポシャっちゃって(苦笑)。それがいい勉強になって、人に使われるのではなく自分でやってやろうと。自分でアイヌのドキュメンタリー映画を撮ろうと思ったんです。
-ルーツに迫る映画ですね。
そこにも理由があって、学生時代に突如2つのアイデンティティが現れて嬉しかった半面、苦しくなっちゃったんですよ。今まで信じていた日本人というアイデンティティに疑問を持ち、新しいアイデンティティに対してもアイヌ社会に受け入れられないという現実がありました。『東京に住んでいる奴にアイヌの気持ちがわかるわけがない』と。
-それは辛かったですね…。
今のように、札幌の街や新千歳空港にアイヌ文様があるような時代じゃないですから。それで辛くなって、ニューヨークに行ったんですよね。それがあったから、帰国して失業したときにアイヌの映画を撮ろうと思ったんです。それで相談したりいろいろ考えているときに、親戚と飲みの席でいきなり木の棒を渡されたんですよ。それがトンコリだったの。そのときに親戚から『北海道にも喜納昌吉(沖縄音楽を伝えるミュージシャンの代表格)みたいな人がいてもいい。お前が弾いてみればいいよ』と言われたんです。
-ついにトンコリとの縁がつながりました。
『これだ』と思いましたね。音楽はもともと好きだったので、その潜在意識が出てきたんです。高校の進路相談では『ロックミュージシャンになりたい』と言って、周りから大反対された過去がありますから(笑)。
-でもトンコリってすごく難しいと聞きました。
難しいなんてもんじゃない!(笑)弦が複数あるのにフレットがないので、いろいろなことができない楽器なんですよ。1曲ずつチューニングを変えないといけないので、やっかいで扱いづらい……初めて触ったときもポロンとやってみたんですけど、それで終わり。琴やハープがイメージに近いですね。未だに悩んでますよ、どうやって表現を広げていくのか。
海外のフェスをヒントにトンコリが進化した
-本来のトンコリは生音が基本だと思いますが、電子を噛ませたのはOKIさんならではですよね。
それは僕ならではというか、海外のフェスではアフリカの伝統楽器にアンプを通すのは当たり前にやっているんですよ。それを見ていて、トンコリでもやってみようと思って。ドラムやベースのような音量・音圧のある楽器に混ぜていくのが面白いと。トンコリがバンドに入ると、トンコリの音が小さいのでほかのメンバーが小さい音量に合わせてくれるんですよ。それはそれで良かったんですけど、申し訳ない反面悔しくてね。それで、僕のトンコリの音量をほかのメンバーに合わせようと。
-アイヌの楽器が進化した瞬間ですね。ほかの文化に寄り添うというか。
トンコリは昔からアイヌが使っていましたが、どこかの交易所で交換したものかもしれないなとも思うんです。アイヌの文化には、日本文化の影響もたくさん入って来て混ざっていますから。交流するのが人間の基本ですから、何の影響も受けていない純粋な文化はありえないです。
18世紀のアムール川のほとりの交易所には、北海道からラッコの皮や鷹の羽が持ち込まれ、中国からは絹やガラス玉が持ち込まれていた……そこにもしもアンプがあったら、アイヌ人は交換してきたと思うんですよ。アイヌは好奇心旺盛ですから。そう考えると、僕のやっていることは至極伝統的だと思っています。
【取材を終えて】
札幌生まれ・札幌育ちの私としては、OKIさんというアイヌ音楽を軸に活動しているアーティストとのインタビューを心待ちにしていました。というのも、個人的にアイヌ文化が香る土地や文様には心なしかドキドキするものを感じていたからです。
OKIさんは「血だけでは計り知れないものがある」と語ります。そもそもOKIさん自身も、アイヌの血を引いていることを知ったのは20歳を過ぎてから。しかし、刻まれたDNAは黙っていてくれませんでした。親戚がたまたま取り出した(確信犯だったのかもしれませんが)トンコリの音色で眠っていたDNAが疼き出し、今やアイヌ音楽のクロスオーバーの先駆者となったOKIさん。
ここで大事なのは「クロスオーバー」しているということ。「踏み外してはいけないとは常々思っている」とOKIさんは語りますが、アイヌ音楽の枠を超えて異文化へ歩み寄ったことでアイヌ音楽の進化形が生まれたのではないでしょうか。
最新作『UTARHYTHM』とは「仲間」を意味するアイヌ語「ウタリ」と「リズム」の掛け合わせ。タイトルもクロスオーバーしているOKIさんの生き様から、目を離してはいけないと思うのです。(橋場了吾)
【ライター・橋場了吾】
北海道札幌市出身・在住。同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。 北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。
https://www.70seeds.jp/oki-175/

