司馬遼太郎というと長編という印象があったが、あるエピソードだけを切り取り、その人となりや作家の歴史観や時代の雰囲気をにおわせるという点では短編もなかなかいい。その短編の結構削られたような文章にも、一種司馬節のようなものがあって、これもこれで心地良い。確かに、最近、司馬遼太郎短編全集が完結したのもわかるような気がする。
この小説、題名がカッコイイ。「故郷忘じがたく候」も格好良かったが、伊達政宗の詩から採られたこの題名は、政宗の詩のよさと同時に書名センスが光る。あとがきにもあるように、詩から想起しながら、政宗の人となり、東北の地域性、そして政宗が抗わなければならなかった個人の生活環境や時代の価値観、父性と母性といったものが、さらりとしかし、きりりと表現されている。文章自体が簡潔でありながらなぜか詩的な情感が感じられる。それは、政宗の詩的才筆から伝染されたものだろうか。
父や母や旧体制との確執に、特に父を見殺しにする場面の描写に、1968年当時の空気への司馬良太郎のまなざしが感じられるような気がする。
数年前の五月に宇和島に行った。その時、宇和島城や天赦園を見た。海が入り込んでいて、一方には小高い丘(山)があり、町自体がこじんまりと落ち着いていた。あの時はむしろ村田蔵六がらみだったかな。そういえば、『街道をゆく』にさっと目を通して行った記憶がある。
この小説、題名がカッコイイ。「故郷忘じがたく候」も格好良かったが、伊達政宗の詩から採られたこの題名は、政宗の詩のよさと同時に書名センスが光る。あとがきにもあるように、詩から想起しながら、政宗の人となり、東北の地域性、そして政宗が抗わなければならなかった個人の生活環境や時代の価値観、父性と母性といったものが、さらりとしかし、きりりと表現されている。文章自体が簡潔でありながらなぜか詩的な情感が感じられる。それは、政宗の詩的才筆から伝染されたものだろうか。
父や母や旧体制との確執に、特に父を見殺しにする場面の描写に、1968年当時の空気への司馬良太郎のまなざしが感じられるような気がする。
数年前の五月に宇和島に行った。その時、宇和島城や天赦園を見た。海が入り込んでいて、一方には小高い丘(山)があり、町自体がこじんまりと落ち着いていた。あの時はむしろ村田蔵六がらみだったかな。そういえば、『街道をゆく』にさっと目を通して行った記憶がある。