



四国88箇所霊場・第39番札所「延光寺」の縁起によると神亀元年に行基菩薩が聖武天皇(在位724~749年)の勅命を受けて、安産、厄除けを祈願して薬師如来像を彫造、此れを本尊として本坊の他、十二坊建立したのが開創と云われて居る。当時は、薬師如来の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺名を宝光寺と呼び、又、本尊の胎内には行基菩薩が感得したという仏舎利を秘蔵したと伝えられている。
其の後、弘法大師が此の寺を訪ねたのは延暦年間(782~805年)で桓武天皇(在位781~805年)の勅願書として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えた。此の時に大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸」である。
伝説に寄れば延喜11年(911年)に赤い亀が境内にある池から居なくなったが、やがて銅の梵鐘を背負って竜宮城から帰って来た(2番目の写真)。其処で現在の山号、赤亀山(しゃっきざん)寺山院(じさいん)の寺号に改めたと云われて居る。




此の日は早朝から青空が広がり昨日、豪雨の中を走った道を足摺岬から四万十市に戻り其の後に宿毛市にある此方の札所へと向かった。下段2番目の写真が弘法大師が錫杖で地面を突いたら霊水が湧き出たと云われる「眼洗いの井戸」