2011年 09月25日 福井県三方郡美浜町に移動、最初の計画では写真の美浜原発の隣の総合運動公園を予定していたが昨今の報道問題も有り入り口のフェンスに鍵がぶら下っており締め出しの可能性を感じ10Kmくらい南に下がった海水浴場の駐車場にアンテナを設営した。トイレも有り昼間は車も数台停まっていたが夕方には誰も居なくなったのでアンテナを大きく張ることが出来た。
15:26分に7MHzから運用スタートしフェードアウトの19:54分までに270局ほどと交信、後に3.5MHzで80局程QSO、翌朝の7MHzを合わせて451局と交信する事が出来た。此の町とは私のログでは過去5年間で移動局との交信が2回有るのみ福井県内では一番出ていない町、矢張りデーターの通りの予測した結果と成った。
此の町は落ち着いた雰囲気で原発の立地も有り豊かに思えたが、他の原発の町村に比較して町に交付金での箱物の建物が私の見た限りでは見当たらなかった。翌朝、掃除に来たボランティアの叔父さんと話する機会が有ったが「交付金は一時的なもの次々に頼る事無く自立する道を町をあげて模索している。」其の立派な言葉に感動した。北海道の泊村、下北半島の東通村、六ヶ所村、新潟の刈羽村、四国の伊方町、九州佐賀県の玄海町、鹿児島県の薩摩川内原発、無線的には何れも余り出ていない所、無線の移動運用が無ければ訪れる機会の無い場所ばかりだったが今回の原発事故で原発を誘致した町は其々に深刻な問題を抱えている様に思えた。
大津市の運用終了後 鯖街道を走り美浜町に向う途中、日が傾き始め此れでは間に合わないと判断、運用場所を三方五湖のある若狭町に変更、三方湖の沿いの駐車帯に車を停めアンテナの設営が完了する頃には既に薄暗く写真が良く撮れなかった。
17:52分から運用開始、直ぐにパイルアップ状態に、この日は20:27分まで7MHzは開けていた 其の後3.5MHzにQSYして60局程交信後23:23分に終了、翌朝の7MHzの交信を含め今回の移動では初めて300交信を上回った。
それにしても各局のデーター管理(パソコンログ化)は進んでおり、移動場所による呼ばれ方の違いは顕著に現れる この日の運用時間は前回の九州、沖縄移動時と変らないのだが交信数は半分以下である。此の事から矢張り移動運用で其れ成りの実績を上げようと思うなら非常にQRVが少ないレアーな場所からの運用しか無いが昨今の新手のアワードの乱立から?陸続きの殆どの場所からの移動運用は遣り尽くされて居り残る場所としては離島くらいしか残って居ない感じがする。
此の場所は日本の中央部に位置し全エリアに対するパスも条件的には良いはずなのに? 私は常々こう考えている7MHzで運用している人の中で移動局がクラスターにアップされると念の為、必ず呼ぶ人が三分の一、自分の過去の交信状況により判断する人が三分の一、残りの人は興味の無い人と?曜日や時間帯にもよるが7MHzを毎日聞いて運用可能な人が平均で600~700局程度と想像している。
根拠は全く無いのだが前回の移動(約70日分のデーターから)全交信数22500局の中で重複交信を除くと交信局数は全周波数帯でMAXで2700局程の実績と成る。この数字は長期運用とあまりQRVが無い場所からのQRVが続いた中で割り出した数値で可也こなれた物、従って7MHz帯、単一で平日に何時も運用出来る局と成ると大体750局~800局止まりか?そうなると250局位は移動運用場所に関係なくQRVすれば交信出来るが其れ以上に成ると運用場所の過去のQRV状況が重要で当たり前の事だが交信数を伸ばすならレアーな町村しか無い事に成る。言い換えれば呼ぶ側が可也過去のQSOデーターを見ながら冷静に判断している事に成る。そして其の根拠は矢張りパソコンに寄るデーター管理、人間技では可也難しい時代に成っている。
2011年 9月24日に滋賀県大津市(比叡山、滋賀県側)に移動08:06よりQRVを開始、112局の交信で終了した。高さも680mHと高かったが、大津市での移動運用では珍しさも無く左記の結果と成った。この場所はブログの最初に書いたように池田先輩とTR-1000を持って6mの移動をした所だったが(42年前)昔の思い出とダブル箇所は寺院以外は余り無かった。