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第3回千葉県日朝教育研究会/“朝鮮学校とてもうらやましい”

2016-11-17 | アイヌ民族関連
朝鮮新報-2016.11.16 (18:40) │
教員と生徒の信頼感
「第3回千葉県日朝教育研究会」(主催・千葉朝鮮学校を支える県民ネットワーク)が13日、千葉初中で行われ、約80人が参加した。
顔あふれる授業風景
2014年から始まった研究会は、今回で3回目を迎えた。千葉県の他に東京都、北海道など各地から教員、教育関係者らが参加し、特別授業を実施した。
「日本語の楽しさ」(初2、3)、「アイヌってなぁに」(初2、3)、「千葉県のしょうゆづくり」(初4)、「伝説の金属オリハルコンを科学の手法を用いて探す」(中1)など1限から3限にかけて、初級部低学年から中級部まで計18回の授業が行われた。同校生徒たちによる文化公演も披露され、午後には分科会と全体会で授業報告が行われた。
知的好奇心くすぐる
「Good morning!」「안녕하세요(アンニョンハセヨ)」「こんにちは」

「アイヌってなぁに」の授業で作ったハチマキをかぶり、にっこり
初級部2、3年生を対象に行われた授業「アイヌってなぁに」。講師の山嵜早苗さん(64、有明教育芸術短期大学非常勤講師)がいろんな国の言語で挨拶をなげかけると、児童たちも大きな声で挨拶を返す。
「では…イランカラプテ!」
きょとんとした表情を浮かべる児童たち。「これは、『こんにちは』という意味を表すアイヌの言葉です」。そう説明を受けると声をそろえて、「イランカラプテ!」と答えた。
児童たちは、この日ともに授業を行った弓野惠子さん(68、アイヌ文化活動アドバイザー)が着ていたカパラシという民族衣装に興味津々。授業は、アニメ「サザエさん」の主題歌をアイヌ語で歌ったり、アイヌ模様のハチマキを作ったりと、児童たちの知的好奇心をくすぐる内容で展開された。
郭竜河さん(初2)は、折り紙を切り、作ったハチマキに大喜び。「先生がする授業は面白い!アイヌ模様を作るのは難しかったけど、できたらすごく嬉しい」と終止お気に入りのハチマキをかぶっていた。
弓野さんは授業後、「子どもたちの『もっと教えて』『もっと知りたい』という言葉が本当に嬉しかった」と目を細める。「朝鮮学校を訪ねたのは初めてだったが、文化を通して子どもたちと心を通わせることができた。自国の文化、言葉をしっかりと守り抜いている朝鮮学校の環境はうらやましく、とても素敵だ」。
山嵜さんは「私たちは消えゆくアイヌ文化を守るために活動している」としながら、「アイヌと在日朝鮮人は辛い差別の歴史を持っている。これからもこの交流を続け、お互いの文化を知りたい」と語った。
豊かな感受性
「ウリハッキョの子どもたちは感受性がとても豊か。日頃の先生たちの教育のたまものだと感じる」と話すのは「キムチはなぜ辛い?」と題して授業を行った三橋広夫さん(65、日本福祉大学教授)。身近な「キムチ」を題材に、その歴史を紐解いた。授業を受けた尹真遠さん(初5)と尹雪琳さん(初5)は「唐辛子がもともとはメキシコから来たなんて、ぴっくり! 私たちの答えに三橋先生が面白い答えを返してくれるからずっと笑いっぱなしだった。また授業をしてほしい」と満面の笑みを浮かべた。
今年の夏、千葉ハッキョの会と日朝学術教育交流協会の合同訪朝団の一員として、訪朝したことをきっかけに「千葉ハッキョの校長先生の情熱に心打たれ、今回の研究会に参加した」のは大野尚志さん(60、都立高校教諭)。これまで、4回訪朝し、朝鮮学校の授業を参観したことがあるが、自身が授業を行うのは初めてだという。「授業前は不安もあったが、生徒たちが予想以上にいい反応で、自分から授業を動かそうとする姿がよかった。僕が教えている日本の中高生たちと共通する部分も見え、これから付き合うことで、もっとたくさんの姿が見えるはず」と意欲を見せた。
この日、朝鮮学校を初めて訪ねたのは一橋大学法学部4年の平尾陽丞さん。イギリスでの海外留学の際、初めてマイノリティの立場を経験。身近な在日朝鮮人がマイノリティとしてどういう心情を抱いているのかに興味を持ち、同校を訪ねたという。「日本の学校と似ている雰囲気がありながらも、生徒たちの礼儀正しさや祖国、文化を重んじる姿勢は朝鮮学校ならではのもの。当たり前のように、朝鮮舞踊を踊り、民族楽器を奏でる姿が、文化への誇りを感じさせ、とてもうらやましく思った」と語る。
今回、初めて授業を行った佐野匠さん(36)は「ヨガを元にした身体法の授業」(中2)を実施。裸足になり、身体をほぐし、宮沢賢治や及川均、石牟礼道子の詩などを朗読した。最初は照れや、ぎこちなさがあった生徒たちも授業の終盤には見違えるほどに大きく、朗々とした声で詩をよんだ。佐野さんは「私が伝えたいことを生徒がしっかりと受け止めてくれ、一体感あふれる授業だった」とし、「生徒と教師の間に信頼がなければ、授業というものは、進級や就職のためのただの道具になってしまう。朝鮮学校の生徒の誠実に大人の言葉を受け止める基礎には日頃から、ひいては歴史的に培ってきた生徒と教員の信頼の土壌があるのだろう」と感想を語った。
*************************************
※この続きは会員になれば閲覧できるようになります。
http://chosonsinbo.com/jp/2016/11/17%EF%BD%99%EF%BD%92/

