キンちゃんの「マイコレ」partⅤ

果樹栽培、自然観察、・・・そして時々人間観察等です。

逆説の日本史 10 戦国覇王編

2012-09-21 20:41:40 | 
この編は、織田信長に関して述べられています。

(12/09/20撮影)

信長は、将門や清盛のように「意志」と「行動」を持つだけでなく、頼朝のように「変革を恒常化する具体的なプラン」を持っていた。
(足利義昭との関係において)政治をこれからどのように変えていくかという方針を「公開」し、世論の支持を仰ぐといったスタイルをとった政治家は、信長以前には存在しなかった。
軍事力と賞罰権(人事権)があれば一応政権はできる・・あと権威(正統性)があれば完全だからだ。

織田信長が日本人に与えた最大の贈物は、比叡山焼打ちや長島、越前の一向宗徒との対決や石山本願寺攻めに示されたような、狂信の徒の皆殺しである。・・このときをもって、日本人は宗教に免疫になったのである。(塩野七生)
「信長のルール」ははっきりしている。宗教人および宗教団体が平和的に宗教活動している場合は、一切干渉しない。
政治に関与しなければ宗教の自由は認める。

安土は・・「平安京」に対抗して、同じ言葉から採られたもの「平安楽土」なのである。京の都よりこちらの方が本物の「この世の理想郷」だ、という信長の「政治的主張」であろう。
安土城の致命的な欠陥は、内陸にあって海に面していない、ということである。
軍事基地としても優れ、政庁としての機能を持つ、というのは江戸時代の城では当たり前のことだが、それがいつ始まったかといえばこの安土城、すなわち信長からなのだ。

信長はあくまで実証的だ。つまり自分の目で見たことだけを信じるのである。
「信長教」の教義は・・「商売繁盛、延命長寿、子孫繁栄、家内安全、病気平癒、心願成就-」まさに現世利益である。

過去の権威に依存せず、まったく「新しき権力」を構築しようとした男が、日本史上に二人いる。足利「金閣寺」義満と織田「安土城」信長である。

秀吉のアイデアの多くの部分が、信長の「パクリ」だと思っている。大阪城建設もそうだが、大陸侵攻についても信長が既にその計画を宣教師に語っている。

家康が東照大権現という西の天照皇大神に匹敵する神にならない限り、この「天皇家相対化」モデルは成功しない。


今回も、興味深く読ませて頂きました。
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