比叡山ドライブウェイは通行料金が2400円と高かったが道端の落石や木々や落葉も落ちておらず 流石に日本の代表的な聖地だけ在り管理が行き届いていた。此れだけの道路管理を徹底するなら、通行料金位の費用は掛かるだろうと変な納得をした。
その昔、比叡山の僧兵が武力を持ち勝手な事をするのに手を焼いた織田信長が比叡を焼き討ちし聖敵と非難されたが、仏教を恐れずに焼き討ちした事により人身が宗教の呪縛から離れられたとの学説も有るとか?何かで読んだような記憶が思い起こされた。静かな木立の聖地に立つ時、熱心な仏教信者で無い私でも釈迦堂の前に立つと自然に手をあわせ頭をたれる。理屈では無く此れで良いのではと思う、なんて思いながら聖地の真中でピィーピィー・ガーガーと無線の移動運用をする私や、ドライブウェイをサーキット化し爆音を轟かせ爆走する若人を最澄さんはどう思うのか?聞いてみたいものである。
多分こうだ1,2,3、「愚か者め、仏罰が下るぞ!」
今回の旅行で 松井さんと京都でアイボールをした。松井さんが此の世界でアクティブなのは説明の必要も無いと思うが、御会いして話を聞く中で並々ならぬアマチュア無線に対する思いを感じ取る事が出来た。
特にアンテナ基台のアースの取り方や考え方、無線機器のセッティング等、無線の会話の中で説明されても解り難い部分を説明しながら見せて戴き大変、参考に成った。
何時も感じる事だがアイボールQSOをすると其々の会話の中で、その人の無線感や運用テクニック、無線機器のセッティングや其れに伴う独自の工夫など多くの事を吸収する事が出来る。釣竿アンテナの基台のアースの取り方等はまさに「目から鱗」で有った。
御会いしてから最初の1時間強は立話、其れから夕食を御馳走に成りながら食堂がしまる直前まで食堂で、そこを出てから再度、立話で1時間 話が尽きる事は無かった。
此の世界に於ける松井さんの人気は大変なもので後に御会いした方々から「松井さんはどんな方か?」と各地で聞かれたので、「多分、皆さんが想像している寄り若く私がアイボールした方の中ではアマチュア無線に最も熱い思いを持っている人」と紹介した。アクティブさや交信数にも驚かされるが松井さんの魅力は何よりも真摯なオペレーションだ。(アクティブな移動局にはサービスしてやっている感とか、慣れか?少し鼻に付くオペレートをする人が結構いる)
日付が変る少し前に御別れして、私は琵琶湖大橋の道の駅に行き 「びわ湖大橋米プラザ」に入ったが三連休の事もあり駐車場はすでに満杯状態で少し待って漸く駐車場に車を停める事が出来た。
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翌朝は素晴らしい天気で琵琶湖に上る朝日を見た。
2011年 9月23日,0時過ぎ鳴門インターから高速道路に入り今回の1.2.3.9、0エリヤの移動が始まった。
最初の南淡路SAで仮眠したが寝過ごし7時46分からの運用開始、発電機と釣竿アンテナでQRVしたが珍しい市では無いため100局程と交信後、早々と閉局、淡路島を縦断、明石大橋を渡り神戸に入ると交通量の多さと、ナビとレーダーの音声が出っぱなしの状態と成った。名神高速に入れば後は一本道、緊張が解れ「ほっと」する 何時も感じる事だが自分は都市には向かない人種と、つくづく感じる。
大阪を過ぎ京都の桂川SAに休憩の目的で入ったが、昨年の移動時に京都府の南山城村での運用時に発電機の故障で十分な交信が出来ていない為、予定を変更、QRVを開始(京都南区移動とし発電機と釣竿アンテナで運用)60局と交信した。交信中、JE3OKZ松井さんから声が掛かり此方に向っているとの事、日頃御世話に成っている松井さんとは一度御会いしたかったので楽しみに待った。
やがて写真で見慣れた軽トラの移動車が現れ、長身の松井さんが出てこられた初対面では有ったが電波での交信回数は300回以上を超える御付き合いに成る。余談だが移動に熱心な人は他人の移動運用は呼ばない人が結構多いのだが松井さんも私も其の意味では例外で双方移動時、呼びあうので この回数に成っている。移動する局は沢山いるが真摯な運用スタイル、アクティブさでは日本のベスト3に入る方と日頃から尊敬している方だ。