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現代墨絵作家 安保真 2016作品展姫路

2016-11-17 | アイヌ民族関連
プレスリリース ゼロ (プレスリリース)-2016年 11月 16日
三和技研株式会社のプレスリリース

現代墨絵作家 安保 真
2016 作品展in姫路
現代墨絵作家 安保 真について
北海道佐呂間で生まれた彼の作品は、アイヌの最高位の神コタンコロカムイ
(絶滅危惧種シマフクロウ)を主なモチーフとしています。
彼の作品は、滲み画という独自の技法で描き
国内外で高い評価を得ております。
滲み画とは
彼の描く滲み画は、今までの「滲み」の概念とは全く違う
新しい白と黒の世界!
時間をかけて墨を何層も重ねていることが最大の特徴です。
主な受賞暦
2010 第11回日本フランス現代美術世界展・日本フランス現代美術世界展賞
2013 雪梁舎フィレンツェ賞展・入選 など
作品展概要
今回の作品展は、シマフクロウや猫のスコティシュフォールドを
モチーフにした作品を中心に約50点の新作を展示いたします。
また安保真2017夢暦などオリジナル商品を販売いたします。
開催概要
イベント名:現代墨絵作家 安保 真  作品展
日時:2016/11/18(金)~11/26(土)am10:30~18時(最終日16時まで)
場所:GALLERY とーく 兵庫県姫路市平野町58
   電話:079-288-4037 入場料:無料
詳細ページ:http://ameblo.jp/kamuy-owl/entry-12219643369.html
安保真公式HP:http://www.ambomakoto.com/
http://pressrelease-zero.jp/archives/103273

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「聖地が脅かされる」アメリカ先住民族、石油パイプライン建設に抗議行動

2016-11-17 | 先住民族関連
The Huffington Post 2016年11月15日 12時32分 JST 更新: 2016年11月15日 12時46分 JST
執筆者: Joseph Erbentraut

