昨日の節分、母が83歳の誕生日をむかえたので、おしゃれな和風レストランで恵方巻きランチというのをいただきました。
そのすぐそばに、植村直己冒険館というのがあったのでちょっとよりました。板橋区に住んでいたことがあるというので、できた小さな小さな記念館です。
冒険家の植村直己は、2月になくなったというので、最後のマッキンリー登山の時の日記が展示してありました。
マッキンリー4200km
2月6日-40℃ -39℃
ページ一枚分の日記(ほほが凍傷だとか、指の先の感覚がない、など)のあと、次ページに『何が何でもマッキンリー、登るぞ』と力強く書いてありました。
このあと、登頂成功の連絡があった後、植村直己さんは消息をたち、今でもマッキンリーの山のふところに抱かれて眠っているそうです。
99パーセントが失敗するといわれても、おれは、成功する1パーセントだと思って疑わないと、強い意志のある方だったようです。
そんなちょっとした寄り道に発見があった日でした。
そのすぐそばに、植村直己冒険館というのがあったのでちょっとよりました。板橋区に住んでいたことがあるというので、できた小さな小さな記念館です。
冒険家の植村直己は、2月になくなったというので、最後のマッキンリー登山の時の日記が展示してありました。
マッキンリー4200km
2月6日-40℃ -39℃
ページ一枚分の日記(ほほが凍傷だとか、指の先の感覚がない、など)のあと、次ページに『何が何でもマッキンリー、登るぞ』と力強く書いてありました。
このあと、登頂成功の連絡があった後、植村直己さんは消息をたち、今でもマッキンリーの山のふところに抱かれて眠っているそうです。
99パーセントが失敗するといわれても、おれは、成功する1パーセントだと思って疑わないと、強い意志のある方だったようです。
そんなちょっとした寄り道に発見があった日でした。