パオと高床

あこがれの移動と定住

村永美和子『一文字笠〈1と0〉』(あざみ書房2014年1月31日発行)

2014-03-13 22:02:00 | 詩・戯曲その他
すべてが二元化されるわけではないが、帯書きにあるように「有と無、あるいは表と裏、または虚と実」や、まえがきに書かれているように「〈日常と非日常〉、〈実在と非在〉」に言葉を配置したとき、どういったスタンスをとるか。言葉は、どこにボクらを連れだしていくか。例えば、この境界に懸崖を描くように言葉を書き込む人がいる。また、この境界を往来するように地続きの地平を見せる人もいる。こちら側とあちら側といういい方をすれば、描かれるのは、こちらとあちらの懸崖か、こちらとあちらの通底路か。あるいは、こちらとあちらのカクテル状態だってある。
おそらく言葉は、こちら側のものなのだ。言葉は境界にまでは至る。そして、なお、こちら側にある。だから、言葉は、そこにない非在のものを運ぶことができる。そこにない桜であっても、「桜」という言葉で桜を運ぶ。ただし、そもそもないものは語れない。また、逆に言葉にないものも存在しない。現れるのは1か0かだ。もちろん、1だって0だって言葉だ。ぎりぎりの。で、村永さんの挑戦は、まえがきの一文に文字通り集約される。

  しかし色なら黒白、死と生、暗と明、醜と美、およそ対立項となるも
 のが、1と0、に集約され、別々に吸収されていきそうになる。すると
 存在そのものもあやうくなる。
                         (詩集まえがき)

日本舞踊で使う「一文字笠」に「触発」されて、1と0の間に言葉を存在させる。70篇の三行詩たち。三行とは実在・非在・そして境界かもしれない。架けられた言葉に、賭けられているのは存在か。三行と決まった行数なのに伸縮する世界がある。
で、どの一篇から行こうか。
まずは、最初に配置された詩篇から。

    1

 1 は流れ星
 宙 に うく
 無限大 の数追う 死に体

あっ、やはり。そう数字が横書きで出ちゃうんだ。こうなりそうな気がした。詩集は縦書きで、1は算用数字で縦向きの「1」。目線の流れが変わる。数字の「1」が「流れ星」をイメージさせるのだが、横書きになるとせき止めてしまう。でも、詩集全体が単一イメージではないので、最初の詩から入る必要はないのかもしれないが、全体の印象は、やはり、すでにここにある。助詞への感覚。助詞を文節から切り離す。助詞は、単語に移動性を与え、音の運びを変える。この詩は、視覚から入っている。そして、幻想への契機を示して閉じられる。0は、その気配だけ。無限大に0の気配が宿る。数が数を追う。死に体はひとつだろうか。空間に空隙はありながら、なぜか、死が溢れているように感じた。

     34

 1 は未生の閾(いき)
 から の発語 ? 魚(うお)の肚(はら) 白白くねり
 水底(てい) の 0(れい) のユートピアへ

水底は死から生への変換点になりえないのか。そんな思いが隠れているようにも感じた。
音つながりの詩篇である。「1」と「閾(いき)」、「から」と「肚(はら)」、「の発」と「の肚(はら)」、「白白くねり」のラ行音、「くねり」の「り」のイ母音と「水底(てい)」のイ、単独の助詞「の」を置いて、0を「れい」とルビ打ちして「てい」から「れい」へつなげ、今度は「の」を「ユートピア」とくっつけて「へ」で音の伸びをだしている。これが作者のリズムなのだと思うが、面白いのは、「魚の肚」以降をこう書いてみた時だ。
 魚の肚 白白くねり 水底の 0のユートピア
五・七・五・八の字余りひとつになるのだ。詩はこの五・七音を分断して破調にしている。意識・無意識わからないが、格闘のあとがあるのだ。それから、この音並びがあるせいで「?」マークにも発声があるような、ブレスがあるような、短い「んっ」があるような気にさせる。面白いな。
 でいて、書かれた文字だけを目で追えば、「?」は、意味として「かな?」となり、無音の「?」マークになるのだ。

もうひとつ、こんな詩も。

     49

 蝶 の0(くち) いきなりの
 1すじストロー
 蜜 透き とおっ り うず 渦 るつぼ

 この詩篇も「1すじストロー」が横書きではもうひとつ視覚イメージが違うかも。それでも、引用したのは、何かじれったいような色っぽさがある詩だからで、こういった詩もあるということで。三行目の分断が効果的。  「うずうず」を分けたような「うず 渦」という一字あけが、かえって、うずうずさせる。「蜜」と「透き」が分かれていることで、それぞれが独自の動きを示す。「透き」は「好き」、「とおり」の「とおっ り」には遠回りする表現に何を感じるか。含蓄か驚きか。離れておかれることで「り」が「るつぼ」の「る」と交接する。
なんてね。きりがない。この笠を見るには

     66

 1匹 の蛙
 人の かぶり笠 さし傘 の容(かたち)ながめ
 る 雨 もよい

雨模様の「雨もよい」が「雨 もよい」という雨もいいになる、掛詞。二行目「ながめ」で改行されているので、一行目の「蛙」が人の笠を「ながめ」ていると読める。例えば、「一匹の蛙眺める人の笠」あるいは「人の笠」を「かぶり笠」にして俳句(?)にしてしまうことだってできる。
で、「ながめ」で切れているから、三行目への期待を持たせ、いきなり「る」だけが配置されて、肩すかしを喰ってしまう。読者は、ここで前のめりになる。そこに、降る「雨」。それも、「よい」のだ。
そして、笠をかぶるはずの人の存在は、かさこそと消えるようだ。

言葉と戯れる。スリリングな懸崖を持ちながら、言葉の尾根を渡る。軽みも重みもそなえながら。言葉、意味、音。視覚、知覚、聴覚。そんな三行が、言葉書く者を、言葉読む者を、逆照射する。
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