10月26日、「ダコタ・アクセス・パイプライン」建設に反対し、ノースダコタ州キャノンボール近郊でハイウェイを封鎖するデモ隊。
アメリカ・ノースダコタ州とイリノイ州を結ぶ石油パイプライン「ダコタ・アクセス・パイプライン」の建設をめぐり、建設ルート近くの居留地に住むアメリカ先住民スタンディングロック・スー族が抗議を続けている。彼らは水源のミズーリ川が汚染されることを懸念している。
Facebookのユーザーたちが、アメリカ先住民族の暮らすスタンディング・ロック保留地に「チェックイン」して連帯を示している。
なぜFacebook上で友人たちが突然、ノースダコタ州の先住民居留地「スタンディング・ロック保留地」に集結しているのか不思議に思うかもしれない。
11月2日、160万人以上がFacebookで保留地に「チェックイン」し、数カ月前から石油パイプラインの建設に抗議をするスタンディングロック・スー族とその支持者に連帯を示した。これは建設会社「エナジー・トランスファー・パートナーズ」がノースダコタ州バッケン地帯からイリノイ州中部の製油所まで1200マイル(約1930km)にわたって建設している、石油を輸送するためのパイプラインだ。
デモ隊は200以上の部族出身の代表者などが参加し、自らを「水の保護者」と名乗り、パイプラインによって聖地や埋葬地が脅かされ、先住民が飲み水として利用するミズーリ川が汚染されてしまうと主張している。
10月31日の早朝、Facebookのユーザーらはスタンディングロックにチェックインし始めた。彼らはジオタギング(投稿した写真などから位置情報を取得する方法)を使って治安部隊から監視されているノースダコタ州のデモ隊を守るために「チェックイン」することが必要だとするメッセージを再投稿した。
モートン郡の保安官事務所はジオタギングについて「まったくの事実無根だ」と述べている。デモ隊キャンプの主導者たちは、事実検証サイト「スノープス」に対し、自分たちはSNSの嘆願には関わっておらず、SNSによる監視に効果があるとは思えないと語ったが、連帯を示してくれたことには感謝した。
今も続くパイプラインの抗議活動への関心は高まり、誤った情報が広がっている。そこでどうしてこうなったのかを検証し、真偽をはっきりさせよう。
■ いつ、どうして抗議が始まったのか?
スタンディングロック・スー族がパイプラインに対する抗議を主導している。パイプラインがミズーリ川を横切ることを承認したアメリカ陸軍工兵司令部を告発した訴訟の中で、スー族は「文化的、歴史的に重要な土地が傷つき、破壊される可能性が極めて高い」と述べ、安全な飲み水の供給が危険にさらされると訴えた。また建設の一時中止を求めた。
連邦地裁の判事は9月初旬、中止の訴えを退けたが、司法省、陸軍、内務省は同日に「オアヒ湖周辺の陸軍工兵隊所有地またはオアヒ湖地下」から20マイル(約32km)圏内の建設を停止し、この件は引き続き連邦政府機関が調査すると発表した。それ以降、連邦機関はパイプラインに関してコメントしていない。
■ 誰が抗議しているのか?
スタンディングロック・スー族のデモ隊に、他の部族や先住民以外の多くの支持者が加わり、ノースダコタ州のキャンプや連帯を表明して世界中でデモを行うというかたちで参加している。俳優のマーク・ラファロと公民権活動家のジェシー・ジャクソン牧師もデモに参加した。
■ デモ隊は何を求めているのか?
デモ隊はパイプライン建設の完全中止やルートの変更を求めている。彼らはパイプライン建設現場での事故が近年増加していることを挙げ、水源の安全性が脅かされることを懸念している。
「パイプラインは小さな隙間から石油が漏れ出ることが多く、私たちは漏れているかどうかを知ることができません」と自然保護団体「シエラクラブ」のダグ・ヘイズ弁護士は9月、ハフポストに語った。「部族の人たちが心配しているのはこういうタイプの問題で、実際そう主張するだけの十分な根拠があります」。
州都のビスマーク付近を通過する最初のルート案が破棄されたことも、こうした懸念の一因だ。
また、スー族と支持者らは、このプロジェクトによって聖地や埋葬地に出る影響を懸念するのもおかしな話だと考えている。
ここは条約で定められたスー族の土地だ。強引に土地を収用するアメリカ政府は国際法に違反している。
■ パイプライン開発業者の反応は?
エナジー・トランスファー・パートナーズ社のケルシー・ウォーレンCEOは9月の書簡で計画を擁護し、文化的な影響について軽視し、抗議者らの水の安全を懸念する声については「何の根拠もない」と述べた。
■ 地元当局はデモ隊をどう扱っているか?
抗議が始まってから建設現場では400人余りの逮捕者が出ている。基本的に不法侵入や暴動に関与した罪で逮捕される。
デモ隊は警察がトウガラシスプレー、催涙ガス、ビーンバッグ弾(殺傷能力のない散弾銃)を使用していることや平和的なデモ、パイプセレモニー(先住民の儀式)、そして祈りの輪に武力を行使したことを非難している。
女優のシャイリーン・ウッドリー、記者のエイミー・グッドマン、ドキュメンタリー映画監督のディア・シュロスバーグなど他の著名な支持者らは、デモに参加またはデモを記録したとして逮捕されたり、告訴されている。
3日だけでデモ隊のうち141人が逮捕された。開発業者の所有する土地でパイプラインのルートを塞いでいた前線のキャンプを当局が撤去したことで暴動が起きたのだ。しかしデモ隊は1851年に調印されたフォート・ララミー条約のもと、この土地の収用権はスー族にあると主張した。
こうした権力の行使を目の当たりにし、人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は治安組織がどのようにデモ隊に応じているかをチェックするため、調査チームを派遣することにした。また、国連も治安組織が過度な力を使い、人権を侵害しているというスー族の訴えを受けて調査している。
■ 今後どうなるのか?
どんどん寒くなってきたが、デモ隊は熱心にデモを続けるようだ。ある部族の指導者はガーディアン紙に「最後の抵抗」をする準備はできていると述べた。
しかし治安組織の方も長期戦の準備はできているようだ。地元紙ビスマーク・トリビューンは3日、ノースダコタ州の緊急対策業務部が抗議に対応するため、追加で400万ドル(約4億1200万円)の資金提供を受けると報じた。同じ目的ですでに受け取っている600万ドル(約6億1800万円)に加算されるという。
一方、ノースダコタ州エリアのパイプライン建設はほぼ完了し、今すぐにでもミズーリ川まで到達しそうだ。
オバマ大統領、 ダコタ・アクセス・パイプラインの抗議について「当局には慎むべき義務がある」
パイプラインの開発業者は、ミズーリ川の地下を掘る許可がすぐにでも下りるのを待っている。バラク・オバマ大統領は11月1日、動画ニュースサイト「NowThis」のインタビューでスー族や支持者の懸念に対処するため、アメリカ陸軍工兵司令部はパイプラインのルート変更ができるかどうかを調査していると述べた。
シアトル・タイムズによると、1月1日までにパイプラインが完成し、原油を輸送できなければ、開発業者と輸送業者の契約は期限切れになるという。
ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/14/dakota-pipeline-protest_n_12975788.html?utm_hp_ref=japan

