附記
比喩についての附記。
ニーチェの言葉が抜粋されて、解説が書かれた『人生を考えるヒント』(新潮選書)という本をつらつらと読んでいたら、こんな抜粋に出会った。
私がこの偉大な象徴主義者について理解することがあるとすれば、そ
れは、彼が内的な現実のみを現実として、「真実」として受け取ったとい
うこと、―彼がそれ以外のもの、あらゆる自然的なもの、時間的なもの、
空間的なもの、歴史的なものをもっぱら記号として、比喩への機会とし
て理解したことである。
ニーチェ『アンチクリスト』からの引用
で、このニーチェの言葉に対して、それを抜粋し、訳し、解説した木原武一の文章はこうである。
「この偉大な象徴主義者」とは、イエスのことである。イエスがなぜ
「象徴主義者」なのか。それは、彼が比喩や、たとえ話によって語った
からである。イエスを理解するとは、その比喩を理解することにほかな
らない、とニーチェは考える。(略)ニーチェの言う「自然的なもの、時
間的なもの、空間的なもの、歴史的なもの」とは要するに、人間がこれ
まで築き上げてきた知識や言語の総体、ひとことで言えば、人類の文化
そのものである。これをイエスは「比喩への機会」、つまり、たとえ話を
つくるための材料や道具としてしか見ていないというのである。
木原武一『人生を考えるヒント』
この部分、結びが「しか見ていない」だから、否定的なもののように捉えられそうだが、この章全体の文意からいけば、否定的なわけではない。この章は、イエスの「比喩によってしか語ることのできないもの」に対して、ニーチェが「暗号解読」の必要性を語り、その「解読」がニーチェにとっては、「超感覚的なもの、あるいは〈形而上的なもの〉を、〈心の状態〉〈幸福感〉〈永遠感〉など、みずからの感覚や経験のなかで実感可能なものに置き換えていること」であり、このように「実感できるものへ置き換えることが、理解するということである」とつながっていく。
福原恒雄さんが刻んだ「にんげんが比喩の記憶から消えていく」という詩句は、偶然、開いたこの本の一部と交流した。射程に入れているものの共通項がスパークした気がした。深い。
比喩についての附記。
ニーチェの言葉が抜粋されて、解説が書かれた『人生を考えるヒント』(新潮選書)という本をつらつらと読んでいたら、こんな抜粋に出会った。
私がこの偉大な象徴主義者について理解することがあるとすれば、そ
れは、彼が内的な現実のみを現実として、「真実」として受け取ったとい
うこと、―彼がそれ以外のもの、あらゆる自然的なもの、時間的なもの、
空間的なもの、歴史的なものをもっぱら記号として、比喩への機会とし
て理解したことである。
ニーチェ『アンチクリスト』からの引用
で、このニーチェの言葉に対して、それを抜粋し、訳し、解説した木原武一の文章はこうである。
「この偉大な象徴主義者」とは、イエスのことである。イエスがなぜ
「象徴主義者」なのか。それは、彼が比喩や、たとえ話によって語った
からである。イエスを理解するとは、その比喩を理解することにほかな
らない、とニーチェは考える。(略)ニーチェの言う「自然的なもの、時
間的なもの、空間的なもの、歴史的なもの」とは要するに、人間がこれ
まで築き上げてきた知識や言語の総体、ひとことで言えば、人類の文化
そのものである。これをイエスは「比喩への機会」、つまり、たとえ話を
つくるための材料や道具としてしか見ていないというのである。
木原武一『人生を考えるヒント』
この部分、結びが「しか見ていない」だから、否定的なもののように捉えられそうだが、この章全体の文意からいけば、否定的なわけではない。この章は、イエスの「比喩によってしか語ることのできないもの」に対して、ニーチェが「暗号解読」の必要性を語り、その「解読」がニーチェにとっては、「超感覚的なもの、あるいは〈形而上的なもの〉を、〈心の状態〉〈幸福感〉〈永遠感〉など、みずからの感覚や経験のなかで実感可能なものに置き換えていること」であり、このように「実感できるものへ置き換えることが、理解するということである」とつながっていく。
福原恒雄さんが刻んだ「にんげんが比喩の記憶から消えていく」という詩句は、偶然、開いたこの本の一部と交流した。射程に入れているものの共通項がスパークした気がした。深い。