パオと高床

あこがれの移動と定住

エリザ・スア・デュサパン『ソクチョの冬』原正人訳(早川書房2023年1月25日刊)

2023-03-01 15:32:25 | 海外・小説

韓国人の母、フランス人の父を持つ今年31歳になるスイス在住作家のデビュー作。
舞台は韓国の北朝鮮との国境の町ソクチョ。
ソクチョというと「冬のソナタ」を撮ったユン・ソクホ監督の四季シリーズ「秋の童話」を思い浮かべる。
あのドラマ、子供時代の風景が美しかった。

ただ、小説は冬。寒さが厳しい。
主人公は作者と同じように韓国人の母とフランス人の父を持つ。ソウルの大学に通っていたのだが、
今は、この町の小さな旅館で働いている。そこに、フランス人のバンド・デシネ作家がやって来る。
バンド・デシネはフランスの漫画と解説されている。
その作家ヤン・ケランは、最終巻になる第10巻の着想を得るためにソクチョに滞在する。
主人公は彼に興味を持ちながら、彼のスケッチブックを覗き見し、やがて彼と交流していく。
ソクチョの冬の閉ざされた風景とその場所にいる主人公の心の動きを、余韻を含む会話や切なさや鬱屈、
さらにさらりと宿るあやうさなどを織り交ぜながら描き出していく。漂う詩情が心地いい。
自らの作品の中の女性をイメージ付け、描き出そうとするケラン。
自らを物語の中で生かしたいと思いながら、物語のない日々がひたひたと迫ってくるヒロインの心の振幅。
足場とする強固な土壌を持ち得ないのに、そこにいる、その場所が足場になっている中での、
ここではない何処かへの思いとその思いの前でたたずむ姿。それが、読者にやさしく差しだされる。

小説の中で名前を与えられていない主人公は、冬から春へと歩きだすのだろうか。
物語は与え、与えられる関係のの中にある。ケランに着想を与える主人公の「わたし」は、
ケランの作品によって物語を与えられるのだろうか。物語は与えられるものではなく、
そこでもやはり歩み出すことから始まるものなのだろうか。

「自分が本当に言いたいことは、いつまでたっても伝えられないんじゃないかって気になるよ」
とケランは言う。主人公はそれに対して、
「たぶんそれでいいんじゃないかしら」と言い、さらに
「だって、さもなきゃ、あなたは絵を描くことをやめてしまうでしょう?」と続ける。
要約されたり語り終えられたりしないから、小説は続いていくのかもしれない。
そう、「決して終わらない物語さ。何もかもが語られる物語。あらゆるものを含んだ。寓話だね。究極の寓話だ」
へと向けて。
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ケン・リュウ「紙の動物園」

2022-01-15 07:57:58 | 海外・小説
『Arc ベスト・オブ・ケン・リュウ』に収録の短編「紙の動物園」。2011年発表の出世作。

母が、クリスマスギフトの包装紙を折って作った動物に息を吹き込むと、動物は動きだす。

 母さんの折り紙は特別だった。母さんが折り紙に息を吹きこむと、
 折り紙は母さんの息をわかちあい、母さんの命をもらって動くのだ。
 母さんの魔法だった。

中国人の母とアメリカ人の父の間に生まれた「ぼく」。幼い頃の世界は、大人になるにつれて齟齬を生みだす。
作者のケン・リュウは、1976年中国蘭州の生まれ。街の中央を黄河が流れる都市だ。蘭州ラーメンが美味しかった。
で、11歳の時に家族とともにアメリカに移住したと、略歴に書かれている。

小説には、英語を話せない母とアメリカ社会の中で生きていく「ぼく」とのズレが書き込まれていく。
それが紙の動物たちとの交流と離反を通して描かれる。
小さな世界と大きな世界の違和。何がささやかな生活に亀裂を入れ、そのわずかな亀裂がかなしみをもたらすのか。
読み終えてそんなことを考えた。ヒューゴ—賞、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞の3冠受賞作と紹介されている。
じわりかなしい小説だった。
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ケン・リュウ『Arcアーク』古沢嘉通編・訳(早川書房2021年5月20日)

2022-01-03 18:43:27 | 海外・小説

「ベスト・オブ・ケン・リュウ」という、ケン・リュウのベスト版。
映画化もされた冒頭「Arcアーク」、面白い。
折り返しのストーリー紹介を抜く。
「つらい別れを経て心身ともに疲弊した」わたしは、「ボディ=ワークス社」に就職する。
ここは、「防腐処理を施した死体にポーズを取らせ、肉体に永続性を与える仕事」をする会社で、
才能を見いだされたわたしは「創業者の息子ジョンと恋に落ちる」。彼は「老齢と死を克服したいと考えており……」と書かれている。

生きものの宿命である老化と死。いったい人類は不死を、永遠の若さの獲得を出来るのだろうか。
「アーク」はもとは「円弧」という文字が記されていたらしい。大いなる円弧として繋がっていく生命と私の生の永続性。
ボクらの感情は価値観は、どのような方向を選び取るのだろう。