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NZ地震、孤立した観光客らの避難始まる 南島カイコウラ

2016-11-16 | 先住民族関連
ロイター 2016年 11月 15日 17:02 JST

 11月15日、大地震から見舞われたニュージーランドで、軍や救助隊が、震源地近くの南島カイコウラに取り残された数百人の観光客や住民らの避難させる作業を開始した。写真はニュージーランドの首都ウェリントンのホテルで街からの脱出を待つ旅行者。撮影(2016年 ロイター/Lincoln Feast)
[ウェリントン 15日 ロイター] - 大地震から見舞われたニュージーランドで15日、軍や救助隊が、震源地近くの南島カイコウラに取り残された数百人の観光客や住民らの避難させる作業を開始した。
14日未明に発生したマグニチュード(M)7.8の地震では、2人が死亡。建物の倒壊に加え、南島の北東部を通る道路や鉄道が寸断された。
クライストチャーチの北東約150キロに位置し、ホエールウオッチングの基地として有名なカイコウラは、大規模な土砂崩れで完全に孤立した。
空軍のダリン・ウェブ司令官がTVNZに明らかにしたところによると、軍のヘリコプター4機が15日朝、現地に到着したほか、海軍のカンタベリー多目的艦が現地に向かっている。観光客や住民約200人を救出する予定だという。
当局によると、約1200人の観光客が現地に取り残されている。
カイコウラ周辺で観光業や漁業を営む先住民族マオリ・ナイ・タフ部族のリーダー、マーク・ソロモン氏は、14日の朝以降、1000人をマラエ(マオリの集会場)に受け入れたと述べた。多くは共同ホールや屋外の自動車で夜を過ごし、南島名物の「クレイフィッシュ(ニュージーランド産伊勢えび)」のもてなしを受けたという。
http://jp.reuters.com/article/quake-newzealand-idJPKBN13A0AJ

