2年前の沖縄方面の移動運用時に鹿児島でお世話になった田中さん(JR6LEA)に鹿児島に来たなら此処は必ず見て帰って下さい。と案内頂いた知覧の「特攻記念館」、其の時は2時間以上滞在したが其れでも十分に見切れずに次回に鹿児島に来る機会が有れば其の時は時間を掛けてゆっくりと見学したいと思っていた。指宿を出てルート27を北上して昼前に知覧町へ、平和公園の駐車場に入ると今回も平日なのに沢山の車で満車状態、周回しながら空きを探して漸く駐車出来た。
入館したら館内はたくさんの見学者でごった返していた。小、中学生の見学者も多かったが矢張り御年配の方々が圧倒的に多かった。しかし其の大半の人は戦争を知らない人々、私が戦後三年目(1948年)に生まれたので物心が付いて戦争を実体験した人々は75歳以上の御高齢なはず、来館者の中には其の世代の人は意外と少なかった。
前回の訪問時にゆっくり見れなかった特攻隊員の両親や家族に対して残された手紙や寄書きを時間を掛けてじっくりと見て回った。やはり死を覚悟して書いた人達の手紙は心を揺さぶられ胸が熱く成った。現在の平和ボケした私や、それ以後の人間には御国の為とは言え250Kg爆弾を抱え敵艦に突っ込み自爆するなど其れ成りの愛国心は有っても決して実行する事など出来ない事だが(今の若い人だと国外に脱出するだろう)其の当時の若い優秀で有能な人材を国家権力のもとに煽り洗脳し、特攻隊や其の戦術を考えた罪を許す事は出来ないが御国の為と言うより先に、外敵から家族を守る為に見返りを求めず自ら命を掛け其の命令を実行した若い特攻隊員の皆さんを戦争を美化する訳では無いが私は尊敬する。後10年も過ぎると戦争体験者の殆どが居なくなる。其の意味においても、これからの世代の人達に戦争を知らない私が言うのもおこがましいが「戦争の悲惨さと平和の大切さ」を啓発する場所としての有用性を感じた。
特攻記念館には閉館時間まで残り見学したが其れでも館内の展示物の一部しか見学できず鹿児島県に再び来る機会が有れば是非又訪れたいと思いながら記念館を出て霧島方面へと向かった。
地元に人に是非見るように勧められたのです。
夕刻に着いたものですから、2時間ほどしか見られませんでしたが、心にしみる思いがあり、又是非来て時間をかけて見て見学したいと思いました。
やはり年齢的に同年代ですね。(1946年生まれ)今後ともよろしくお願いします。