不死や永遠の若さというとどうしても萩尾望都の『ポーの一族』を思い出してしまう。
あの情感と思索がどうしても中心になってしまう。
人が自らの生を選べる時代は来るのだろうか。NHKでは、確か若さの永続性を描いた科学番組(?)があったな。
また、ボディ=ワークス社の仕事は、死者と死体の境界をなぞるようでスリリングだった。
どこまでが死者でどこからが死体なのだろう。死体となったものをまた、死者に戻し、呼び戻す行為とは何だろう。

ケン・リュウの小説は描写もいい。訳も含めて。
例えば、
「爪先で踏みしめる砂は冷たく、濡れており、ときたま貝殻の破片が裸足の足裏に刺さった。
 だけどわたしは汀を裸足で歩き続けた。」とか。
で、呼応するように、
「美しい午後だ。綺麗な貝殻を取り合い、砂に残していくわたしたちの足跡で模様を描くのにはうってつけだ」
という表現があったりする。
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ポール・アルテ『混沌の王』平岡敦訳(行舟文化 2021年9月27日)

2021-12-16 21:01:04 | 海外・小説

探偵の名前はオーウェン・バーンズ。作者はフランスの推理小説作家で、いわゆる本格探偵小説だ。
推理を誤らない探偵の探偵ぶりがいい。

ストーリーは裏表紙に頼る。
「長女の婚約を巡り愛憎渦巻く屋敷に集まった面々は、みな〈混沌の王〉と呼ばれる存在に怯えていた。
一族を呪い、聖夜のたびに一人ずつ命を奪っていく白面の怪人……それはいにしえの伝承ではなく、三年
前にも当主の息子が完全な密室の中で殺されたのだという。そして〈混沌の王〉を呼び出し鎮めるための
交霊会の夜、新たな事件が発生し」
と、こうなる。

さらに、雪の夜の残っていない足あとや登場人物の不可解な行動。
物語の舞台になる建物の二つの塔をつなぐ空中回廊。鈴の音とともに現れる混沌の王。
吹雪の先の湖に浮かぶ小舟。そして、探偵オーウェンの友人が語り手となって事件の渦中に入っていくという設定。
おまけに、その語り手アキレスが登場人物の女性に寄せる想い。
ああ、どこまでもクラシカルな、溢れるようなディクスン・カーの世界。

ホロヴィッツが、『カササギ殺人事件』で二重構成を取りながら、アガサ・クリスティの世界を招来したように、
また他の小説でホームズを復活させたように、アルテはディクスン・カーを呼び戻す。面白いよな、本格探偵小説。
あっ、そういえば、少し前に読んだ、阿津川辰海の『星詠師の記憶』はめちゃくちゃ面白かった。
阿津川の問いと答えの論理的な積みあげも、いいよな。
で、この小説『混沌の王』の探偵が語る言葉、
「謎を解くには、ありえないことを排除していくだけでいい。そうして残った仮説は、どんなに馬鹿げて見えようが
真実にほかならないってね」という言葉は、いい。
それは、小説冒頭の「人生は偶然から成っている」と呼応して、物語世界を創りあげる。だから、読者は偶然出会うのだ、物語世界に。
ありえなさを排除しながらも、混沌が跋扈するこの時、この場所に。
それは、とても愉しい、あり得なさを排除しながら、その結果、顕わになるありえた世界の真相。
にたにたしながら読める小説だった。
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マイリス・ベスリー『ベケット氏の最後の時間』堀切克洋訳(早川書房2021年7月25日)

2021-08-26 22:10:23 | 海外・小説

ヨーロッパの文学シーンではたまに見かける、有名な作家のある時期を想像力と創作意図で描きあげる小説だ。
1989年7月下旬から12月22日に亡くなるまでのベケット晩年の物語。
ベケットが余生を過ごした「ティエル・タン」という実在の老人養護施設名がタイトルであるらしい。
ただ、著者も訳者も語るように、この小説はノンフィクションではない。
ジョイスやイェイツ、ブルトン、メルヴィルらの引用が挿入されたり、ベケットの小説や戯曲を連想させる場面があったりする。
また、全体は20世紀文学の大きな流れだった「意識の流れ」の手法が使われている。
老いと死を迎えるベケットの中に去来するかつての時間への思いや、まるで、時間を越えて現れる過ぎ去った人々との語らい。
そこに詩的ともいえるイメージが配置される。
構成は、看護する側の報告文の箇所やベケットの回想、混濁しあう現実とイメージ、創作された作品の交錯、
意識の中に訪れる死者たちによって紡がれていく。
それらの中を行き来しながら、読者は老いと死の際に接近していく。
小説の、生者にとってのぎりぎりの異世界(異なる生存のスタイル)が死の先である。
その際へと文学は向かおうとしているようだ。

作者はフランス、ボルドー生まれ。この小説で2020年にゴンクール賞最優秀新人賞を受賞している。
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