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毎日ヘルス&ライフ 私のQOL 医師・探検家 関野吉晴さん

2016-11-16 | 先住民族関連
毎日新聞2016年11月16日 東京朝刊

<Quality Of Life>
異文化の中での「気づき」が大切 患者と同じ目線で病と向き合う
 旅をして異文化の中に身を置く。これまで見たことがないものと出合い、自分たちの暮らしや考え方が当たり前でないことを知る。そうした「気づき」が「生活や環境をよりよくするための一歩になる」と強調する。
 例えば、教授を務める武蔵野美術大(東京都小平市)での課外ゼミ。昨春から今年1月にかけての活動のテーマは「カレーライスを一から作る」ことだった。野菜や米、肉、香辛料などの食材をこしらえるのはもとより、食器やスプーンも製作した。野菜は思うように育たない。ウコッケイやホロホロ鳥はヒナから育て、食べるころには情が移る。学生たちはモノの原点がどうなっているかを知り、食べるという当たり前の行為を見つめ直す。「僕自身、ニンジンやジャガイモを畑で育ててみて気づいた。デパートやスーパーには形がそろったきれいな野菜が並ぶが、その裏には出荷されなかった多くのふぞろいな野菜があるに違いないと」
 人類がアフリカを起点に南米まで広がっていった約5万3000キロを、徒歩や自転車、カヌーなど、腕力や脚力を使って逆ルートで踏破する「グレートジャーニー」を1993年末から約9年かけて敢行した。さらに、大陸や海洋ルートで日本列島に渡来した人々の足跡をたどる「新グレートジャーニー」に挑み、その最終章として、カヌーでインドネシア-沖縄の航海に出て2011年にゴールした。このときのカヌーも「すべて自然から取ってきた材料だけでつくろう」と当時のゼミ生や卒業生らに呼びかけた。「古代の人々は自然から必要なものを、必要な分だけいただき、他の生き物と共存していた」
 一橋大学に探検部を創設し、在学中の71年、アマゾン全域踏査隊長として南米に遠征した。探検で出会う人々の役に立ちたいと、横浜市立大学医学部で再び学び、外科医になった。
 研修医時代を過ごした武蔵野赤十字病院(東京都武蔵野市)に尊敬する医師がいた。消化器外科が専門だったが、患者と同じ目線に立つことを心がけていた。車いすに乗っていれば、かがんで患者の目を見る。ベッドで寝ているなら、ひざまずいて手を握る。「それは医療だけでなくどんな場にも通じる。先住民族の中に入れば同じ目線で向き合い、彼らの生き方を学んでいく」
 常に初心者の気持ちで臨む。「できなかったことができるようになったとき、伸びてゆく自分を感じる。そのことが人生を豊かにしてくれる」と語った。
 ■人物略歴
せきの・よしはる
 1949年、東京都墨田区生まれ。75年、一橋大法学部卒業。82年、横浜市立大医学部卒業。「グレートジャーニー」などの探検で知られ、99年植村直己冒険賞。現在は武蔵野美大教授で、文化人類学者としても活動。課外ゼミの様子を追ったドキュメンタリー映画「カレーライスを一から作る」(前田亜紀監督)が19日から東京のポレポレ東中野で公開。
http://mainichi.jp/articles/20161116/ddm/010/100/004000c

