パオと高床

あこがれの移動と定住

上山春平編『照葉樹林文化』(中公新書)

2009-11-29 17:17:15 | 国内・エッセイ・評論
副題は「日本文化の深層」。表紙裏の紹介文には「日本文化の水脈をたどりつめると、そこには縄文の世界が現出する」とある。森の文化、オアシスの文化、砂漠の文化、世界の文化的連続性をどう見極めていくか。今では、当然のようになっている事柄への、その画期を築いた果敢な挑戦が、シンポジウムには溢れていた。

この本、上山春平の「序説」において日本文化の深層としての縄文が提示される。そこでは、柳田国男と江上波夫の天神と国神のいずれを倭人と捉えるかの違いなどへの言及を含めながら、水稲稲作の時期をめぐる歴史の結節点へのアプローチが示される。すでに現在は、縄文後期に稲作が始まっていたというのは定説になっているが、その時期を考えることの重要さが、大きな人の流れ、文化の伝播、生活様式の変化として考察される。照葉樹文化という大きな世界地図の中で見つめられていくのだ。弥生と縄文という文化的移動が、このころから強く提示されてきたのだということを実感できる「序説」である。これが、おそらく伝奇小説の系譜にも影響を与えるのだろう。

そして、本論の「シンポジウム」へとつながる。中尾佐助、吉良竜夫、岡崎敬、岩田慶治、上山春平という、文化人類学、栽培学、考古学といった広範な分野での分野複合的シンポジウムが展開される。
考古学が、考古学者だけの考察対象ではなく、様々な分野を横断しながら時代を立体的に浮かび上がらせるものだということを、このシンポジウムは示している。地形の高低や気候の変化に伴う、針葉樹、広葉樹、照葉樹などの植生による世界地図の書きかえ。同時に、そのことでの文化複合の流れ。農耕の発展を野生採集-半栽培-根菜栽培-ミレット(雑穀)栽培-水稲栽培という段階に分けながら、稲作の広がりまでの流れを見いだしていく討論。それらを食物化できるための土器などの道具の発明。歴史で、稲作を始めたとだけ習うところが、その稲作に至るために準備された栽培史という連続の中で考えることができる。つまり、稲作技術だけが伝わるのではなく、稲作をする人たちが現れ、移入し、しかもそれを受け入れるだけの素地がすでにあったという背景が討論から伝わってくる。さらに、花粉研究で、森が大量に消滅する時期があることから、その時期に田の開拓があったのではないかという箇所などは、分野の総合による学問の広がりと深さを実感できる。

刺激的な一冊。ここから、さらに様々な分野への分化をはたしていけるような、集中、総合、分析、分化をくり返す、学問の面白さが堪能できた。
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