パオと高床

あこがれの移動と定住

東直子『とりつくしま』(筑摩書房)

2013-06-22 08:59:30 | 国内・小説
『想像ラジオ』を読んで、物や場所に宿る死者の思いについて書いたが、東直子の『とりつくしま』は、死者が生者への思いを込めて何かにとりつくという設定の連作集である。番外篇一篇を入れて、全11話。
第一篇は、こう書き始められる。

  ざわざわしている。まわりがよく見えない。でも、まわりにたくさ
 ん、いる。なにかいる。とても、いる。ざわざわしている。
  これが、そうなの? こういうかんじなの?
  私は死んだ、らしい。それだけは、分かっている。

そして、死んでしまった者は「とりつくしま係」に出会う。係は言う。

  「そう、とりつくしま。私は〈係〉ですから、一目で、とりつくしま
 を探している人が分かります。あなたは、とりつくものを探している気
 配をおおいに出しています。あなたが、その気配を出しているうちは、
 この世にあるなにかのモノにとりつくことができるのです」

生きているモノはだめだが、それ以外ならモノになって、もう一度、この世を体験できる。野球部の息子のロージンに母がとりつく、「ロージン」。結婚二年目で亡くなった妻が、夫のマグカップのトリケラトプスの絵にとりつく、「トリケラトプス」。子どもが公園の青いジャングルジムにとりつく、「青いの」などなど。死者の思いと生者の思いが綴られていく。もちろん、声を聞き合ったりはしない。そばにいながら、遠い存在だ。ただ、逆もいえる。遠い存在になってしまったのに、そばにいる者。その気配と心の感応がやさしく描かれる。一篇ごとに、わずかの時間で読んで、何となくホワっとした気分になって、同時にちょっとせつなくなる。そんな小説たちだ。
東直子は歌人としても有名で、小説家と歌人、どっちが知られているのだろう。
そういえば、穂村弘との共著で『回転ドアは、順番に』という作品があった。恋人同士の、春の日の出会いから春の日の別れまでを、短歌と詩で応答するように描きだしていく。スリリングで面白い本だった。