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インカの天然色は病も癒やす

2016-11-15 | 先住民族関連
毎日新聞-2016年11月14日
鷺森ゆう子 / メディカル・ハーバリスト
藤原幸一 / 生物ジャーナリスト/NATURE's PLANET代表
ペルー・クスコ郊外:インカの染料を受け継ぐ村にて
 薬草の森に現れた天空都市、マチュピチュからクスコに帰ってきた。今度は近くの村で、インカの植物から染料を作っている村があると聞き、「薬草もあるのでは」と思い、バスで行ってみることにした。
 朝早く、バスは北西へ向かって出発した。標高が高く酸素が薄いせいなのか、バスはエンジンが不完全燃焼していて真っ黒な排ガスをまき散らしながら、インカ時代の石畳の道をゴトゴトと音を立てながら走った。川沿いを猛スピードで下って田舎道に入ると、今度は土ぼこりをもうもうと上げながら、くねくねとした坂道を上り始めた。バスの揺れで眠くなり、しばらくウトウトしていたら急に視界が開け、乾燥した山々の間に、インカの遺跡が残る小さな村が現れた。そこでは、先住民族の女性や少女たちが、さまざまな植物を使って糸を染めていた。
「インカシャンプー」は自然からの贈り物
 バスの停留所から5分ほど歩いた民家を訪ねてみた。日焼けした小柄で、ふっくらしたアジア人を思わせる顔つきの先住民の女性が、出迎えてくれた。家に入るなり女性は「これはサクタという植物の根です。ベビーアルパカやシープウールを洗う時に使います。彼らは生まれてから一度もシャワーを浴びたことがありませんからね。『インカシャンプー』です」と、ジョークを交えながら、その場にあった植物の根をナイフで削って陶器の器に張った水に入れた。かき混ぜるとブクブクと泡が立ち始めた。そこへ汚れた毛糸を入れて、手でもみ洗いをする。「わたしたちの服も全て洗うことができますよ。自然環境を汚さない、天然の洗剤です」。泡の中から出てきた毛糸は真っ白になっていた。
インカの赤は寄生虫から作られる
 女性は次に「これは植物ではありません」と言って、小さな白いかたまりを手にした。「ウチワサボテンに寄生しているコチニラ(和名:エンジムシ)という虫です。染色に使います」。両手をすり合わせ、「ほら、見てください」とこちらに手を向けると、手のひらが赤く染まっていた。コチニラの体内に蓄積されている色素だという。
 「これはインカよりも古い時代の染料なのです。メスのコチニラを2~3カ月乾燥させたものを、染料として使います。ここへライムを垂らすと……ほら! オレンジへ色が変わります」。寄生虫といわれると少々ギョッとするが、人々の知恵には感心させられる。
寄生虫で巨額の富
 16世紀にスペイン軍が侵略する前、インカ帝国ではコチニラを大量に養殖していた。そこでインカ征服を成し遂げたスペイン人は、そのコチニラをヨーロッパに持ち帰り、巨額の富を築いたとされる。この色素はコチニール色素と呼び、現在は、食品添加物(天然着色料)としても使われている。コチニラの体内に蓄積されている色素化合物を水かエタノールで抽出して色素にしたものだ。ただし、コチニール色素を使った食品や化粧品の使用で、アレルギーを起こす人もいるため、日本では2012年、消費者庁が注意喚起をしている
カラフルなサボテンの実は不老長寿の薬
 そのウチワサボテンの実は「トゥナ」と呼ばれ、市場や道端でも売られていた。地元の若い人たちもファストフード感覚で買って食べている。早速、試してみると、少し硬くてほんのり甘いメロンのような味がした。先住民の人たちは、「トゥナは体にとてもいいんだ。不老長寿の薬だよ」といって、いくつも口に運んでいた。トゥナにはカルシウムやリン、カリウムなどが豊富に含まれている。緑、赤、紫などさまざまな色の種類があり、赤や紫のトゥナにはベタレイン色素が多く含まれている。人間は空気から酸素を体内の血液にとり入れ、体に必要なエネルギーを作っている。その際に、酸素の一部が活性酸素になる。活性酸素が増えすぎると正常な細胞を傷つけてしまい、病気を誘発し老化現象を早める原因となっている。ベタレイン色素には、その活性酸素を抑える抗酸化作用があるという。
染料にも薬にも増粘剤にもなるタラ
 「これはタラという木の種です」。そういって女性は、乾燥して硬くなったオレンジ色の大きな種を指さした。「この煮汁で糸を染めると青色になります。インカ時代だけでなく、タラのように植物によってはインカの前の時代から、私たちの祖先も使ってきたんですよ」。見せてくれた毛糸は淡く、上品な色合いの青だった。「それから、種からとった液体は革を加工するときに使うと、革が柔らかくなり明るい色になります」
 「薬としては使っていますか?」と尋ねてみた。女性はにっこり笑って「はい、もちろんですよ。のどが痛い時にタラの煮汁でうがいをすると、痛みが和らぎます。ただし胃には刺激が強いので、飲み込まないように。それから、タラの汁をシャワーで浴びると、肌がきれいになりますよ」と答えてくれた。調べてみると、へんとう炎や傷の洗浄、発熱の治療にも使われているようだ。薄めた煮汁は腹痛にいいという。現在、ペルーでタラは有用作物として栽培されていて、種から抽出したガム(粘液、のり)が、アイスクリームやヨーグルト、パン、肉製品などの増粘剤や安定剤としても使われている。
インカの時代から受け継がれた染料の糸を紡ぐ
 この村で紹介された染料植物は、他にもたくさんあった。この連載の「インカ文明が生んだ世界のスーパーフード」の回で紹介した、紫サラ(とうもろこし)で染めた糸や、ボディーソープにもなるというキンサクチュなど多くの植物を染料として使っていた。先住民の女性は家々で、インカ植物で染め上げられた糸を掛け合わせ、インカ模様の布地を織っていた。自然のかもしだす柔らかな色合いが、アンデスの大地に溶け込むようだった。
 ペルー滞在中にいくつもの遺跡や田舎を訪れた。そこで先住民族の人たちと話をしていると、まるでインカの時代にタイムスリップしたかと錯覚しそうだった。インカ時代にも使われていた薬草や染料植物、野菜、穀物を、今もなお暮らしの中に取り入れている力強い姿がここにはあった。
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鷺森ゆう子
メディカル・ハーバリスト
さぎもり・ゆうこ 神奈川県生まれ。動物専門学校看護科卒。日本大学英文学科卒。1994年より動物病院で獣医助手として勤務する傍ら、環境保護のNGOに携わる。海洋環境保護イベントの開催や、中米ベリーズ・エコツアーに参加し、マヤ人の智恵を生かしたナチュラルメディスンに触れ、自然の薬により関心を持つ。このような体験を会報誌へ執筆する。95年から1年間、東アフリカのケニアにて動物孤児院や、マサイ族の村でツェツェフライコントロールプロジェクトのボランティアに参加する。帰国後は再び環境NGOなどに関わりながら、国内での環境教育レクチャーや、中米グァテマラの動物孤児院にてボランティア活動を行うなど、野生生物と人との共生について探求する。06年からフリーで野生生物の生きる環境や、世界の自然医療の現場を巡る。
藤原幸一
生物ジャーナリスト/NATURE's PLANET代表
ふじわら・こういち 秋田県生まれ。日本とオーストラリアの大学・大学院で生物学を学ぶ。現在は、世界中の野生生物の生態や環境問題、さらに各地域の伝統医学に視点をおいて取材を続けている。ガラパゴス自然保護基金(GCFJ)代表。学習院女子大学非常勤講師。日本テレビ「天才!志村どうぶつ園」監修や「動物惑星」ナビゲーター、「世界一受けたい授業」生物先生。NHK「視点論点」「アーカイブス」、TBS「情熱大陸」、テレビ朝日「素敵な宇宙船地球号」などに出演。著書は「きせきのお花畑」(アリス館)、「こわれる森 ハチドリのねがい」「森の声がきこえますか」(PHP研究所)、「マダガスカルがこわれる」(第29回厚生労働省児童福祉文化財、ポプラ社)、「ヒートアイランドの虫たち」(第47回夏休みの本、あかね書房)、「ちいさな鳥の地球たび」(第45回夏休みの本)「ガラパゴスに木を植える」(第26回読書感想画中央コンクール指定図書、岩崎書店)、「オーストラリアの花100」(共著、CCCメディアハウス)など多数。
http://mainichi.jp/premier/health/articles/20161111/med/00m/010/021000c

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